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沙魚丸と小次郎

黙している沙魚丸を小次郎が見つめた。


「沙魚丸様の声を初めてお聞きしました。沙魚丸様とあなたのお声は、違うのですね。言われてみると、確かに、あなたの声はどことなく少女のようですね。初めて耳にした沙魚丸様のお声が、あれほど爽やかなお声だったことには、少なからず驚きました。」


黙って頷く沙魚丸を見て、小次郎は話を続ける。


「私が描いた絵を怒って消したり、稽古になると私に勝つまでやめなかったり、こうやって言葉にするととてもではないですが、四書五経にある理想の君主からはほど遠いですね。そんな短気で負けず嫌いな沙魚丸様のお声はもっと甲高く鋭いお声だろうと想像しておりました・・・」


小次郎は沙魚丸を見て弱弱しく笑う。

「お手間を取らせてしまい申し訳ございませんが、沙魚丸様と私が話したことをお聞き願えますか。」


「もちろんです。」


枕元に立った沙魚丸との会話を思い出すように小次郎は目をつむる。


※※※

「起きろ、小次郎。」


〈なんだ、この偉そうな声は。父上のものではない。だけど、偉そうなのが当たり前で、不思議と聞きなれている気がする声だ。〉

寝起きでぼんやりとする頭を横に振る。


「父が火の番をやるから、お前は明日のために早く寝ろ。」


と、無理やり寝かされた小次郎は、誰のものか分からない声の主に混乱していた。


とにかく、この空間はまぶしくて目を開けるのが辛い。


「起きているなら、返事をせんか。」


「誰だ、私は起きている。ここはどこだ。お前は何者だ。」


寝る際に、しっかりと胸に抱いていた打刀が無いことに気づいた小次郎は、脇差に手をかける。


「そうか。起きていたか。では、我が誰か当ててみよ。」


〈何かこう、沙魚丸様といる時のような、ヤレヤレと言いたくなるようなこの感じは・・・もしかして、沙魚丸様なのか。いや、沙魚丸様は先に寝たはず。それに、こんな清々しい声ではなかった。〉


「沙魚丸様ですね。」


小次郎は、考えるのを放棄した。

小次郎をからかうような真似をするのは、沙魚丸しかいない。

声など、変えようと思えばどうとでもなる、と小次郎は勘で判断した。


「なんだ、もう分かってしまったのか。相変わらず、勘のいい奴だ。他にも色々と手がかりを用意しておったのに、すべて無駄になってしまったとは、痛恨すぎる・・・」


「冗談も大概になさいませ。それにこの光は、何ですか。もしや女神様から何か授かったのですか。」


小次郎は手をかざしながら話す。


「惜しい。女神様ではなく、別の神様からお借りしたのだ。神様が人に顕現する時は、光を背負うらしいので、特別に私もご許可をいただいたので、やってみた。どうだ、羨ましかろう。」


高らかに笑う沙魚丸に小次郎はため息をつく。


「羨ましいので、そろそろ、この光をどうにかしていただけませんか。」


「なんだ、その感想は。まったく、イジリがいの無い奴だ。」


ブツブツ言う沙魚丸は、声の調子を変える。


「ダイフクさん、お願いできますか。」


沙魚丸は、横にいるダイフクに声をかけた。


「はい、かしこまりました。それでは、私はあちらで控えておりますので、楽しき一時となりますよう応援しております。」


「ありがとうございます。」


ダイフクが沙魚丸の前から消えるのと同時に光が弱まる。


沙魚丸は、目の前にいる小次郎に床几を勧めた。


「今日は、そなたの枕元に立っている故、床几しか出せぬらしい。まぁ、つもる話もあるし、早う、座れ、座れ。」


訝し気に沙魚丸を見た小次郎は床几に座り、口を開こうとする。


「まぁ、待て。あまり時間も無い故、先に我から話す。」


「はい。承知いたしました。」


小次郎が頷いたのを見た、沙魚丸はニッコリと笑った。


「お前の前にいる沙魚丸は、実は死んでおる。柿の木から落ちた時に死んだのだ。まずは、これを理解せんと話が始まらないので、四の五の言わずに認めよ。」


言い返そうとした小次郎だが、この現実離れした空間と言い、女神様に会ってすっかり変わった沙魚丸と言い、何より目の前の沙魚丸のいつも通りの感じが、目の前の沙魚丸の言うことが事実だと分かる。


だが、小次郎は、言い返す。それが事実だとしても言い返さなくてはいけないのだ。沙魚丸が死んだなどという与太話を信じてはいけないのだ。


「馬鹿なことをおっしゃいますな。それより、明日は早いのです。早く寝てください。」


〈夢だ。こんな馬鹿な夢を見るなど、どうかしている。夢の中でも寝てしまえばいい。そうすれば、いつもの朝が来る。〉

小次郎のあがらう声に、沙魚丸は困った顔となる。


「やっぱり、そう簡単に認めぬよなぁ。だがな、小次郎。お前ももう分かっておるのだろ。我が死んでいることに。こんな押し問答を続けるのも時間の無駄だし、駄々をこねるな。我は認めよと申したのだ。よいな。」


「沙魚丸様は、生きていらっしゃるではございませんか。先ほど、父と共に一緒に話をしたではございませんか。」


小次郎は、悲痛な面持ちで叫ぶ。


「あの沙魚丸は、我の肉体に別人の魂が入った、いわゆる転生者というやつだ。」


沙魚丸は、木から落ち死んだ後に、結衣が沙魚丸の体に転生したことなどを説明する。

説明を受けている内に、沙魚丸が死に別人が沙魚丸になったことを小次郎は嫌々ながら頭では理解した。


「小次郎。お前が我が死んだと認めたくない気持ちは嬉しい。だがな、お前と会えるのも、神様が特別に許してくれたこの一時のみ。だから、もっと色々と話がしたいのだ。頼む。」


「色々と納得できかねますが、沙魚丸様とお話するというのは、実に魅力的なお誘いゆえ、致し方ありません。」


小次郎は渋々、頷いた。


「そうか。さすが、小次郎だ。本当に頑固者だ。」


楽しそうに沙魚丸は笑う。


「最後と言えば、お前と最初に会った時は、本当にひょろひょろ長くて葉ネギのような奴だと思うたな。それが、今やこんなに大きくなって我も誇らしいぞ。」


〈会話ができるようになったのは嬉しいが、褒めてるのかけなしてるのかがこんなに分かりにくい人だったとは。〉


ネギと言われた小次郎は、少しだけイラっとして言い返す。


「私は、沙魚丸様と最初にお目にかかりました時は、なんとも暗そうなお方だと思いました。」


「馬鹿者!愉快で楽しい我に向かって暗いとは何たることを言うのだ。我のどこを切っても暗いところなど欠片も無い。」


断言する沙魚丸に、小次郎は目を丸くする。


〈えっ、本当に自分で暗いと思っていなかったのか。本当にこのお方は、我が道を往くお方なのだな。もっと前からお話ができたら、どんなに良かったのだろう。〉

しんみりする小次郎に沙魚丸が声をかける。


「そういえば、ずっと前に釣りにいったことがあったよな。お前が忘れているなら、まぁ、その、なんだ・・・」


沙魚丸が、何を言い淀んでいるのか察することができなかった小次郎は、釣りに行ったことを思い出す。


「釣りは、沙魚丸様と何度も行きましたね。沙魚丸様は、いつもたくさん魚を釣り上げるので、『沙魚丸様は、釣りの天才ね』と母がよく言っておりました。」


おだてられた沙魚丸が、グッと胸をそらす。


「そうだろう。我は、仮名(けみょう)に魚が入っている以上、釣りの天才なのだ。」


沙魚丸の様子に、小次郎の顔はほころぶ。

〈何と楽しい時間なのだろう。沙魚丸様との会話がこんなに楽しいものとは・・・〉


あまりの楽しさに、小次郎は封をしていた記憶を解いてしまった。


「そういえば、私の方が多く釣ったことがありましたね。」


懐かしそうに語る小次郎を見て、沙魚丸はヒュッと口を閉ざす。

二人の間では、あの釣りのことは禁句にしていたのだ。



まだ、熊五郎と会う前の幼き二人は、川に釣りに来ていた。


その日はなぜか沙魚丸の竿はピクリともしない。

だのに、小次郎の竿は休むことを知らず、偉大とも言うべき釣果をあげる。


「沙魚丸様、どうですか。今回は私の方が多く釣り上げたようですよ。」


鼻高々に小次郎が沙魚丸に言う。

一匹も魚が釣れず、ずっとイライラしていた沙魚丸は小次郎の言葉に怒気を発した。


バシャッ!


沙魚丸は小次郎の魚籠(びく)をひっくり返し、森の外へ走り去ってしまう。

小次郎が魚籠を持ち上げると、中には一匹の魚も残っていなかった。


家に帰った小次郎は洗濯物を干す母のお琴に会った。


「小次郎だけなの?沙魚丸様と一緒じゃないのは珍しいわね。どうかしたの?」


心配そうにお琴は尋ねた。


「うん。途中で沙魚丸様は帰ったから・・・あの、今日は、たくさん釣って帰るって言ったけど、一匹も釣れなかったんだ。ごめんなさい。」


謝る小次郎に、お琴は言う。


「釣れない日の方が多いのだから、落ち込まないで大丈夫よ。」


優しく小次郎の頭を撫でるお琴に、小次郎はつい沙魚丸のことを口に出す。


「沙魚丸様がね・・・」


影が差す小次郎の顔を見たお琴はグニャリと小次郎の頬をつねる。


「小次郎、人のことを悪く言うのであれば、何度も考えてから言いなさい。まして、あなたの主君である沙魚丸様のことを悪く言うつもりなら、何度も何度もです。」


頬の痛みより、お琴の言葉が小次郎の胸を刺す。

ポンと小次郎の頭を叩いたお琴は洗濯の続きを始めた。


母の言うことが正しいのは分かっているが、幼い小次郎には、沙魚丸の行為がどうしても許せなかった。

だから、沙魚丸のお供をするのをやめた。


〈沙魚丸様が、謝ったら、許してあげよう。〉


だが、沙魚丸は謝らなかった。

真一文字に結んだ口から謝罪の言葉は出るわけもなく、小次郎にほんのわずかも頭を下げることすら様子すら無い。


しびれを切らしたのは、小次郎だった。

なんだかんだ言って、小次郎は沙魚丸のそばにいるのが好きなのだ。


「沙魚丸様、勝手に側仕えを離れましたことお詫び申し上げます。お許しください。」


平身低頭する小次郎を前にした沙魚丸は、ニヤリと笑みを浮かべ、筆を走らせる。

そして、書付を頭を下げている小次郎に置いた。


『ゆるしてやる』

と大きな文字で記された書付には、ご丁寧にハゼの絵が描かれていた。



この話を持ち出したことに失敗したと思った小次郎に沙魚丸がぼそぼそと話す。


「あの時は、すまなかったな。」


沙魚丸の小さな声を聞き取れなかった小次郎は、聞き返す。


「申し訳ございません。何とおっしゃったのでしょうか。」


「だから、すまなかった、と申しておろう。」


〈すまなかった、とおっしゃったような気がするが、元の沙魚丸様が謝るはずがない。聞き違えたか。〉


「申し訳ございません。どうも聞き違えたようなので、もう一度、お願いできますか。」


「貴様、わざとやっておるな。だから、すまなかったと詫びておるのじゃ。お前の魚籠をひっくり返してしまい、本当に悪かったと思っておるのだ。」


ポカーンと小次郎は口を開けた。

〈どうも、この沙魚丸様は、私に詫びられたようだ。しかし、沙魚丸様が謝るわけがないのだ。とすると、この沙魚丸様は転生後の方か・・・いや、だとしたら、魚釣りの件を知っているのは、どうなのだ。〉

悩む小次郎に、沙魚丸がさらに言葉をつないだ。


「あの時のことは、お前の顔を見るたびに謝ろうと思っていたのだ。だがな、なかなか言い出せなくてな。ほら、お前も知っている通り、我は人に謝ったことが無いから、どうやって謝ればいいのか分からなかったのだ。」

いけしゃぁしゃぁ、と沙魚丸様は話す。


小次郎は笑った。


楽しくて笑ったのではない。


悲しくて笑ったのだ。


「沙魚丸様、ずるいですぞ。私は、あの時の書付をずっと大事に家に置いております。いつか、あの書付を沙魚丸様にお見せして、謝ってもらおうと考えておりましたのに。先に謝罪されたら、私は、どうすればよいのですか。」

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