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初槍

沙魚丸の突然の出現に、男は泡を食った。

〈なんだこいつ。いつからいたんだ。〉


だが、男も場数を踏んだ盗賊の一人である。

金の匂いに嗅覚を敏感に働かせる。

沙魚丸が装着している鎧のあまりの美しさに男の目は釘付けとなり、生唾をごくりと飲み込む。


〈こいつの恰好・・・。こんな立派な鎧を着た奴なんかいたか?見れば見るほど、この鎧、めちゃくちゃ立派じゃねぇか。もしかして、最高級品じゃねぇのか。〉


沙魚丸に問われたことすら忘れ、美麗な鎧に見入ってしまう。

男に言葉を失わせた沙魚丸の鎧は、男の見立て通り特別仕立てである。


五大甲冑師の一つ紫雲流当主、黒崎右兵衛門作『紫糸威(むらさきいとおどし)腹巻(はらまき)


紫草(むらさき)の根を用いて染められた紫の組紐、漆を塗り重ね作られた千枚以上の小札(こざね)、さらに、細部の装飾には金をふんだんに使い、目に見えないところまで丁寧に製作された鎧は、見る者の心を揺さぶる逸品である。


もちろん、この鎧は沙魚丸のものではない。


兄龍久の鎧着初めの際に茜御前が当代随一と(うた)われた甲冑師である黒崎右兵衛門に大金を積んで特別に仕立てさせたものである。


此度の戦に椎名家の大将として出陣するはずであった龍久が、病床から沙魚丸に手紙と共にこの鎧をよこした。


手紙には、次のようにしたためられていた。

『私が病を得たために、沙魚丸に迷惑をかけてすまなく思う。この鎧であれば、きっと沙魚丸の身を守るはずなので、着けて行って欲しい。鎧は壊れてもかまわないので、無事に帰ってくるように。』


身内で唯一、優しさを示してくれる兄に感謝し、出陣前に元沙魚丸は鎧の裏側に兄からの手紙を油紙に包んで貼り付けた。


椎名家でも家宝として扱われている鎧であるからこそ、男が沙魚丸の鎧に見とれるのも無理はない。

すっかり鎧に目を奪われていた男だが、妙な感覚のズレを感じる。


〈そういえば、普通、兜の見事さに目を奪われるよな。俺はなんで鎧に見入ったんだ・・・〉


そんな疑問が浮かび、兜に目を移した男の目は驚きのあまり大きく見開かれる。

〈おいおい、どうなってんだ。意匠が全く違うじゃねぇか。いや、それどころの話じゃねぇな、これは。なんだ、この汚い兜は・・・。へこんでるところもあるし、吹き返しも曲がってる・・・。まさしく、月とすっぽんだな。〉


男は不審げに沙魚丸を眺めまわした。


〈もしかしたら、村で見つけたのか。こんな立派な鎧がこんな辺鄙な村にあったのかよ。待てよ。そういえば、入口の家で立派な鎧通(よろいどおし)を見つけたとかで誰かが喧嘩をしていたよな・・・。そうか、そうか、分かったぞ。この村は、追剥(おいはぎ)の村だったのか。道理でこの鎧兜はちぐはぐな訳だ。こいつが見つけた時に(そろ)いの兜は無かったんだな。〉

男は、自らが納得できる答えを見つけ安心した。


この村が落ち武者などから武具を奪い取る村だと考えた男は、沙魚丸の立派な鎧は村人が落ち武者から剥ぎ取ったものだろうと推測した。

〈こいつ、運のいい奴だな。どうする、これの兜を探してみるか・・・〉


男は兜に思いを寄せているが、当然、この村に件の兜は無い。

残念ながら、沙魚丸は鎧と揃いの兜をつけてこれなかった。


茜御前が兜の貸し出しに反対したからである。

兜の前立てには椎名家の家紋である月に千鳥が飾られているのだが、

茜御前曰く、『先々、椎名の家から出て行く者が守護職の西蓮寺様の御前に家紋入りの兜をつけて参上するなど、あってはなりませぬ。』

との一言で、武器蔵の片隅にほこりだらけで放置されていた古い兜が沙魚丸に貸し与えられた。


そんな訳で沙魚丸は、兜と鎧がちぐはぐとなっているのだが、男がそんな理由だと知る由もない。

出陣前に源之進や小次郎によって手を入れられた兜は、美しいと言わなくともそれなりの姿はしていた。

『矢つかみの儀』により次五郎の矢を受けたせいで、出陣前より兜がボロボロになってしまったのだが・・・


〈こいつは、おそらく、道犬とか言う頭の手下に間違いねぇ。ここに来るまでに、こんな奴は見たことねぇしな。さてと、どうするかな。兜を見つけ出すのは面倒だ。しかし、見れば見るほど立派な鎧だ。こんなちんちくりんには本当にもったいない。仕方ない、俺が貰ってやろうか・・・。〉


男がよこしまな方へ考えを巡らし始めた時、沙魚丸が再び問うた。


「さっきから、何を黙っている?早く答えろ。」


威圧的に話す沙魚丸だが、内心はびくびくしている。

〈怖いよぉ、何この人。細目すぎて、どこ見てるかさっぱり分かんないんだけど。とりあえず、偉そうな口調で押していくしかないわ。がんばれ、私!〉


「何言ってんだ、お前。頭、おかしいのか。捕まえたもんは商人に売るに決まってんだろうが。」


正直なところ、男としても沙魚丸の問うている意味がさっぱり分からない。

村で略奪したものは、人間であれ物であれ、商人に売るのが当たり前なのだ。


〈こいつ、仲間なんだよな。敵なら問答無用に切りかかってくるはずだ。もしかして、俺からこのガキを奪おうとしているのか。なんて野郎だ。なら、俺が鎧を奪っても文句はねぇよな。〉


心の内でほくそ笑んだ男は、さて、どうだまし取るかと考える。


敵意を見せずに疑問をぶつけてくるだけの沙魚丸を自ら殺すのは避けるべきだろう。

何しろ、仲間内の刃傷沙汰を知られると、傭兵頭から重い罰金を科せられる。

それも助っ人で行った先の傭兵を殺したとなると、どんなことになるか考えるのも恐ろしい。


〈商人に売ろうと思っていたガキがこの鎧武者を殺したことにするのは、どうだ・・・。ガキを殺すのは惜しいが、欲をかくとろくなことがねぇからな。〉


男は、鎧を穏便に奪う方法を必死で考え始める。

穏便とは自分に火の粉がかぶらないように、と言う意味であって、男に迷惑をかけずに誰かが死んでも全然かまわない。

もっと言えば、男のために死んでくれるのは、とても嬉しい。


〈よし、そうと決まりゃぁ、さっさと、この鎧武者を殺すか。誰が見ているか分からないから外はまずいな。そうだ、さっきの毛皮をこいつに見せてやるからとか言って、騙くらかしてあの小屋に連れて行くか。〉


沙魚丸をすっかり無視し考えにふけってしまった男に、沙魚丸が訝し気に尋ねる。


「お前はこの子供を売ると言っているが、先ほどから見ていると殴るわ蹴るわと好き放題しているではないか。それもかなり力がこもっておったぞ。下手をすれば、死ぬかもしれん。本当にその子供を売る気があるのか?」


自分よりも小さい男に会った時から偉そうに言われ続けた男は、ついに怒気を発する。


「うるせぇな。このくそちび。このガキが暴れるからだろうが。傷が分からないよう腹を蹴ってるし、何より躾代わりに少々痛めつけただけじゃねぇか。お前にどうこう言われる筋合いはねぇんだよ。ボケ。」


男が怒鳴ると、男の背後で一際大きな悲鳴が上がる。


「おい、それより何が起きてんだ。さっきからなんなんだ、あの声は。」


背後を振り向き指さした男は、もう一度、沙魚丸の方へ振り向こうとした時、男の目には村の裏口付近で戦う男たちの姿が映った。


槍を手足のように扱う男の足下には仲間が転がり、今、新たに一人が殴り倒された。

その男の横には薙刀を笑顔で振り回す男が同じように仲間を叩きのめしている。


〈なんだ、何が起きている?なんで、俺はあいつらに気がつかなかったんだ。このガキに腕を刺されて、頭に血が上っていたからか・・・。それとも、鎧に目を奪われ過ぎたのか・・・。ちょっと待て。そうだ、この鎧武者もあいつらの仲間だ。やばい、あいつらはやばい。もうこんな小汚いガキは放っておいてすぐに逃げよう。この鎧武者に怪我を負わせれば、あいつらが介抱している間に逃げれるはずだ。〉


男は刀を抜こうとした。

しかし、なぜか思ったように体がうまく動かない。


目だけを動かすと、自分の首に槍が突き刺さっているではないか。

何が起きたか分からないまま男は、口から血を吐き出す。


『このやろう。』


言葉にならない何かを血と共に吐き出しつつ、男は沙魚丸を殺すことを決める。


〈こいつを殺さないと逃げれねぇ。〉


首を刺されているようだが、不思議と痛みはない。

血が出ているが、早く逃げ出してどこかで血止めをすれば大丈夫だろうと考える。

こんな血ぐらい、過去に何度も流している。


〈そうだ。これしきの槍傷で俺が死ぬわけがねぇ。〉


男は意識を沙魚丸に集中する。

さっさと殺して、ここから逃げるために。


沙魚丸は動かない。

というよりは、動けなかった。


背後へ振り向こうと男が沙魚丸に背を向けた時、沙魚丸は右足を引き、左手の中を滑らせるように右手で槍をすっと突き出した。

男が再度、沙魚丸に向き直った時、見事に槍の穂先は男の首に突き刺さった。


沙魚丸は、この男と交わした話や細い目の奥から沙魚丸を値踏みするようにねっとりといやらしく光る目を見て分かった。


前世では感じたことのない感覚。


〈こいつ、私を殺す気だ。〉

そう思った時、沙魚丸の体は自然と動いて、男の首に槍を突き出していた。


肉に刃を突き立てた感覚に、我に返った沙魚丸は次にどうしたらいいのか分からず、かたまってしまった。


〈どうしよう。どうしよう。槍が抜けない。〉

男から噴き出す返り血で槍を持つ手が滑る。

槍が刺さったまま、男は刀を抜きじりじりと前に出て来る。


戦闘時は元沙魚丸の体に任せておけばいい、と小次郎に言われていたことも気が動転している沙魚丸は思い出せない。


刀の間合いにまで近づいた男は、沙魚丸に切っ先を向けた。

沙魚丸は、刀の輝きをぼんやりと見つめていた。


〈きれい・・・〉

スローモーションのように沙魚丸へと迫りくる切っ先が日の光を受け、きらめいている。


「ぐっはっぁ。」


突如、後方から飛び込んで来た何かに男は吹っ飛ばされ、血反吐を吐き散らしながらゴロゴロと地面を転がる。


男に体当たりを食らわせた者が、すっと立ち上がる。


「沙魚丸様。ご無事ですか。」


酷く乱れた息づかいの中で、小次郎は沙魚丸の安否を尋ねた。

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