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出会い

新しい屋敷へ移転して数か月後、父が沙魚丸を連れて千鳥ヶ淵家へやって来た。


沙魚丸五歳、小次郎八歳の秋のことだった。


小次郎が沙魚丸に抱いた第一心象は、ズバリ、

<なんだか暗い子供だな。>

である。


この時の小次郎は、後に沙魚丸を主君として仰ぐ日が来るとはこれっぽっちも思っていなかった。

『私が挨拶をしても、頷くだけの沙魚丸様に好印象を持たなかったのは仕方なかったのです。』

後に成長した小次郎は、とある席で沙魚丸に深々と頭を下げ許しを乞うている。



沙魚丸も酒井家に連なる者として、やはり悪意をぶつけられた。

小次郎と出会ったいじめっ子という名の卑怯者たちは石を投げようとしたが、小次郎の横で突っ立っている沙魚丸を見て躊躇した。


謀反人と噂されてはいるが、椎名家は公式に発表していない。

沙魚丸が謀反人の血を引く者であると。


椎名家の者に石を投げては、後でどうなるか分からないと卑怯者らしく考えたのだろう。

彼らは当たっても怪我をしない泥を投げ始めた。


小次郎は鼻で笑った。


〈そんなもの、当たるわけがないだろう。〉

事実、小次郎は笑顔を浮かべたままひょいひょいと避ける。


「沙魚丸様。あんな奴らはほっておいて、行きましょう。」


沙魚丸に視線を向けた小次郎は驚く。

頭のてっぺんからつま先まで彼らの投げた泥にべったり覆われた泥人間が立っていたからである。


〈この子、どんくさい・・・〉

沙魚丸の手をひき、この場から逃げ去る小次郎は、頭を抱えたくなった。


悪意を向けられた小次郎は、お琴の暴れっぷりを見てからは、ひたすら逃げることに徹している。


沙魚丸を近くの川で洗いながら、小次郎は悩む。

〈見事に泥だらけですか。もしかしたら、自ら当たりに行ってる?そんなわけ無いだろうけど、このどんくさい子と一緒にスタスタと逃げるのは難しそうかも。〉


ため息をついた小次郎は、父と母から繰り返し言われたことを思い出す。

〈沙魚丸様に怪我一つも負わせてはならないか・・・うん、無理でしょ。〉


乾いた笑いをあげた小次郎は、どうしたらいいのかと悩む。


しかし、恵まれた体躯を持ち、運動神経も人一倍優れた小次郎は、残念ながら、いわゆる脳筋であった。

悩んでいる最中に、途中から小次郎は、悩み方が分からないと悩み始める。


うーんと唸り声を上げながら頭を捻る小次郎を見かねた沙魚丸が地面にガリガリと文字を書いた。

『つよくなる。おしえろ。』


小次郎は、少しだけ沙魚丸に興味を持った。


なぜ話そうとしないかは、小次郎にはどうでもよかった。

〈何か本人に事情があるのだろうし、話したくなったら話すだろう。〉


小次郎は、細かいことは気にしないのである。


それよりも、どうやって沙魚丸を強くするかを考える方が小次郎にはピンときた。


〈ついでに、私も強くなろう。〉

そう考えた小次郎は、思いついたことを書き出す。


投げつけられる石をいかに(かわ)すか。


いかに捕まらないように逃げるか。


捕まったら、どのように振り切るか。


それを見た沙魚丸が、何事かを書き、小次郎が書き、そんなふうにして二人は様々なことを想定し修行計画が決定した。


修行を始めても、沙魚丸は決して口を開こうとしない。

修行が行き詰まったりした時は、二人は地面に文字や絵を書き、あーでもない、こーでもないと考えた。

修行を通じて、小次郎は、沙魚丸に一目置くようになっていく。

沙魚丸の頭の良さに感心もしたが、それ以上に、ひたむきに修行に取り組む姿勢を好ましく覚えたからである。


一年が経ち、少しばかり自信がついた二人は、森で食べ物を獲る修行へと移行した。

森の中は近くの村の縄張りである。

武士の姿で入ると縄張りを侵されたと判断した村人が城に訴えるかもしれないと考えた二人は百姓の子供に姿を変える。

念のため、大きめの菅笠(すげがさ)をかぶり顔を隠し、意気揚々と森へ踏み入って行った。


森の中で食べ物を探すのに熱中していたため、森の奥から近づいて来る猟師にまったく気がつかなかった。

気がついたのは、猟師が残り30メートルほどの距離で声をかけて来たからである。


猟師に声をかけられた時、小次郎は逃げようと考えたが、猟師の弓を見て思いとどまる。

近寄ってくる猟師に小次郎は、沙魚丸の前に立とうとするが、足が動かない。

小次郎は恐怖で身がすくんでいることにようやく気づく。


〈怖い。〉


熊のような大男が地面に落ちた枝をバキバキと踏みしめて近づいて来る。

同じ年頃の少年たちから受ける攻撃など、小次郎にとっては怖くもなんともない。


しかし、自分よりもずっと大きく強そうで武器を持った大人と初めて対峙することに小次郎は不覚にも恐怖した。


〈動け、動け、動け。〉


心の中で叫ぶ声も激しく鼓動する心臓の音がかき消してしまい、腕も足も体のどの部位もピクリとも動かない。


硬直した小次郎の手を沙魚丸がぎゅっと握りしめた。


震えていた小次郎は、落ち着きを取り戻し、恐怖から脱した。


この瞬間こそ、小次郎が沙魚丸を主君と仰いだ時である。

〈間違っていた。どんくさいとか、どうでもいいのだ。この方と一緒にいれば、私は勇敢になれる。〉


『士は己を知る者のために死す。そんな主君に仕えるのが、武士の夢だな。』

父がかつて語った言葉が、小次郎の胸に鮮やかによみがえる。


〈沙魚丸様は、私の弱さを認め、許して下さった。この方のために死ぬ。〉

小次郎は心の中で誓った。


小次郎が命を賭けようとするのも無理はない。


子供は高く売れる。

この時代の常識である。


〈この猟師が人さらいであれば、命に代えても沙魚丸様を守る。〉

小次郎は猟師が隙を見せた時に腰の脇差で猟師の心臓を一刺しにしようと機会を狙う。


小次郎の背負い籠の中をじっと見た猟師が笑いながら言った。


「おい、子供。お前たちの籠の中にあるキノコは幾つもヤバいのが混じっているぞ。誰か殺すつもりではないだろうな。」


〈人さらいではないのか・・・それでも油断はできない。〉

小次郎は警戒しながら明るい声で返事をする。


「母に山のものを食べさせようと思ったのだけど、よく分からなくて、手あたり次第、取ったんだ。」


猟師はなんとも呆れた声を発した。


「そんなら、キノコはやめとけ。他にも色々とあるだろうが。ムカゴやあけび、山芋とか。ん、何だ、お前ら。脇差しか持ってないのか。」


二人とも山の中で自生しているものを採るのは初めてである。

名前は知っていても、どこにどうやってあるのかすら知らない。

二人は、食べれそうだという勘だけでここまで採取を続けて来た強者なのだ。


「ちょっとついてこい。少し手伝ってやろう。」

二人を見かねた猟師は、親切にも手伝ってくれるようである。


だが、小次郎は他人の親切を素直に信じることができなくなっていた。


「ありがとうございます。ご親切はありがたいのですが、ちゃんと用意してから来ようと思います。それでは失礼します。」


(きびす)を返し、沙魚丸の手をつかみ、この場から立ち去ろうとした小次郎の腕を猟師ががっしりとつかむ。


「何をする。」


小次郎は思わず叫び、猟師の腕を振り払おうとした反動で、小次郎の菅笠がずれ小次郎の顔があらわになった。


〈しまった。顔を見られた。〉


だが、小次郎よりも猟師が大声をあげた。


「若、若ではございませんか。拙者をお忘れか。梅ノ木熊五郎でござる。」


小次郎の腕をつかんだまま早口で猟師が話す。


つかまれた腕をそのままに、小次郎は穴のあくほど猟師の顔を見つめた。


「嘘だ。熊五郎は、こんなごつい男ではない。私の知っている熊五郎は、弓の名手で、屋敷内を歩くだけで女子が顔を赤らめるような色男であった。其の方のような髭だらけで、むさくるしい男ではない。」


小次郎に否定された猟師は絶望的に悲しい顔となった。

数秒後、猟師は雄叫びをあげ、突然、片肌を脱いだ。


腹に矢傷があった。


「熊五郎。本当に熊五郎だったのか。」


小次郎は熊五郎に飛びついた。

矢傷は、小次郎をかばって受けたものである。


「だから、言ってるではございませんか。熊五郎だと。若は、随分と疑い深くおなりですな。」


髭に隠れているが熊五郎は満面の笑顔を浮かべる。


「ところで、若は、こんなところで何をしておいでなのか。それとこちらのお方は?」


小次郎は、沙魚丸に許可を取り、何をしているのかを熊五郎に話した。


熊五郎は、それなら自分が稽古をつけましょうと言いだした。


師匠となった熊五郎から二人は色々なことを教わった。

山で食べられるものから始まり、獲物の獲り方や肉のさばき方を教わると、二人で兎や鹿を狩り、お琴のために獲物を持ち帰った。


熊五郎のおかげでめきめきと力をつけた二人は刀、弓、槍、馬と武将として必要な稽古を始める。


熊五郎から話を聞いた源之進の旧臣たちが、米や野菜を持って山の中にこっそりと尋ねて来るようになったため、二人の師匠が増えたのである。


小次郎は、父や母に会いに来るように言ったのだが、千鳥ヶ淵家は監視されているからと旧臣たちは悲しそうな顔をして断った。


そして、二人は、旧臣たちからの厳しい指導を受け、数年後には見違えるほど強くなった。

強くなったことを実感した二人は、未だにいじめを仕掛けて来る者たちを時には正々堂々と、時には罠をしかけ、肉体的にも精神的にも叩き伏せた。


そして、二人をいじめる少年たちは一人もいなくなった。


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