小次郎の結婚2
疱瘡にかかった千早姫を心配した小次郎は母、お琴に
「お願いします。千早姫の側にいてください。」
と頼んだ。
小次郎が半端な気持ちではないことを確認したお琴は、すぐさま千早姫の屋敷へと居を移し、病で苦しむ姫の世話を始める。
早くに母を失った千早姫もお琴のことを
「お母様。」
とすっかり懐いたのはいいのだが、病が癒えてからは屋敷に引きこもったまま外に出てこなくなった。
ある日、お琴が小次郎の話をしていると、千早姫が堰を切ったように泣き出したのだ。
驚いたお琴はあたふたと尋ねる。
「どうしたの。小次郎が何かしたの?」
「お願いします。小次郎様と二人きりにして欲しいのです。」
〈結婚前から姫様を泣かせるなんて、どうしようもない息子だわ。〉
すっかり狼狽えたお琴は、むんずと小次郎の襟首をひっ捕まえると、千早姫が待つ座敷へ小次郎を放り込んだ。
母、お琴に手荒に扱われる覚えが小次郎には全く無かった。
訳が分からない、と顔を上げた小次郎の前には、なんと千早姫が座っているではないか。
〈あれ、姫がいる。さては、母上が気を利かせてくれたのか。〉
ウキウキと身だしなみを整えようとした小次郎は千早姫が沈鬱な表情を浮かべていることに遅まきながらも気づいた。
「姫、どうしたのです。お顔の色が悪いのでは。」
そう言った小次郎は姫が病気かもしれないと恐怖した。
現代日本と違い、病気になれば、死ぬ可能性が高い時代。
動揺した小次郎がお琴を呼びに行こうとした時、千早姫の悲痛な声がした。
「小次郎様のような見目麗しき立派な若武者と醜い私ではつり合いが取れません。ですから、私のことはお忘れになって別の御方をお探しください。」
えっ? とポカンとした小次郎だが、すぐに千早姫の手を握りしめた。
「出会いこそ、お互いの容貌に惹かれました。ですが、今は違うのです。私は貴女の心の優しさが好きなのです。」
「小次郎様・・・」
言葉の代わりに千早姫の両目から涙が零れ落ちる。
玉のような涙を小次郎は優しく拭う。
「私は貴女がいいのです。貴女以外に考えられない。」
そう囁いた小次郎は決して離すまいと千早姫をひしと抱きしめた。
「嬉しい・・・」
震える声で千早姫は答えた。
小次郎はじーんと胸を熱くすると同時に自分がとんでもないことをしていることに気づいた。
〈わっ、私は千早姫を抱きしめてしまった・・・〉
慌てふためいた小次郎は顔を真っ赤にしてサッと千早姫から離れる。
「も、も、も、申し訳ありません。私としたことが姫の手を握ったばかりか抱きしめてしまうなどと失礼なことを・・・」
勢いのままに千早姫を抱きしめた小次郎だが、もちろん女性を抱きしめたこともなければ、手を握ったこともない。
〈嫁入り前の千早姫になんてことを。あぁ、でも、柔らかかった。〉
顔を真っ赤にして言い訳をする小次郎の前で千早姫は涙ぐんでいた。
そう、小次郎の優しさがただただ嬉しくて。
そして、二人は必ず夫婦になると誓いあった。
だが、この後、千早姫は苦悩する。
大木村の衆が目を輝かせ慕う沙魚丸は必ずや国持大名となる、と女の勘が告げている。
小次郎も沙魚丸ほどではないが、大木村では人気者だ。
しかも、小次郎は沙魚丸の腹心。
将来、大出世するのは間違いない。
〈小次郎様の妻となった時、家政を任されるのは妻である私。この見た目では、きっと小次郎様が他家の武将や家臣から侮られるに違いありません。〉
そう苦悩する千早姫は、小次郎の足手まといになりたくないと考える。
それに、別の女性と幸せになる小次郎を見たくないとも。
〈それならば、いっそ・・・〉
目を閉じた千早姫は小柄を抜き、刃先を喉へ向けた。
◆◆◆
そこで話を切った和尚は、ずずずーっとお茶を啜る。
小次郎は唖然としていた。
〈私と千早姫しか知らない話を、なぜ、和尚様が知っている・・・〉
どういうことだ、と取り乱した小次郎は左右を見渡した。
すると、何と言うことだろう。
沙魚丸がいい話だよねぇ、と頷いているのだ。
〈あの顔は、全部を知っている時の顔だ。沙魚丸様が、なぜ・・・〉
戸惑う小次郎は、沙魚丸の横を見てもっと大きく目を見開いた。
なんと、沙魚丸の横で父、源之進が、うんうん、と頷いているではないか。
愕然とした小次郎だが、父、源之進が頷いていることで全てを理解した。
〈母上か!〉
うわぁーっと叫び声を上げそうになるのを必死で堪えた小次郎は袴を強く握りしめる。
まだ10代の多感な若武者が愛する女性に囁いた言葉をすっかりばらされたのだ。
しかも、生臭坊主に一言一句間違わずに。
小次郎の胸に、いつか復讐してやる、と浮かんだかどうかは、また別の話・・・
さて、小次郎が悶絶していることなど、どうでもいいとばかりに有紀の声が飛んだ。
「のんびりお茶を啜っている場合ですか。早く続きを話しなさい。」
「お二人は本当に似た者夫婦でございますねぇ。」
やれやれと肩をすくめた和尚は茶碗を置いた。
◆◆◆
「お待ちなさい。」
千早姫が持った小柄を瞬時に取り上げたのはお琴だった。
よよ、と泣く千早姫の胸の内を受け止めたお琴は、いの一番に小次郎を叱りつけた。
「姫様の不安を分かって上げないとは、我が子ながら何と情けない。」
それからの小次郎は千早姫の笑顔を取り戻すために涙ぐましい努力をした。
同時にお琴は、小次郎には内緒で沙魚丸と源之進にも相談していたのだ。
こっそりと千早姫に会った沙魚丸は心の底から言った。
前世のことも思い出しながら・・・
「女性の見た目をどうこう言う男に限って、顔も心も体も全部ぜーんぶブサイクなのだから無視していいのです。それに、姫の痘痕は病のせいでしょう。それを悪く言う者は私の家臣には不要です。ポイしますから、大丈夫です。実は、小次郎さんから姫は頭がいいと聞いています。ぜひ、内政のお手伝いをして欲しいのです。」
そして、義父となる源之進からは、
「男も女も年を取れば、猿のような顔になるのです。小次郎が姫の心に惚れたと言うのが一番大事なのです。」
と言われ、千早姫は不覚にも笑ってしまった。
〈この御主君様と父様と母様がいれば、私は小次郎様と共に生きていける。〉
心に希望を灯した千早姫は笑顔を取り戻し、小次郎の妻になるためにお琴から様々なことを習い始めた。
特に薙刀を振り回す千早姫は実に活き活きとするようになった。
しかし、小次郎が何とも言えない表情を浮かべたことに気づいた者はいなかった。
◆◆◆
「という訳で、儀作殿たちも小次郎殿ならば姫様を託せると喜んでいるのです。」
和尚がいい話ですなぁ、と嘯いた時、雨情は苦虫を嚙み潰したような表情となった。
「そんな話は誰からも聞いておらんぞ。」
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、と申します。きっと、まだ死にたくないと皆々も考えたのでしょう。」
こめかみを何度か押さえた雨情は、ようやく沙魚丸に顔を向けた。
「お前の家臣はどいつもこいつもいい度胸をしておる。主君に似たのだろうな。」
「はい。皆、大変頼もしく有難いことです。」
ため息をついた雨情は、もういい、と呟くと、源之進に尋ねる。
「大木村の者たちが千鳥ヶ淵家の家臣となる訳か。で、奴らは使えるのか。」
「なぜ負けたのかが不思議なほどの強者でございますし、内政にも確かな見識を持っております。」
「負け戦が身に染みて堪えたのだろう。沙魚丸が領地を持っても、お前に帰参する者も少ないだろうから、考えてみれば、他家の者を娶るよりも千早姫が一番よいのかもしれんな。」
「ありがとうございます。」
「しかし、今日は驚かされてばかりだな。まさか、小次郎の婚姻話が飛び出すとはな。」
「えぇ、本当に。私も驚きました。存外、小次郎殿も手が早いのですね。」
うふふ、と有紀が笑う。
そして、沙魚丸に微笑みかけた。
「ハゼ様も小次郎殿を見習わないとね。女子のおの字も知らないのでしょうから。」
沙魚丸はピクリと眉を動かした。
〈フッ、甘いわね、お姉ちゃん。私こそがこの座敷の中で一番女を知っている男なのよ! なんたって、元は女ですもの。〉
沙魚丸のいたずら心がググっと鎌首をもたげる。
しなくてもいいことをしてしまう、沙魚丸の悪い癖が出てしまう。
「お姉ちゃん、私とて女子のことぐらい知っております。いえ、小次郎さんよりも知っています。」
ドンと胸を叩いた沙魚丸に座敷の一同の目が一斉に向いた。
いつの間に!
と言う男たちの目が・・・
しかし、その視線も一瞬で別の方向へと向けられる。
ドン!
とんでもない大きな音がしたのだ。
その音を醸したのは有紀だった。
椀が叩き割れるほどの勢いでお膳の上に置いた有紀を見る男たちの目には純粋な恐怖が宿っていた。
皆がゴクリと唾を飲み込む中、有紀は音も無くふらりと立ち上がった。
そして、スススッと宙を滑るかのように移動した有紀は沙魚丸の前に来て止まった。
〈怖い。お姉ちゃんが悪霊みたいになってる。〉
有紀に見下ろされた沙魚丸は、あまりの怖さにブルブル震える。
その光景を息を殺し見つめる男たち。
人差し指を沙魚丸のおでこに突き刺した有紀が凍えるような声で語りかける。
「ハゼ様、貴方、ひょっとして侍女に手を出したのではないでしょうね。」




