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塩之津の町に入る

〈転生してから3年、長いようで短かったような・・・。うーん、あっという間だったと言うべきかしら。〉

常盤木家での修行の日々が走馬灯のように沙魚丸の頭の中を駆け巡る。


苦しかった。

辛かった。

嬉しかった。

楽しかった。

今となっては良き思い出なのだろう。

だが、どんなに言葉を飾ろうとも、所詮、修行は修行でしかない。

これからの沙魚丸は正解を創り上げていかなければいけないのだ。

誰かが正解を用意してくれることは終わったのだから。


プレッシャーが沙魚丸の肩にずしっとのしかかる。

〈私の決断一つで、人々を幸せにできるのよ。ここで踏ん張らなきゃ、女がすたるわ。〉

ぶるっと武者震いをした沙魚丸は静かに拳を握りしめる。

〈さぁ、始めるわよ、みんなが笑顔で過ごせる沙魚丸様の領地経営を。〉

ふつふつと熱い想いが湧き上がって来る。


熱い決意を込めた眼差しを沙魚丸は塩之津の町へ向けた。

だが、沙魚丸の決意は大きく揺るがされる。

暗い絶望が町を囲んでいるように見えたのだ。

見間違いかしら、と目をこすり、再び町を見た沙魚丸は、その異様さに思わず息を呑んだ。

太陽を背にしたせいだろう。

逆光により町衆は真っ黒な姿となり、柵と一体化しているように見える。

〈まるで、影法師の串刺しね。正直、怖いんですけど・・・〉


武将たちが敬意をもって接する少年こそが大将に違いない、と町衆は判断したのだろう。

影法師からのモノ言わぬ視線をひしひしと感じて、沙魚丸は唇を噛みしめる。

〈あぁ、私が馬鹿でした。そうよね。幸之助さんの縄を解いたぐらいで、町の人たちが安心する訳無いよね。〉


町の命運は風前の灯火と言っていい。

しかも、年端も行かぬ若者に命運が握られているとすれば、町衆も息を殺して見つめるしかないのだろう。

見えなくとも分かる。

どの目も恐怖で怯えている、と。

老いも若きも、男も女も・・・

沙魚丸は天を仰ぐ。

〈やらかしたぁ。ついさっき、矢を放たれる寸前だったんだもの。殺されかけた町の人たちの気持ちを考えれば、すぐに分かることなのに・・・。ダメね、いい気になってたわ。まさしく、勝って兜の緒を締めよ、ってことね。〉

兜は被って無いけど、と密かに沙魚丸が苦笑すると、直継が楽しそうに話しかけて来る。


「町衆どもから絶望の匂いが漂ってきますぞ。さて、沙魚丸様はどのような命を下されるのですかな。」


わっはっは、と楽し気に高笑いする直継を見て、沙魚丸は思う。

〈私が困っているのを笑うなんて・・・。あぁ、そうか、直継さんもSなのね。類は友を呼ぶ、とはよく言ったものだわ。どいつもこいつもSばっかり。〉

私もSなのかしら、と呟いた沙魚丸は、そんな馬鹿なと首を振る。

そして、町衆が怯えている原因を口に出してみた。


「一糸乱れぬ蓬生軍の動きに町衆は怯えていると見ました。」


「蓬生軍は酒井様の薫陶(くんとう)を受けましたからな。今は亡き酒井様のお孫様に我が軍を褒めていただき、これほど嬉しいことは無い。と言いたいのですが、今回率いて来た軍は残念ながら精兵ではござらん。」


「これでですか?」


沙魚丸は驚いた。

〈あり得ない。待機中に私語一つしない兵を寄せ集めで作れるの?〉

目を見開いて驚く沙魚丸を愉快気に眺めていた直継だが、申し訳なさそうに口を開く。


「言いにくいのでござるが、精兵は鷹条家の軍役に応じた長男が率いておりましてな。とは言え、ここにいる者共も元は精兵。老いぼれと言えども、まだまだ働き盛りですぞ。」


「そうですよね。無茶苦茶、強そうですし。」


沙魚丸の言葉を聞いて、満足そうに直継は微笑む。

蓬生兵を見渡した沙魚丸は、顎に手を当てた。

〈元精兵か。この面構えからして無いとは思うんだけど、一応、釘を刺しておくべきね。〉


「直継さんにお願いがあります。」


「儂で出来ることであれば、何なりと。」


直継の上機嫌な表情に沙魚丸は少し躊躇(ちゅうちょ)する。

今から言うことで直継が怒ったら、どうしようと思ったのだ。

〈でも、何なりと、って言ったし・・・〉

無理難題を押し付ける訳でもないわね、と軽い気持ちで沙魚丸は切り出す。


「町に入った時、兵の乱暴狼藉(ろうぜき)、火付け、略奪を禁止して下さい。」


ピクリと直継の眉が動く。

見る見るうちに、直継の機嫌が急降下していくではないか。

〈あっ、やらかした。やっぱりダメだったのね。〉


沙魚丸が頭を抱えるには理由がある。

それは、この時代に飢饉が多いこと。

小氷河期に位置する戦国時代は、寒冷のため米の不作時代と言ってもいい。

生きるためには奪うしかないのだ。

戦に行った兵が略奪をするのは、この時代の常識と沙魚丸は思っている。


百姓が税の一つである夫役(ぶやく)として、戦に駆り出されている場合もある。

税だから、当然、報酬は出ない。

しかも、戦に出ている間、農作業をできない。

よって、軍を率いる者は現地での略奪を許可することが多い。

例え、同盟軍の領地であろうと話は同じ。


だが、沙魚丸としては自身の領地を目の前で荒らされる訳にはいかないのだ。

目を細め、口髭をいじりながら直継は少し考える。

そして、フンと鼻から息を吐き出した。


「なかなか、無茶なことを申される。そうすると、我が兵はただ働きになってしまう。」


「彼らが得られたはずのモノは私が出します。」


「ほほう。沙魚丸様が領地をもつのは、これが初めてのはず。しかも、町に入ることすら困難であったのに、我が兵に褒美を授けると申される。」


口髭をさすりながら、どうしたものか、と直継は(うそぶ)く。

沙魚丸は思わず歯ぎしりをする。

〈こちらの弱点を的確にネチネチとつっていて来るわね。直継さんて、見かけは豪傑風なのに、細かいところをチクチクと・・・。とても頼れるけど、嫌な上司ってやつね。〉

雨情に頼ってもいいが、そうするとまた直継に嫌味を言われるに決まっている。


「ふーむ。結局は雨情様に頼られる。優しい叔父上様がいらっしゃると言うのは、実に羨ましい。」


とか、にっこにこの笑顔で言われるはずなのだ。

〈別にいいじゃない。助けてくれる人がいるのも財産の内でしょ。〉

とは言いつつも、沙魚丸としても雨情に頼り切ると言うのはどうかとは思っている。

何しろ、ここに直継がいること自体、雨情のお陰なのだから。


この間、源之進たちは何も言わずに沙魚丸を見守っている。

直継から口出しを禁じられていることもあるが、この3年間で領主としての心構えを雨情と紅雨から直々に叩きこまれた沙魚丸なら大丈夫と信じているのだ。

それに、源之進たちは気づいていた。

目的は不明だが、直継が沙魚丸を試していることを。

ゆえに、口出すことをグッと堪えているのだ。

ただただ信じて見守る、と言うのは心臓に悪い、と思いながら。


そして、もう一人、この二人の話し合いを、固唾を飲んで見守る男が一人いる。

芋金屋幸之助だ。


「沙魚丸様なら、きっと良きように図らって下さる。」

そう和尚に説得されて来たものの、死罪は免れないと覚悟して来た。

だが、沙魚丸自身が縄を解いただけでなく、今、蓬生軍に町の中で暴れるなと直継に命じているのだ。


二人の話に聞き耳を立てつつ、幸之助はギュッと胸を押さえていた。

〈この御方なら、民のことを考えていただけたのに。私と言うやつは・・・〉

幸之助は自らの愚かさに涙が出そうだった。

取り返しがつかないことは分かっている。

だが、今なら間に合う。

そうすれば、町の者たちに害が及ぶことはないはず。

〈町衆の命を守れるのは私だけだ。〉

意を決した幸之助は足を前に踏み出し、地面に突っ伏した。

(ぬか)づいたまま、幸之助は話し始める。


「沙魚丸様。屋敷にてお見せしたいものがございます。どうかお願いいたします。」


沙魚丸としては、喜んで、と言いたい。

言いたいのだが、直継への回答が終わっていないのだ。

〈貧乏って辛い。なんか、土下座してるし。どうしよう・・・〉

ため息を漏らす沙魚丸の背中を直継がバシンと叩いた。


「沙魚丸様、背中が丸まっておりますぞ。大将はどんな時も胸を張らなければなりませんぞ。」


〈誰のせいだと思ってるのよ。〉

この野郎、と思いつつも、沙魚丸が胸を張ってみせると、直継がとても悪い笑顔で応じる。


「さて、さて。儂も随分と見くびられたものよ。のう、源之進。」


「お答え致しかねます。」


「ふん、忠臣ぶりおって。儂が沙魚丸様をイジメてしもうたのは、沙魚丸様が全て悪い。皆もそう思うじゃろう。」


全く意味不明なことを直継が言い始めた。

少なくとも沙魚丸は、そう思った。

だが、驚いたことに、源之進たちが微妙に頷いているのだ。

〈ちょっと、イジメる方が悪いでしょ。なんで私のせいなのよ。〉

あり得ない、と直継に文句を沙魚丸が言おうとすると、機先を制された。


「沙魚丸様のために息を切らして援軍に駆け付けた儂らが、よもや沙魚丸様の大事な御領地を荒らすと思われるとは。儂はとても悲しい。」


ガクッと膝を折った直継が顔を両手で覆い、シクシク、と泣き始めたのだ。

沙魚丸は唖然とする。

〈シクシクって何よ、完全に泣き真似じゃない。なによこれ。私が悪いの。いや、だって、兵の乱暴狼藉ってこの時代の常識でしょ。だから、念のためと思って言っただけなのに。〉


誰か助けて、と沙魚丸は源之進たちの方を向いた。

だが、全員が一斉にぷいと顔を横へ反らしたのだ。

これには、さすがの沙魚丸も愕然とした。

〈どういうこと。もしかして、めんどくさいオジサンの相手はお断りってこと。みんな、酷い。こういう時こそ助け合うのが仲間じゃないの。〉


またもや、静寂が訪れる。

沙魚丸の耳に届くのは、(のぼり)のはためく音。

そして、直継がわざとらしくすすり泣く声。

沙魚丸は負けを認めざるを得なかった。


「直継さん、私が悪かったです。別に疑う訳では無かったんです。」


顔を覆った手の中から目をキランと光らせた直継がスックと立ち上がる。

そして、朗らかな顔で沙魚丸の背中をドンと叩く。


「大将が気軽に頭を下げてはいけませんぞ。沙魚丸様に疑われたのが悲しくなって、ちょっと悪ふざけをしただけでござるよ。老人と若者のふれあい、と言うやつですな。」


これは痛快、と笑う直継に怒りのボディブローを叩きこもうとした沙魚丸だが、

〈甲冑を殴ったら、私の手が壊れちゃう。〉

と考え直すことにした。

大きく深呼吸した沙魚丸は気を取り直して全員に向かって命じる。


「では、幸之助さんの屋敷へ行きましょう。と言いたいところですが、全軍で乗り込んでは町衆が混乱をきたすかもしれません。」


沙魚丸の言葉に全員が同感とばかりに揃って頷く。


「幸之助さんは町へ戻り、新領主から何も心配いらない、との確約を得た、と町衆を安心させてあげてください。それと、椎名家の旗を(かか)げてください。旗持は、源之進さんと次五郎さんにお願いします。」


源之進と次五郎は沙魚丸の意図を察し、笑みを浮かべ胸を叩いた。

幸之助は二人を見張りかと思ったようだが、二人の名前を呟き、すぐに表情を改める。


「もしや、御二方は鶴山城の戦でご活躍された源之進様と次五郎様でございますか。」


「応よ、その通りだ。」


ここぞとばかりにドヤ顔で次五郎が答える。

たちどころに明るい表情に変わった幸之助が安堵の声を上げる。


「御二方がいらっしゃれば、残りの傭兵も大人しくなりましょう。ご配慮に感謝いたします。」


幸之助が沙魚丸に対して深々と頭を下げて礼をするが、沙魚丸は頭を捻っていた。

〈残りって言ったけど、どういう意味?〉

二人を送り出すのは考え直すべきかしら、と思った沙魚丸だが、直継の言葉に救われる。


「そう言うことなら、儂の所から武装を解いた兵10名を同行させましょうかな。そうだ、蕪助も行ってこい。」


「蕪助様は町の年寄りとも顔見知りでございますから、町衆の動揺を鎮めるのにぴったりでございます。」


そう言うと幸之助は町へと(きびす)を返す。

町の中へ幸之助たちが入って、しばらくして歓声が沸き上がった。


「どうやら丸く収まりそうですな。」


「はい。良かったです。」


まずは一安心、と沙魚丸はお腹をさすり始める。

それを見た直継が怪訝な表情をした。


「どうなされた。」


「どうなるかと思って、胃がキリキリしてたんです。」


「オッサンくさいことを言いなさるな。」


やれやれと直継が肩をすくめると、和尚がその通り、と口を開く。


「直継様。困ったことにハゼ殿は時折、疲れ果てた中年男性のようになるのです。」


「それはいかん。和尚の指導が悪いのではないか。」


「拙僧は誠心誠意お仕えしておりますが、ハゼ殿はどうにも頑固で困っているのです。直継様からもご助言をいただけますと幸いです。」


今まで出番が無かったからなのか、急に生き生きと和尚が喋り出す。

しかも、沙魚丸をダシにして。

〈ちょっと、和尚さん。こんなところで日頃の意趣返しをする気なの。貴方がその気なら、私にも考えがあるわよ。〉

見てらっしゃい、と沙魚丸は和尚の口を押さえた。


「余計なことはどうでもいいです。町から知らせが入る前に、幸之助さんと過去に何があったか洗いざらい吐いてもらいますよ。」


エエッと和尚がのけぞった。

まさか、このタイミングで言わされるとは夢にも思っていなかったのだろう。


「ハゼ殿、他家の方々がいらっしゃるところでは、ちょっと・・・」


もじもじと言い渋る和尚だが、沙魚丸は許さない。

そう、殺らなければ、殺られるのだ。


「援軍として来て下さった直継様は、私の身内同然。内緒の話などありません。」


そんなご無体な、と泣きそうな顔をする和尚。

その横で、直継は何とも言えない表情をしていた。

〈身内同然か。鋭いのか鈍いのか、よく分からん御方だが・・・。ふん、嬉しいことを言う。〉

秘密の共有によって、人は親密さを増す時がある。

〈和尚の秘密を白日の下に晒すとするか。〉

微笑んだ直継は和尚の肩をがっしりと掴んだ。


「和尚よ、沙魚丸様が申されるように儂らは身内だ。まさかとは思うが、仏に仕える者が身内に隠し事をするなどと(たわ)けたことを言わんよな。」


「いたしません・・・」


がっくりと肩を落とした和尚は都時代の悪行を洗いざらい話した。

聞いていた誰もが思った。

そりゃぁ、幸之助さんに怨まれるわ、と。

よくもまぁ、しゃあしゃあと使者として行けたものだ、と。

有無を言わさず捕まるのも仕方がない、と。

そして、沙魚丸は心配して損した、と思うのだった。

和尚に呆れ果てていた頃、町へ行っていた蓬生兵の一人が伝令として戻って来た。


「蕪助様から、町にお入りください、とのことです。」


門をくぐった沙魚丸は目を(みは)る。

町衆が沙魚丸を見た瞬間、歓喜に打ち震えていたからだ。

〈こんなに喜ばれること、私したっけ・・・〉

おろおろする沙魚丸の背中をトンと直継が叩く。


「しっかり背筋を伸ばして、町衆に沙魚丸様の笑顔を見せておやりなさい。」


了解!

と頷いた沙魚丸はシャンと背筋を伸ばし、最高の笑顔を町衆に振りまくのだった。

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