沙魚丸vs結衣
〈おぉ、これが沙魚丸君なのね。ハゼって顔じゃないよね。どう見てもイケメンだよね。もしかしたら、別人なのかも・・・〉
怪訝そうな顔をする結衣に元沙魚丸がニコッと笑う。
「初めまして、お姉さん。改めて名乗らせていただきます。僕は、椎名沙魚丸と言います。」
失礼なことを考えていた結衣は、元沙魚丸の丁寧な挨拶に慌てて返事をする。
「ご丁寧にどうも。私も沙魚丸、もとい谷沢結衣と言います。よろしくお願いします。」
二人を席へいざなったダイフクは煎茶を注ぎながら、
〈どちらが年上なのか分からないですね。〉
と微笑む。
お茶菓子に用意したアジサイの形をした和菓子を二人の前に置いたダイフクが話を切り出す。
「今回の転生をご覧になった月詠様がお二人を不憫に思われ、突然ではございますがご対談の機会を設けさせていただきました。」
不憫という意味がよく分からない結衣であったが、元沙魚丸が手を叩くので二人してパチパチと手を叩く。
「月詠様と秋夜叉姫様は同じ神様なのですか?」
首を傾げた結衣が尋ねる。
「いえいえ、月詠様と秋夜叉姫様を同一視されてはいけません。月詠様は創世神の一柱でございます。簡単に言えば、天帝様の次位に座する神様の一柱にございます。」
対談の準備を整えたダイフクが淡々と答え、続いて指を一本立てる。
「秋夜叉姫様の転生がちょっとアレでしたので、月詠様が直々にご命令を下されたのです。」
「アレですか?」
結衣が不思議そうな顔をする。
「そう、アレだったのです。神のなされたことに眷属の私が何か申し上げることは不敬ですので、お気づき下さい。」
ダイフクが頷きながら返事をする。
目があった結衣とダイフクは、ウフフと楽しそうに笑う。
既にこのあたりの話は聞いていたのであろう元沙魚丸は、結衣たちの話を聞くより目の前のお菓子を眺めていた。
ひととおり眺め終わると、アジサイの真ん中に黒文字と呼ばれる楊枝をスッと突き刺す。
手慣れた様子で小さく切り取りとった一欠けらのアジサイを口に運び味を楽しんでいる。
「それでは、お二人でご歓談をお楽しみください。」
一礼をしたダイフクが忽然と姿を消す。
〈煙の様に消えるとは、このことね。〉
結衣が感心していると元沙魚丸が結衣へ語りかけた。
「では、お姉さん。よろしいでしょうか。僕からお願いもあるのですが、先にお姉さんが聞きたいことにお答えします。」
「まぁ、紳士なのね。ところで、僕って言うのね。」
「神様にお姉さんのことを少しばかり教えてもらいました。拙者とか某より僕の方がお姉さんは受け止めやすいかと配慮したつもりなのですが、ダメでしたか?」
「僕で、大助かりよ。」
と、返事はした結衣であったが、元沙魚丸に会った時からずっと違和感を覚えていた。
何だか分からないが、ずっとモヤモヤしていたのだ。
そして、今ようやくその正体が分かった。
「沙魚丸君、私、とっても失礼なことを言うけど許してね。女神様から沙魚丸君は、周囲から糞丸って呼ばれてるって聞いたの。それとね、小次郎さんからも沙魚丸君は一言も話さないって聞いたわ。だからね、何だか色々と話が違うから驚いちゃって。」
少しためらった結衣は、勢いのままに言ってしまう。
「私ね、沙魚丸君ってあんまり頭が良くないのかなぁ、なんて思ってたの。でも、こうやってお話してると、すごく頭いいよねって感じたんだけど。」
指をイジイジしながら話す結衣に、元沙魚丸は朗らかな顔となる。
「あはは。お姉さんは、神様から聞いていた通り、本当にビックリするぐらい裏表のない方なのですね。」
「うん。よく言われる。」
ウフフと結衣が笑う。
「僕にはできなかったので羨ましい限りです。でも、お姉さんが、現実に戻って沙魚丸となった時に今のままだとたくさん騙されてしまうし、もしかしたら、サクッと殺されるかもしれないので気を付けてくださいね。」
物騒なことを微笑みながら言う元沙魚丸に、結衣は素直に頷く。
「がんばるわ。」
「そうしてください。お姉さんが騙されたり、すぐに死んでしまうと僕も自分のことのように悲しいですから。」
微笑んでいた元沙魚丸が、真面目な表情になる。
「では、先程のご質問にお答えしようと思うのですが、ちょっと長くなります。」
「どうぞ。」
結衣は身を乗り出す。
「お姉さんには僕の記憶が引き継がれているようなので、僕の母のことをどこかで思い出すはずです。僕の母は僕が幼いころに殺されました。そのことを知った時から僕は母を手にかけた者をこの手で殺してやると決意し、小次郎たちと稽古に励んでいました。」
「かたきを討つのね。」
ゴクリと結衣は唾を飲み込む。
「はい、誰がやったか突き止めることができなかったのですが、探し出して、必ず母を殺めた者を討とうと思っていました。」
「分かったわ。沙魚丸君のかたき討ちは私が引き継ぐから、安心して。」
元沙魚丸の手をぎゅっと握った結衣が力を込めて言った。
少し驚いた顔をした元沙魚丸だが、柔らかな顔となり、結衣の手を優しく解いた。
「お気持ちは嬉しいのですが、それは結構です。僕の憎しみは僕が死んだことで終わりです。お姉さんはお姉さんの沙魚丸を生きて下さい。」
「いいの?」
「はい。『武士に怨霊なし。』と僕は教わりました。真っ白な灰になるぐらいに自らの一生を精一杯に生きよ、と。そうすれば、恨みの欠片も残るはずがないと僕は考えています。僕は僕なりに一生懸命に生きました。かたき討ちまでたどり着くことはできませんでしたが、母上に会っても胸を張れるぐらいがんばりましたし、きっと母上も褒めてくださると思っています。」
晴れ晴れと話す元沙魚丸の顔は綺麗だった。
結衣の周囲には、少なからず素敵な人たちがいたが、これほど美しい人を見たことはなかった。
結衣は知らず、涙を流していた。
涙を流している自分に気づいた結衣は、ダイフクから借りたハンカチで涙を拭く。
〈職業柄、たくさん美しいものを見てきたけど、泣いたのは、何度目かしら。生きている人を前にして泣いたのは初めてね。〉
口角を上げる結衣に元沙魚丸は言った。
「という訳で、お姉さんは僕の記憶に引きずられることなく自分の人生を生きください。」
結衣はじっと元沙魚丸を見ていたが、結衣の視線をスッと外し元沙魚丸は話を続ける。
「かたきを殺すと決めた僕は、その願いを叶えてもらえるよう、一言も話さないと神様に誓いました。そして、かたきを油断させるために馬鹿のふりをしようと思ったのです。」
ここまで淡々と話してきた元沙魚丸だったが、急にうつむいた。
「ただ、誤算がありました。」
「えっ、それは何?」




