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小次郎の結婚1

長くなったので、分割しました。

2も本日中に掲載しますのでお楽しみください!

ポトリ


あろうことか、雨情は白玉を落としてしまった。

幸いなことに落ちた場所はお膳の上。


〈助かった。〉


もし、畳の上だったらと思うと背筋が寒くなる。

いつもと変わらぬ、いや、もっと柔和な笑顔を浮かべた有紀が目に浮かぶ。

チョコンと可愛らしく小首を傾げて言う姿もくっきりと浮かぶのだ。

『この黒蜜を綺麗に落とせるとお思いですか。』と。


〈目がなぁ。これっぽっちも笑っていないのが、本当に怖いのだ。まぁ、なんだ。さすが、儂の女房殿と言ったところか。〉


ふふん、と鼻を鳴らした雨情は落ちた白玉を素早く箸でつまむと、フッと息を吹きかけた。

白玉の上下左右を素早く確認した雨情は、

「よし、大丈夫だ。」

と呟き、白玉をポイっと口の中へ放り込んだ。


〈畳のことはさておき、民が汗水たらして作ってくれたモノを粗末にしたら罰が当たる。〉


もっともらしく頷いた雨情は白玉を舌の上で転がし、

〈この渋みがイイ。〉

と満足げに髭を撫で、先ほどの沙魚丸の発言について考える。


〈蜂蜜白玉があまりに旨いせいで、聞き間違えたに違いない。沙魚丸だからなぁ。成長したとは言え、ポカも多い。いや、待てよ。儂の聞き間違えではなく、沙魚丸の言い間違えかもしれぬな。〉


白玉を飲み込んだ雨情は、

「儂は聞き間違えるほど耄碌しておらんから、やはり、沙魚丸だな。」

と独り言ち、仕方ないやつだ、と肩をすくめる。


〈そうするとだ。沙魚丸は自分が結婚すると言いたかったのか?〉

そんな馬鹿な、と雨情は苦笑した。


いくら何でも、そんな大事なことを言い間違える訳がないだろう、と思った雨情だが、

〈沙魚丸も年頃。いや、しかし・・・〉

うーむ、と腕を組んだ雨情はまじまじと沙魚丸を見た。


緊張しまくっている沙魚丸の横顔に、亡き兄、春久の面影を雨情は感じた。

〈近頃、兄に似て来たな。〉

兄はもっと図々しかったがな、と微笑んだ雨情は優しく問いかける。


「沙魚丸、もう一度言ってくれるか。儂も最近、耄碌して来たようでな。」


「いえ、叔父上は私が困るほど元気溌剌としていらっしゃいます。先日も私を槍でボコボコにしていたではありませんか。」


〈このガキは。〉

カチンときた雨情は声を荒げる。


「どうでもいい。早く言わんか。」


「えっ、はい。失礼いたしました。小次郎さんが目出たくも結婚することとなりましたので、主君である私から叔父上にご報告をと思いまして・・・」


バン!


持っていた箸を雨情は乱暴に叩き置いた。

まさに青天の霹靂。

小次郎を可愛がってきた雨情としては腹立たしいことこの上ない。


改易同然の千鳥ヶ淵家には一人の家臣もいない。

間もなく元服する沙魚丸の右腕、源之進に家臣がいないのでは格好がつかない。

そこで、雨情は小次郎がどこぞの家と縁組することで、千鳥ヶ淵家の体裁を整えようと考えていた。


しかし、たくましく成長する小次郎を間近で見ていた雨情は考えをガラリと変えた。

〈小次郎を他家とくっつけるのはもったいない。うちの娘を託す方が良いのではないか。〉

小次郎を義理の息子にすべきか、と悩んだ雨情は、思い立ったが吉日と有紀に相談した。


「小次郎の相手だが、儂らの娘をどうかと思っている。」


「まぁ、嬉しい。小次郎殿なら、きっとよい旦那様になりましょう。」


そう語り合った二人は顔を見合わせ、うんうん、と笑いあうほど小次郎を買っていたのだ。

〈これほど考えてやっているのに、儂に何も言わんとは。〉

日頃、恩着せがましいことなど言わない雨情だが、さすがに今回ばかりは違う。

まさに、可愛さ余って憎さ百倍。


「結婚するとはどういうことだ。結婚したい相手がおるとか、婚約を考えていると言うなら分からんでもない。そう、まずは相談あってしかるべきであろう。それをいきなり結婚が決まったとはどういう料簡だ。」


雨情の迫力に沙魚丸は完全にビビった。

〈ひいっ。大怪獣が、大怪獣が怒ってる。口から火を噴きそう。あぁ、甘味作戦、大失敗。〉


心の中でガックリと来た沙魚丸だが、まだ心は折れていない。

何と言っても、沙魚丸は怒られ慣れているのだ!

沙魚丸は前世の記憶から、上司がぶちぎれた時はどうすればいいのかを必死で思い出す。

その場にガバッとひれ伏した沙魚丸は、必死で訴える。


「ご意見を伺うのが遅れましたこと申し訳ありません。平にご容赦ください。」


そう、ひたすら謝る、とにかく謝る。

謝る一択なのだ。

下手に言い訳なぞしようものなら、逆鱗に触れること間違いない。

もっと凄惨な状況になるのを沙魚丸は知っている。


這いつくばって詫びを入れる沙魚丸に雨情はチッと舌打ちをする。

雨情は謝る人間を更に打ちのめす様なカスではない。

沙魚丸の作戦は成功した。

己、一人の保身と言う意味では。


残念ながら、沙魚丸の行動は主君としては大間違いだった。

雨情の怒りは全く鎮火していないのだから。

怒りの矛先は、新たな獲物を探すように沙魚丸から別の人間へと向けられる。


雨情は、沙魚丸の家臣をじろりと一瞥する。

〈どいつもこいつも平伏しおって。〉

実は、雨情はこの評定の間、ずっと違和感を持っていた。

何かいつもとは違うのだ。


何が違うと考えた雨情は、一人の男に目を向けた時、すべてを理解した。

いつもなら沙魚丸の失敗を庇うべくお節介なほどしゃしゃり出て来る男が今日はほとんど口を開いていないのだ。

〈沙魚丸を独り立ちさせる訓練かとも思っていたが・・・〉


「源之進、今日は静かだが、いかがした。」


雨情の声に観念し切ったように源之進が額を畳につけ言上する。


「雨情様にはお詫びしようもございません。」


「小次郎の相手は儂が選ぶと言ったはずだ。」


「私が知らされた時には、もう手遅れでした。」


「なんだと。」


眉根を寄せた雨情の横で、有紀が好奇心に満ち(あふ)れた声で小次郎に問いかける。


「小次郎殿、手遅れって、貴方、もしかして、手を出したの?」


キャー、とでも言い出しそうな有紀の声に沙魚丸は和む。

〈お姉ちゃんは本当に若いわねぇ。うん、恋バナが大好きな女子高生みたいだわ。〉

女子って何歳になっても恋バナが大好きよね、と微笑む沙魚丸とは裏腹に顔面をひきつらせた小次郎がガバッと頭を上げると手も頭ももげそうなぐらい激しく左右に振りまくる。


「私は清廉潔白です。奥方様がお考えのようなことは何もしておりません。」


「本当に? 手も握ってないの?」


「はい。手も握っておりません。」


有紀のジトッとした目に(あらが)う小次郎に沙魚丸は驚いた。

なぜなら、沙魚丸は小次郎が相手の女の子の手を握っている場面をバッチリ見てしまったことがあるからだ。

〈おおっ、小次郎さんが嘘をつくとは。いやぁ、小次郎さんも思春期なのね。うんうん、私は嬉しいよ。〉

日頃から小次郎に弟扱いされている沙魚丸も、今回ばかりは年上のお姉さんとしてニンマリする。


さて、大年増の有紀は、目を輝かせ、更にあれやこれやと追求しようとしたところを雨情が手を上げ遮った。

「ええっ、これからが肝心なのにぃ。」

と残念そうな声を上げる有紀を無視した雨情が不機嫌な表情を源之進に向けた。


「で、どこの家中の者だ。」


「大木村の千早姫でございます。」


源之進の答えに雨情は、

「信じられん。」

と呟き、天を仰いだ。


椎名家に属するどこかの家の娘と思っていた雨情は言葉がなかった。

まさか、ここで大木村の千早姫の名が出て来るとは微塵も思っていなかったのだ。

〈別人と言うこともありえるか・・・〉

念のため、雨情は問いただす。


「千早姫とは、大木村の者たちが守って来た旧主の姫か?」


「その姫です。」


頭を抱えた雨情がぼそりと呟く。


「そう言えば、小次郎は大木村にずっといたのだったな。いや、待て。お琴も大木村に住み着いていたのは、まさか・・・」


「ご相談が遅くなり申し訳ございません。お琴は千早姫の世話をするために大木村へ移りました。」


「お前たち親子は揃いも揃って儂を(たばか)りおって・・・」


源之進を睨みつけた雨情は、忌々(いまいま)しそうに言葉を続ける。


「儀作たちが、よくもまあ、小次郎との仲を許したな。あの者たちは千早姫を真綿でくるむように育てていたはずだ。」


何か答えようとした源之進の袂を和尚が抑えた。

続きは私が、と源之進に囁いた和尚がずいっと膝を進める。


「疱瘡の件を覚えておいででしょうか。」


「忘れるものか。あれで沙魚丸の領内の評判は地に落ちたのだからな。」


「ですが、あれ以来、大木村ではハゼ殿を神の使徒と崇めるようになりました。」


「らしいな。死者が一人も出ることなく、牛になる者もいないのであれば、大木村の者が沙魚丸を神の使徒と呼びたくなる気持ちも分からんではない。」


やり方が不味かったせいで、うちの領内では試せんではないか、と雨情は愚痴る。

まぁまぁ、と雨情をなだめた和尚が話を続ける。


「ハゼ殿と共に村を救った小次郎殿の人気も凄いことになりました。ですが、これがアダとなったのです。かねてから恋心を募らせていたお二人ですが、千早姫は傷心から自害を図られたのです。」


和尚の説明に雨情はこめかみを押さえた。


「和尚、意味が分からん。説明を省きすぎだ。儂に分かるように言ってくれ。」


「では、お二人の恋の話をお聞きください。」


千早姫様は疱瘡にかかってしまい、お顔に少し痘痕(あばた)が残ってしまったのです、と和尚は話し始めた。

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