叔父上と初軍議
丸根城から出立した雨情はゆっくりと進軍していた。
鷹条家と交誼の深かった三日月家への征討ということもあり、本軍は鷹条家が、別軍は椎名家という構成になっている。
本軍は主要路を進み、別軍は迂回路を進むことが軍議で決められた。
鶴山城までの行程にさほど違いは無く、別軍の気楽さからゆっくりした行軍になっているかと言えば、そうでもない。
疲弊した心では正しい判断を下せぬ、と雨情が丸根城で受けた心の傷を回復する時間が必要と考えたためだ。
雨情は、歴戦の猛者とは思えないほど背中を丸め、ため息を吐く。
〈椎名から出立した時の浮き立った心が、これほど沈むとは・・・〉
今回の出征は、常盤木家の直属の兵に加えて、比較的付き合いの長い傭兵で陣容を固めている。
本来なら、他家からも兵を出さなければいけないのだが、憎むべき鷹条家と行動を共にしようとする者がいなかったため、仕方なく常盤木家単独で出征することになった。
むろん、出征を拒んだ者たちからは、出征にかかる金をむしり取ってやったので、常盤木家の懐は痛むどころか潤ったのも喜ばしいことではある。
加えて、常盤木家以外の者がいないと言うことで、軍の方針についてあれこれと文句を言われることもない、と雨情の心中は気楽なものだった。
〈そう、丸根城で龍禅様と沙魚丸が会うまでは気楽だったのだ。〉
雨情は、馬のたてがみが揺れるほどのため息を吐いた。
「木蓮、お前の見立てでは、やはり、沙魚丸に憑いているのは戦神か。」
雨情は隣で涼やかな姿勢を保つ騎馬武者にどんよりとした声をかける。
雨情の傅役となって以来、陰になり日向になり雨情を守ってくれた恩人である。
雨情の性根が腐りそうになった時にも容赦なく叩きのめしてくれたからこそ、雨情は一人の男として胸を張れるといつも感謝している。
だから、常盤木家へ娘婿として行くことが決まった時にも、雨情が決して離さなかった男、名を冬堂木蓮と言う。
この世界では、既に老年とも呼ばれる年を迎えているが、意気なお盛んで、早く隠居しなさいと心配する妻を
「年とは年齢ではない。精神が老いた者を老人と言う。」
と言って軽々と退けている。
雨情の疲れの混じった声に木蓮はフッと笑った。
「私は戦神が沙魚丸様にご加護を授けたのだと思いましたが、若は違うお考えの様ですな。」
木蓮は、雨情のことをずっと若と呼んでいる。
『雨情様が何歳になっても変えるつもりはございません。』と、いつだったか木蓮に断言されたことがあった。
いつまでも子ども扱いされている気がして、無性に反発したくなった雨情が『若はやめろ』と叫んだ時のことだった。
あまりにキッパリと言われたので、雨情もそのまま頷き、それ以前も以後もずっと若のままである。
「龍禅様に気に入られるのは目出たいことだが、沙魚丸だけはダメだ。あいつが気に入られるなどお家騒動の元ではないか。」
「それは、お世継ぎの可能性があるからでございましょう。沙魚丸様のためにも椎名家から出て新しく家を興すか、どちらかの家の養子となれば、沙魚丸様を担ごうなどと言う輩も減るでしょう。」
「そうだがなぁ。」
雨情の声は渋い。
この話題になると最後は雨情が言葉を濁すことで終わる。
〈まだ、兄君の春久様のことが忘れられませんか。〉
木蓮は、雨情に気づかれぬようひっそりとため息をつく。
そこへ、放っていた物見が息を切らして駈け込んで来た。
「殿!」
迅速さを尊ぶ雨情の軍では、軍内での余計な礼儀は不要とし、直に雨情に声をかけることも許可されている。
「どうした。」
「ここより数里先の農村が盗賊に襲われようとしております。」
「襲われようとしているのか?」
物見の言い回しに疑問を感じた雨情が同じ言葉を重ねる。
「はっ。何か風体の怪しき者たちが荒れ寺に集まっておりましたので、紛れ込んでみましたところ、農村を襲う話をしておりました。」
「よくやった。」
雨情の横に控えている記録係に物見の手柄を記録させる。
「そやつらの他に盗賊はいないか、念のため、範囲を広げて調べておけ。」
「かしこまりました。では。」
物見は静かに雨情の前から消えた。
雨情は行軍を止めさせ、木蓮に鋭く言葉を発した。
「木蓮、すぐに沙魚丸を呼べ。ここで、軍議を行う。」
頷いた木蓮は、使番を呼びよせ沙魚丸へ伝言を持って行かせると、各隊の物頭たちに指示を出し始めた。
沙魚丸が来る間に、別の物見が戻り雨情へ状況を次々と述べていく。
矢盾で作らせた机の上に雨情は地図を広げる。
地図は鷹条家の十六夜と言う男から受け取ったものだが、物見が報告してきた村がどこにも書かれていない。
「ちっ、鷹条の地図は手抜きすぎる。」
吐き捨てた雨情は、物見から聞いた話をもとに地図に書き込みを始めた。
〈とりあえず、こんなものか。〉
現状をある程度つかんだところで、初々しい声に雨情は地図から目を上げた。
「叔父上、軍議とお聞きいたしましたので、急ぎ参上いたしました。」
駈け込んで来た沙魚丸が笑顔で立っていた。
〈おかしな奴だ。儂を見て笑顔とは。〉
興味を覚えた雨情は、沙魚丸の全身をざっと見た。
〈『矢つかみの儀』とか言う聞いたことも無い儀式の時もそうであったが、こやつ、なかなか鍛えておるではないか。甲冑を着たまま、普通に走ってくるとは。菖蒲丸や桔梗丸よりもよほど頼もしいな。〉
椎名の次代を担う二人を思い浮かべ、ニヤッと笑う雨情を少し離れたところから木蓮が冷ややかな目で見つめている。
木蓮の視線を感じ、雨情は鼻を鳴らした。
とはいいつつも、雨情の前で息が切れていることがばれないように必死で呼吸を整えようとする沙魚丸を見た木蓮は、
〈若が、気にされるのも分かりますね。〉
と心の中で微笑んだ。
「儂らが進んでおる道から外れておるが、今にも盗賊に荒らされようとする村がある。さて、大将殿はどうお考えになるかな?」
雨情の問いかけに、沙魚丸は笑顔で立ったままだ。
〈何、この静けさ。大将殿って人、早く答えてあげて。叔父上の質問を無視してるから、すっごい静まり返ってるじゃない。〉
じっと沙魚丸を見ている雨情と目が合った時、沙魚丸はようやく分かった。
〈大将殿って、私かぁ。忘れてたぁ!〉
「物見から話を聞くことは可能でしょうか?」
忘れていたことを悟られぬよう、凛々しい顔になった沙魚丸は答えた。




