父と子2
「アオバズクが鳴いているな。」
どことなく決まりが悪い思いの源之進は、いつもなら気にも留めない鳥の名前を口にする。
〈鳥のオスですら子育てに励んでいると言うのに、情けない父親だな。〉
自嘲する源之進のことなど気にもせず、小次郎は考えていた疑問を声にする。
「父上、糀寺騒動のことをお教えいただけないでしょうか。」
小次郎の疑問に答えるべきか悩んだ源之進の脳裏に沙魚丸の顔が浮かんだ。
「糀寺騒動の真実は、沙魚丸様こそ知らねばならぬことだ。沙魚丸様が元服した時に沙魚丸様が信を置く者と共に語ろう。もちろん、お前もその一人であって欲しい。」
柔らかな眼差しを送って来る源之進に、小次郎は嬉しさのあまり体が震える。
ぎゅっと目をつぶった小次郎が、
ただ一言
「はい。」
と、返事するのを見た源之進は満足そうに微笑む。
そして、寂しげな声で源之進は話し始めた。
「いずれにしても、我が家は糀寺騒動で謀反を企てた酒井氏に連なる一門として全ての知行地を取り上げられ、今やわずかな俸禄(給料)で生き延びている有様だ。椎名家の軍法では、騎乗が許される最低の俸禄は五十貫。これは、五十貫の収入で、騎馬武者一人を主人とし、供として徒歩武者を三人、主人の槍と旗指物を持つ槍持を一人、馬の世話をする口取り一人を引き連れ、戦場で働くように、と言う意味だ。もちろん、日々の暮らしも五十貫の内に入っている。」
※※※
椎名家の軍法では、徒歩武者は戦闘員とされ、主人と共に戦場を行動する。
椎名家の中では、家臣は大きく二つに分かれる。
知行取りと俸禄取りである。
領地を持つ知行取りと呼ばれる者は、領地から得る税金をもとに永久雇用した家臣を騎馬武者や徒歩武者として戦場に帯同する。
一方、俸禄取りと呼ばれる者は、さほど多くない金を主家から支給される家中では比較的身分の低い者である。彼らは、自らの家臣を抱える余裕がないため、戦場には臨時に雇い入れた傭兵を引き連れることが多い。
なお、傭兵を雇うのは俸禄取りだけでなく、兵力不足を補うなどの理由により、知行取りが傭兵を雇い、戦に出向くこともある。
槍持は、主人に永久雇用されたものもいれば、戦時用に臨時に雇われたものもいる。
永久雇用された者は家臣となり、普段は様々な用事をこなすが、戦時には準戦闘員として主人に従い行動する。
口取りも二種類ある。
主人の馬のための口取りと荷駄用の馬のための口取りである。
ここで言う口取りは、主人の馬と共に行動する者で、日常的に主人の馬の世話を行いながら雑用もこなす。
そのため、基本的に永久雇用である。
戦時には、準戦闘員となる。
荷駄用の馬の世話をするのは、陣夫役という税金の一つによって徴集された百姓が行う。
これは、戦時に物資を運搬するための人と馬を村から出さなければいけない、という税である。
※※※
一旦、言葉を切った源之進の声に愁いが混じる。
「我が家は、騎乗が許されているにも関わらず、四十貫の俸禄を付与されている。にも関わらず、五十貫の軍装を整えるよう指示を受けている。此度の戦の支度をする金が足りず、一家の長として恥ずかしい話だが、お琴のおかげで何とかできたぐらいだ。」
戦に向かう三人を明るい声で送り出したいつもとは違う母の姿が小次郎の胸をつく。
思わず両手で目を覆った小次郎の肩に源之進がそっと手を置く。
「お前の初陣でもあるのに徒歩武者となってしまい、許せ。」
泣いてはいけないと分かっているのに、勝手にあふれ出る涙が腹立たしい。
『涙は、心の甘えと知りなさい。沙魚丸様にふさわしい小姓となるために、あなたは涙を見せてはいけません。』
小次郎が沙魚丸の小姓となった時に母から贈られた祝いの言葉が脳裏をよぎる。
嗚咽まじりに小次郎は答える。
「私は、父上と母上の子で幸せなのです。許すなどと言わないでください。」
すまん、と言いかけた源之進がぐっと口を結ぶ。
小次郎は、まだ十五歳の多感な年ごろなのだ。
<子供を泣かせるとは、どうしようもない父親だな・・・>
焚火がパチパチと爆ぜる音の中で小次郎の嗚咽が小さくなるのを待った源之進が決心を固めたような強い眼差しとなる。
「沙魚丸様も我が家も謀反人の酒井家の血を引く者として、家中の者たちから白眼視しされている。沙魚丸様が女神様に見いだされたことにより、貶められた我らの名を轟かせるよい機会だ。私たちは沙魚丸様が一国一城の主として独り立ちされるよう力を尽くす。千鳥ヶ淵家の再興は余事だ。時と場合によっては、椎名の家を捨てる。」
言いきった源之進が焚火を崩し、ゴウッと火が勢いを増す。
燃え上がった炎を瞳に映した小次郎が大きく頷いた。




