小次郎の過去
糀寺騒動が起きた時、小次郎は八歳だった。
騒動のことは記憶にない。
小次郎の記憶にあるのは、騒動後のこと。
今のような小さな屋敷ではなかった。
馬を走らせ、騎射ができる庭を持つ広い屋敷。
たくさんの人たちに囲まれ、皆が小次郎に笑顔で接してくれた。
しかし、糀寺騒動を境に小次郎の暮らしは一転する。
騒動が起きるまで、小次郎は若様と呼ばれ、じいやと呼んでいた傅役が小次郎の世話をしていた。
庭に咲いた菜の花がゆらゆら揺れているのを縁側に座りぼんやり見ていた小次郎にじいやが話しかける。
「若様。今日は、ご先祖様のお話をお聞かせいたしましょう。」
千鳥ヶ淵家のことを大好きなじいやが、ニコニコと笑いながら小次郎に先祖のことを語り出した。
「若様。よいですか。ご先祖の偉業を忘れてはなりませぬ。千鳥ヶ淵家は、椎名家のような後からやって来た余所者と違い、ずっと前からこの土地を自らの力で開墾し、勝ち取ってきたのですからな。」
目を輝かせて聞き入る小次郎に、じいやは胸を張って語る。
「椎名家が生意気にも勢力を伸ばして行く中で、我ら千鳥ヶ淵家の領地に隣接する所にまでずかずかと踏み入って来たのです。」
困ったものだ、と言った顔をしていたじいやがニンマリと笑う。
「椎名家は、一触即発の状態を憂慮したのでしょうな。当時の椎名家の領主には、娘がおりませんでした。そこで、領主の弟が興した酒井家の愛娘を千鳥ヶ淵家の当主の正室にと頭を下げて参りました。ご先祖様は、無用な戦を避けるため、あえて婚姻を受けたのです。そのような経緯で、千鳥ヶ淵家は酒井家の一門になってあげたのです。」
じいやの話に興奮した小次郎は、じいやの直垂の紐をつかみ引っ張る。
「じいや。椎名のお殿様は、ご先祖様を恐れたのだな。」
つかまれた紐を放そうとじいやは苦戦しながら、ふふんと鼻を鳴らす。
「その通りですぞ。この土地は、椎名家から与えられた土地だと言う馬鹿者がおるやもしれませんが、それは違うのです。代々に渡り当家が領有してきた土地を新たに主君と仰ぐことになった椎名家が認めただけなのです。」
子供心に椎名家何者ぞ、と言う気持ちが芽生える。
「こら、じいや。小次郎にそのようなことを教えてはなりません。椎名のお殿様に余計な気持ちを抱かしてはいけません。」
お琴から怒られたじいやが慌てて言い訳をする。
「奥方様。しかし、正しいことをお教えしなければ・・・」
「じいや。私たちは、椎名のお殿様に仕えると決めた時から、椎名家に対し恐れ多いことを考えてはいけません。いいですね。」
「申し訳ありません・・・」
シュンとするじいやに微笑んだ母がお茶にしましょうと誘い、笑いながら一緒にお団子を食べた。
小次郎が持つ小さい頃の数少ない優しい記憶。
糀寺騒動によりすべてが一変し奪われた。
先祖代々の土地を没収され、たくさんいた家臣も他家へ連れ去られた。
小次郎を慈しみ可愛がってくれた人たちが消え失せるように周りからいなくなった。
ある日、屋敷は、見たことがない旗印を背負った武将たちにより領民の前で燃やされた。
赤黒い炎が屋敷を勢いよく喰らいつくしていくのを小次郎はよく覚えている。
「この地から千鳥ヶ淵家は無くなった、ということを領民に誇示するために屋敷から蔵からすべてを燃やしているのです。」
小次郎と手をつないで荒れ狂う炎を見ていた誰かがぼそりと呟いた。
「若様。この炎を忘れてはなりません。そして、あの鎌紋こそ、我らを貶めた者。」
天を突くような炎を見ながら、その人は言った。
小次郎は炎を見ると、この人の言葉を思い出す。
<教えてくれたのは、誰だったろう。でも、ちゃんと炎のことは覚えているよ。>
移転先は決まっていた。
椎名家の本拠地である野々山城内の一区画に屋敷を与えられた。
屋敷を与えに来た役人が恩着せがましく言う。
ネズミが肩衣を着ているような印象の役人に父と母がぺこぺことする姿が無性に悲しく、不意に殺意を覚えた。
小次郎が抱いた初めての殺意である。
役人は、居丈高に言い放った。
「敵が城に攻め込んで来た時は身を挺して領主を守れ。」
父と母が役人に丁寧に返事をする中、小次郎は押し黙り殺意を隠しもせず役人を睨んでいた。
そんな小次郎を見た役人が小次郎を憎々し気に見下ろす。
「小僧、お前もだ。」
役人は怯えたように怒鳴ると、小次郎を殴りつけた。
父が、役人に謝っていた。
そんな父の姿を見ながら、小次郎は思った。
<自分は、父に謝らせるほど悪いことをしたのだろうか。>
殴られたところは痛くないのに、涙が止まらない小次郎を母がぎゅっと抱き寄せた。
傅役として沙魚丸様のために張り切って働いていた父が、新しい家に移ってからはまったく帰ってこなくなった。
父が帰ってこない理由を母に尋ねると、
「父上は、新たに素晴らしいお役目を任されたのよ。」
母はほんの少しだけ悲しそうな笑顔で答えてくれた。
昔の家では、父はよく遊んでくれた気がするからか、父がいない家は寂しかった。
それとも、父と母は仲が良く、二人はよく笑いあっていたからだろうか・・・
そんな父のいない家を守ろうと気丈に振舞う母のために、小次郎は母の前では必死に涙をこらえた。
小次郎が泣くと母が悲しそうな顔をするのが、とても辛かったから。
家が狭くなり家臣もいなくなったが、母と子は互いを慈しみあい家の中には小さな幸せがあった。
ささやかな幸せを壊すのは、多くが為政者の保身に端を発することは、洋の東西を問わない。
恩賞の不満、一門衆内の対立、殺された者たちの家族の恨み、その他様々な不満が騒動後に家中で高まり、一門衆を始めとする重臣に向かい始めた。
重臣たちは、恐れた。
このままでは、重臣に牙をむく者が新たに現れるかもしれないと。
家中で渦巻く不満のはけ口として重臣が選んだのが、生き残った酒井家に連なる者たちだった。
鬱屈した感情を酒井家の残党に向かうように巧妙に誘導し、直接的にも間接的にも悪意を働く者を重臣は放置した。
酒井家の残党は、一つ所に固まらぬようバラバラに各家に送られた。
椎名家では、千鳥ヶ淵家が謀反人としての悪意を一身に受けることとなった。
源之進の勇姿ぶりもあり、表立ったものは少ないにしろ、陰湿ないじめがお琴と小次郎につきまとう。
親は子の鏡とはよく言ったもので、いじめをするような親に育てられた子は、親の精神を受け継ぐことが多い。
小次郎は、そんな少年たちから謀反人の子供呼ばわりをされ、殴られ、石を投げられた。
小次郎は、やり返せば、母に迷惑がかかると思い、いじめをするような卑怯者を見つけた時は猛然と走ってその場から姿を消した。
ある日、あまりにもしつこく手を出してくる者に対して小次郎は応戦したことがあった。
しつこく小次郎につきまとってくる少年は、反抗しない小次郎に何をしてもいいと考えた。
小次郎の荷物から笛を盗み出し、泥だらけの草鞋でぐりぐりと踏みつけた。
その笛は、じいやからもらった大事な笛だった。
小次郎は、激怒した。
小次郎が気づいた時には、胸倉をつかまれ小次郎の往復ビンタを何度も喰らった少年が、半狂乱で泣き叫びながら謝っていた。
むなしくなった小次郎は、少年を道端に捨て、笛を拾い上げ暗い気持ちで家に帰った。
母を心配させるといけないと思った小次郎は、このことをお琴に告げなかった。
数時間後、パンパンに顔を膨らせた子供を連れ、怒りで眼を吊り上げた母親が数名の従者と共に小次郎の家の扉を蹴破り押し入ってきた。
小次郎は驚いた。
押し入りにも驚いたが、それ以上に驚いたのは、小次郎にやり返された少年が、まさか親に言いつけることなど考えもしていなかったのだ。
今までいじめて来た小次郎にやり返されたなど恥ずかしくて言える訳がないだろうと思っていた小次郎は考えが甘かった。
そう、この少年は、小次郎に一方的にやられたと母親に言いつけたのだ。
愛する我が子の言うことを頭から信じ、
「謀反人の片割れが我が子に手を出すなど許されないわ。」
と叫んだ母親は『正義は我にあり。』とばかりに従者を引き連れ千鳥ヶ淵家へ突っ込んできた。
事情が分からないお琴であるが、彼女の判断は早い。
<あの女の顔は見たことがあるけど、断りもなしに入ってきているのだから賊でいいわよね。一つ揉んであげましょうか。>
さっと着物をたすき掛けにすると、ののしり声を上げながら押し入って来た従者の手首をつかみ従者の懐に入り肩にかけるとお琴は背負い投げのごとく家から豪快に投げ飛ばした。
雲一つない澄み渡った青空の中、スローモーションのように宙を舞った従者は地面に全身で着地すると勢いよくゴロゴロと転がり、植木に顔を突っ込み動かなくなった。
「小次郎、火を奪われないようにしなさい。」
お琴は、小次郎に楽しそうに言いつけた。
「はい、母上。」
じいやから聞いていたが、母が実際に戦うところは見たことがなかった。
お琴は、子供が生まれる前は、源之進と共に戦場を闊歩していた豪の者である、とじいやが自慢げに語っていたことを小次郎は火の番をしながら思い出す。
お琴の暴れっぷりを見ながら、小次郎は少しだけ相手に同情した。
壁に掛けてある愛用の薙刀をガシッと手にしたお琴は、庭に裸足のまま飛び降り薙刀を右に左に豪快に振り回す。
母と子の二人だけの家を打ち壊しに来ただけなのに、まさか反撃されるとは思っていなかった従者たちは、家を打ち壊すために担いできた大きな木槌を持ったまま右往左往する。
そんな従者をお琴は薙刀の峰と石突を使いバシバシと小気味よく叩きのめし失神させていく。
「そんな女一人にあなたたちは何をやっているの。それでも誉ある白鳥家の従者ですか。恥を知りなさい。」
泡を吹いて倒れた従者たちに向かって喚き散らす母親の頬をお琴はパシンと軽く張り飛ばすと、母親は涙目となり静かになった。
「恥を知るのは、あなたですよ。」
母親の着物の襟首をむんずとつかんだお琴は、その母親を引きずり、荒縄で庭木に縛り付ける。
小次郎も従者たちを縛るのを手伝う。
プルプルと震えていた母親が堰を切ったように喚き始めた。
「子供だけではなく、母親まで乱暴者とは!謀反人め、殺してやる。」
ぎゃんぎゃん喚く母親をお琴は、しばらく無表情にじっと見ていたが、何かに気づいたようにポンと手を打った。
そして、こっそりと家の陰で隠れていた少年を抱え、母親の前で投げおろした。
「正直に何があったのか、あなたのお母様に言いなさい。」
とても優しい笑顔でお琴が言うと、青ざめた子供は、小次郎にしたことをすべて話した。
泣きじゃくりながら話すため、何を言ってるのかほとんど分からなかったが、小次郎に対して執拗に嫌がらせを行ってきたことだけは分かる。
最初は、無理やり言わせてるだの、この子がそんなことをする訳がないだのと金切り声を上げていた母親も、どうやら事実であるらしいと認め、最後は静かになった。
二度と小次郎に手出ししないという証文を用意したお琴は、母親と少年に手形を押させると、母親の尻を子供と同じように膨らませ敷地から追い払った。
「こんなもの、何の効果も無いけど・・・」
証文を見ながら呟いたお琴は小次郎の方を向いた。
「小次郎、母も一緒に戦うので、何かあったらちゃんと言うのですよ。」
「はい。ありがとうございます」
母の気持ちは嬉しいと感じた小次郎だが、相手の悲惨さを考え、これ以後、小次郎は絶対に応戦せず逃げるようになった。
当時、小次郎についたあだ名は、逃げの小次郎。
沙魚丸と出会う前の話である。




