さぁ、出発だ!
龍禅の声と共に慌ただしく出陣の準備が始まった。
向かうは、鶴山城。
敵は、三日月武蔵。
ほら貝が鳴り響き、陣触が始まる。
沙魚丸も気合を入れ、源之進と小次郎に大きく声をかける。
「私たちも行きましょう!」
しかし、沙魚丸はポツンと一人立っていた。
行き先の変更があったので軍議をすると雨情から源之進が呼び出された。
沙魚丸は小石を蹴りながら二人が戻ってくるのを待っている。
〈納得いかないよねぇ。私も一緒に行こうとしたら、使番の人が慌てて『私は結構です。』って、言うんだもん。〉
大将と言われているのだから、当然軍議に参加するものだと思っていた沙魚丸は、少しばかりむくれている。
〈『神が憑いている私に会う心の準備が必要だから、今は会いたくない。』とか叔父上が言ってたらしいけど、何だかねぇ・・・〉
沙魚丸は、前世では平社員だった。
そんな沙魚丸が、転生先で大将と言う大袈裟な地位に就いているのだ。
『名前だけ大将』と言う責任からほど遠い響きに沙魚丸はウキウキしていた。
ちやほやしてくれるのでは、と淡い期待を当初は抱いていたのだが、『矢つかみの儀』では、大将だから矢を叩き落してこいと言われ、今はハミゴになっている。
〈現実は厳しい・・・って当たり前か。やっぱり、なんちゃって大将ではダメだよねぇ。〉
沙魚丸がたそがれていると、源之進に従っていた小次郎が目を輝かせ、大きく手を振りながら沙魚丸のもとへ駆け寄って来る。
沈んだ気持ちを吹き飛ばすような小次郎のきらめく姿に、沙魚丸も大きく手を振り返す。
隣にいる次五郎がぼそっと呟く。
「若様は、羨ましいほどにモテモテですな。あの者の目のなんと麗しいことか。龍禅様も若様を気に入っておいででしたし、何かコツがあるようならお教えいただけませんか。」
「えっ、何。次五郎さん、一体いつからいたんですか?それに、若様って何ですか。私のこと小僧って言ってましたよね。」
驚いて後ずさった沙魚丸の肩を次五郎はバシバシと叩く。
「何をおっしゃっているのですか。龍禅様から直々に貴方様を守るように申し付かったのですから、敬愛する我が主のことを若様と呼ばないのは、武将としてどうかと思いますよ。」
「ちょっと、痛いです。若様って言う割に、若様扱いしてないですよね。というか、馬鹿にされている気がします。」
怒った沙魚丸に次五郎がニヤニヤと笑う。
「これぐらいで痛いとおっしゃるのは、鍛え方が足りない証拠ですな。」
「そんな未熟者に負けた弓使いは、もっと鍛えないといけないですね。それから、次五郎さんに若様って言われると、気持ち悪いので止めてください。」
沙魚丸は、次五郎からプイッと顔を背けた。
「驚きました。貴方様に皮肉を言われても何の痛痒も感じません。同じ言葉をうちの馬鹿殿に言われたら、きっと、いつもの半分しか飯を食べれないほど苛立つのに。なんてことだ・・・俺は貴方様を侮っておりました。若様などとお呼びして申し訳ございませんでした。」
次五郎が深く深く体を曲げ、お詫びの言葉を述べる。
〈半分でも食べるのね。〉
とツッコミを入れたくなるのを沙魚丸は我慢する。
「いえ、分かっていただければいいのです。それでは、・・・」
これ以上の関りはご免だとばかりに背を向けた沙魚丸だったが、次五郎の言葉に思わず振り返ってしまう。
「俺は、これから貴方様を師とお呼びいたします。」
「へ?」
〈何を言ってるのかな、この人。もしかして、海徳って人から、頭を叩かれておかしくなったのかも!〉
「次五郎さん、大丈夫ですか?」
心配そうな表情の沙魚丸に、はつらつとした表情で次五郎が言う。
「俺はなぜか人からとても嫌われるのです。だから、人に愛されている貴方様を師と仰げば、きっと俺も愛される人間になれると考えたのです。」
沙魚丸は呆れた。
心の底から呆れた。
〈話してる相手に、唾を吐いたり、おちょくったりしていたら、愛されるわけないでしょう・・・でも、愛されたいって本気で言ってるみたい。〉
「そうなんですか?」
一度も見たことがない動物を見るような目で沙魚丸は次五郎を観察する。
「師よ。どうぞ、私が人に愛されるように導いて下さい。よろしくお願いします。どんな厳しい修行でも耐えて見せます。」
じりじりと近づいて来る次五郎から距離を取ろうと身構える沙魚丸の目の前に小次郎が息を切らして滑り込んで来た。
「沙魚丸様、素晴らしきご活躍でした。私は、あなたを疑っておりました。どうか私に罰をお与えください。」
〈小次郎さんは、私を疑ってたのね。私って、随分と評価が低いのかしら。それはそうと、少し見ない間に、小次郎さんがなんか違う人になっている気がする。〉
「小次郎さん。私は疑われても仕方ないことをしました、いえ、私がしたのではなくて・・・えーっとですね、気にしないでください。と言いたいだけです。」
沙魚丸にひざまずいた小次郎がにっこりと微笑み、沙魚丸の手を取る。
「私はあなたに全てを捧げます。」
決意の炎を灯した小次郎の目は美しく輝く。
思わず見とれた沙魚丸は、この状況に驚いて慌てて手を振り払おうとする。
だが、小次郎がしっかりと握った手は微動だにしない。
いくら鍛えていたとしても、小次郎の方が体も大きく力も強い。
こんな夢見て来た場面を何の前触れもなく心の準備もない状態で遭遇した沙魚丸はパニックにおちいる。
次五郎に神経を使っていた沙魚丸は、すっかり虚をつかれたのだ。
〈ひぇー、イケメンが私の手を握っている。しかもすべてを捧げるって言ってるわ。もしかして私に愛の言葉をささやいたの?あぁ、女神様、苦節二十数年、私は生まれて初めて男性から告白されました。生きていて良かった。〉
沙魚丸は、生まれて初めての出来事に、転生して男になっていることをすっかり忘れていた。
そんな夢見る乙女の気持ちを現実に引き戻したのは、小次郎の父、源之進である。
「沙魚丸様、お待たせいたしました。小次郎はどうしたのだ。沙魚丸様の手をそんなにしっかりと握って。もしかして、怪我でもされたのか!」
沙魚丸が怪我をしたと勢いよく決めつけた源之進は、小次郎から沙魚丸の手を奪い取り、表から裏からじっくりと観察する。
「何だ?怪我はなされていないようだが、いや、赤くなっているな。そうか、『矢つかみの儀』で手を痛めてしまわれたのだな。小次郎は早く薬を持ってくるのだ。」
「はい。ただちに。」
赤い顔をした小次郎は風のごとくこの場から駆け去ってしまった。
〈そうよね。私は男だったわ・・・もしかして、私って告白一つすることもされることなく死んだの。〉
衝撃の事実に気づいた沙魚丸はガックリとうなだれてしまう。
「大丈夫ですか、沙魚丸様。」
沙魚丸を慌てて支える源之進に微妙な笑いを浮かべる。
「大丈夫です。それより、いくつかお聞きしたいのですが、いいでしょうか。」
「はい。ですが、出立となりましたので、歩きながらとなりますが、よろしいですか。」
「もちろんです。では、参りましょう。」
歩き始めた沙魚丸を慌てた声で次五郎が呼び止める。
「師匠。俺の紹介をしてもらわないと、困るんだが。」
「えっ、本当に一緒に来るの?」
「龍禅様の命令をお断りする勇気は俺には無い。」
胸を叩いてキッパリと次五郎が言う。
「久しぶりですな、源之進殿。そんな訳で、短い間ですが、よろしく頼みます。」
「こちらこそ、次五郎殿と一緒に戦えるなど、国に戻ってから自慢できます。」
二人がゴンと拳をぶつける。
〈源之進さんが、ここまで褒めるとは。お笑い担当の人かと思っていたけど、歴戦の勇者って言うのは本当なのね。やっぱり、弓だけは教えてもらうことにしようっと。〉
沙魚丸が頷いていると、小次郎のわずかに震えた声がした。
「次五郎様。私は、源之進の子、小次郎と申します。沙魚丸様の小姓として合戦に参加いたしております。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
いつの間にかもどっていた小次郎が緊張した面持ちで次五郎に礼儀正しく挨拶をする。
〈小次郎さんまで・・・あれ、何だか頬を赤らめて、これは・・・、もしかして・・・、恋ですか?〉
とんでもない下世話な勘違いをする沙魚丸だが、もちろん違う。
小次郎は敬慕する人を前にドキドキしているだけである。
「小次郎殿と申されるか。うむ。甲冑の上からでもよく鍛えたいい体と分かる。一度、手合わせをお願いしても?」
「もちろんでございます。次五郎様にお相手いただけるとは、最高に幸せでございます。」
とても幸せそうな小次郎を見て、沙魚丸は目が点になる。
「なんだ、モテモテじゃないですか。」
呟いた声を聞き逃さなかった次五郎がため息混じりに漏らす。
「師よ。私は、気概のある男には好かれるのですが、そうでない男には物凄く嫌われ、そして憎まれるのです。なんとかしないと、いつか後ろから弓を射られそうで不安なのです。」
「なるほど。」
〈男の嫉妬って怖いんだよ、と聞いたことがあるけど。きっと、そういうことなのね。〉
次五郎の肩を優しく叩く。
苦労してるんだねと言う思いをこめて。
叩かれた次五郎は変な顔をしていたが、何はともあれ、沙魚丸たちは城を出発した。




