面縛
天高く澄み渡る青空の下、藍地の幟旗が秋風を受けてハタハタとはためく。
白抜きの蓬生紋が描かれた旗の横を秋風と共に沙魚丸は颯爽と歩く。
旗の音以外に沙魚丸の耳が捉えるのは僅かな音のみ。
直継の鎧が奏でる音。
そして、草鞋が草を踏む音。
冬めく秋の日の昼下がり、足を動かしながら沙魚丸は努めて平静を装う。
〈蓬生軍のオーラ、ヤバい、ヤバすぎ。今、直継さんに話しかけたら全注目を浴びること間違いなし!〉
それは嫌だ、と沙魚丸は首を振る。
ここは戦国の世。
一瞬の油断が命取りとなる世界。
「沙魚丸様はいつ何時、お命を狙われるか分かりません。日頃から気の緩みを見せないようにすることが肝要です。」
次五郎にそう言われた時、沙魚丸には違和感しかなかった。
「でも、次五郎さんは酔っ払ってフラフラ歩いていますよね。鷹条家から狙われているのに、大丈夫なんですか。」
「俺は達人ですからね。どんなに酒を呑んだとしても、殺気を感じると体が勝手に動くのです。」
キランと歯を輝かせた次五郎は、鯉口を切ると目にもとまらぬ早業で刀を振るった。
舞を舞うかのような優雅な動きに魅了された沙魚丸は、武の達人って凄いんだなぁ、と素直に感心する。
だが、日を追うごとに次五郎への不信感を募らせる。
酒をしこたま呑んだ次五郎が千鳥足になるのを何度も見せられては、根が素直な沙魚丸と言えども無理はない。
〈酔剣の使い手じゃあるまいし、あんなヘロヘロ状態で戦えるのかしら。〉
思い悩んだ沙魚丸は小次郎に相談した。
ふぅむ、と唸った小次郎は、
「試してみましょう。」
と刀を掴み立ち上がった。
沙魚丸には内緒にしているが、泥酔した挙句、溜池に転がり落ちた次五郎を小次郎は助けたことがある。
すぐに引き上げたから良かったが、溺死する可能性もあった。
〈次五郎様が酒好きなのは仕方がない。雨情様や父も酒好きだから・・・。かく言う、私も結構、好きだ。しかし、ああも毎晩、毎晩、ザルのように呑んでいては健康に悪い。それに、沙魚丸様のお役に立てないではないか。〉
そう考えた小次郎は、沙魚丸と共に千鳥足の次五郎に襲撃をかけることにした。
結果は言わずもがなのことである。
ちなみに、これを恥じた次五郎は適度に呑むことにした。
たまに、やらかすが・・・
また、小次郎は余計なお世話とも思いつつ、次五郎と結婚してもいい女性を探すことにした。
この先、小次郎が先に結婚するのだが・・・
この一件があってから、沙魚丸は生活を色々と改めた。
その中で一番つらかったことは、『歩きながら会話をしてはいけない』である。
しゃべらないと場が持たない、と感じる沙魚丸にとって沈黙は恐怖なのだ。
だが、修練の結果、沙魚丸は沈黙に耐えることができるようになった。
長時間のダンマリは依然として難しいけれども・・・
さて、ここは戦場である。
日常とは違った緊張感に満ち満ちている。
〈だからこそ、研ぎ澄まされたジョークが必要なのよ!〉
大真面目にそう思っている沙魚丸はそっと蓬生軍の様子を眺めた。
口を真一文字に結んだ兵たちは眼前の塩之津の町を睨みつけるだけで、咳払い一つしない。
その様子は、まるで獲物を狙う虎のようだ。
オッケー、と沙魚丸は手を打った。
〈この人たちを笑わせるのは無理。蓬生軍と戦うのはダメです。だって、誰も無駄口を叩く人がいないんだもの。天下最強と恐れられた上杉謙信の軍法そのものだわ。〉
97%と言う驚異の勝率を誇る上杉謙信を思い出し、ぶるぶるっ、と沙魚丸は震えた。
だが、冷静に考えれば、大チャンスでもある。
他家の、しかも、臨戦態勢を取る軍勢の真ん中を堂々と歩けることなど、二度と無いだろう。
いや、あり得ない!
怖がっている場合じゃないわ、と沙魚丸は呟いた。
〈沙魚丸軍も鵈の地でようやく1つになる訳だし、自軍に取り入れ可能な事柄を探すのもいいわね。それに、昨日の敵は今日の友とも言うし。蓬生軍と敵対する未来があるかもしれない。どんなに強くても弱点が無い軍なんてあり得ない。世界最強と称された蒙古軍だって日本で負けたんだもの。よし、蓬生軍の特徴をさり気なく探っておこう。〉
そんな訳で、キョロキョロしないよう眼球だけを沙魚丸は器用に動かす。
2列目の弓部隊から1列目の槍部隊をそっと見た沙魚丸の結論は、士気が高い、の一言だった。
先ほど通り過ぎた弓足軽の姿を思い出した沙魚丸は密かにため息を漏らす。
いつでも戦闘態勢に移行できるように弓構えの姿勢を取っている姿はとてもカッコよかった。
〈あの姿勢のまま微動だにしないなんて、本当に恐れ入るわ。〉
続けて、槍部隊のことを考える。
槍部隊は騎馬部隊の突入に備えているのだろう。
片膝立ちの姿勢で槍の後端部、石突を地面に突き立て長槍を構えた姿は、もはや、ギリシャの彫像に匹敵する。
〈やっぱり、男は筋肉ね。蓬生軍の士気は高いのだけど、体が貧弱ね。肉しかないわ。落ち着いたら、肉を量産して、みんなをでっかくしよう!〉
沙魚丸が自軍の強化を誓った、まさにその時、陣頭の指揮を預かる蕪助の低いがよく通る声が秋空の下を走り抜けた。
「矢、構え!」
見れば、蕪助が右手を上げているではないか。
沙魚丸は驚いた。
〈えっ、町衆が柵に張り付いているのに?〉
蓬生軍が矢を構える姿を見た町衆がのけぞる。
恐慌をきたした町衆が柵の前から脱兎のごとく逃げ出した。
その姿に眉一つ動かすことなく、直継がポツリと零す。
「どうやら、門が開くようですな。」
直継が指さす方を見てみれば、門が音を立てて開いていく。
すわ、攻撃開始か。
蓬生軍の空気が一気に引き締まる。
だが、門は3分の1ほど開いて止まってしまった。
薄く開いた門を見つめていると、蕪助の気の抜けた声がする。
「直継様、どうしましょう。」
右腕を上げたままの蕪助が困惑した表情でいる。
様子見だな、と言いかけて、直継は止めた。
〈ちょうどいい。沙魚丸様に無茶ぶりしてみるか。〉
「儂らは沙魚丸様の援軍として参りました。」
「はい、ありがとうございます。お礼は後ほど必ず。」
このタイミングで交渉に来たか、と身構える沙魚丸だが、そんな沙魚丸の心配を直継は軽く笑い飛ばす。
「いや、いや。雨情様から米を貰った以上、沙魚丸様からも礼を受け取っては、蓬生家一生の恥。結構でござるよ。」
沙魚丸は嫌な予感がした。
〈あっ、これ、もしかして、『タダより高い物はない。』のフラグが立ったんじゃない。〉
得てして、そう言う悪い予感は当たる。
それが証拠に、直継がとても腹黒い笑顔を浮かべたのだ。
「いかがですかな。儂らに沙魚丸様の実力をお見せ願えませんか。」
「単独で町へ攻め込め、とか?」
「これは随分と豪胆なことを申される。」
大口を開けて直継は笑う。
そして、笑い終えると、真顔となった。
「儂は自分でできんことは頼みませぬ。もっと簡単なことでござるよ。ちょっと、蓬生軍の大将をやってくだされ。」
「は?」
「それから、源之進たちの補助は無用。儂は沙魚丸様のお力を見たいのでな。」
唖然とする沙魚丸を尻目に、直継は源之進たちが助力することまでも封じた。
沙魚丸が源之進を見れば、断れません、と目が語っている。
まじかぁ、と直継に視線を向けて見ると、笑顔を浮かべつつも直継の目が全く笑っていないことに気づいた。
〈この目は何度も見たわ。叔父上がしていた目。そう、私を試す時の目だわ。〉
悲劇のヒロインのようにこの場にバタリと倒れてみようか、と妄想した沙魚丸だが、自領民の前でみっともない姿を晒す訳にはいかない。
そう、選択は一つしかないのだ。
塩之津の町は自分の領地。
大将をやるしかない!
覚悟が決まると、沙魚丸の脳がフル回転する。
〈自分の民に矢を射かける馬鹿がどこにいるのよ。民を恐怖させても何のメリットも無いわ。今まで観察した結果、臨戦態勢なのは間違いないようだけど、町の兵力は手薄と見た。〉
「大将として、命じます。弓部隊は構えの姿勢で待機。槍部隊はそのままの姿勢を維持。」
「承知いたしました!」
やっと手を下せるからか、嬉し気に蕪助が答えた。
そして、矢継ぎ早に沙魚丸の命令を各部隊に伝える。
その間、直継は顎髭をさすっていた。
〈酒井家の血筋だから、突撃を命じるかと思ったが・・・。ふむ、さすがにそこまでアレではないか。よし、次の機会が来たら煽ってみるか。血気盛んな年頃だから、どう転ぶかな。〉
実を言うと、沙魚丸はこれで良かったのか悩んでいた。
〈直継さんからすると、塩之津の町衆が領主に反抗しているって話を蓬生領の民に聞かせたくないよね。蓬生家の治政に反抗する人が出るかもしれないから。〉
この軍勢は蓬生軍だからなぁ、と沙魚丸は独り言つ。
「おっ、門から誰ぞ人が出て参りましたぞ。」
直継の声に沙魚丸は門へと視線を走らせた。
半分ほど開いた門から人が出て来た。
馬に乗った孔雀和尚と橋爪。
そして、縄で縛られた男が一人。
3人が門から出ると、門は再び閉じられた。
沙魚丸の元へ馬を走らせる和尚たちの顔は、遠目からでも笑っているのが分かる。
沙魚丸は無意識の内に手を振っていた。
〈よぉし、よし、これで蓬生軍の指揮から解放されるわ。ナイスタイミング、和尚さん!〉
気づいた和尚が大きく手を振り返して来る。
橋爪は上げかけた手を戻し、どうしようかと悩むように手を見つめる。
覚悟を決めたのだろう。
橋爪は胸の前あたりで小さく手を振り始めた。
「小娘のように手を振りおって。全く似合っておらん。」
「そう言ってやるな。」
次五郎の言葉を諫める源之進、二人の会話を聞きながら、沙魚丸はホッと胸を撫でおろす。
〈本当に二人とも無事でよかった。ところで、縄で縛られた人は誰かしら。〉
そんな沙魚丸の疑問に答える様に、蕪助が呟く。
「縛られているのは、代官の幸之助です。」
「おめでとうございます、沙魚丸様。」
笹屋が頭を下げた。
だが、沙魚丸にはさっぱり分からない。
目をパチクリしていると、微笑んだ笹屋が説明を始める。
「縛られて敵将の前に来ることを面縛と言いまして、降伏を意味します。とっくの昔に廃れた風習なのですが、恐らく和尚様の入れ知恵でしょう。」
へぇ、と全員が笹屋の説明に聞き入っていると、馬から下りた和尚が朗らかな顔で駆け寄って来た。
「沙魚丸様、拙僧は御役目を果たし、無事に戻って参りました。」
はち切れそうなな笑顔の和尚に沙魚丸はどう言葉をかけるか悩む。
〈褒めるべきよね。だけど、何だろう、あの顔がイヤ。褒めたら、死ぬまで言い続けそうな気がする。〉
この先、何年経っても、あの時は拙僧が頑張ったおかげでしょう、とクドクド恩着せがましく言う和尚を想像した沙魚丸は褒める気を失ってしまった。
代わりに百万ドルのスマイルを浮かべることにする。
「お疲れさまでした。では、詳細を教えてください。」
一瞬、不服そうな表情となった和尚だが、お褒めの言葉は後からですね、と顔に浮かべて頷いた。
「この者は、当地の代官、幸之助です。」
だが、誰も驚かない。
えっ、と言う顔をした和尚が、
「代官の幸之助ですよ。どうして誰も驚かないのですか。」
と言うと、申し訳なさそうな表情で蕪助がポツリと言う。
「すいません。私が幸之助のことを皆様にお教えいたしました。」
「えっ、はっ、そう言えば、あなたは誰ですか。」
「蓬生家家老の鈴奈蕪助と申します。」
蕪助が蓬生家一同を紹介をしている横で、沙魚丸は和尚に憐憫の眼差しを向けていた。
〈うわぁ。ウッキウキで直継さんたちのことに気がついていなかったのね。これだけの軍勢に気がつかなかいぐらい浮かれてたのかぁ。手もブンブン振ってたしなぁ。よし、後でちゃんと褒めてあげよう。〉
和尚が調子に乗らないように褒めるにはどうすればいいか、と沙魚丸が考えていると、直継がゴホンと咳払いをした。
「沙魚丸様。無駄話をしている場合ではありませんぞ。代官がどうなるか、町衆が息を殺して見守っております。いかがなされます。」
「もちろん、こうします。」
そう言って、沙魚丸がいそいそと幸之助の縄を解き始める。
直継が満足そうな笑みを浮かべた一方で、和尚は落胆の表情を浮かべていた。
「拙僧が進言するはずだったのに・・・」
和尚の言葉を聞き流しながら、沙魚丸は心の中で謝っていた。
〈ごめんね、和尚さん。後で褒めてあげるから。〉
縄を解いてもらった幸之助が地面に額づく。
「私は、塩之津の町を預っております芋金屋幸之助と申します。此度は、大変なことをしでかし申し訳ございません。罪は私一人にございます。町の者は関係ございませんので、どうか、お許しください。」
「こんなところで、土下座しないで下さい。町の中で詳しい話を聞きたいのですが、どうでしょう。」
「では、当代官屋敷にご案内いたします。」
悲愴な表情が一転、明るい顔になった幸之助が沙魚丸たちを先導しようと立ち上がった。
沙魚丸はようやく自領の塩之津の町へ入ることになる。




