一日の終わり
だが、その喜悦も長くは続かない。
沙魚丸は、昔から散漫力が高い。沙魚丸は源之進の名乗りに気を移してしまう。
〈源之進さんの姓は、千鳥ヶ淵って言うのかぁ。江戸城と関係があるのかしら?江戸城の淵は千鳥ヶ淵と牛ヶ淵と二つあるけど、千鳥ヶ淵で良かった。牛ヶ淵さんは、ちょっと源之進さんのイメージではないのよね。それに、諱は暁月なのね。なんて、いかついのかしら。おじいちゃんになった時に苦労しそうだわ。お酒の席で、暁月の由来を聞いてみようかな。ふふ。〉
お酒を許される年齢でないことに気がついていない沙魚丸は、主君に忠誠を誓う源之進を小次郎が悔しそうに見つめていることにも気づいていなかった。
「それにしても、今日の沙魚丸様は、何かこう、十二歳とは思えぬ雰囲気がございますな。女神様からご神託と共に何かしらのご加護を授かったのでしょうか。」
源之進の問いかけに沙魚丸の笑顔はこわばる。
〈さすが、髭イケオジ。私のことを見破りかけるとは・・・そんなに子供らしくないかな。もしかして、大人の女の魅力がにじみ出ているのかしら。なるほどね。女性の仕草一つにまで敏感に気配りできる所が、モテる髭イケオジの証なのね。でもねぇ、女神様は何にも加護とかくれなかったの。何も授かっていないことをちゃんと伝えておかないと、後々、勘違いされて絶対に悲惨なことが起きる気がする。〉
まだ男性になり切れない沙魚丸は、女性として扱われていると勘違いする。
そして、自分的にはちょっと可愛く見えると思っているポーズを取った。腕組みをし、不満げに口をとがらせると、二人に告げる。
「女神様からは、何も授かっていないんです。困難を楽しめと女神様は仰ったんです。」
何とも言えない顔とポーズをしている沙魚丸の意図をあっさりと流した源之進は手を打ち破顔した。
「自ら苦難の道を選ばれるとは、沙魚丸様にただただ敬服いたします。私に是非、沙魚丸様の露払いをお任せください。」
この親子には沙魚丸が不満げな表情を取ることなど考えられないのかもしれない。
眉宇に決意をみなぎらせる源之進に対して小次郎がすかさず口をはさむ。
「父上、先程から一人だけずるいですぞ。露払いは私がやります。勝手に決めるのは大人としてどうかと思います。沙魚丸様、私も沙魚丸様と共に困難を楽しみますので、なにとぞお供をお許しください。」
目をきらきらと輝かせた小次郎は、源之進の位置よりも前にススッと膝を進める。
「小次郎の腕では、まだまだ露払いなぞ任すことなどできん。」
「父上、私もかなり遣うようになったと先日、お認めになったではないですか。」
などと言い合う二人を見て沙魚丸は胸を熱くする。
〈違います。私はチート能力を下さいってお願いしたんだけど、女神様からあっさり却下されたの。だって、異世界で、しかも戦国時代に転生して、好きこのんで苦労しようと普通の人は思わないでしょ。でも、二人が一緒に歩んでくれるならがんばります。ふつつかな私ですがよろしくお願いします。やばい。泣きそう。〉
年と共に涙腺が緩くなると社長から聞いていたが、子供に若返っても涙腺は緩くなるんだなと沙魚丸は鼻をすする。
露払いは小次郎の役目と二人の話し合いは終わったようで、小次郎が胸を張って、沙魚丸に朗らかな顔を向ける。
「私がいかなる時でも沙魚丸様の先陣を務めますので、ご安心ください。」
小次郎が露払いを先陣とサラリと言い変えていることに源之進は苦笑した。
〈二人とも、喜んでくれているみたいだけど、ちゃんと聞いておこう。〉
沙魚丸は恐々と尋ねる。
「私が女神様に出会ったことを二人に言ったのは、良かったですか?」
「もちろんでございます。」
二人の明るい声が響いた。
続けて、源之進が口を切った。
「私たちに仰っていただけたことを光栄に思います。私たちは沙魚丸様の覇道を支え、女神様のご神託を成就されるよう、この身が尽き果てるまで全力でお仕えいたします。どうか、私たちを存分にお使いください。」
源之進と小次郎の真摯な表情に尊い何かを見るように沙魚丸は目を細める。
「ありがとうございます。女神様のお願いを達成するために、私が立派な武将になれるようにお力添えをお願いします。」
鼻水を啜りしゃくりあげて話す沙魚丸に懐紙を取り出した源之進が、沙魚丸の鼻をチーンする。
「沙魚丸様、よくぞおっしゃいました。私も小次郎も持てるすべての力を尽くしお仕えいたしますからご安心ください。」
沙魚丸の頬を落ちていく涙に焚火の光があたり、くしゃくしゃになった沙魚丸の顔は頼もしさのカケラもない顔になっている。
源之進も小次郎も仕えるべき主君の頼りない様子になぜか庇護欲をかき立てられる。
二人からの熱のこもったまっすぐな視線に沙魚丸は照れ臭くなりポリポリと頬を掻く。
「叔父上が明日は早出だとおっしゃっていたので、今日は早く寝ることにしましょう。」
「そうですな。雨情様を怒らせると怖いですからな。あれでいて、根は優しい方なのですが・・・」
小次郎がゴザを敷きなおす音で、源之進の声の終わりの方は沙魚丸には届かなかった。
「沙魚丸様は、こちらでお眠りください。私共はもうしばらく火の番をいたします。」
小次郎が丁寧に用意してくれた寝床に感謝し、沙魚丸はおやすみなさいと二人に告げた。
二人から少し離れた所で横になった沙魚丸は今日の出来事を振り返ろうとしたが、緊張の糸が切れたのであろうか、ものの数秒で眠りに落ちる。
沙魚丸が寝入ったのを見届けた二人は、焚火の前に座りなおし沙魚丸を起こさないよう小さな声でしゃべり始めた。




