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矢をつかむ2

※※※

蝉の声がうるさく響く森の中。

一匹や二匹ではない。

たくさんの蝉が賑やかに大合唱をしている。


蝉の大応援の中、矢をきりきりとつがえた小次郎が、沙魚丸に向かってヒョウと矢を放つ。

矢は寸分も(あやま)たず沙魚丸の胸めがけてまっしぐらに飛んでいく。

沙魚丸は飛来してきた矢を見事にはっしとつかんだ。


「お見事です、沙魚丸様。」

小次郎が嬉しそうに叫ぶ。


これぐらいのこと、お茶の子さいさいと得意げな顔をした沙魚丸が、『もう一本、撃ってこい。』と言うように人差し指を小次郎に向ける。


頷いた小次郎は、先程よりも強く矢を射る。

沙魚丸は、矢の軌道を見るためかクワッと目を見開き、またしてもその手に矢をつかんだ。


〈何やってんの、この子たち。〉

沙魚丸は悲鳴を上げた。

だが、二人には沙魚丸の悲鳴は聞こえない。


そう、沙魚丸が見たのは、記憶の中の在りし日の二人。


彼らの修業は、一歩間違えば大けがではすまないどころではないだろう。


〈蛮族・・・、いえ、まさしく修羅の国ね。さすが、生存率一パーセントの世界。〉

ゴクリと沙魚丸は唾を飲み込む。


沙魚丸は戦国時代の生存率について何か勘違いをしているようだが、この世界の生存率が低いのは確かである。


修行を中止した二人はどっかりと地面に座る。

小次郎が、枝を使って地面に何かを描き始めた。


小次郎は大きな木を描いた。


〈ほほう。小次郎さん、なかなか上手いじゃない。まぁ、私ほどではないけどね。〉

いっぱしのイラストレーターを自負する沙魚丸は、絵において誰にも負けたくないのだ。


そんな沙魚丸が見守る中、小次郎がさらに絵を描いていく。


大きな木に人をぐるぐると縛り付けた。

木から離れたところに、弓を構えた人を描く。

そして、木に縛り付けられた者に矢を放つ。


そんな絵を描き切った小次郎は、やりきったように額に浮かぶきらきらした汗を拭う。


〈何よ、これ?意味が分からない。待って、これって、リンゴを頭の上に乗せたら、ウィリアム・テルじゃない。身動きできないし、弓の練習にしても、こんなことする意味あるの?〉

沙魚丸は小次郎の発想に恐怖した。


「恐怖を克服する修行ですが、どうでしょう。」

小次郎が元沙魚丸に満面の笑みで提案している。


小次郎を呆れた目で見た元沙魚丸が小次郎の描いた絵をため息混じりに消す。


どうやら元沙魚丸も同じ考えだったらしい。

一方で、小次郎は、どうして!とショックを受けた顔をしている。


やっていることは鳥肌ものだが、二人の様子に沙魚丸は心がポカポカするのを感じた。

※※※


沙魚丸は、記憶を覗いて落ち着いた。

と言うよりは、更なる恐怖が増したと言うべきだろうか。


〈小次郎さんに鍛え方をお願いしたら、あんな修行方法になるのかしら・・・私が、しっかりしなきゃダメだわ。沙魚丸君、私もあなたの気持ちが分かった気がする。さっさとこんな茶番を終わらせて、小次郎さんの対策を考えないとね。刀で矢を叩き落すぐらい小次郎さんに比べたら、何でもないわ。うん、たぶん・・・〉


沙魚丸は、今よりも悲惨だろうなと思われる将来を考え、次五郎の前に堂々と立った。


〈大丈夫。女は度胸。足も震えてない。よし、来い。〉


沙魚丸は頬を両手でぴしゃりと叩き、

「いざ、参らん!」

雄々しく声を張り上げ刀をスラリと抜いた。



片や、射手の次五郎は言うと彼の心は憤怒の炎に包まれている。

一言で言えば、『怒髪、天を衝く』である。

試射と言いながら射た矢は力を込めすぎて、鎧を貫通してしまった。


〈畜生め。なんで俺がこんなことを。あぁ、もうどこか遠くに行きたい。〉


次五郎の主君である海徳から命じられたことを思い出し、ここから逃げたくなる。


「よいか、次五郎。必ず、沙魚丸とか言う小僧を殺せ。分かったな。」


「殿。ちょっと待ってください。『矢つかみの儀』とやらは、俺は初めて聞く儀式でよく分からんのですが、その小僧を殺しては不吉ではないのですか。」


「次五郎、馬鹿かお前は。そんな儀式があるわけがなかろう。適当に作っただけだ。」


「はっ?作った?何のために?」


大嫌いな海徳が語る話の理不尽さに次五郎の努力もむなしく取り繕っていた笑顔は崩れ、いつもの不愛想なものになってしまう。

海徳が次五郎に見せる露骨に不快な表情を見て次五郎は自分のことは棚上げし思う。


〈きっと、好きとか嫌いとか言う想いは言葉で伝えなくても相手に分かるのだな。いや、それはおかしいか。俺が好いているハナは俺の気持ちにはまったく気づいていないよな・・・〉

好意を寄せるハナの顔が脳裏に浮かび、次五郎の機嫌がグッと持ち直す。


「次五郎。本当にお前という奴はうるさい奴だな。お前の兄の太郎であれば、何も聞かずに、儂の言う通りにするだけと言うのに。」


「何と言う言い草か。幾ら我が主と言えど、俺と兄を比べるとは許しませんぞ。」


次五郎の機嫌は急降下し、目が殺気立つ。


茄子家の太郎と次五郎が事あるごとに張り合っていることは、家中で知らない者はいないほど有名な話である。

というよりは、茄子家には男女五人の養子がおり、父の波切のもとで跡目争いをしているため、全員、仲が悪いと言うのが正解である。


海徳はそのことに思い当たり、チッと小さく舌打ちをし、

「いや、他意はないのだ。許せ。」

次五郎にもはっきりと分かる心のこもらない謝罪を海徳は仕方なしに行う。


〈先代は、良かった。なぜ、こいつが鷹条の跡目となったのだ?〉

心の声を映したように反抗的な目を向けた次五郎に対し、目を怒らせた海徳が言う。


「とにかく、お前は儂の言う通り、あの小僧を射殺せばよいのだ。」

〈次五郎め。父に愛されていたからと言って、調子に乗りおって。儂の我慢もそれほど長くはないぞ。〉


次五郎は海徳を()めつけながら地面に唾を吐き捨てる。


「だから、理由を教えて欲しいと言うておりましょう。」


二人に険悪な雰囲気が流れる。

そう、二人が余人を交えずに会話をするといつもこうなるのだ。


「まぁまぁ、お二人とも今から戦神様へ捧げる儀式を行うのですから、それぐらいにしてはいかがでしょうか。」


横から十六夜(いざよい)が口をはさむ。


〈このツルツルが。〉


次五郎は、はっきり言って、この男を見ると虫唾が走る。


十六夜は、女と言われても通用しそうな華奢な体つきをしている。

しかも、透き通るような白い肌をしている上に美しい顔を持ち、髪までが艶やかで流れるようにしなやかなのだ。


逆に、次五郎は毛深い。


髭や胸毛が一本もない男がいることが信じられない次五郎は十六夜のことをツルツルと呼んでいる。

見たまんまを言っているだけなので、次五郎としては悪口を言っているつもりは毛頭ない。


十六夜と言う男は、先代が死んだ後すぐにどこからか海徳が連れて来たかと思うと、いつのまにか軍師の地位に座り込んでいた。


「殿も次五郎様にそのようなお話では、分かりますまい。」


十六夜を見た海徳の表情が和らぐ。


「そちの言う通りだな。儂の言い方が悪かったな。十六夜、すまんが、そちから次五郎に説明してやってくれ。」


そんな海徳を見た次五郎は反吐が出そうになる。


〈俺と新参者とでこの対応の差は何なのだ。〉


憎々し気な次五郎の表情を見た十六夜は口角を上げ、話し始めた。


「次五郎様。実は、椎名家の軍勢は、お世継ぎの龍久様が引き連れてくるはずでした。それが、突然、病気を理由にして、庶子で元服前の沙魚丸様を大将とされたのです。しかも、こうして数日前に手紙を送って来ただけです。驚くことにご領主の椎名秀久様からの一通のみなのです。」


十六夜が胸元から書状を取り出し、たおやかにひらひらさせる。


(補足:この世界では、他国への書状は、領主が差し出したものを正状とすると、外交役が差し出したものを副状とし、正副二通が相手の元に届かなければならない。この狙いは、『領主は嘘をついていません。安心してください。』と実力のある外交役に保証をさせることである。なので、誰もが外交役になれる訳ではなく、外交役になるのは名誉でもあった。ちなみに、鷹条家に対する椎名家の外交役は昔から一門衆の一つ清柳家が行うと決まっている。)


〈なるほど、清柳からの書状が届いていないことも不満なのか。とは言え、使者がどこかで腹痛に襲われ寝込んでいることもあるだろうし、本当に細かい奴らだ。それよりも・・・、いちいち、仕草が女の様で腹が立つ。もっとビシッとできんのか、こやつは。〉


次五郎は、十六夜が何をやってもイライラしてしまう。


男らしさに重きを置く次五郎にとって、十六夜は真逆に位置しているので仕方がないかもしれないが、露骨に見せる嫌悪感を扱いやすい者として十六夜は好ましく思っている。


〈皆さまが、これほど単純な方ばかりだと楽なのですが・・・〉


内心で嘲笑しながら、キリッとした顔を十六夜は作る。


「守護代である鷹城家や椎名家の主君である守護職の西蓮寺(せいれんじ)様が総大将として率いる軍と言うのに、何たる無礼。これは許せませぬ。よって、沙魚丸様には戦神の生贄となってもらいます。」


「いや、それは、考えが飛びすぎであろう。叱責するだけで良いではないか。なぜ、こんな胡乱(うろん)な真似をするのだ。」


「叱責では、椎名家はより増長し西蓮寺様への忠義をますます軽んじましょう。大体、椎名家は昔から西蓮寺様に反するお気持ちが強いとしか思えません。」


「いや、まぁ、それはそうなのだが・・・」

椎名家の歴史を思い返すと、確かにそうなのだ、と次五郎は頷く。


〈しかし、新参者のお前が言うことか。歴代お仕えしている者が言うならば納得もするが、ツルツルから言われると、どうにも話が滑って耳に入ってこん。〉


目を妖しく光らせた十六夜が次五郎にささやいた。


「もしも、沙魚丸様を捕らえたりすれば、この場で椎名と一戦することになるかもしれません。何といっても、あちらの大将なのですから。面目と言うものがございましょう。」


「射殺したとしても、同じではないのか?雨情殿が黙って帰るとは思えん。」


「それは、心配ございません。西蓮寺様から沙魚丸様に万が一のことがあっても仕方なしと雨情様を含めた皆様の前でお言葉をいただいておりますので。」


「もうよい。これ以上、俺が何を言っても、小僧が死ぬことは決まっておるのだな。」


「お聞き訳のよろしいことで。」


「では、旭でよいではないか。兄者は確かにこの戦に出て来ておらんが、旭の腕ならあんな小僧ごとき、一発であろう。」


「あなたでなければダメなのです。」


十六夜の返事に首をゴキゴキと鳴らした次五郎は尋ねる。


「なぜ、と聞いても?」


十六夜は、ニッコリと笑う。

仮面を貼り付けたように気味の悪い笑顔を。


「次五郎様が、他国にも鳴り響く弓の名手でございますから。音に聞こえた次五郎様に射殺されたなら沙魚丸様とて、名誉でございましょう。椎名の方々もきっとお喜びになります。」


「うるせぇよ。」


次五郎は、思わず十六夜の胸倉をつかんだ。


「俺は、小僧の名誉のために弓の腕を鍛えているんじゃねぇ。今回限りだ。こんな糞仕事は。いいな。」


十六夜が優しく次五郎の腕をつかむ。

気がつくと、次五郎は宙を舞い地面に転がされていた。


地面に投げられた次五郎が大けがを負わなかったのは、次五郎がとっさに受け身をとったこと以上に、十六夜がつかんだ次五郎の腕を離さなかったおかげだろう。


茫然と地面に横たわる次五郎の耳に十六夜の軽やかな声が響く。


「そんなことは、私に勝ってから言ってください。」


日頃から武において侮っている相手にあっという間に投げ飛ばされた事実を次五郎は受け入れることができなかった。


呆気に取られた次五郎が身を起こした時には、海徳と十六夜は笑い声だけを残し、この場から消えていた。

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