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松風2

今日は字数が多くなったので、2つに分かれております。『松風1』と『松風2』を掲載いたしますので、お楽しみいただければ幸いです。こちらは、松風2ですので、松風1を未読なお方はお気を付けください。

「そうだな。では、沙魚丸。白雪を回してみるがいい。」


「はい!」


元気な声で答えた沙魚丸は、茶臼の挽き木をしっかりと握った。

〈あぁ、やばい。嬉しくて変な笑顔になっちゃう・・・〉


大きく深呼吸した沙魚丸を見て、紅雨が慌てて声をかける。


「力一杯に回せんでいいからな。優しくゆっくりでいいぞ。」


「お任せください。」


凛々しく答えた沙魚丸は茶臼を回そうとした。

だが、動かない。

〈そうよね、石だもの。重いのは当然だったわ。もうちょっと力を入れないとね。〉


そして、回り始めた白雪を見て、沙魚丸は心の中で思うのだ。

〈やだー、何これ。楽しい。〉

楽しそうに回す沙魚丸に、紅雨の声も優しくなる。


「どうじゃ、回し具合は。」


「はい。想像以上に静かで驚きました。」


「うむ。それはじゃな、白雪が素晴らしい茶臼だからこそだ。白雪ほどの茶臼になると松風のような爽やかな音がするのだ。」


「本当に松風ですねぇ。」


紅雨の言葉にしっとりと頷く有紀を見て、沙魚丸も、そうですね、と小さく呟いた。

〈松風って何。分かんない。茶臼を調べた時に出て来たから、調べたけど意味不明だったのよね。茶釜で水が沸く音とか、琴の音とか、何を言ってるか分からなかったんだよねぇ・・・〉


いつもの沙魚丸であれば、ここで、松風って何ですか、と尋ねる。

特にこの世界に来てからは、不明点をそのままにしておくと命に関わるため、疑問点を残さないようにしている。


だが、今回ばかりは聞かないでおくことにした。

なぜなら、本格的なお茶会が初めてだったからだ。

沙魚丸にとって、松風と言う正体不明な言葉よりも、お茶をどのように飲むかと言う試練の方が重要なのだ。


〈動画で見たことを思い出すのよ。確か、クルクルって回すのよね。あれ、縦だっけ、横だっけ。ちょっと待って、2回・・・、あれ、3回だっけ。〉

などと、沙魚丸の脳内では、失敗せずにお茶を飲むことへのプレッシャーが押し寄せ、軽い恐慌状態となっていた。


〈叔母上に自信満々で微笑んだのよ。ここは何としてでも切り抜けるのよ、沙魚丸。〉

沙魚丸にもプライドがある。

いや、そんなことより、沙魚丸を心から可愛がってくれている2人から見捨てられたくないと言ういじましい気持ちが強かった。


最初の難関と警戒していたお菓子が出てこないことに沙魚丸は愁眉(しゅうび)を開いた。

〈そうよね。砂糖が無いんだもの。そんなに簡単に茶菓子は出せないよね。お菓子を畳にボトリと落としたら、どうしようって不安だったのよ。〉


よかったぁ、と胸をなでおろす沙魚丸の前に紅雨がお茶を差し出した。


〈来たわね。〉


ゴクリと喉を鳴らした沙魚丸は、

「いただきます。」

と言って、お辞儀をした。

そして、お茶碗を持つとくるくるくると回し、しっかりと味わいながら飲んだ。


〈美味しい。挽きたての抹茶がこれほど美味しいなんて・・・。隠居したら、挽きたてが飲める抹茶茶屋とか開こうかしら。〉


抹茶のあまりの美味しさに緊張感が吹っ飛んだ沙魚丸は、いつもの調子を取り戻した。

〈この残したお茶を叔母上に渡せば、完璧ね。〉

沙魚丸はわざと半分残したお茶を有紀に渡そうとした。


ここで、ようやく、沙魚丸は失敗したことに気づいた。

有紀もお茶を味わっている最中だったからだ。


〈えっ、何で。残して回すんじゃないの。大谷吉継と石田三成が仲良くなったお茶会のエピソードって、回し飲みだったよね・・・〉


沙魚丸の中途半端なお茶会の知識は、歴史の知識と相まって、滅茶苦茶になっていた。


「沙魚丸、さっきから何をしている。茶碗を回したかと思うと、挙句に有紀に残した茶を渡そうなど・・・」


言葉を途中で止めた紅雨は、そう言うことか、と呟いて目頭を押さえた。

さらに、濡れた声でボソリと声を漏らす。


「お前と言うやつは・・・」


〈あぁ、やらかしちゃった。泣くほどショックだったのね・・・〉


シュンとする沙魚丸の横で有紀もさめざめと泣き始めた。

押し殺した泣き声に沙魚丸の魂は冥界の門をくぐりそうになる。


〈どうしよう・・・〉


沙魚丸が溶けてなくなりたいと思っている時、有紀が静かな口調で言った。


「お父様もお分かりになったでしょ。」


「あぁ、よく分かった。」


二人がしんみりと頷きあう様子に沙魚丸は居たたまれない。

かと言って、ここで逃げるのはもっとダメなことぐらいは分かる。


身じろぎ一つしなければ、存在が消せたらいいなぁ、と思う沙魚丸。

針のむしろをたっぷりと味わう沙魚丸。

〈女神様に時間を戻せるか聞いてみようかしら・・・〉


とんでもないことを考え始めた沙魚丸をチラリと見た紅雨がポツリと言った。


「沙魚丸がこれほど優しいとは思わなかった。」


沙魚丸はギョッとして紅雨を見た。

〈なんか、マジで言ってる気がする。〉


恐る恐る有紀を見れば、紅雨に同意するかのように有紀もウンウンと頷いている。


〈お願いします。この状況を説明して下さい。〉

沙魚丸の心からの願いに答えるかのように有紀が口を開いた。


「ハゼ様が私にお茶をくれるなんて・・・。考えてもいなかったから涙が出てしまいましたわ。」


「そうだろうて。儂も驚いた。こやつの食い意地からして、まさか、旨いものを人に差し出すなど驚天動地であった。」


「えぇ、えぇ。優しいとは思っていましたが、これほど優しいとは驚きです。」


二人の会話を聞いていて、沙魚丸は二人が勘違いしていることは分かった。

そして、助かったと安心した。


それから、無性にもやもやする気持ちが湧き上がって来た。

〈私って、そんなに食い意地が張ってるって思われてたの。褒められてる気が全然しないのだけど・・・〉


「沙魚丸。また、点ててやるから、まずは飲み干せ。」


「はい、いただきます。」


そして、もやもやする気分と一緒に残したお茶をグッと飲み干した。

〈私が見ていたお茶会の動画は、千利休が大成したお茶だったのね。そう言えば、このお茶碗も侘び寂びって感じじゃないわね。〉

考えこもうとする沙魚丸に紅雨が声をかけた。


「では、頼むぞ。」


「はい。あの、何をですか・・・」


「決まっておる、白雪を回すのだ。」


なるほど、と沙魚丸は頷いた。

〈そうよね。挽きたてだしね。うん、白雪を回さないと抹茶は無いよね。〉

そして、沙魚丸は白雪を時計回りに回し始めた。


「沙魚丸。逆だ。左回しだ。」


紅雨から飛んできた注意の声に沙魚丸はハッとする。

〈ヤバいわね。無意識だと、時計回しにしちゃうわ。あらら、全然挽けてないわ。ぐすん。〉


沙魚丸は改めて、ゆっくりと白雪を回し始めた。


早く回すと熱が出て、抹茶の味が変わるらしいので、ゆっくりとじっくりと回す。

〈くっ、回すの飽きた。飽きちゃった。この単調さは辛いわぁ。石臼を挽く歌が必要になるわけね。〉


1回目は楽しかった。

本当に楽しかった。


沙魚丸は石臼を回したくてたまらなかったのだから。


前世で沙魚丸は石臼を回す機会があった。

ネットをぼんやり見ていると、とある博物館のお知らせが目に飛び込んで来た。

ふむふむと、そのお知らせを読み終わると沙魚丸は狂喜乱舞した。


お知らせのタイトルには、デカデカと書かれていた。

『石臼できな粉を作って、お餅を食べよう!』、と。


沙魚丸は博物館に日時の問い合わせをした上で、行くことを決めた。

〈たった2時間。ドアツードアで2時間。それで、石臼を回せるのよ。〉


沙魚丸は博物館に着くまでの2時間に何があったかなど、まったく覚えていない。気がつけば博物館に着いていた。


そして、石臼を回すために並んだ。

両手で足りるぐらいの人しかいなかった。


前の方では、石臼を回すゴロゴロと言う音がしている。

〈ようやく、石臼を回せるのね。神様仏様、ありがとうございます。〉


待っている沙魚丸の手は汗で滲む。

〈この汗の量は、ハンカチではどうしようもないわ。〉

首からかけていたタオルを沙魚丸は手拭き用に変えた。


そして、ようやく沙魚丸の番が訪れた。

いそいそと石臼の前に座ろうとする沙魚丸に館員がおっとりとした声で話しかける。


「お母さん、お子さんが見えませんが、大丈夫ですか。」


沙魚丸は、恐らくとんでもない間抜けな顔をしただろう。

ほえっ?

と無残な声を発した沙魚丸だが、一瞬でこの状況を理解した。


この体験コーナーにいるのは、沙魚丸を除き、すべてお子様連れの家族なのだ。

一人なのは沙魚丸のみ。


ゆえに、館員は盛大に勘違いをしていた。

まさか、若い女性が一人きりで石臼を回しにど田舎の博物館に来るわけが無い、と。


そこまでを瞬時に読み取った沙魚丸は、経験豊富な社会人として首を傾げて答えた。


「そうですね。おトイレに行くって言って戻って来てないですね。ちょっと探してきますので、次の人をお先にどうぞ。」


そう言って、沙魚丸は一目散に出口へと駆け出した。

館員の返事すら聞くことなく・・・

走る沙魚丸の目には涙が浮かんでいた。


理由は2つ。


一つは、簡単だ。

念願の石臼を回せなかったことへの悔しさ。


もう一つの方が重大かもしれない。

〈私を子連れに間違えるだとぉ。ひどい、ひどすぎる。幾らなんでもあんまりよ。〉

この時、沙魚丸は20代前半。

子供たちは、どう見ても小学生3,4年生であった。


沙魚丸はタオルを持って来ていて良かったと心から思った。

とめどなく流れ落ちる涙と鼻水は小さなハンカチでは足りなかったから・・・


そんな辛い体験をしてもなお、沙魚丸は石臼を回したかった。

執念と言うより妄執と言っていいかもしれない。


回し始めて沙魚丸は思う。

もう十分です、と。

1回目で心から満足したのだ。

〈もしかして、芥川龍之介が書いた芋粥の主人公の気持ちと一緒かしら・・・〉


だが、沙魚丸は決して、もうイイです、などと馬鹿なことは言わない。

沙魚丸は社会人として愛想を振りまく重要性を身をもって経験して来た。

だから、笑顔で楽し気に白雪を回す。


そんなこんなで、喜んでいる沙魚丸に気を遣ってくれたのか、今、3人は3杯目のお茶を飲んでいる。


震える手でお茶を飲む沙魚丸は、

〈エンドレスなのかしら・・・〉

と、密かにゾッとする。


「大変、結構なお味でした。」

有紀がお茶会を終わらす呪文を唱えてくれた。


〈あぁ、お姉ちゃん、大好き。〉

都合のいい沙魚丸に軽く微笑んだしっかり者の有紀が言葉を続ける。


「お父様。ハゼ様は代官の由北と会うことになっておりますので、今日は失礼いたしますね。」


〈忘れてたわ。そう言えば、叔父上が誰か紹介してくれるって言ってたわね。〉

白雪から解放された心地よさに呆けている沙魚丸を放置し、二人の話は進む。


「分かった。」


「あら、随分と物分かりがいいのですね。」


「沙魚丸の舞も儂が見てやらんと分かったからな。お茶もかな・・・」


あぁ、と呟いて有紀が頷いた。


「そうですね。あの舞では、大将としての威厳が吹っ飛びますわね。」


「幸若舞の名手である儂がしっかり教えてやろうではないか。」


「それがよさそうですねぇ。」


楽し気に笑う二人を見て、沙魚丸は思った。

〈おかしいなぁ。うまく舞えたと思ったんだけどなぁ・・・〉


こうして、無事に沙魚丸は石臼と茶臼を造る許可を紅雨から得た。

いよいよ、実務者の顔合わせである。

行きは、有紀に引きずられるように連れて行かれた沙魚丸。

帰りは、紅雨におんぶしてもらっていた・・・

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