沙魚丸の立場
源之進は沙魚丸に着座を促す。
源之進の迫力に緊張しすぎて変な咳払いをする沙魚丸に源之進は木椀に水を注ぎ、節くれだった武骨な手で優しく差し出した。
沙魚丸は、今までもこれからも自分を守ってくれる手から木椀を受け取り、ごくごくと音を立て一気に飲み干した。
「ありがとうございます。気を引き締めて聞くので、教えて下さい。」
沙魚丸の真剣な表情を見て源之進はうなずく。
「それでは、ご説明いたします。沙魚丸様のお父上であります春久様のご子息は、沙魚丸様以外に五人いらっしゃいました。いずれも御兄上にあたる方々でしたが、糀寺騒動で三人がご落命あそばされました。」
「えっ、五人もいたんですか。」
「はい、お亡くなりになった兄君方は、皆さま武勇に優れ、特にお世継ぎでありました夏久様は、家中からの期待を一身に集めておいででした。ご存命であれば、と考える者は今でも多くございます。」
しんみりと話す源之進にかける言葉が見つからない沙魚丸は、とりあえず黙っておく。
〈三人も死んだのね。でも、沙魚丸君はよく生き残ったね。女神様は、転生先にラッキーボーイを選んでくれたのね。私って、やっぱり愛されてるのね。〉
沙魚丸が勝手な妄想を膨らませようとするのを阻止するかのように源之進が話を進める。
「申し訳ございません。今回は無き兄君方のことをお話したかったのではございません。糀寺騒動で生き残った春久様のご子息は、正室である茜御前様を母とする嫡男の菖蒲丸様と弟君の桔梗丸様、そして、側室の百合様を母とされる沙魚丸様のお三方となります。菖蒲丸様は二年前に元服を済まされ、菖蒲丸様から龍久様と名乗りを改められたことはご存じの通りです。なお、龍久様のお名前は、当時お呼びしていた元服前の菖蒲丸様で話を進めさせていただきます。」
源之進の言葉に沙魚丸はコクリとする。
兄、龍久の名前に沙魚丸はほわほわとした温かい気持ちになる。
〈龍久兄さまだけは、沙魚丸君に優しくしてくれたみたいね。それにしても、お世継ぎって当事者になると大変なのね。〉
沙魚丸が頷いたのを見て源之進は話を進める。
「糀寺騒動後、御屋敷に一門衆が集まり評定が開かれました。菖蒲丸様が正式に当家のお世継ぎとなり、沙魚丸様は十五歳になったら新たに家を興し家臣となるか、それとも僧侶になるかを沙魚丸自身に選ばせるようにと大殿が断を下されました。」
「そうだったんですね。」
記憶のどこにも無い話に沙魚丸は驚く。
〈お坊さんかぁ。この時代のお坊さんって、専門的知識の集団だよね。一に勉強、二に勉強、三四は修行で、五に勉強ってイメージ・・・ちょっと、私には無理かな。〉
「源之進さん。一門衆って何ですか?」
「一門衆とは、椎名家と血縁関係にある家臣で、常盤木、清柳、花畠、酒井の四家を指しますが、酒井が滅び、現在は三家となっております。」
酒井の名前を口にした時に源之進の口調がわずかに乱れたことに気づいた沙魚丸は、酒井について質問するのを控えた。
「ということは、三年の内に、一門衆の人たちに私は家を興すか僧侶になるかを言わないといけないのですね。」
源之進が静かに首を横に振る。
「今は状況が変わったのです。一昨年の夏、桔梗丸様が馬術の稽古の際に落馬され、武将となるのが困難な怪我と診断されたため、桔梗丸様は武門の道を諦め僧侶となる方がいいのではと清柳から提議がありました。その際、菖蒲丸様に何か会った時には沙魚丸様が椎名家の跡を継ぐのはどうかと大殿がご発言されたのです。」
源之進は、一拍置き話を続ける。
「しかし、茜御前様と常盤木は、この案を強く拒否されました。特に、茜御前様は、自らの腹を痛めた子供以外が世継ぎとなることを決して認めないと一門衆を前に宣言されたと聞いております。」
〈桔梗丸兄さまのことは、これっぽちも記憶に無いわね。重要人物ではなさそうだし、後回しするとして・・・〉
「茜御前様は、家中で強いお力をお持ちなのですか?」
ふと疑問に浮かんだことを沙魚丸は口に出した。
「はい。茜御前様に限らず領主の正室となりますと、領主に代わり家政に関することを取り仕切ります。能力のある正室ですと、内政だけでなく、外交や軍事面までも領主の相談に乗る方もおります。茜御前様は内・外を問わずすべてに渡ってお力を発揮されておいでです。茜御前様がいないと椎名家は立ち行かない、と申す者もいるほどです。」
〈そんな人から危険人物に認定されているのかぁ・・・どう考えても、私、やばいよね。もしかして、私、詰んでる?〉
沙魚丸の表情が微妙にゆがんだのを見た源之進が冷静さを保ち続きを話し出した。
「もし、殿のお血筋だけと言う他に何の後ろ盾も無い沙魚丸様がお世継ぎになりますと、一門衆内で沙魚丸様の取り合いがおこり内紛となりかねません。そのため、龍久様を推す者たちは、できるだけ早く沙魚丸様を椎名家より分家するように大殿に勧めておいでなのです。このような状況下で、女神様から一国一城の主となるようにとのご神託を沙魚丸様が授かったと聞いた茜御前様は何をお考えになるでしょうか。」
源之進が探るような視線を沙魚丸に注ぐ。
「うん。殺すよね。」
淡々と答えた沙魚丸に源之進は頼もしさを感じる。
年端も行かない少年が、領内で有数の権力を持ち恐れられている人物に命を狙われるとなれば、普通は恐怖を感じ怯えるなり挙動不審になったりするだろう。
〈驚いたな。沙魚丸様は、見事なほどに自己に囚われず第三者として見ることができている。沙魚丸様は、人の上に立つのがふさわしいお方だ。〉
「お見事です。」
源之進は、思わず感嘆の声を上げた。
源之進が沙魚丸の評価をドンドン上げていく一方で、沙魚丸も考える。
〈冷静に考えましょう。神託は人に言わないことで何とかなるとしても、問題の本質は、私がお世継ぎになれるってことよね。漫画とかだと、私が家臣になっても、絶対に私の血筋を利用とする人が出て来るんだよね。これは、逃げるしかないわ。椎名家からの脱出プロジェクトを考えないといけないわね。〉
などと、源之進の期待とは違う方へ舵を切っているのだった。
「茜御前様は、我が子が領主となるためなら何でもされるお方です。女神様のご神託は聞きようによっては、沙魚丸様が椎名の家を継ぐのだとも解釈できます。そんな危険なご神託を授かった沙魚丸様を茜御前様は決して許すわけもなく、まず間違いなく、この世から沙魚丸様を消し去ろうとなさるでしょう。」
焚火は相変わらず勢いよく燃えているのだが、茜御前のことを考えると沙魚丸は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
〈茜御前様、怖いなぁ。糀寺騒動とか、亡き兄上たちのこととか色々と聞きたいけれど・・・一番聞きたいのは、ご神託ってそこまで威力があるの?ってことね。〉




