三太の復讐
三太の視線の先には、小屋の奥へと進む男の背中があった。
〈あんな冷え冷えとした背中、村の人にはいないよね・・・。〉
三太は村の大人たちの背中を脳裏に浮かべるが、思い当たる背中はいない。
首が長くなで肩の体躯を持つ男の背中からは、これっぽっちも暖かい土の匂いがしない。
それどころか、鉄錆びた血の匂いが漂っている。
〈こいつ、盗賊の中でもやばいやつだ。〉
三太が怖気を震った時、男は立ち止まり小屋の中を見渡し始めた。
床下の隙間から男の顔を見た三太の心にかっと憤怒の炎が燃え上がった。
人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを貼り付けた顔。
細い目の上に刀傷が大きく左右に走っている。
三太が今も夢に見る顔。
〈こいつ、とうちゃんとかあちゃんを殺したやつだ。〉
三太の呼吸は荒くなり、ドクンドクンと心臓の鼓動が大きくなる。
〈また、おいらの大切なものを奪いに来た・・・〉
三太は床下で、つかんだ土を握りしめる。
この男に会うことを三太はずっと願ってきた。
だが、今ではない。
〈まさか、こんな時に会うなんて・・・。おいら、何にも持ってねぇ。〉
三太の本能がささやく。
幼い子供の三太が、この男に敵対した瞬間に笑いながら嬲り殺されるだけだと。
この時に備えて、三太は父と母が殺されてからずっと村人たちに教えてもらってきた。
非力な子供でも大人を殺せる方法を。
大木村は、もともとは主家を滅ぼされた儀作とその家臣が他国から流れ着いた末に作った村である。
村人の中には、武士だった者もいれば、忍びであった者もいる。
父母の死体を前に三太が復讐をしたいと血を吐くように言った時、周りの村人たちは黙って頷きあった。
それからというもの、暇を見つけては、腕に覚えがある村人は三太に棒手裏剣の稽古をつけ、毒や目つぶしの作り方と使い方を教えた。
三太は、村を襲う盗賊に対して棒手裏剣を投じたこともある。
死体から金になりそうな物をはいだこともある。
三太の日常は、死と隣り合わせである。
『朝に紅顔ありて夕べに白骨となる』
夕方まで生きていられるか分からないからこそ、三太は明るく生きる。
憎悪をぶつける相手は父と母を殺した男だけで足りている。
〈おいら、素手で正面から大人を殺せる方法を教えてもらってない。なんで、こんな時に会うんだ。ひどいよ、仏様。なんでだよ・・・。クナイでもあれば、かたきを討てるのに・・・。〉
三太は嘆く。
必死で修得したのに、その成果を出すことも叶わないのかと。
今日の農作業に邪魔と思い、武器を置いてきた自らの迂闊さを。
仏への恨みを吐いた後、静かに息を吐き権太の腹に目をやる。
〈ごんにぃも脇差を差してないか・・・。とにかく、今がかたき討ちをできる機会なんだ。おいらでできることを考えるんだ。〉
三太は考える。
どうやったら、この男を殺せるかと。
三太が考えている間にも、男の物色は続く。
男は、先程の盗賊が土壁に開けた穴が気になるのか、丹念に調べている。
何もないと気づいた男は疲れたように首を振り、ふと上を見上げた。
権太の小屋には天井が無く、梁がむきだしである。
その梁の上に権太は床下に隠れる際に猪の毛皮を隠した。
「なんだ、あれは。」
呟いた男は、毛皮を槍で下に落とした。
「ほう、猪の毛皮か。なるほど。ここは、猟師の小屋だったか。どうりで、ボロボロなわけだ。」
しばらく考えていた男は、毛皮をさすりながらほくそ笑む。
「猟師の小屋ならば、他にも何かしら金目の物があるはずだ。」
梁に何か乗っていないか、上をぐるりと見まわした男は、次に土間を調べ始めた。
土間を探す男の背中を見ながら、三太は思いついた。
〈あいつがここから出て行ったら、背中からごんにぃの脇差で一刺しにする。〉
権太が柱の穴に脇差を隠しているのを三太は知っている。
男が小屋から出て行ったら、脇差を取り出し男の背中に刃を突きたてれば、十分に殺せるはずだと三太は考えた。
〈あの甲冑は腹当だし、背中ががら空きだ。これならやれる。〉
三太が目を光らせた時、土間を調べても何も出てこなかったせいなのか、男はからっぽの瓶を頭上高く持ち上げ土間にたたきつけた。
欠片のひとつが床下に飛んできて権太の腕に直撃した。
怪我は無かったようだが、権太は欠片が当たったところをさすりながら何かもにゃもにゃと言うだけで目を覚ます様子はない。
権太の言葉は男に聞こえるような大きさではなかったが、男は敏感に聞き取ってしまう。
「誰だ?」
男は叫ぶと、うろんげに入口の方に目をやる。
三太は男の冷たい声に身をすくませる。
〈このままだとすぐに見つかる。ごんにぃは起きないし・・・。どうしよう。〉
三太は悩む。
このまま復讐を成し遂げることができるのかを。
男は、誰か人がいるのか注意深く探し始めた。
男の残忍な目の光に、怪我をしている権太は足手まといとばかりに殺されるのが三太には明確に分かった。
〈ごんにぃを助けなきゃ。とにかく、あいつを小屋から遠ざけよう。〉
三太は復讐を諦めた。
男に権太を見つけさせて、その間に三太が男を殺すことは可能だろう。
だが、父と母はきっと喜ばない。
〈とうちゃん、かあちゃん、ごめんよ。おいら、ごんにぃを助ける。だから、会ったら褒めて欲しいな・・・。〉
権太を助けることを決心した三太は床下から素早く這い出し、一気に屋外に駆けだした。
しかし、三太を見つけた男がとっさにつかんだ薪を三太に向かって投げつけた。
薪は、三太のすねに当たる。
バランスを崩した三太はつんのめりながらも何とか体制を立て直そうと一歩、二歩と歩みを進めるが、倒れる勢いを止めることはできず屋外に出た所で滑り込むように倒れてしまう。
〈駄目だ。こいつをごんにぃの家から少しでも離さなくっちゃ。〉
痛さに呻きつつも立ち上がり駆けだした三太は、数歩行ったところで男に腕をガッシリとつかまれた。
「てめぇ。逃がさねぇぞ。今日は全く稼ぎがねぇんだ。てめぇを売れば、博打の借金を返すことができるからな。怪我したくなけりゃ大人しくしやがれ。」
〈畜生。畜生。おいらはあんたの博打のために生きてるんじゃねぇよ。〉
男の言葉に三太は無性に悔しくなった。
三太は権太の床下で拾った瓶の欠片を男の腕にぐさりと突き立てた。
「いてぇ。」
叫んだ男は思わず三太の手を離す。
三太は悔し涙を拭いもせずに、権太の家から離れようと懸命に走る。
男は自分の腕から流れる血を見てすっかり逆上し、鬼のような形相で三太を追いかける。
三太は今まで生きて来た中で最も早く、そして必死に走る。
だが、大人と子供の差はいかんともしがたく、追いつかれ襟首をつかまれた三太は男に投げ飛ばされ、地をゴロゴロと転がった。
仰向けになった三太の腹を男はドンと踏みつける。
「ううっ。」
三太は思わず呻く。
「てめぇ。これ以上、舐めた真似すると生かしておかねぇからな。」
興奮し目を血走らせた男は三太に凄む。
〈おいら、ごんにぃを守れたよね。〉
痛みの中で三太は少しだけ誇らしく思う。
男を権太の家から引き離したことに嬉しくなった三太は無意識に微笑んだ。
「馬鹿にしてんのか、てめぇ。」
三太の微笑みを見た男は自分が限りなく惨めな人間に思え、気づくと三太を蹴りとばしていた。
怒りと惨めさに我を忘れた男は三太の着物をつかみ乱暴に立たせると、乱暴に扱っても破けない三太の着物がぼろい割には丁寧に作られているものと気づく。
〈この着物も売れるな。顔を殴ったのは失敗だったな。この小僧、よく見ると可愛い顔してやがる。稚児として高値で売れたかもしれねぇのに。馬鹿なことをした。〉
三太の頭を壁に押し付け三太の着物を剥ぎ取った男は、着物をしまおうと三太から手を離した。
男が少し目を離した隙に三太が飛びかかってきた。
〈うっとうしいな、こいつは。顔を殴るのは止めだ。腹なら大丈夫だろう。〉
金のことを考え、すっかり冷静になった男は三太をこれ以上傷物に見えないようにするため腹を蹴り上げる。
〈この前の戦場で捕まえた野郎は着物を剥いで、そのまま裸で持って行ったら体の傷も見つかって少し安く買われたからな。このボロをこいつに着させとけば大丈夫だろう。〉
男はうずくまっている三太にボロボロな着物を投げつけてよこす。
「さっさと着ろ。次の家をあさって、もっと稼がないといけねぇんだからな。」
言う通りに動かない三太にいきり立った男は三太の尻を蹴とばす。
三太がボロボロな着物を身に着けると男は三太が逃げ出さないように体を縄で縛り上げる。
〈もしかすると、今回の稼ぎが悪いのは、こいつに関わったからじゃねぇのか?こいつ、疫病神か。〉
男は癇癪を起し三太の背中を蹴とばした。
蹴とばされた勢いで三太が四つん這いになると、男は三太に唾を吐きかけた。
〈こいつ、また立たねぇのか。〉
苛立つ男は三太を縛った縄を引っ張ろうとした。
その時、村の入口で大きな喚声があがり、男は思わず振り返る。
剣戟の音がし、人の叫び声が響く。
〈やばい、何が起きてるか分からねぇが、やばいことだけは分かる。さっさとここから逃げよう。〉
男は三太を立たせようと前を見ると、いつの間にか、甲冑武者が立っていた。
「おい、その子供をどうするのだ?」
雨情から疫病神の疑いをかけられている沙魚丸が男に尋ねた。




