アルカイック・スマイル
小次郎に救ってもらった時、沙魚丸は駆け寄って抱き着こうかと思うほど嬉しかった。
だが、ぐっとこらえた。
〈駄目よ、私。これでも中身はアラサーなんだからね。そんな女子高生みたいなことはできないわ。〉
そう考えつつも、今は十二歳なのだし少年の感情表現的に抱き着くのもありなのかな、と考える。
しかし、沙魚丸は思春期を爆発させた少年が苦手だったために少年と言う生き物に関する記憶がこれっぽっちもないため、今まで通りに話すことにした。
「ありがとうございます。助かりました。危うくこの人の刀で貫かれるところでした。」
小次郎は少し驚いた顔をし、沙魚丸に問いかける。
「殺されそうになったのに随分と平気そうなお顔ですね。平和な所から来たとおっしゃっていましたが、人を殺すのに慣れていらっしゃるのですか。」
沙魚丸はわたわたと手を振り答える。
「とんでもない。虫を殺すのも嫌です。殺虫剤なら平気ですけど・・・。まだ、震えていますよ。ほら。」
沙魚丸は、ぶるぶると震えている手を小次郎に見せた。
なるほど、と小次郎が呟く。
「殺虫剤というのが、何かは分かりませんが・・・」
くすっと笑った小次郎は、小声で沙魚丸に話す。
「実は、亡き沙魚丸様と私は以前、熊五郎に連れられて小さな合戦に傭兵として参加したことがあるのです。その時、初めて人を殺しました。初めての戦場の怖さに二人とも小便を漏らしました。お恥ずかしい話ですが、私は敵を討ち取った時にも漏らしました。」
恥ずかしそうに話す小次郎を見ていて、沙魚丸の震えは止まった。
〈小次郎さん、優しいのね。自分の恥ずかしい話をして、私をリラックスさせてくれてる。くうっ。いい男って、こうでなきゃね。でもね、男になってから男運が良くなるのは、どうしてなの・・・。〉
歯嚙みする沙魚丸に、涼やかな顔をした小次郎がさらっとイケメンなセリフを言う。
「震えているだけですんでいるのですから、とても凄いです。それに、この子供を救われたのですから、とてもご立派です。」
ぐわっと胸に突き上げて来る感情に、沙魚丸の涙腺が崩壊しそうになる。
涙が今にも零れ落ちそうな沙魚丸に小次郎が穏やかな笑みで諭す。
「ここで、泣いてはいけません。沙魚丸様は大将となられるお方です。元服をなさった後は、配下や領民だけでなく、商人や他家の武将など色々な人々と沙魚丸様はつきあっていくことになります。彼らに沙魚丸様のその時々の感情がどのようなものかを示せば、そこにつけ込む者が必ず現れます。」
「例えば?」
「簡単に言うと、沙魚丸様の表情を読み取ってご機嫌を取るやつが出て来ると言うことです。」
「確かに。」
沙魚丸は、ある会社の社長を思い出す。
〈周りはずらりとイエスマンに囲まれていたわね。数年後に潰れて、うちの売掛金が回収できなくなって、社長が泣いてたわ。〉
「沙魚丸様には、家臣が苦言を言いやすい大将になっていただきます。表情ですが、鉄面皮は怖いので、どんな場面でも微笑んでいましょう。」
〈アルカイック・スマイルをマスターしろとおっしゃるか!〉
心の中で思わずつっこんだ沙魚丸は、ため息とともに肩をすくめた。
「それは、ちょっと厳しくないですか。」
「私もそう思います。ですが、亡き沙魚丸様が常々仰っていたことなので、意思を引き継がれるとお決めになったあなたにも実行していただければ、亡き沙魚丸様もきっとお喜びになると思います。」
亡き沙魚丸のことを思い出したのか、小次郎の目が少し潤む。
〈ここで、沙魚丸君の話を出すのね。イケメンってやつは、話術もうますぎてやんなっちゃう。ここで無理なんて、言えるわけないでしょ。〉
沙魚丸はにっこりと笑う。
「沙魚丸君が喜ぶなら、やりましょう。」
「ありがとうございます。」
主従が結びつきを強めている横では、血だまりの中で男が虫の息となっていた。
男はかすれ往く意識の中で、沙魚丸たちの声を何と無しに聞いている。
「この男がここの村人か分からなかったので、とても悩んだのですが、この子を売るって言ったので殺してもいいと思いました。そうしたら、勝手に体が動いて・・・。」
〈何だと、俺を村人と間違えたのか。俺は侍だ。〉
『馬鹿にすんな。』と叫ぶが、声の代わりに出るのはヒューヒューと言う音だけだった。
農民風情と一緒にした沙魚丸への怒りに支配された男の目線上に三太の顔がぬっと現れた。
縄で縛られたままの三太は男に聞こえるだけの小声で話しかける。
「まだ生きてる?本当はおいらがとうちゃんとかあちゃんのかたきを討ちたかったんだけどさ。」
三太はにっこりと笑う。
「おいら、感動した。仏様のお使いが憎いお前を退治してくれるなんて、思ってもみなかった。仏様のお使いがわざわざいらっしゃったんだ。お前はきっと地獄行きだよ。よかったね。」
三太の弾んだ声に、男は何か言いたげに右手を持ち上げようとするが、指がピクリと少し動いただけで目を開けたまま息絶えた。
三太の行動に気づいた小次郎がしゃがみこんで男の様子をうかがう。
「沙魚丸様、死んだようです。」
男の死体をぼんやりと見ながら、沙魚丸は男と命を奪い合ったことに思いを巡らす。
〈うん。怖かった。本当に怖かった。漏らすのも忘れるぐらい怖かった。というか、この人、槍が刺さったままこっちに歩いて来たんだけど・・・。私、こんな人たちの中で本当に生き残っていけるかしら。〉
小次郎が男の目を閉じ手を合わせているのを眺めながら沙魚丸は考える。
〈弱気はダメよ。私は二回も死にたくない。もう何度も誓ったけど、人の命を奪ったから改めて誓うわ。私を殺そうとする人は残らずぶっ殺す!〉
目に炎をめらめらと宿らせ、意を決した沙魚丸は鼻息も荒々しくグッと胸を張る。
いつのまにか隣に現れた源之進が、熱気を帯びている沙魚丸ににこやかに話しかける。
考え込んでいる沙魚丸の邪魔をするのを控えた源之進と次五郎は、小次郎から何があったのかを聞いていた。
「沙魚丸様、初槍、おめでとうございます。小次郎から聞きましたが、一突きとは素晴らしいですな。」
「まったくですな。今後のご活躍が楽しみですな。」
楽しそうに話しかけて来る二人に沙魚丸は苦笑する。
〈殺して褒められるって、まさに修羅戦国ね。〉
「ありがとうございます。二人とも本当に強いのですね。」
二人が暴れまわったところを見ると、二人が倒した盗賊を槍兵が縛っている。
縛る数が多いので大変そうだ。
「師匠に褒めてもらうと楽しくなるのは不思議ですな。戦でこんな気持ちになるのは久しぶりすぎて、胸が熱くなります。」
「いっそのこと、沙魚丸様の家臣になればよいのでは。」
源之進の言葉に次五郎が大きく目を見開く。
「何という甘い響き。そんなことができる訳もないが、できたらいいでしょうなぁ。」
次五郎が寂しげになったのを見た源之進が慌てて謝る。
「申し訳ない。軽い冗談のつもりだったのだが・・・」
「沙魚丸様のお供となった今を存分に楽しませていただくので、余計な気遣いは無用ですぞ。この辺りも制圧いたしましたし、そろそろ入口へ向かいましょうか。」
次五郎が明るい調子を取り戻し、歩き出そうとする。
「すいません。この子の縄を解いてあげてくれますか。きつく結んであって、私では、解けそうになくって・・・」
正座姿で茫然と沙魚丸を見上げている三太は、源之進が縄を解くと自由になった手を合わせ沙魚丸を拝み始める。
「ありがとうございます。仏様のお使いのお方。助けていただきありがとうございます。おいら、分かったんです。あなたは、仏様を守護する十二天のどなたかなのでしょう。行商の人たちから物語を教えてもらいました。」
三太は熱に浮かれたようにしゃべり続ける。
「『虐げられし者を救わんがため、その身に紫紺の鎧を纏い、怨嗟の大地に降り立ち慈愛の槍を振るう。紫紺の鎧はいつか真紅に変わり、救われし者たちは自らの心を捧げる。』
おいらが聞いた古の物語と同じです。おいら、ずっと仏様にお願いしてたんです。とうちゃんとかあちゃんのかたきを討っていただき、ありがとうございます。」
涙ながらに繰り返し感謝の言葉を述べる三太に沙魚丸は押し黙る。
〈十二天とか知らない言葉が出て来たわ・・・。さすがにこの子の前で『十二天ってなぁーに?』って、源之進さんに聞くのは、ダメよね。〉
盗賊たちの制圧を終え、報告のために兵が集まり始めている。
さらに、この子供をどうするのかという源之進たち三人の視線が痛い。
特に、次五郎の何か面白いことが起きて欲しいという欲望に満ちた視線が・・・
〈おこちゃまよ、私を仏様みたいに言うと後で女神様にすさまじく怒られる気がするの。だからね、これ以上、私に座拝するのやめてちょうだい。そうね、ここはきっちり否定しておかないと、後で絶対、女神様が拗ねるわ。〉
拝んでいる三太の前に沙魚丸はしゃがむ。
「お名前は何と言うのですか?」
三太は拝み続けながら答える。
「三太です。」
「三太君ね。私は十二天ではありません。私は沙魚丸と言います。大事なことなので、もう一度言います。私は十二天ではないですからね。分かりましたか?」
〈これぐらい念を押せば大丈夫だよね。女神様に言い訳できるよね。私は違うって言ったんですよ。女神様、聞いてますよね。〉
「それでは、みなさん行きましょうか。」
よいしょ、と立ち上がり沙魚丸は朗らかな顔を皆に向けた。
「師匠、それでは、この子供がかわいそうではないですか。」
〈やはり、お前か。次五郎。なんだ、そのにやけた顔は。〉
「何がかわいそうなんですか。私はただの人間で十二天という仏様ではないですよ。」
「いやいや。師匠よ。そこではないです。この子供は、親の仇を討ってくれて感謝しているのです。図らずも仇討ちをしたのですから、親の魂を鎮めてやらんといかんでしょう。」
〈えーっと。分かりません。こういう時は・・・。〉
ちらっと小次郎に目を向けると、小次郎はうんうんと頷いている。
「分かりました。やりましょう。」
沙魚丸は朗らかな顔の次五郎に負けない笑顔で答えた。




