和尚の悩み
いつになく真面目な顔となった和尚が袂から手拭いを取り出した。
普段のふざけた態度からは、全く想像できない和尚のメリハリのきいた立ち振る舞いに沙魚丸は腕を組む。
〈冗談か本気か分からない人だけど、挙措は本当にお上品なのよねぇ・・・〉
沙魚丸が首を傾げていると、和尚は手拭いをスパーンと音を立てて広げた。
本人も驚くほど会心の音だったのだろう。
和尚は満足気に口角を上げた。
そして、広げた手拭いを半分に折り、また半分にとたたみ出す。
ハンカチぐらいの大きさにまで手拭いを折りたたむと、和尚は頭を磨き始める。
きりっとした表情で・・・
〈私は何を見せられているのだろう・・・。あっ、光った。磨けば光るって頭にも使えるのね。〉
変なことに感心している沙魚丸に和尚がようやく口を開いた。
「拙僧、僧侶の身とは言え、モテます。いや、正確に言うと、モテまくるのです。」
和尚の話しぶりを見ていた沙魚丸は確信した。
〈すごい、本気で言ってる・・・。男同士って、自分がモテモテとか平然と言うのね。〉
あほくさ、と思うものの、ここで適当な返事をしようものなら和尚が次に取る行動は予想できる。
いや、分かり切っている。
〈絶対に帰るわ。しかも、ここに来るまでの10倍ぐらいの速さで。〉
和尚に手伝ってもらうためには仕方がないか、と沙魚丸はニッコリ笑う。
「和尚さんはモテますね。侍女たちが和尚さんのことを美坊主と噂してるのを私も聞いたことがあります。」
額に汗して働く侍女たちのキラキラした笑顔を思い浮かべた沙魚丸は罪の意識にさいなまされる。
〈村の人達の命を救うためとは言え、嘘を言ってごめんなさい。〉
心の中で手を合わせる沙魚丸の横で、
「そうでしょう。そうでしょう。」
はっはっはっ、と和尚が笑った。
しかし、すぐに大きなため息へと変わる。
〈嘘までついて持ち上げたんだから、その暗い顔やめて。〉
笑えよ、と言って和尚の両頬をつねり上げる衝動に沙魚丸は駆られる。
大事の前の小事、耐えるんだ、と沙魚丸は拳を握りしめ、これでもかと笑顔を捻り出す。
頑張っている沙魚丸にどうにも腑に落ちない様子の和尚が話しかけて来た。
「ハゼ殿。先ほどの牛飼いの娘。拙僧に恨みでもあるのでしょうか。」
「えっ、牛飼いですか。」
「そうです。あの娘から・・・、何と言いますか、そう、拙僧を八つ裂きにしても飽き足りないような波動を感じたのです。」
「あぁ・・・」
と、言った沙魚丸は続きの言葉を呑み込んだ。
〈そっちなのね。馬鹿々々しい・・・。どんだけ重要な話かとおもったら、和尚さんの魅力になびかない娘がいて信じられないってことね。あー、やだ。ほんと、やだ。顔に自信がありまくる美男も美女もひたすらめんどくせぇー。〉
女だった頃には考えられないが、沙魚丸は、けっと舌打ちして路傍に唾を吐き捨てたかった。
『うっるせえよ。どぉでもいいんだよ、そんなことはよぉ。坊主のくせに女がどうだとか、戒律を守れよ。戒律を!』
と、和尚の胸倉をつかんで言ってやりたかった。
さらに、地面に正座させて頭をペチペチもしたかった。
煩悩は髪の毛と一緒に捨てたんだろ、とも言いたかった。
しかし、そんなことをすれば、和尚は雨情屋敷へスタコラサッサと帰ってしまう。
いや、沙魚丸の元から去って行くだろう。
沙魚丸がどう思おうと和尚は貴重な人材であり、『様々な人材を使いこなせてこそ優れた主君である。使いこなせないのは己の未熟さと知れ。』との雨情の教えが胸に突き刺さる。
返事に窮する沙魚丸を和尚がじっと見ている。
早く返事をくれよ、と言う和尚のプレッシャーに沙魚丸は思わず天を仰いだ。
〈和尚さん。恨みではないです。ものすごーく嫌われているだけです。でも、そんなこと言えないじゃない。むーちゃんのばかぁ!〉
牛飼いの娘とは、ムカデ姫だったのだ。
そうそう都合よく牛痘にかかった牛がいる訳もなく、神界に行った際にムカデ姫にお願いしたのだ。
「いいよ。」
と、気軽に請け負ってくれたムカデ姫だったが、孔雀和尚がいると知って顔色が変わる。
〈あちゃぁ。ほんの少し会うだけでもダメなのね。神様の眷属ですらこうなんだから、人間同士が仲良く平和に暮らすなんて夢のまた夢ってとこね。〉
などと壮大なことを考えつつ、目の前の難事をどうにかすべく沙魚丸は勇気を振り絞る。
「あのね、和尚さんに牛を渡して欲しいんだけど・・・」
「はぁ?」
スンとした表情のムカデ姫が悪鬼のような表情に変じた。
無言のまま傲然と見下してくるムカデ姫。
じりじりっとたじろぐ沙魚丸。
〈巨大化するとは卑怯な・・・。でも、むーちゃんが断るのは織り込み済みよ。さぁ、出でよ、我が必殺アイテム!〉
ニンマリと笑った沙魚丸は、懐に手を入れる。
「むーちゃん。これ、食べる?」
取り出した包みをムカデ姫の前にスッと置く。
訝しげな視線を包みに向けるムカデ姫に微笑んだ沙魚丸は包みを開く。
中からは、不揃いな柿餅が出て来た。
「これは?」
「私が作った柿餅よ。石臼が出来たから作れるお菓子の幅が広がったの。」
手に取った柿餅をムカデ姫は口に運ぶ。
「美味しい。癖になるお味ね。」
「まだあるわよ。」
包みをチラリと沙魚丸は見せる。
ムカデ姫は柿餅を食べながら、フッと笑った。
「それじゃぁ、足りない。」
「強欲は身を亡ぼすわよ。」
「あと3包みで我慢してあげる。」
「分かったわよ。ただし、無事に終わったらね。」
親指を立てた沙魚丸に満面の笑みを浮かべたムカデ姫は音も無く姿を消した。
〈待ち合わせ場所を決めてないけど、大丈夫かな。〉
心配する沙魚丸だったが、門の脇に牛飼いの姿に扮したムカデ姫が鼻歌交じりに立っていた。
『さっすが、むーちゃん。』
と、声をかけようとした沙魚丸は一瞬にして足がすくむ。
シャーッッ!!
沙魚丸の隣にいた孔雀和尚を見るなり、ムカデ姫は目を吊り上げ、ガチガチと歯を鳴らす。
〈こえー・・・。ムカデを餌にしている孔雀を前にして、超威嚇を始めたってとこね。〉
和尚の喉元から目を離さないムカデ姫をなだめすかして、その場は事なきを得た沙魚丸。
だが、今こうして和尚にネチネチからまれていることを思えば、ムカデ姫に牛を頼んだのは正解だったのか疑わしくもある。
とは言え、牛飼いの娘が神の眷属だと言えない沙魚丸としては、どうにかして和尚の機嫌を取らなければいけない。
「あれじゃないですか。和尚さんが美坊主すぎて怖くなったんじゃないですか。」
「ほほう。拙僧の美しさが罪だと。」
〈まんざらでもなさそうね。よし、もう一押し。〉
「和尚さんの美しさが分かるには、あの牛飼いの娘ではちょーっと人生経験が足りなかったんじゃないですか。和尚さんは玄人好みだから。」
「ふむ。ハゼ殿はよく分かっておりますな。」
ふふふ、と軽やかな笑いを和尚が浮かべた時、沙魚丸はやれやれと胸をなでおろす。
その時、何かが沙魚丸にぶつかり、沙魚丸は地べたをゴロゴロと転がった。
〈えっ、何。〉
起き上がった沙魚丸を牛がざまぁみろと言わんばかりに見下ろし、
ウモォー
と声高らかに鳴いた。
〈むーちゃんね。和尚さんのことを私が褒めたから、牛に体当たりさせたのね。まさか、この牛と友達になって、私を監視しているとは思わなかった。ちくしょー!〉
「ハゼ殿、大丈夫ですか。」
牛を避けつつ手を差しだす和尚に、大丈夫ですと沙魚丸は立ち上がった。
「どうやら、私は牛にも嫌われるようです。まったく、和尚さんが羨ましい。」
着物をはたきながら、沙魚丸は乾いた声で話す。
皮肉で言ったつもりだが、和尚は満面の笑みとなった。
「私が軍師でいる限り、ハゼ殿の女難は私がすべて片付けましょう。万事ご安心を。」
「女難とか無いです。私は秋夜叉姫様にこの身を捧げた身。生涯、女性に触れることはありませんから何にも問題ありません。」
沙魚丸がそう言って肩をすくめると、和尚がくわっと目を見開いた。
そして、鳴いた。
イヤーン!
沙魚丸はハッとする。
〈これは、まさしく孔雀の鳴き声・・・〉
沙魚丸は即座に突っ込みたかった。
『孔雀和尚だからって。孔雀の鳴き真似するな!』と。
だが、我慢した。
〈和尚さんって、本当に孔雀の生まれ変わりなのかも・・・〉
だとしたら、二人の仲を取り持つのは諦めよう、と思う沙魚丸の横で和尚がキーキーと喚いている。
「何を馬鹿なことを申される。主君に子がいなければ・・・」
和尚が必死で後継者論を述べているが、和尚の鳴き声のせいで、沙魚丸の耳にはもう何も入って来ない。
〈孔雀の鳴き真似なのか、それとも、本当に叫んだ声なのか・・・。うん、どっちでもいいや。〉
疲れ果てた沙魚丸を救うように大木村の門が見え始めた。




