大木村救助計画始動
背後から不意に届いた小次郎の声に沙魚丸は飛び上がった。
〈なんで、小次郎さんが村の入口にいるの。〉
沙魚丸の中では、小次郎は村の広場でテキパキと働いているはずだった。
若いとは言え、誰からも頼りされる男に小次郎はなっているのだ。
その前提で、計画を立てている沙魚丸としては、たまったものではない。
さて、ここで沙魚丸が立てた大木村救助の計画をざっくりと記しておこう。
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①小次郎に気づかれないよう、村の広場に沙魚丸と和尚が乗り込む。
②驚く小次郎が文句を言う前に、和尚を村人に紹介する。
『都から来た大変に徳の高い和尚が貴方たちを疱瘡から守るために来てくれたのです!』ともったいぶることを忘れない。
③立派な紫衣をまとった和尚が説得力あふれる話法で疱瘡の予防法である牛痘法の説明を行う。
④和尚の話に感動した村人が我も我もと接種を受ける。
⑤めでたしめでたし。
全員が笑顔となり、幸せで終わる。
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計画を打ち明けた時、何ともおめでたい計画ですなぁ、と和尚は鼻で笑ったが、面白そうなので助力はすると言ってくれた。
〈私のオールハッピー計画が、まさか第一段階でこけるとは・・・〉
通常であれば、沙魚丸は一度の失敗ぐらいでうろたえるようなメンタル弱者ではない。
なぜなら、たくさんの失敗をして来た沙魚丸にとって、完璧な計画など存在しないと知っているし、状況に応じて計画を修正し、最後にきっちりと結果を出せばいいと叩き込まれたのだから。
しかし、突然の小次郎の登場に動揺しまくった沙魚丸は、計画の修正どころではない。
恐る恐る振り向くと、当たり前だが、そこには小次郎が立っていた。
いつもの爽やかな表情ではなく、無表情で腕を組んだ小次郎が立っていた。
小次郎の目に宿る怒りの炎を見た沙魚丸は頭が真っ白になった。
沙魚丸には、小次郎が東大寺南大門を守護する仁王像そのものに見える。
〈いつもにもまして、でっかく見えるわ。阿形、いえ、この固く閉じた口は吽形そのものね。〉
つーっと冷たい汗が背中を伝わって行く。
〈いつもの怒り方じゃないわ。あれ、この怒り方、どこかで・・・〉
どこだっけ、と沙魚丸が首を傾げた時、小次郎の口が開いた。
それは、とても、とても静かな口調だった。
「村には来ない、とお約束したはずですが。」
〈思い出した。この怒り方は一番ヤバいやつだ。〉
雨情に言われて出兵した際、待ち伏せにあった沙魚丸軍は混乱してしまう。
木の根に足を取られ、転んだ小次郎へ背後の敵が槍を繰り出した。
「危ない!」
咄嗟に、沙魚丸は前に出ていた。
沙魚丸が無我夢中でその槍を受けることにより、小次郎は無事に助かった。
しかし、負傷した沙魚丸は小次郎にとても怒られたのだ。
「私を救おうと前に出ないで下さい。二度も主君に死なれたら、私はどうすればよいのですか。」
静かに淡々と何度も何度も言われた。
途中からは泣きながら怒られたことを思い出す。
〈でもね、今回は状況が違うのよ、と私が言っても聞きそうにないわね。〉
全身からどっと嫌な汗が噴き出した沙魚丸は、藁にもすがる思いでチラチラと周囲に目をやる。
すると、一人だけ、この窮地から沙魚丸を救ってくれそうな男を見つけた。
この状況をのほほんと見ている和尚を。
〈和尚さん、さぁ、あなたの出番よ。ちょっと計画とは違うけど、牛痘法のことを説明して。〉
よろしく!と沙魚丸は目で合図を送る。
だが、和尚は牛に乗ったまま動かない。
〈何を笑ってるのよ。早くしてよ。〉
苛立つ沙魚丸は和尚の顔の変化に裏切りの匂いを感じ取る。
うんうん、と仏のような柔和な表情で頷いた和尚が、突然、沙魚丸にニヤリと暗い笑みを浮かべたのだ。
そして、まったりと顎をさすりながら和尚は朗らかに口に開く。
「愉快な修羅場のお礼に一句差し上げよう。
『つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを』
いやぁ、今のハゼ殿に相応しい和歌だと思いますが、いかがでしょう。」
合掌する和尚に沙魚丸は、やられた、と思った。
〈ここで仕返しをするとは陰険な。この和歌は、確か、在原業平が病か何かで死にそうになった時の歌よね。そうね、今の私に最適な歌かもしれない・・・〉
こんな生臭坊主に頼った私が馬鹿だった、と沙魚丸はガックリと肩を落とす。
その肩に小次郎が手を置いた。
〈何かお考えがあって来られたのだろうが、沙魚丸様が疱瘡になる前に大木村から出て行ってもらわなければ。〉
小次郎は村の入口をサッと指さした。
「言い訳はお屋敷でお聞きします。とにかく早くお帰り下さい。」
小次郎の言葉に弱々しく、はい、と答えた沙魚丸はとぼとぼと村から出て行こうとする。
そこへ、儀作たち村人が土煙を上げてこちらへ猛然と走って来た。
〈おおっ、天の助け!〉
沙魚丸がパッと表情を明るくする。
「沙魚丸様。小次郎様からすべてお聞きいたしております。」
儀作が叫ぶと、背後の村人たちも一斉に頷く。
そして、儀作が村の外へ指をさす。
「さぁ、すぐにお帰り下さい。」
「お帰り下さい。」
続く村人の大合唱に、沙魚丸の目頭が熱くなる。
〈どいつもこいつも村から出て行けって・・・〉
沙魚丸が疱瘡にならないよう村から追い出そうとする優しさを沙魚丸はひしひしと感じる。
〈この人たちの命は絶対に私が守るわ。〉
目の色がガラリと変わった沙魚丸に和尚がやれやれと肩をすくめる。
「ようやく、覚悟が決まりましたか。」
ボソッと呟いた和尚は牛から降り、村人たちの前にスタスタと歩み出た。
「まぁ、待ちなさい。ハゼ殿は其方たちのために己の命さえ投げ出す覚悟で来たのです。話しぐらい聞いてもいいでしょう。」
和尚の言葉に、それもそうか、といきり立っていた村人たちが静かになった。
小次郎と村人たちから、さっさと話せと無言の視線を浴びた和尚は恍惚とした笑顔を浮かべる。
その様子に沙魚丸は眉をしかめる。
〈本当に目立ちたがりなんだから。まぁ、おかげで計画を進行できるかな。〉
都で大勢の前で説法を繰り返してきた和尚である。
汚れた衣装などお構いなしに颯爽と躍り出た和尚の姿は実に凛々しい。
和尚の雰囲気にのまれた村人たちは、その場に座り、嬉々として話す和尚の話にじっくりと耳を傾ける。
横で話を聞いていた沙魚丸は感動した。
〈まるで、ジョブズじゃない。和尚さんに頼んで正解だったわ。〉
これは成功するわね!とニンマリする沙魚丸。
だが、和尚の説明が終わった時、村人たちの表情は怯えていた。
涼しい顔をしている和尚に村人たちは次々と声を上げ始めた。
「牛の膿疱と言いましたが、つまり、牛の膿でしょう。それを私たちの体を傷つけて入れるって正気ですか。」
「他人の膿を触るのでも嫌なのに、牛って大丈夫なのか・・・」
「牛になるかも・・・」
この一言が村人の恐怖に火をつけた。
そして、村人同士が騒ぎ始める。
「いや、きっと、頭から牛みたいに角が生えるんだ。」
「もしかして、顔だけが人の牛になるのでは・・・」
そんなの嫌よ、と恐怖の叫び声があちこちから上がる。
これには、沙魚丸も茫然とした。
〈こんなに拒否反応が出るの・・・〉
さらに、トドメとばかりに甲高い男の声が響く。
「俺は知っているぞ。」
一人の村人が立ち上がった。
その村人に全員が注目する。
「牛頭だ。牛頭になるんだ。」
「亡者達を責め苛む地獄にいる獄卒のことか。」
「そうだ、牛頭は頭が牛で体が人だ。」
「そうか、そういうことか。俺たちを牛頭にして地獄に送ろうって腹だな。」
「クソ坊主。お前が極楽に行くために、俺たちを地獄に売ろうってことか。」
村人から一斉に上がる非難の言葉に和尚は、不本意だと頭をパチンと叩く。
石を投げて来られそうな雰囲気に沙魚丸の背後へスルスルと戻って来た和尚は、そっと沙魚丸に耳打ちをする。
「ハゼ殿さぁ、だから言ったよね。無理だって。」
和尚の文句に沙魚丸は無言で頷いた。
〈クソ坊主って分かるのね。それは置いておいて・・・〉
沙魚丸も村人が拒否反応を示すと思っていだが、まさか、ここまでとはと驚いていた。
怯え切った村人たちを目の当たりにして、因習を舐めてはいけないと思うと同時に危険な考えがフッと浮かぶ。
〈因習をうまく利用すれば、統治って楽かも・・・。何を考えているの、私。人々の無知につけこんだ為政者の最後が酷いことは知っているでしょ。〉
危険な考えを頭から追い出した沙魚丸だが、『じゃぁ、帰ります。』とすごすご引き返すわけにいかない。
なんと言っても、沙魚丸は村人を助けに来たのだから。
顔を上げた沙魚丸は、村人の前へ進む。
「皆さん、私の話を聞いてください。」
騒然としていた村人たちは、沙魚丸の登場に大人しく座り直す。
〈私はまだ信用されている。〉
村人たちからの信頼を確信した沙魚丸はドンと胸を叩いた。
「私が接種の第一号になります。それを見て、大丈夫と思ったら接種してください。」
村人たちがどよめく。
その声に沙魚丸は急に自信が揺らぐ。
〈牛痘法では誰も死んでないはず・・・だっけ。あれ、死んでないよね。〉
牛痘法では、死亡例がほとんど見られないのであって、0ではないことを沙魚丸は知らなかった。
しかし、きっぱりと言い切った手前、沙魚丸は心に生じた動揺を表に出さないように努める。
〈牛痘法死亡事例第一号、沙魚丸。そうなったら、お笑いだわ。さぁ、笑顔よ。みんなを怯えさせるな。頑張れ、私。〉
「なりません。今すぐにお帰り下さい。」
そっと耳打ちしてくる小次郎は沙魚丸の腕をつかむ。
その力が異常に強い。
〈ここで大声を出せば、みんながパニックになると分かってるのね。でも、本当は小次郎さんも大慌てなんでしょ。だって、力が強過ぎよ。痛いから!〉
悲鳴を上げそうになるのをグッと堪えた沙魚丸はニッコリと小次郎に微笑む。
「私は大木村の領主です。村人を救う予防法があるのに、自分の死を恐れて動かないなんて領主として失格です。」
ジワリと浮かぶ沙魚丸の涙に小次郎は思わず怯む。
さらに、沙魚丸は自らの腕をつかんだ小次郎の手にそっと手を重ねた。
〈これは、私に手を貸すようにと言う合図か。沙魚丸様が村人を救おうとしているのに、主君のお心に水を差していいのか。〉
自問する小次郎は、無意識の内にさらに力をこめてしまう。
沙魚丸は唇をかみしめる。
つかまれた腕の痛さに、スーッと一筋、涙が頬を伝う。
〈痛いの。お願いだから、もう放して。私、知ってるの。この前、三太君を喜ばそうとして、小次郎さん、柿を握りつぶしてたでしょ。三太君は喜んでたけど、私の腕は柿じゃないから。〉




