龍禅様。。。
龍禅に『矢つかみの儀』のやり直しをにこやかな顔で勧める海徳の心は荒れている。
〈龍禅も余計なことを言いよって。それより、次五郎だ。あの馬鹿はなぜ儂の言うことに抗する。弓がほんの少し上手いからと言って調子に乗りおって。だが、まったく儂の意図を理解しようとせんなら、もういらん。十六夜の言う通りであったわ。〉
儀式中に沙魚丸が立っていたところで旭が弓を振り回している姿が海徳の視界に入った。
〈そうだな、旭を連れて来ていたな。よし、旭にやらせよう。旭の半弓であれば、次五郎よりも威力は落ちるが、連射の速度は速い。あの小僧、次五郎の矢を避けるのも必死だった様子であったし・・・よし、旭なら間違いなかろう。〉
ニンマリと笑う海徳を見た沙魚丸は、直感した。
〈この人、悪人だわ。絶対におなかの中で怪しいことを考えている顔だわ。それにしても、よくここまで表情を作ることができるわね。生き抜くためには、私も見習った方がいいのかな・・・〉
沙魚丸が密かに海徳に感心していると、横にいる次五郎から何かが壊れる音がした。
顔を伏せたまま次五郎を盗み見ると、次五郎が発する熱気で次五郎がぼんやり見える。
〈熱い。次五郎さんが、怒りで燃えている・・・そういえば、儀式の前に次五郎さんから聞いた話と違ったわね。もしかして、海徳って人、全部次五郎さんのせいにしたの?うわぁ、ひどい。ずばり、上司にしたくないベスト3に入る人だ。ほら、海徳さん、次五郎さんが激怒してますよ。早くケアしないと、次五郎さんに後ろから刺されますよ。〉
前世で社会人経験がそれなりにある沙魚丸は、後で次五郎をお酒に誘ってあげようと考えた。
次五郎は間違いなくやけ酒をしたいだろうと確信したので。
だが、次五郎の救世主は別にいた。
「龍禅様、私が思うに、先程の儀は実に素晴らしきものでございました。次五郎殿と同じ威力の矢を放てる射手は、我が椎名にはおりません。その矢を沙魚丸がまぐれで防ぐなどありえませんので、ここにいる皆が言うように戦神が沙魚丸にお力を貸したのでしょう。ですので、この儀をやり直すのは、神に対して不敬に当たるのではないかと考えます。」
沙魚丸は目を丸くする。
沙魚丸の記憶では、雨情は楽しそうに酒を飲んでいたはずなのだ。
しかし、いつの間にか龍禅の隣に控え、できる男の顔で考えを述べている。
〈叔父上、お酒臭くないのかな?龍禅様に怒られるんじゃない?〉
沙魚丸の心配をよそに、龍禅は笑顔で雨情に答える。
「うむ。雨情。其の方の考えと余の考えは同じじゃ。いや、待て。余の方が先に言ったから、雨情が余の考えと同じなのだな。神に対して不敬な真似をしてはいかん。よいな、海徳。」
海徳は黙って頭を下げた。
海徳の目に怒りの炎が浮かび、瞋恚の炎が蛇と姿を変え雨情に巻き付いたように沙魚丸には見えた。
「まさしく、その通りでございます。私は龍禅様のお言葉をなぞっただけでござます。加えて、沙魚丸が戦神からご加護をいただいたのは、龍禅様がご覧になっていたからこそでしょう。」
できる大人の雨情が、龍禅をすかさず褒める。
〈龍禅様って、おだてられて、どこまでも飛んでっちゃいそうだなぁ。〉
沙魚丸が思うように龍禅は、褒められるのが好きなようだ。
とてもニコニコとして嬉しそうに見える。
ご機嫌取りの仕上げをしようと、大人たちは沙魚丸に熱い視線を送る。
〈えっと、何でしょう。この何かを言えと言わんばかりの視線は。発言を間違えると、命の危機がある熱視線ね。〉
沙魚丸は前世で、経営者の集いと言う中小企業の社長同士が集まる会に秘書代わりに何度も連れて行かれた。
会では、何でもいいからほめないとお偉いさんの機嫌が悪くなり、ひどい時には怒られたりと理不尽な経験を何度もした。
その経験値が、ここで大いに役に立つ。
〈ふっふっふ、私は知っているのよ。おだてるのも楽しくやれば、みんな幸せになれると!ただし、不幸な人が出ないような嘘にしておくのがポイントなんだけどね。〉
「龍禅様。私は、次五郎様と対峙した時からずっと龍禅様の慈しみと言う目に見えないお力を感じておりました。儀が終わった時に、私は気づきました。龍禅様のお力が私を守ってくれたのだと。そうです。私が怪我一つなく、今ここにいることができるのもすべて龍禅様のお力のおかげなのです。私をお守りいただき、深く感謝申し上げます。」
〈これぐらいでどう?これ以上のごますりは事前に想定練習しないとできないですよ。私が知っているお偉いさんは、こんな感じが好きでした。〉
龍禅は、まさしく空に飛んでいきそうなほど機嫌がよくなった。
「沙魚丸よ、よく分かっておるな。余はますます其の方を気に入った。」
〈うわぁ。単純な人だ。〉
沙魚丸は、思わず感想が口から出そうになる。
隣で控えている次五郎からは依然として暗い怒りの波動を感じるが、ここは龍禅の相手をしっかりとするのが最重要と考えた沙魚丸はとっさに喜びの表情を浮かべる。
「ありがとうございます。龍禅様に気に入っていただけるとは、一生の誉でございます。」
「うむうむ。先ほどの儀の見事さと言い、余の真の力を見抜く利発さといい、決めたぞ。余は、其の方に褒美を取らす。じい、あれを持て。」
老将が眉をピクリと動かす。
「龍禅様。あれとは、もしやとは思いますが、家宝の脇差のことでございますか。」
「決まっておろう。これほど見事な者に与えるとなれば、『蓮華一文字』しかないわ。」
老将はあからさまにため息をついた。
「念のため、お伝えいたしますが、沙魚丸殿は、元服前のようでございます。であれば、別のものでもよろしいのではござませんか。」
「なんと、其の方は元服前だったのか。年はいくつになった。」
龍禅は驚き、沙魚丸に顔を向けた。
「はっ、はい。十二歳になりましてございます。」
「そうか。そうか。その年であれほどの妙技を見せるとは、なかなか見所のあるやつではないか、のう、じい。」
「そうですな、『蓮華一文字』は、この者が大功を立てた時に授与なさったほうがよいのでは。」
龍禅は人差し指を立て、ちっちっちっ、と指を振る。
「じいよ、『嘘を言うてはならぬ。』と余に教えたのは其の方ではないか。だから、脇差は、沙魚丸に与えなければならん。」
じいと呼ばれる老将が
「ぐぬぬ。」
と言った。
〈おぉ、ぐぬぬって言う人、初めて見た。〉
沙魚丸が喜んでいる一方で、誰もがこれで一区切りと思った時、龍禅の顔がパッと明るくなった。
「じい、沙魚丸は元服前と言うことで、余は素晴らしい考えを思いついた。」
「なりませぬ。絶対にダメでございます。」
「何も言うておらんではないか。」
「じいには、龍禅様が何も言わなくても分かるのでございます。きっと、とてつもなく皆が困り果てることを言うことが。」
「何を言うておる。皆が喜ぶに決まっておろう。余が沙魚丸の烏帽子親になってやるのじゃ。どうじゃ、よい考えであろう。」
空気が変わった。
いきなり、ズンと重くなる。
〈この空気は、しゃべっちゃダメだわ。もうひたすら平伏よ。沈黙は金。これしかないわ。〉
この龍禅の言葉を喜ぶ者など誰一人としていなかった。
いや、ただ一人だけ極楽行きが決定したかのように浮き立った者がいる。
次五郎である。
次五郎は、さっきまでの怒りが消し飛び、踊り出したくなる誘惑を必死で抑えていた。
平伏した顔を少し上げ、海徳の様子を見る。
〈龍禅様。最高です!見てください。うちの馬鹿殿のあの顔。苦虫を噛み潰したような顔をしております。この顔は俺が今まで見た馬鹿殿の顔で一番いいお顔です。〉
こみ上げて来る笑いをこらえながら、次五郎は考える。
〈この小僧の烏帽子親を龍禅様がおやりになったら、鷹条の面目は丸つぶれ。何しろ、馬鹿殿のご子息は、まだ誰一人として龍禅様に烏帽子親になってもらっていない。椎名の嫡男である龍久様の烏帽子親になると決まった時には、馬鹿殿、とんでもなく暴れたよなぁ・・・>
次五郎は遠い目になるが、すぐにニヤッと笑う。
<この上、小僧の烏帽子親を龍禅様がおやりになると決まれば、鷹条配下の国衆からも馬鹿にされて、下手をすると椎名に寝返る者もおるかもしれん。いやー、龍禅様は天然で面白い。本当に最高。〉
次五郎の妄想は、龍禅のおかげで最高潮である。




