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使者

「家臣になりたい。」

笹屋の言葉に沙魚丸は胸を熱くする。

沙魚丸個人としては、笹屋の両手をしっかりと握りしめて言いたかった。


「笹屋さん。ありがとうございます。是非とも来てください。あなたのような素晴らしい人物を待っていました!」と。


だが、当主としても、はたまた、椎名家の一家臣としてもやたら滅多と気軽なことは言えない。

〈現実問題、使えるお金が全然ないです。私は自分の財布すら持ってないし・・・。いや、そんなことよりもね、鵈の地から、どれだけの収入があるのかすら分かってないのに、サクッと家臣にするなんて無責任すぎるよね。〉


はぁ、とため息を漏らした沙魚丸はガリガリと頭を掻く。


〈清柳様もさ、年貢高ぐらい教えてよ。3年間は税金免除。叔父上からの援護があるとしても、予算が立てられないと言うのは、元経理ウーマンとして恥辱の極み。とは言え、人心が不安定な中、検地を強行すると良くて一揆、最悪な場合、逃散が勃発(ぼっぱつ)すると教えられたしなぁ。〉


「うん。優秀な財務最高責任者が欲しい。カッコつけて言うとCFO、この時代では、勘定奉行と言うべきかしら。」


しかめっ面をした沙魚丸が小声でぼそぼそと呟いていると、沙魚丸様と笹屋に呼ばれた。


「お返事はまだ結構です。」


「あっ、はい。」


笹屋の言葉に驚きつつも沙魚丸はどこかでホッとしていた。

〈さすが、笹屋さん。うちの台所事情を察したのね。〉


やりますねぇ、と目を合わせ微笑み合う二人を目の当たりにした橋爪は、このままではいけないと焦燥に駆られる。

しかし、橋爪は『俺を直臣に!』と言う意気込みを示すのをグッと(こら)えた。

〈落ち着け。駆け引きが大事と言う意味で、ここは戦場と同じ。目立つにも時機がある。起死回生の一手を打つときが必ず来る。〉


橋爪も実戦で鍛え上げた猛者の一人。

しかも、一敗地に(まみ)れ雌伏して来たのだ。

ここでわずかな時間を耐えることなど造作もない。

今は大人しく笹屋の言葉を聞くべき、と判断した。

すると、涼し気な笹屋の声がすんなりと耳に入って来た。


「私も沙魚丸様が堂々と塩之津へ入ることには賛同いたします。ですが、一先ず、使者を立ててはいかがでしょうか。」


それはマズい、と答えた源之進が渋面となる。


「使者を立て、塩之津の者どもが臨戦態勢を解いたとしよう。当然、沙魚丸様を出迎えることになるだろう。だが、いざ、新領主様の初の町入りだと町衆がこぞって出迎えてみれば、たかだか10数騎と言うわずかな供回り。せめて、甲冑姿であれば良かったのだが、今は普段着だ。これでは間違いなく町衆から舐められる。やるなら、虚をつくしかない。」


「電光石火と言うやつですな。相手が驚いている内に全てを片付ける。」


その策、俺は好きですな、と次五郎が手を叩いて賛意を示す。


「いえ、そうとは言い切れません。」


笹屋の言葉に、源之進が首を傾げる。


「何かあるのか。」


「鶴山城の戦いのことです。皆様は事あるごとに大手柄を立てたのは沙魚丸様とおっしゃる。ですが、世の中では雨情様のお陰で椎名家が勝利したと噂しております。」


「今さら何を言う。お前も知っているだろう。沙魚丸様が鷹条家に狙われないようにするため、全ての手柄を雨情様のものとして吹聴したことを。」


「もちろん存じております。ですが、この地では違うのです。」


そう言って、笹屋は地図を取り出すと、人差し指で一本の線をなぞる。


「塩之津の町を流れる川をこのようにずうっと遡っていきます。すると、どこにたどり着くでしょう。」


「鶴山城だろう。それが、どうかしたのか。」


「実は、塩之津の傭兵もあの戦に参加していたのです。鷹条家の傭兵として。」


囁くようにして語った笹屋の言葉に場が静まり返った。

そして、互いに顔を見合わせ、本当かとざわめき始める。

一人、その場に立ちすくした源之進は、口を手で覆いボソリと呟く。

信じられん、と。

キッと目を鋭くした源之進が笹屋を睨みつける。


「笹屋。それは確かなのか。お前、自分が何を言っているか分かっているのか。」


「もちろんでございます。鵈の地は清柳様のご領地。その地から鷹条軍に参加する傭兵がいる訳がない、とおっしゃりたいのでしょう。」


「その通りだ。」


「あの戦では途中まで私もご一緒しておりましたことは覚えておいででしょうか。」


「ああ。大木村で別れたお前は盗賊を引き連れ、領内へ戻ったはずだ。」


「その通りでございます。雨情様から兵をお借りしましたが、それだけでは不用心かと思い、私の手の者に帰路の安全を探らせました。同時に、戦闘の帰趨を見届けるように命じました。」


笹屋の言葉に皆がゴクリと唾を飲み込む中、沙魚丸だけは笑顔でうんうんと頷いていた。

〈いやぁ、嬉しいなぁ。こんな優秀な人が私の家臣になってくれるなんて。秘密情報部を作れるかも。〉


「私の手の者が見たのです。塩之津へ逃げ帰る傭兵たちを。1人や2人ではありません。少なくとも50名はいたと報告を受けました。」


「雨情様にはお知らせしたのか。」


「もちろんでございます。雨情様は清柳様を糾弾できるか木蓮様と相談されました。ですが、鵈の地には名目の代官を置いているだけとか何とか言って清柳様はのらりくらりと言い逃れするだろうと匙を投げられました。」


「しかし、私はそんな話を聞いていないのだが・・・」


源之進は訝し気な目で笹屋を見た。

すると、笹屋がニッコリと笑う。


「戦の時、源之進様と次五郎様は随分と派手に暴れられたそうですね。」


「そうだな。まぁ、暴れたかな。」


いやいや、と横から次五郎が口を出す。


「暴れたりなかったな、の間違いでしょう。」


「そうだな、次五郎殿の言う通りだ。」


源之進と次五郎が顔を見合わせて、互いにニヤリと笑う。


「そうでしたか。塩之津では逃げ帰った傭兵がお二人の名を聞くだけで震えております、と雨情様に報告いたしました。故に、雨情様は言う必要なしとお考えになったのでしょう。」


「やれやれ、雨情様らしい。負け犬のことなど知らん、とおっしゃったのだろう。」


「その通りでございます。そうそう、塩之津では清水彦左衛門様と戦った橋爪様のことも噂されておりますよ。」


笹屋がポンと手を打つと、それまでじっと顔を伏せていた橋爪がパッと顔を上げた。


「まことか。」


ぱぁっと明るくなった橋爪の表情を見た沙魚丸は、んん、と唸る。

〈大木村のこともあるし、橋爪さんのことは伏せてあるはずだけど・・・〉

変ね、と疑問を浮かべた沙魚丸にクスッと微笑んだ笹屋が話を続ける。


「鵈の地では皆様の主君が沙魚丸様であることも周知の事実であり、傭兵だけでなく町衆も沙魚丸様に畏怖しております。どんなに少ない人数であろうと、必ず威儀を正して迎え入れるはずです。」


「そううまくいくのか。臨戦態勢なのだろう。お前が現地を調べたと言うなら、信じるのだが・・・」


うろんげな表情で源之進が尋ねると、すかさず笹屋が答える。


「はい。幾分、私の希望も入っております。ですので、使者をお送りください。使者に万が一のことがあっても、沙魚丸様はご無事でしょう。」


笹屋の言葉を聞いて、沙魚丸から表情が消えた。

〈誰かを犠牲にして自分だけ助かるのは嫌なんですけど・・・〉

沙魚丸の表情を見て取った源之進が静かに跪く。


「沙魚丸様、何度も申し上げているでしょう。沙魚丸様は私たちの希望なのです。希望無くして、私たちは生きて行けません。お願いですから、自分だけ助かるのは嫌だなどとお考えにならないで下さい。」


「でも・・・」


「でももヘチマもありません。ここでの答えは、はいだけです。」


「はい。」


不承不承に答えた沙魚丸に黙っていた和尚が割り込んで来た。


「跡継ぎを作れば、多少のことは許されるようになりますよ。」


「跡継ぎですか・・・」


呟いた沙魚丸は考える。

〈でもなぁ、もう決めてるんだよねぇ。清らかな体のまま死ぬって。この身はすべて秋夜叉姫様のためにあるの。でも、後継ぎ、後継ぎって、最近みんながうるさいんだよね。特に、小次郎さんの結婚が決まってから。〉


沙魚丸は口を尖らせると、ぼんやりと立っているムカデ姫を視界の端に捉えた。

〈むーちゃん、ムカデの女王様なんだよね。ポポポポンって5,6人一気に産んでくれないかな。女王様で秋夜叉姫様の眷属だから一人で雄と雌できそう。〉

素晴らしい名案と沙魚丸は笑みをこぼす。


ムカデ姫はぞわりと寒気を感じた。

何? と辺りを見渡せば、ウフフフフ、と妖し気に笑う沙魚丸を見つけた。

〈あれは不謹慎なことを考えている顔。〉


小首を傾げたムカデ姫はたちどころに答えに達した。

〈さっき、和尚が後継ぎって言ってた。さては、はぜどん、私に跡継ぎを産ませる気だな。〉


「六根清浄、急急如律令」


ムカデ姫が呪文を唱えると、次五郎が飲もうとして栓を開けた竹筒の水がとぐろを巻いて沙魚丸の顔に襲い掛かった。


「うえええっ。俺がやったのではありませんよ。」


慌てふためく次五郎に大丈夫です、と退けた沙魚丸はチラリとムカデ姫を見る。

ニンマリ笑うムカデ姫に沙魚丸はそっと頭を下げた。

〈ごめんなさい。私が悪かったです。〉

どうぞ、と笹屋が手ぬぐいを差し出す。


「使者ですが、私は正使を和尚様に、護衛を橋爪様にお願いしたいのですが、いかがでしょう。」


「和尚さんと橋爪さんですか。さっきまでのお話なら、源之進さんと次五郎さんが適任ではないですか。」


「今、一番張り切っておいでなのは橋爪様です。橋爪様は歴戦の猛者とも聞いておりますし、何かあっても冷静な対応をしてくださるでしょう。何よりも、傭兵たちは橋爪様のお顔をしっかりと見ております。」


ここで沙魚丸は納得した。

〈橋爪さんが有名って、そういうことなのね。〉


「笹屋殿の言う通りでございます。歴戦の猛者で沈着冷静な私にお任せください。」


そう言って橋爪が胸をドンと叩く。

〈さっきまで呼び捨てだったのに、殿がついてる。橋爪さんは大丈夫として、問題は和尚さんかな。〉

先ほどからなぜか和尚の表情が冴えないのだ。


「和尚さんが行く必要はありますか。」


「はい。大いにございます。和尚様こそ交渉の鍵となる人物でございます。」


「和尚さんは外交役として活躍してもらうつもりですが、いきなり修羅場でも大丈夫ですか。もっと、場慣れしてからの方がいいと思うんですが。」


いつになく優しい沙魚丸の言葉に和尚は感激したようにオイオイと声を上げて泣くではないか。


「ハゼ殿のお優しいことよ。拙僧は所詮、容姿と頭がいいだけの生臭坊主。戦場の使者などと重要な役割はもっと経験を積んでからにいたしましょう。」


うわぁ、と沙魚丸は和尚から一歩距離を取った。

〈いい年して泣くってどういうこと。それに、息をするように自慢するのは相変わらずなのね。こんな生臭坊主に外交なんて無謀じゃないかしら・・・〉

止めた方がいいです! と笹屋に視線を送った沙魚丸だが、笹屋はフッと口の端を上げた。


「和尚様ほど顔の広い方はおりません。鵈の地に代官を派遣した芋金屋を和尚様は御存知のはずですが、いかがでしょう。」


チッと舌打ちした和尚が、あーぁ、と呟いた。

〈ええっ、泣きまねしてたの。いい年して何を考えてるの。しかも、舌打ち。いっそのこと、還俗(げんぞく)させようかしら・・・。こんな俗物が仏様の弟子なんて、世も末ね。〉

沙魚丸がドン引きしていると、和尚が参りましたと肩をすくめる。


「笹屋殿は意地悪ですなぁ。どこまで知っているのです。」


「芋金屋の代官を務める幸之助様と和尚様がご昵懇(じっこん)の関係と言うことぐらいしか知りません。」


「ちょっと、和尚さん。ご昵懇って何なんですか。」


沙魚丸の問いかけに和尚は黙って両手を上げた。


「幸之助のことは後で詳しくお話しします。今は塩之津のことが最優先。私が立派に使者を務めましょう。」


洗いざらい吐いてから行け、と言おうとした沙魚丸の肩を源之進が押さえた。


「ここは和尚様の言う通りにしてください。」


「源之進さんがそう言うなら。」


沙魚丸は追及を諦めた。

すると、針間が

「二郎を荷物持ちとしてご一緒させたいのですが。」

と言って来たので、沙魚丸は黙って頷いた。

許可が出たので、針間が二郎に何かが入っている袋を渡す。


「分かっていると思うが、和尚様と橋爪に何かあっても決してかまうな。お前は変事があればすぐに沙魚丸様のもとへ馳せ戻れ。」


「はい。」


言葉少なに二郎が頷く。

〈えっ、ちょっと、そんなお役目だったの。私、ものすごく簡単にオッケーだしっちゃったよ。〉

やべぇと目が泳ぐ沙魚丸に和尚が話しかける。


「拙僧は芋金屋のことを黙っていた罰を後から受けたいと思いますが、この危険な役目を担う二人には後ほど褒美をお考え願えませんか。」


〈おっ、和尚さん。いいこと言うわね。和尚さんの罰は、都での滞在中、飲む・打つ・買うの禁止ね。〉

我ながらナイスアイデアだわ、と沙魚丸がほくそ笑んでいると、橋爪が沙魚丸の前に平伏した。


「私は願いを決めております。」


「まずは無事に帰って来て下さい。話はそれからにしましょう。」


そう言って、沙魚丸は橋爪の背中をポンポンと叩いた。

はっ、と頭を下げた橋爪はスックと立ち上がるとやる気を全身にみなぎらせた。

そして、3人は意気込みも露わに塩之津へ向かった。


沙魚丸たちは万が一の襲撃に備え、見晴らしの良い小高い丘へと場所を移す。

同時に小次郎は大木村へ、三輪は隣領へ、四葩は常盤木領へと沙魚丸の書付を懐に入れて馬を走らせるのであった。

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