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雨情と木蓮

頭をさすりながら去っていく沙魚丸を見ていた雨情の横で木蓮が口を開いた。


「よかったのですか?盗賊の来襲を村人に教えたことを告げなくて。」


当惑顔になった雨情が木蓮に聞き返す。

「言う必要があったか?」


「沙魚丸様が受け持つ裏口は、正面口からも別の裏口からもいささか遠いとお聞きいたしました。村人は現れないはずと事前に知っていれば、思う存分に力を振るえましょう。」


「儂はそれほど優しくはないし、初戦から与えられることに慣れてしまえば死に近くなるだけではないか。」


興味なさげに話す雨情の横顔を見た木蓮は微笑む。


「若は、随分と沙魚丸様に優しうございますな。」


「木蓮、それは違う。本当に優しければ、あいつが父母無しの一人になることはなかった。」


雨情は、表情を変えることなく呟いた。


雨情の声音にひそむ悲しい響きを木蓮は聴き取る。

〈若の心の傷を軽くするために、沙魚丸様には立派な武将となっていただくのが良さそうですな。妻よ、申し訳ないが、私の隠居もまだ先になりそうです。〉


木蓮は、雨情の暗さを払うために話題を変えることにした。


「それにしても驚きましたな。沙魚丸様は、小さな村など見捨てて鶴山城への道を急ぐかと考えておりました。」


「木蓮もそう思ったか。実はな、儂もあいつはさっさと龍禅様の元へ向かうと思っておった。なにしろ、源之進以外では龍禅様が初めてではないか?大人として沙魚丸を正面からしっかりと見たのは。」


「沙魚丸様への扱いは酷かったようですな。」


「どうやらそのようだ。いい大人のやることかと思うようなことを城内で聞かされたわ。何とも情けない話だが、一門衆の決定に儂が異を唱えるのは義父の立場を悪くするしな。」


「そうなると、村を救いに行くと言った沙魚丸様にますます謎が深まりますな。」


「あいつと同じ酷い目にあっている者を見捨てては行けなかった、と言うのは少々できすぎていて気持ち悪いな。もっと子供っぽい理由がいいな。」


木蓮の顔が何か思いついたように明るくなった。

「龍禅様から授かった脇差を使いたくなった、とかですかな。」


木蓮の顔をまじまじと見た雨情が、一瞬困惑した表情を浮かべるが納得した顔となる。


「ありえるな。あいつ、脇差を授かった時、ニヤニヤしながら抜こうとしておったからな。そうじゃ、それを見て儂は思わず走って逃げたのだ。」


ひざを叩いて笑顔で話す雨情が木蓮からの返事が無いのに違和感を感じ、顔を上げると目の前に冷たい目をした木蓮が立っていた。


「そうですな、私を置いて一人で走って行かれる若のどんどん遠ざかっていく背中を見た時は、唖然と致しました。」


「いや、すまんかった。儂のか弱い精神では、あの場に居続けるのは無理だったのだ。そうじゃ、詫びとして、国に帰ったら、秘蔵の鰹の塩辛を分けてやる。それで、許せ。」


「いや、それでは全然少ないですな。」

木蓮は大きく首を横に振る。


「木蓮、あまり欲をかくのは、どうかと思うぞ。」


顔をしかめた雨情に、木蓮はニコリと感情の欠けた笑顔を向けた。


「では、若がお逃げになった後のことをお聞かせいたしましょう。沙魚丸様は龍禅様の前で大人しく振舞っていらっしゃったつもりなのでしょうが、吹風様から殺気を飛ばされるわ、あくびをかみ殺すわ、しまいには、海徳様を小馬鹿にするわ、となかなかの見ものが続きました。できることなら、私も若の後を追って逃げ去りたかったですな。」


抑揚なく淡々と語る木蓮を見て、雨情は深く頭を下げた。


「分かった。鰹の塩辛に、先日手に入れた粕取り焼酎をやろう。国に戻ったら沙魚丸を肴に一杯やることにしよう。」


木蓮は微笑んだ。

「そういたしましょう。私もあの粕取り焼酎は呑みたいと思っておりました。それに、沙魚丸様を肴にすると、さぞかし旨い酒となりましょう。」


「そうだな。いい出汁が出るだろう。」

二人は互いを見て、楽しそうに笑った。


「それにしても、若も戦う気などさらさらございませんでしたのに、よくその気になられましたな。」


「それは、かわいい甥が攻めたいと申しておるからな。仕方あるまい。」

おどけた表情で雨情が言うと、木蓮が訝し気に視線を送る。


「かわいい甥などと、初めてお聞きしましたが。」


「うむ。初めて言った。儂の胃を痛烈に攻めるが、今日の沙魚丸は面白い。疫病神が憑いていると思ったが、木蓮の言う通り、戦神が見守っておられるのかもしれぬと感じた。」


「私が言うのも何ではございますが、沙魚丸様は盗賊に討たれるかもしれませんし、どんな神がおいでなのかは、初陣の結果を見てからで良いのではございませんか。」


あごを撫でた雨情は沙魚丸が去った方を見つめ、

「もっともだな。」

と呟く。


「ところで、このような盗賊風情に沙魚丸様の初陣を飾ってもよろしいので?」


木蓮の問いに海徳は足元の小石をいくつか拾って、木に投げ始めた。


「笑うなよ。この盗賊退治は、沙魚丸にとって天からの贈り物ではないかと思い始めておる。」


「興味深いお話ですな。」


雨情が投げた石が木の枝にあたり、方向を変え飛んでいく。

小石は見回りの兵士の頭にこつんと当たった。

兵士はきょろきょろと周囲を見渡すが、雨情と木蓮が真剣に話し込んでいる様子を見て任務に戻る。


「しょうもないことはおやめください。」

木蓮が額を抑え言う。


「いや、すまん。あっちに行くとは思わなかった。」


いたずら小僧のような笑みを浮かべた雨情は真面目な表情になり、口を開いた。


「まず、小さくても功を立てることができる。

恐らく、この後の城攻めでは沙魚丸は何の功も立てられん。というより、儂らが功を立てることはできん。龍禅様の手前、海徳が仕方なしに儂らを呼んだだけだろう。儂らが功を立てると、ドケチな海徳が儂らに寄こす恩賞で発狂するかもしれんからな。」


木蓮は静かな笑い声を立てる。

「まことに。鷹条歴代で最高の強欲と呼ばれておりますからな。そういえば、海徳様が感状を書かれた時のことですが、与える知行が惜しくて手が震え文字が書けなかったと言う噂もございましたな。」


「なんじゃ。あいつ、祐筆すらケチっておるのか。吝嗇を極めてどうする気だ。」

すっかり呆れ顔の雨情だが、話を続ける。


「次に、龍禅様から授かった脇差じゃ。

この大木村は、鷹条の領内の村だ。そこで自らが手配した傭兵に、あろうことか領内の村人が襲われるのだ。このことが広まってみよ、海徳の面目は丸つぶれじゃ。これを龍禅様から直々に脇差を授かった沙魚丸が救ってやるのだ。龍禅様から命令されたと言えば鷹条領内の者も沙魚丸には感謝するであろうし、鷹条に恩を売った沙魚丸は、椎名の者にとっては大袈裟に言えば英雄であろう。」


「頭痛と胃痛の種がとんでもなく化けそうですな。」


「だろう。儂も話していてかなり驚いておる。」


手にした小石を全て放り投げた雨情が床几から立ち上がる。


「次に、百名の盗賊なら沙魚丸の稽古相手にはちょうどいいであろう。初槍は怖いものだが、源之進がその辺は心得ておろう。源之進は戦場では少し血の気が多くなるのが心配ではあるが・・・」


まぁ、大丈夫だろうと口の中で言葉を転がす。


「最後に、沙魚丸にとって、初戦の勝ち戦の意味は大きい。沙魚丸の兄二人には必ず勝てる戦がお膳立てされる。本来であれば、手ぶらで帰るはずだったのに、幸運付きの負けるはずがない戦を沙魚丸は初陣とできる。いいことだ。」


そして、少しだけためらいを見せた雨情が小声で言った。


「付録じゃが、一門衆の目が届かぬ時ぐらいは、あいつが強くなれるよう手助けをしてやらんとな。」


木蓮に顔を見られないようにしたのか、雨情はすたすたと歩き出す。


苦笑いした木蓮が雨情の後を追いかけ、背中越しに話しかける。


「それにしても、沙魚丸様には久方ぶりにお会いいたしましたが、なんとも殿好みにお育ちあそばされておいでですな。」


「そうか?」


「はい。殿があれほど機嫌よくバシバシと叩く姿は、ここ数年見ておりません。」


「そんなに叩いておったか?覚えておらんな。」


木蓮は声を出さずに笑った。


「大変楽しそうに叩いていらっしゃいました。されど、老婆心ながら申し上げますと、今どきの若者は叩かれるのを嫌がるらしいですから、沙魚丸様に嫌われないようにご注意ください。」


「どうでもよい。しかし、あいつは海徳をそんなに小馬鹿にしたのか?」


「海徳様のご様子にもう少しで吹き出すところでした。」


「そうか。沙魚丸は、真面目一辺倒ではなく、手抜きがうまそうだし、人の上に立つにはよさそうだ。超がつく真面目者が上にくると下が疲れてかなわんからな。」


「私共は殿にいつも感謝しております。」


「聞き捨てならんな、儂は自分を真面目と思っているのだが。まぁ、よい。今は、盗賊退治に励むとするか。」


雨情は、颯爽と馬にまたがった。


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