表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
150/171

牛沙魚様

〈何と言う愚か者なのか・・・〉

沙魚丸の説得に耳を傾けていた男は拳を握りしめた。


橋爪親実(ちかざね)

鶴山城の戦いの折、老将、清水彦左衛門の最期を看取った男である。


忠誠心を貫き、華々しく散った彦左衛門。

敵将ながら、天晴れな最後に橋爪は好意を寄せる。

〈彦左衛門殿の主君である鷹条海徳は領主として最悪だ。この村の領主であるし、酷さは十二分に分かっている。だが、海徳には我々には窺い知れない何かしらの魅力があるのだろう。誠を尽くし、散るか・・・。男として、実に羨ましい。〉


大木村の村人のほとんどは、ある家に仕える武士であった。

主君を討たれ、抵抗するも(かな)わず流浪の末に大木村にたどり着いた生き残り。

刀の代わりに鍬を振るうようになった彼らは、自分たちを負け犬と(さげ)すみ、十数年もの間ずっと苦しんできた。

なぜ、あの時、あの場で主君と共に死ななかったのか、と。


彼らの酒はまずい。

常に暗く救いようのない方へと落ちていく。


「どうして、あそこで逃げ出したのか・・・」


「逃げたのではない。姫を守り落ち延びる使命があったのだ。」


「我らは死んだ者たちから御家再興を託されているのだぞ。」


「農民となって、早や10年。夢も希望もあるものか。」


ぐちぐちと言いあっていた彼らは、ある日を境に劇的に変わる。

沙魚丸と言う希望の星を手に入れたのだ。

数年もすれば、沙魚丸が元服し領地を授かる。

甲冑を身にまとった男たちは、沙魚丸の号令一下、近隣を屈服させ、一国を手に入れる。

そして、叶うならば、故郷を取り戻すのだと胸を熱くする。


だが、橋爪たちは違う。

鶴山城に行っていた橋爪たちは、大木村での沙魚丸の活躍を見ていないのだ。

〈鶴山城での勝ち戦は沙魚丸様のお手柄と言うが、戦が終わってからお会いしただけだ・・・。村の者からは、沙魚丸様が女神様の使いと聞いたし、ご一緒できる日が待ち遠しいな。〉


橋爪たちは沙魚丸にとんでもなく期待した。

話半分にしても、女神様の使いなのだから、すごいのだろうと。

だが、村の手伝いに来た沙魚丸を見て、橋爪たちは失望した。

〈威が無い。それに、あの落ち着きの無さは・・・〉

大いに期待しただけに、失望の深さも大きい。


橋爪たちは主君に力強さを求めていた。

〈主君と共に戦場を縦横無尽に駆け回りたい。せめて、我らの活躍を陣頭で見てもらいたい。しかし、あんなチョロチョロした御方では・・・。沙魚丸様と言うより、チョロ丸様の方がいいのでは。〉


この時代に花火は無い。

だが、橋爪たちの想いを代弁するのに花火ほど適しているものはない。

蛇花火とは違う。

煙と共に黒い燃えカスが伸びるアレではない。

橋爪たちが求めるのは、夜空にパッと大きく花開く打ち上げ花火。

立った一度の人生。

虚空の夜空に最大級の四尺玉をどでかく咲かせ、華々しく散りたいと願っているのだ。


橋爪たちは、密かに小次郎を慕っていた。

雄々しい体躯。

爽やかな言動。

凛々しい立ち居振る舞い。

村に来た小次郎と手合わせをすると、ほとんどの者が敵わない腕前。

〈沙魚丸様よりも小次郎様の方がよっぽど主君らしいのでは・・・〉

そんな疑問を抱いてしまう。


そこへ、疱瘡が発生した。


いの一番に大木村に救援物資を運び入れた小次郎に、素晴らしい御方だと一同は頷きあう。

村の入口が騒がしいと駆け出した小次郎を追えば、そこには沙魚丸がいた。

怪しげな坊主とやたら神々しい牛と一緒に。


牛痘法の話を聞いた橋爪は、がっかりした。

〈新しい治療法を新しく仕えた我らで試すと言うのか。〉

牛になるかも、と誰かが言った時、橋爪の心は冷えに冷えた。

〈沙魚丸様に一言でも申し上げるべきか。〉

苦言を呈すべきか悩む橋爪は、次の瞬間、唖然とした。

何と、沙魚丸が自分で試すと言い出したのだ。

〈本気か。牛になるかもしれないのだぞ。もしや、俺などには想像できない大器なのか。そう言えば、小次郎様が甲斐甲斐しくお仕えしているのは・・・〉


意味が分からない、と橋爪は頭を抱える中、いつもとは違う凛々しい声が響き渡る。


「穢れた血など無い。」

と言って、沙魚丸はいきなり腕を切った。


橋爪は呆気に取られた。

〈俺はどうしようもない愚か者だな。沙魚丸様には男も女もない。新参だろうと古参だろうと関係ない。因習など無視し、共に歩む者を求める、と沙魚丸様は申されているのだ。〉

沙魚丸の行動を勝手に解釈した橋爪の心臓は期待で大きく跳ね上がる。


そこへ、沙魚丸の血が顔にぴちゃりと降って来た。

顔についた血を橋爪は舌に乗せる。

〈なるほど。俺と同じ鉄の味がする。よし、決めた。俺の血は沙魚丸様に全て捧げよう。〉


気がつけば、橋爪は立ち上がっていた。

大声で笑いながら。


わっはっはっはっはっは!


和尚に怒られた沙魚丸は、高らかに笑う橋爪を何事かと見た。

〈和尚さんに怒られている私の姿が面白いのかしら・・・。笑いのツボは人それぞれと言っても、随分と変わったところで笑うのね。〉


訝し気に橋爪を見ていた沙魚丸と視線がバチっとあった。

目を輝かせた橋爪が前に進み出る。

蛇に睨まれた蛙のように沙魚丸は動けない。


(それがし)、沙魚丸様のことを見誤っておりました。申し訳ございません。」


大きく頭を下げた橋爪は、サッと片肌を脱ぐ。


「お詫びではございませんが、接種はまず某からお願いいたします。」


言うなり、脇差を抜いた橋爪はシュパッと腕を切った。

えぇっ、と沙魚丸が驚いていると、男たちが次々と立ち上がり、威勢よく片肌を脱ぐ。


「俺が先だ。御主君にやらせるなど、家臣の恥。」


「いや、俺が先だ」


シュパ、シュパ、と男たちは軽快に腕を切って行く。


「やめなさい!」


この惨状に待ったをかけたのは、和尚だった。


「摂取できるのは拙僧だけです。我も我もと切って、どうするのです。血がどんどん流れ出て、無駄死にしますよ。」


この和尚の説教は効いた。

効きまくった。

無駄死にしたい者など、ここには一人もいないのだから。


シュンとしている男たちに和尚が手際よく接種していく。

馬鹿な男たちに呆れる女たちも和尚を手伝い始め、気がつけば、村は活気づいていた。

お祭り騒ぎとなる中、なぜか村に酒と肴が到着する。


「叔父上かな?」

と首を傾げる沙魚丸の横で、


「拙僧が手配しておきました。軍師ですから。」

ドヤ顔でニヤリと和尚が笑う。


「小次郎さん、和尚さんを羽交い絞めにしてください。」


〈宴会になるって分かってたのなら、言えばいいのに。ムカつくわぁ。〉


「この手際(てぎわ)、褒めて遣わす。と言いたいところですが、さっきのドヤ顔にイラっと来ました。今から和尚にコチョコチョの刑を行います。さぁ、子供たち、和尚さんをくすぐりなさい。」


和尚が壮絶な笑い死にを果たした頃、宴会が始まった。

大木村の者たちにとって、久方ぶりの主君と囲む宴会は賑やかに盛り上がった。


◆◆◆


「さて、ここで終われば、めでたしめでたしだったのですが・・・」

木蓮はため息をつく。


この一部始終を見ていた中には、大木村以外の者がいた。

小次郎が雨情屋敷から物資を運んで来た荷役人足である。


感動した荷役たちは、帰宅してから、家族や友人にこの話を教えようとしていた。

しかし、いつもと様子が違うのを怪しんだ反沙魚丸派の役人に捕らえられる。

話を聞き終わった役人は、荷役たちの手にそっと金を置いた。


「今から言うことを広めろ。」


「へ、へい・・・」


「何、簡単なことだ。お前たちが見聞きしたことを少しだけ変えて、皆々に言い広めるだけだ。」


「嘘を申すのは・・・」


「断っても良いぞ。お前たちの家内や子供がずっと元気なことを我々も祈ろう。」


ニッコリ笑った役人に荷役たちは震え、コクコクと頷く。


「それで、よい。その金で家族に土産でも買ってやれ。」


そう言って、役人は広める話を荷役に教える。


「沙魚丸様は、嫌がる村人の腕を一人一人切って回ったのだ。断れば、村に火をつけるぞ、と言って。」


「そんなことは・・・」


ぎろりと睨まれた荷役は言葉を呑み込んだ。


「村人の血で地面は真っ赤だ。その中を返り血を浴びた和尚が牛の病気を村人の体内に入れていった。そうであろう。」


「はい・・・」


「そう言えば、宴会をしたのだったか。」


「はい。儂らも旨いものをいただきました。」


「ふむ。そうか、そうか。接種した者の何人かが牛になったのだな。それを表沙汰にしないように牛を殺した。そして、宴会で食べたのであろう。」


「そんな罰当たりな・・・」


「よい、よい。お前たち荷役は宴会に出なかったことにすればよいのだ。」


この話がまことしやかに雨情の領内に広がる。

『牛食い事件』などと名をつけられて。


領内では、沙魚丸は気に食わない者を牛に変え、食ってしまうと言う噂が広がった。

沙魚丸を陰で『沙魚牛様』と言う者が現れたかと思うと、頭は沙魚、体は牛の奇怪な化け物の彫り物が寺に納められ、祟りを払ってくれと言う者まで現れる。


「大木村と言うのが、致命的でした。」


「そうだな。大木村は鷹条の領地で、常盤木領から行く者はおらん。仮に行こうとしても、前に使った間道しか道は無いし、途中は三日月家が砦を築いて行き来する者を見張っておる。沙魚丸など三日月家の顔見知りしか出入りできん。」


「お陰で、当家では牛痘法を接種できなくなりました。」


「まぁ、じっくりやろう。それよりも、かわいい甥の晴れ舞台だ。身内だけではあるが、盛大に祝ってやるぞ。」


「私も秘蔵の酒を供しましょう。」


それは楽しみだと喉を鳴らした雨情は屋敷に戻ると、早速、沙魚丸を呼び出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ