三太、隠れる
「ごんにぃ、早く逃げよう。」
権太が暮らす小屋の入口に垂れ下がった筵を跳ね上げ、風と共に飛び込んで来た三太は、権太の顔を見るなり叫んだ。
勘九郎に言われた通り裏山に向かって走っていた三太だったが、大猪に怪我を負わされた権太のことを思い出し、村はずれにある権太の小屋へと慌てて進路を変えたのだ。
◆◆◆
あれは、数週間前のこと。
人間を警戒し夜行性であるはずの猪が、昼間から村に現れ、我が物顔で畑を荒らすようになった。
「大猪は、完全に俺たちを舐めている。」
憤激した若者たちは、人間様を舐め切った大猪に天誅を喰らわすべく、大猪の生態を徹底的に調べ上げ罠をはった。
大猪は、見事に罠にかかった。
だが、舐めていたのは、若者たちだった。
喜ぶ彼らの目の前で、大猪は罠を食い破り、あざ笑うように山の中へ走り去っていった。
「獣にしろ、人間にしろ、絶対に舐めてはいかん!」
村の老人たちからいつも繰り返し言われている言葉を思い出し、彼らはがっくりと肩を落とす。
とぼとぼと山道を進む彼らの背後に大猪は忽然と現れ、目を怒らせた大猪は彼らに逆襲をしかける。
突然の攻撃にうろたえる彼らをぎらりと睨みつけた大猪は一番弱そうな権太めがけて突っ込んだ。
猪突猛進をまともにくらい吹っ飛ばされた権太は、大怪我を負ってしまう。
ここで、予想外のことが起きた。
大猪は権太に突っ込んだ後、止まり切れなかったのだ。
大猪の計算では、権太はもっと重いはずだった。
当たってみると権太は枯葉のように軽く、たやすく権太を吹っ飛ばした大猪はそのままの勢いで大木に頭から突っ込んでしまう。
木にぶつかって倒れた後、ピクリとも動かなくなった大猪に彼らは恐る恐る近づく。
彼らは大猪が気を失っていることを確かめると、権太の弔い合戦とばかりに大猪の体へ槍をぐさぐさと突きたてた。
村を騒がせた大猪はここに絶命した。
今では怪我を癒す権太の栄養の一部として活躍している。
◆◆◆
三太に気づいた権太は猪の毛皮で作った布団から這い出ると、大きく伸びをした。
「三太。板木が激しく鳴っていたようだが、何かあったのか?」
「分かんねぇ。でも、カンさんが早く裏山に逃げろって言ってたから、何かあったと思うよ。」
とぼけた三太の返事に権太は首を横に振る。
「じゃぁ、早く逃げろ。」
「おいら、ごんにぃを連れに来たんだ。」
「俺は、まだうまく歩けんのだ。俺のことはほっといていいから、早く行け。」
「おいら、ごんにぃを担いで行くからさ。一緒に行こうよ。」
権太は三太の頭の上に手を置き静かに話し始めた。
「三太の気持ちは嬉しいが、お前では俺を担いで山を登るのは無理だ。だから、早く逃げろ。もしかしたら、この騒ぎもたいしたことではないかもしれんしな。」
腕組みをして考え込んだ三太は、ちらちらと権太を見る。
しかし、権太が一緒に行きそうもないので、あきらめた顔となった。
「分かった。じゃぁ、行くよ。」
権太は優しく三太の頭を撫でる。
「ありがとな。何にもなかったら後でここに来い。なんか作っておこう。」
「おぉ、やったぁ。おいら、ごんにぃのキュウリが食いたい。」
「よし、用意しておこう。ほれ、さっさと行け。」
「うん、じゃぁね。」
手を振り小屋を出ようとした三太は、後ずさり権太に振り向いた。
「ごんにぃ、田んぼを知らない奴らが勝手に刈り取ってる。」
「なんだと。」
権太は、こっそりと田んぼの方を覗き見る。
〈確かに、あれはうちの村のもんじゃねぇな。あれは、胴丸か。槍もある・・・。ということは、さっきの板木は盗賊の来襲を知らせるためのもんだったか。〉
「三太。ありゃぁ、盗賊だ。お前一人なら大回りの道を使えば、裏山まで行けるだろう。」
権太の下から同じようにこっそりと覗き見ていた三太が、頭を横に振った。
「ごんにぃ、無理そうだよ。だって、あそこにも人がいるから、見つかると思うよ。」
三太が指さした方を見た権太は、黙って頷き床座にどかっと腰を下ろすと頭を抱えた。
〈気持ちは嬉しいんだが、何だって俺のことなんか助けに来るのかね、こいつは。俺は村で飼われてるんだからほっときゃいいのに・・・〉
ため息を吐く権太の横に三太がちょこんと座り、権太の肩を叩いた。
「ごんにぃ、逃げれなくても、何とかしようよ。」
「こいつめ。」
権太は三太の柔らかいほっぺたをつかみ、引っ張る。
〈誰のせいで悩んでると思ってんだ。でも、俺の命をかけてでも三太は絶対に助ける。ただなぁ、さっき徳爺が煎じてくれた薬を飲んだばっかりなんだよなぁ。爺さんの薬はいつもは全く効かねぇんだが、たまーに、いきなり意識がなくなるぐらい効く時があるんだよなぁ。〉
無精ひげをぼりぼりとかきながら権太は薬のことを思い浮かべるが、軽く笑うと三太に明るく話しかける。
「よし、三太。うちは幸いにもボロ家だ。盗賊どもも見過ごしてくれるかもしれん。」
「うん。確かにボロボロだよね。」
ふちが欠け表面にひびが入っている土鍋をしげしげと見ながら三太が答える。
「うるさいわ。俺はボロと一回しか言っておらんぞ。まぁ、我が家の素敵さを教えるのは助かってからたっぷりとしてやろう。よし、それでは、生き残るため床下に隠れるぞ。」
権太の言葉に、今から冒険でもするかのような興奮を覚えた三太は目をキラキラと輝かせる。
そんな三太を苦笑して見つめた権太は、先に床下に潜り込み、三太の場所を作る。
三太は、きょろきょろと狭い小屋の中を見渡す。
「こいつが俺の宝物だ。」
権太が自慢げに言っていた塩が入った瓶を見つけ、大事そうに抱え床下に滑り込む。
「三太、すまんな。塩は買ったばかりだから盗られると辛い。」
「ごんにぃは塩好きだもんね。おいらも、キュウリの塩もみ好きだ。」
「そうだな。早いとこ、食べような。」
「ふふ。楽しみ。ところで、どれぐらい隠れておけばいいの?」
「そうだなぁ。まぁ、暗くなるまでは、じっとしとれ。腹も鳴らすなよ。」
「分かった。」
三太は腹が鳴らないようにうつ伏せになり、床下から家の入口をじっと見た。
一方、権太は床下に入った途端、急に眠気が襲ってきた。
〈いかん、ここで寝てはいかん。〉
腕をつねったり、ほっぺたを叩いたりと考えられることはやってみた権太であったが、しばらくすると深く深く寝入ってしまった。
滅多に効かない薬が効いてしまったのだ・・・
三太は床下でじっとしていたが、うっすらと寝息が聞こえたので、驚いて隣を見た。
そこには、すっかり熟睡している権太がいた。
三太は権太を何度かつついてみたが全く起きる様子がない。
それどころかつつく度に『塩がぁ』と寝言を言う。
そんな権太の様子に緊張するのが馬鹿馬鹿しくなった三太は声を忍ばせ笑ってしまう。
ひとしきり笑うと、三太は目をつむり両手を握りしめ願う。
〈仏様。お願いです。このまま何も起こらないで、早く夜にしてください。村から盗賊を消してください。〉
バキッと大きな音に三太は反射的にビクッと身を震わせる。
権太の小屋で扉代わりにしている筵が無理やり引きはがされた音だった。
奪った筵をくるくると丸めながら、一人の男が入ってくる。
三太は息を殺し、床下の隙間から様子をうかがう。
男は大きな風呂敷を背負っている。
中には他の家から盗み出したのであろう物が入っているのは一目瞭然だった。
三太は腹が立ったが、ぎりっと歯を食いしばり、飛び出すのを我慢する。
瘦せこけた顔には無精ひげが顔の半分を覆い、もう何日も体を洗っていない匂いが漂ってくる。
土間と床座の二室しかない家の中を男は目を細めぐるっと見回す。
「くそっ、ボロボロじゃねぇか。」
吐き捨てるように呟いた男は、持っていた槍で土壁を殴っていく。
強く殴られた所は、竹小舞が露わになっている。
「壁の中にも、何にも隠してる様子もねぇし、大外れだ。次だ、次。」
唾を吐き捨て男は権太の家を出ていく。
恐怖に震えていた三太は、男の足音が完全に消えたのを確認し大きく息をつき、権太に話しかける。
だが、権太は寝ていた。
〈ごんにぃ。すげぇな。あれだけ大音がしても起きないなんて・・・。もしかしたら大物なのかな。〉
三太は権太の評価を大物と変更したところで、くっくっと笑い出す。
〈やっぱり、ボロボロだよね。ごんにぃが起きたら盗賊にもボロボロって言われてたよ、って言ってやろ。〉
権太がどんな顔をするかと思うと三太はさっき感じた恐怖などすっかり忘れてしまう。
朝早くから農作業をし、盗賊を無事に回避できたことに少しだけ心が緩んだのだろう。
三太はうつらうつらし始めた。
寝てはいけないと頑張って目を開けようとするのだが、まぶたは重くなり意識が遠ざかっていく。
必死で頭を左右に振るが、三太は眠りについてしまう。
三太は夢の中で優しかった母に甘えていた。
母が三太用の着物をせっせと縫っている横で座っているのが好きだった。
母が時々手を止め三太の頭を優しく撫でながら微笑んでくれるとたまらなく嬉しくなる。
三太も同じように母に微笑むと、母もまた微笑む。
縄を編む父が可笑しそうに二人を眺め、二人に声をかけようとした時、ドンと大きな音がした。
三太のあたたかな夢は砕けて散った。
現実に引き戻された三太は、濡れた目を見開き音がした方をじっと見つめた。




