孔雀和尚
沙魚丸の少し後ろに座った和尚は晒や染についての説明を始めた。
出番が終わりホッとした沙魚丸は流暢に話す和尚に舌を巻く。
〈いつもながら和尚さんは弁が立つわね。心地よいリズムを奏でる話法は、読経で鍛えたから? 世が世なら中国の偉大な弁論家、蘇秦に匹敵するかも・・・〉
いや、それは褒め過ぎか、と頭を振る。
柔らかな所作で説明を続ける和尚の話を片耳で聞きながら、沙魚丸は考える。
〈木綿の話のはずだったんだけどなぁ・・・〉
先日の和尚との話し合いを思い出し、和尚のことを源之進に打ち明けるべきか沙魚丸は悩む。
◆◆◆
雨情が野々山城から戻って来ると先触れがあった日、木綿について話があるからと和尚は沙魚丸一人を持仏堂へと招き入れた。
「お茶を差し上げましょう。」
そう言って、和尚は優しく鉄瓶を持ち上げた。
お茶を注いだ和尚は光り輝く笑顔を振りまき、沙魚丸の前に茶碗を置いた。
〈怖い。何、この機嫌の良さは。なんか見たことがある気が・・・〉
小首を傾げた沙魚丸は父のニヤけた顔を思い出した。
〈新しいゴルフクラブを買った時のお父さんそっくり。抑えきれない喜びに理性が吹っ飛び、手当たり次第に自慢する顔そっくりよ!〉
沙魚丸はピンときた。
和尚にお茶を淹れてもらったことなど、一度も無いことに。
大袈裟に驚いた振りをした沙魚丸は鉄瓶を指さす。
「そんな鉄瓶ありましたっけ。」
「さすが、ハゼ殿。お目が高い。これはですね、鄙びた場所で心が荒まぬように、と心配した都の知り合いからの贈り物なのです。」
〈そんな大事そうに磨いていたら、誰でも気がつきますよ。と言うか、和尚の知り合いだけあって、言い方が酷い。〉
あはは、と乾いた笑いを浮かべた沙魚丸は無難な話を振ることにした。
下手なことを言うと、徹夜で自慢話を聞くことになる気がしたのだ。
「鉄瓶で淹れたお茶は美味しくなるそうですね。」
「その通りです。中でも、この娘で淹れたお茶は素晴らしくまろやかなのです。もう、この鉄瓶以外でお茶を飲めません。」
もう離さない、と言って鉄瓶をひしと抱きしめた和尚に沙魚丸は冷え冷えの視線を飛ばす。
「前から思っていたんですが、和尚さんは俗世に執着しまくりですよね。」
「何を今さら。」
一笑に付した和尚は続ける。
「拙僧はハゼ殿にお仕えした時から普通の僧をやめておりますよ。」
普通の僧をやめた?
普通って何?
と考えるも沙魚丸は答えを見い出せない。
聞いたところで、適当な答えしか返って来ないと諦めた沙魚丸は茶碗を持ち上げた。
「よく分かりませんが、いただきます。」
お茶を啜った沙魚丸は、おぅ、と呟く。
「美味しいですね。」
「ハゼ殿が違いの分かる男に育ってくれて、拙僧も嬉しい。」
袂を押さえる和尚を複雑な気分で沙魚丸は眺める。
〈喜ぶべきなのよね。心は乙女なんだけど・・・〉
悩んでいる沙魚丸の前に、スッと和尚が皿を置いた。
皿の上には、もっちりした白いモノが3つ。
沙魚丸の目はカッと見開かれる。
「和尚さん。こっ、これは、もしかして・・・」
「おっ、これをご存じですか。」
「分かりますとも。これは、酒饅頭でしょう。」
ご名答、と手を叩いた和尚はイケメン顔で、お召し上がりください、と勧めて来るではないか。
震える手で饅頭を手に取った沙魚丸は、一つを口の中に放り込んだ。
あぁ、甘い、と言って天を仰ぐ。
そして、パクパクと光の速さで全ての酒饅頭を平らげた。
「このアンコには砂糖がはいっていますね。」
「その通りです。」
感心する和尚に沙魚丸は適当に頷いた。
〈人界で砂糖を口にするのは初めてだわ。パティシエのスイーツは我慢するから、ホットケーキが食べたい。〉
あれ、ホットケーキなら作れるかも、と沙魚丸は考え込む。
そこへ和尚の朗らかな声が届いた。
「ハゼ殿にお喜びいただけて何よりです。」
「美味しかったです。では!」
〈こうしちゃいられないわ。ホットケーキを作れるか試さなくっちゃ。〉
立ち上がろうとした沙魚丸を和尚が慌てて引き止めた。
「木綿の話をしておりません。」
「えっ、本当にするんですか。」
「当然です。さぁ、お座りください。」
〈よく考えれば、バターが無いわ。〉
やれやれ、と沙魚丸は座りなおした。
「雨情様への木綿のご説明ですが、晒の工程からは拙僧にお任せいただけませんか。」
「いいですよ。」
憮然とした表情に変わった和尚に、沙魚丸も眉根をしかめる。
〈何で怒ってるのよ。いいよって言ったのに。〉
「ハゼ殿。拙僧と心で通じ合っていると言っても、こういう場合は理由を聞かねばなりません。」
咄嗟に沙魚丸は腕を組んだ。
〈通じ合ってないよね。でも、そう言うと傷つくかしら。〉
仕方ない、ツーカーの仲にしておきましょう、と上から目線で沙魚丸は頷いた。
「分かりました。で、理由とは。」
「拙僧は都にいる頃、晒や染の工程を見たことがあるのです。」
「それはすごい。極秘の工程なのに、よく見れましたね。」
「少し長いお話となりますが、よろしいですか。」
じゃあ、また今度でいいです。
と言いかけた沙魚丸は口の中に残るアンコの余韻に気づいた。
〈これか。このために酒饅頭を食べさせたのね。恐るべし、黒衣の軍師。〉
酒饅頭の恩と言う鎖にがんじがらめになった沙魚丸は脱出を諦めた。
「この後は暇ですから、いくらでもどうぞ。」
『顔は笑って、心は泣いて』を体現する沙魚丸は、しみじみ思う。
〈時計の無い生活って、時間に追われてなくていいんだけどね。でも、〇〇時に打ち合わせがありますので、って逃げの常套句が使えないのが不便だわ。〉
「では、拙僧が都から追い出されたところからお話いたしましょう。」
〈都では偉いお坊さんだったんでしょ。追い出されたって・・・〉
ごくりと唾を飲み込んだ沙魚丸は、和尚の話に耳を傾ける。
「拙僧は昔から美坊主でして、モテてモテて仕方がありませんでした。」
「和尚さん、その話いらないですよね。」
ツッコミを入れる沙魚丸。
だが、人の話は最後まで聞くものですよ、と和尚は注意する。
「せっかちな沙魚丸殿のために、サクッとお話ししましょう。高位の僧として貴人の家々に出入りしておりました拙僧は、光源氏のように逢瀬の恋を重ねておりました。」
「ちょっと待てぃ。」
聞き捨てならない言葉に沙魚丸は思わず、声を張り上げた。
「どうしました。」
「逢瀬の恋と聞こえたんですが・・・」
「ええ、言いましたよ。」
「女犯ですよね。」
「一般的には。」
ニッコリと笑った和尚に沙魚丸はこれ見よがしにため息をついた。
〈信じらんない。江戸城の大奥を狂わせた僧、日道に匹敵するんじゃない。〉
「酒、肉、魚。臭いがきつい野菜も平気。その上、女性にも手を出していたんですか。」
沙魚丸の言葉に驚いた和尚は手を左右にブンブンと振る。
「それは違います。」
「どう違うんですか。」
「都にいる頃の私は、品行方正で僧侶の鏡と呼ばれていました。葷酒を口に入れたことはありません。」
〈葷酒は臭気の強い野菜とお酒って意味よね。ちょっと、足りないじゃない!〉
沙魚丸は和尚をキッと睨む。
「女性は?」
沙魚丸の問いに微笑んだ和尚は、観音菩薩の印を結ぶ。
「拙僧は仏様の代わりに寂しい女性を慰めただけですよ。」
〈うわぁ、悪徳教祖みたいなことを言い出したわ。〉
頬が引き攣ってしょうがないが、聞かなければいけない。
「仏様の代わりができるような偉い御坊様がどうして都を追放されたのですか。」
皮肉たっぷりに沙魚丸は尋ねた。
片頬を押さえた和尚は、悲哀たっぷりにため息をつく。
「同衾しているところをご亭主に見つかり、夜の都大路を裸一丁で走って逃げたのが失敗でした。色々な貴人の家が私を都から追放するように請願書を侍所に提出したのです。」
沙魚丸は目をパチクリする。
〈やってるところを旦那に見つかって、フルチンのまま烏丸通を走ったのね。〉
無いわぁ、を心の中で連発した沙魚丸は大事なことに気づいた。
「色々って言いましたけど、もしかして、複数に手を出していたんですか?」
「当たり前です。一人、二人でモテるとかほざいているのは三流です。」
「うわぁ、心の底から最低ですね。」
「都では普通のことですよ。」
ニコニコと屈託なく笑う和尚に呆れた沙魚丸は、付き合ってられないと立ち上がった。
「もういいです。そんな話が続くなら終わりです。」
「ハゼ殿はせっかち過ぎる、と言っているでしょう。貴人の家に出入りしている私には、各所からたくさんの贈り物が届くのです。木綿の布もその一つでした。ですが、これ以上、聞きたくないと申されるのなら、仕方がありませんね。」
肩をすくめた和尚は、残念、残念とお経を唱えるように呟く。
チッ、と舌打ちした沙魚丸は、どっかりと座りなおした。
「さぁ、ちゃちゃっと続きをお願いします。」
パンパンと床を沙魚丸は叩く。
素直でよろしい、と和尚は勝ち誇った表情で口を開く。
「私に木綿の布を持ってくるのは、貴人に口をきいて欲しいと言う商人ですね。」
和尚の惚気話などどうでもいいが、真面目な話であれば、沙魚丸もしっかりと耳を傾ける。
「権益を狙ってですか。」
「その通りです。賄賂は誰でもやってますから、清廉潔白にならないで下さい。」
「大丈夫です。」
〈とは言うものの、自分の領地が賄賂でやりたい放題とか嫌だなぁ。〉
「沙魚丸様の領内では、賄賂がはびこらないような仕組みを考えましょう。」
和尚の言葉に沙魚丸は心を読まれたと慌てるが、顔に出ていましたよ、と和尚に笑われたので、ペシペシと顔を叩き気を入れ直す。
「話を戻しましょう。すり寄って来る商人の中には、晒や染の職人を手元に抱えているものがおります。そう言う商人に工程を見せて欲しいと言うと、喜んで見せてくれるのです。」
「なるほどぉ・・・。でも、和尚さんが追放された話とか必要でした。」
「拙僧はオシャレなので、衣服の良し悪しが分かると言いたかったのです。黒衣しか着ていない私では説得力がないでしょう。」
〈えっ、どうなんだろう。今の話を聞いて確実に説得力が無くなったわよね・・・〉
もう、つっこむ元気がない沙魚丸は、気にせず流すことにした。
だが、気になることが一つ。
そう、黒衣だ。
年がら年中、黒い法衣を着ている和尚だが、常に法衣は真新しい。
何着も黒い法衣を持っているのを沙魚丸は知っている。
「どうして黒しか着ないんです。」
「私がオシャレをすると、女性にモテてしまうので。」
沙魚丸は呆れた。
どうして、男ってこんなに自意識が高いのだろうか、と。
「不倫じゃなければいいですよ。ただし、手を出したら責任をとって下さいね。」
「ダメです。師と約束したのです。今度、女性問題で何かあったら私の陰部を切り落とす、と。師は地獄の果てまで追いかけて来る人です。私は女性には手を出さない、と誓ったのです。」
「だったら、無精髭とかぼろい着物にすればいいと思いますよ。」
和尚は首を横に振った。
「人は外見で判断します。一休さんが汚い袈裟でお経をあげに行くと門前払い、綺麗な袈裟で行くと拝まれるとお教えしたでしょう。」
「そっ、そうでした。」
「私は外交役を任されました。私の振る舞いが、領主としてのハゼ殿に返ってくるのですから一挙一動に気を遣わなければなりません。私が考える外交役とは、慌てず騒がず、いかなる時も凛としている者です。」
そこまでの覚悟を、と感動しそうになった沙魚丸だが、踏みとどまる。
「じゃぁ、お酒も止めてくださいよ。」
「都で酒を飲まなかった私には、まだ酒への耐性がないのです。接待で豪華な料理や酒で心を溶かされないように、今から備えているのです。」
呆れる沙魚丸の顔を見て、和尚はニヤリと笑う。
「外交役として、一番気をつけるのは色仕掛けです。私は女性にはもう興味がありません。なぜなら、領主になったハゼ殿が天下を狙う補佐をするのに女遊びなど些細なことに関わっていられませんからね。」
野望丸出しに笑い出した和尚に返す気力が失せ果てた沙魚丸は、雨情の説明を任せることにした。
〈天下云々はおいといて。専門職の工程を見たこと無い私が説明するより、和尚さんの方がいいよね。和尚さんの外交能力で叔父上を説得できるか楽しみだわ。〉




