絵に描いた餅
有紀の力強い賛成を得た沙魚丸の胸中は提案を持ち出す前の不安などきれいさっぱりと一掃されていた。
晴れ渡った秋空の下で映画の主人公のように歌う爽快感。
大食いラーメンを時間内で食べきった時の達成感。
クライアントに作品を提出し、オッケーをもらった時の安堵感。
今、沙魚丸はやり切ったと言う充足感に歓喜している。
〈叔母上を口説き落とした私の勝ちよ。さぁ、叔父上も素直に賛成しなさい。〉
元の沙魚丸が知れば悲しむほど鼻の穴を膨らませ、沙魚丸は雨情にずいっと顔を向けた。
苦笑していた雨情が沙魚丸のドヤ顔を見て、ほんの少しだけ口の端に笑みを浮かべる。
「幸せそうに餅を食っているだけかと思ったが、なかなかどうして立派なことを考えていて儂は嬉しいぞ。」
「お褒めいただき、感謝いたします。」
〈よしきたー!〉
雨情に褒められたことで沙魚丸は心の中でガッツポーズを取る。
うふふ、と笑いそうになるのを必死で堪える沙魚丸をしばらく穏やかに見ていた雨情はポツリとこぼす。
「雑穀を粉にするだけであれば、茶臼はいらんのではないか。」
ギクリ。
たちまち沙魚丸の笑顔はぎこちない笑顔へと変わる。
〈石臼をオッケーしたんだから、もういいでしょ。もういいって言ってよ。〉
そう、沙魚丸は石臼も茶臼も一緒くたにして許可をもらうつもりで話しを進めていたが、どうしてどうして、敵も甘くない。
〈茶臼・・・、茶臼の使い道。火薬以外に何も思いつかないわ。〉
開き直った沙魚丸は動揺を気取られぬよう静かに話し出す。
「茶臼とは、茶を挽くものです。」
「知っておる。」
「さすれば、茶臼からは抹茶ができるのです。」
「知っておる。」
落ち着きはらった顔で話す沙魚丸に雨情の口調は少し苛立ち始める。
〈叔父上は本当に短気なんだから。うん、前置きは充分よ。領土経営にからめて提案すれば許してくれるはず。〉
「できた抹茶をお餅に絡めるのです。できあがった抹茶餅は蕩けるほどに美味で、女性を虜にします。これは必ず売れます。当地の特産品にするのはいかがでしょうか。」
力強く話す沙魚丸に頭をガシガシとかきながら雨情が尋ねた。
「お前・・・。抹茶餅を食ったことがあるのか。」
〈前世で食べてました。美味しくって大好きです、とは言えないし・・・。これ以上、女神様を持ち出すと後が怖いよね。〉
「えーっとですね、源之進さんに食べさせてもらったような記憶があったかなぁ、なんて・・・」
冷や汗をかき、しどろもどろに話す沙魚丸に雨情は容赦ない言葉を吐く。
「源之進は抹茶を買えるほど裕福ではない。」
むぐっと言葉を失う沙魚丸。
そして、雨情は沙魚丸をねめつけるように見る。
「お前、もしかして、抹茶が高価なのを知らんのか。」
「そう言えば・・・」
沙魚丸は本当にうっかりしていた。
毎朝、コンビニで抹茶ラテを買ってから会社に行っていた沙魚丸は、抹茶ぐらいすぐに手に入るだろうと高を括っていたのだ。
〈醤油に気を取られ過ぎていたわ・・・。まだよ、ここから挽回してやる。〉
「えーとぉ。もしかして、叔父上の領内ではお茶を作っていたりしますか。」
揉み手で聞く沙魚丸に雨情はにっこり笑ってデコピンを再度食らわせた。
「作っておらん。特産品だ、何だのと言う前に当地で栽培しているものぐらいしっかりと把握せんか。仮に作っていたとしても高価な抹茶を餅にまぶして売るなど、一体いくらで売るつもりだ。お前の考えは、絵に描いた餅だ。」
おでこを押さえつつも、雨情の言葉に沙魚丸は思わず、
「うまい。」
と言ってしまった。
沙魚丸の言葉に変な顔をした雨情だが、一瞬にして顔を赤くする。
〈しまったぁ。叔父上は狙って言ったのではないのね。〉
デコピンが来るかと身構えた沙魚丸に雨情はため息とともに首を横に振る。
「詰めが甘い。甘すぎる。」
おっしゃる通りです、と沙魚丸はうなだれる。
さらに、横からも追い打ちがかかる。
「私たちが納得できないのであれば、お父様から許可をいただくのは無理ですねぇ。」
お茶を手にした有紀がのんびりと口を出してきたではないか。
「えぇっ。そんな。」
ここで雨情からデコピンが再来した。
叩かれた拍子に天を仰いだ姿勢になった沙魚丸は涙がこぼれ落ちないようにそのままの姿勢で思うのだ。
〈あぁ、泣きっ面に蜂さん。油断禁物ってわけね。これは、心身ともに痛すぎるわ。〉
そんな沙魚丸に雨情がぴしりと言う。
「という訳で、今回は石臼を造る許可だけだ。石臼を造った結果、何らかの成果が認められれば、茶臼を造る許可も得られるだろう。」
雨情の言葉に背筋を伸ばした沙魚丸はしっかりと頭を下げ、お礼を言う。
「ありがとうございます。」
〈良かった。石臼もダメになったかと思ったわ。〉
安堵する沙魚丸だが、ダメ押しとばかりに雨情のお叱りが飛ぶ。
「終わっても無いのに成功したと思うからこうなるのだ。これを教訓にして、最後まで決して慢心することなく励むように。それと、人を説得したいなら、もっと丁寧に考えてこい。」
「はい。心得ます。」
神妙な顔で頷く沙魚丸に、雨情は腕を組み目を光らせた。
「ところでだ。ここまで話が進んで何だが、お前は石臼を作れるのか。」
「いいえ。全然。これっぽっちも。」
あはは、と笑う沙魚丸に雨情と有紀は思わず顔を見合わせた。
奇しくも二人の思いは同じ。
〈大物か馬鹿なのか・・・〉
二人は沙魚丸が大物であることを願ってコクリと頷きあった。
雨情は心を落ち着かせるべく茶を飲み、沙魚丸をまじまじと見つめる。
〈なっ、何かしら。その珍奇なモノを見るかのような目は・・・〉
ドキドキする沙魚丸に真面目な顔で雨情が問いかける。
「では、どうやって石臼を造るつもりなのだ。」
「石臼についてはたくさん調べましたので、造り手がいれば大丈夫です。三輪さんが黒鍬衆筆頭なので、配下に石工さんがいればいいな、とは思っています。」
「お前の大丈夫には不安しかないが、三輪に聞くと言うのはいい考えだ。」
「はい。人に頼ることならお任せください。」
沙魚丸が偉そうに胸を叩くと、またもやデコピンが炸裂する。
「丸投げしようなどと考えているのではないだろうな。お前も共に造るのだぞ。」
痛さをこらえて沙魚丸は返事をする。
「もちろんです。私も共に臼を造ります。」
〈丸投げされた方の辛さはよーっく知ってますからね。〉
「よし。では、農政を担当する代官の一人をお前の補佐につけてやろう。お前はさっさと三輪を連れて来い。」
沙魚丸はパッと顔を明るくした。
「ありがとうございます。では、早速。」
立ち上がろうとする沙魚丸の肩を雨情が押さえつける。
「ちょっと待て、豆腐とは何だ。」
〈あれ?豆腐を知らない。〉
少しだけ戸惑った沙魚丸だが、前世では冷奴と燗酒で晩御飯を済ませていたことを思い出し、ニヤリと笑う。
「豆腐は酒の肴に抜群です。何にでもあう天上の食べ物です。」
そう言った途端、沙魚丸の頭上に雨情の拳骨が炸裂した。
「元服前だと言うのに酒を飲んでおるのか。」
「いいえ、誤解です。女神様がそう言っていたのです。」
慌てて沙魚丸は雨情にだけ聞こえるように小さな声で言い訳をする。
先程の思いもどこへやら・・・
都合が悪いことを女神のせいにする沙魚丸は、いつか神罰が下るだろう・・・
男同士の会話とばかりに、雨情も声をひそめる。
「ほう。ならば、石臼さえあれば、女神様が食する豆腐とやらを儂も食えるのだな。」
まんざらでもない顔をする雨情に沙魚丸はヤバいと思う。
〈そんな簡単に叔父上を満足させる豆腐を作れる訳ないじゃない。早く取り消さないと・・・〉
「大豆とにがりが無いと豆腐はできません。」
だが、遅かった。
雨情はギラリと沙魚丸を睨む。
「そんなことは知らん。石臼があれば、豆腐ができるとお前が言ったのだ。責任を持って豆腐を作れ。」
「はいぃ。了解です。」
「ちなみに、当地では大豆を作っておる。にがりとやらは、何か知らんが、何とかしろ。さっさと作って持って来い。」
「かしこまりました。」
〈くっ、豆腐なんて言うんじゃなかった・・・。しかも、私に丸投げしてるじゃない。〉
性も根も使い果たしたかのように疲れ果て、がっくりとうなだれた沙魚丸の腕を有紀がはっしとつかむ。
〈叔母上、優しい。倒れそうな私を支えてくれるなんて・・・。ちょっと力が強いけど。〉
沙魚丸が有紀の優しさにしみじみしていると、有紀がぐいっと引っ張るのだ。
早く立てと言わんばかりに。
「さて、ハゼ様は私と一緒に行きましょうか。」
「あの、私は三輪さんを呼びに行こうかと思うのですが・・・」
「ダメよ。ハゼ様にはもっと大事なことが待っているわ。ねぇ、旦那様。」
話を振られた雨情は、あぁ、そうだったと頷く。
沙魚丸は何か不吉な予感に襲われる。
〈叔母上と行く先に地獄の門が見えるような。〉
どうにか逃げれないかと考える沙魚丸の腕を有紀は更に力強く握りしめる。
「さぁ、お父様の所へ行きましょうね。ハゼ様がしっかりと説明して御許可をいただかなくてはね。」
ニッコリと笑う有紀を見て、沙魚丸はふえっと変な声を出し、おずおずと話す。
「紅雨様は叔父上と叔母上で説得していただけるとばかりに思っていたのですが・・・」
有紀が笑いながら、沙魚丸の背中を思いっきり叩いた。
「何を言っているの。ご自分で考えたことでしょう。でしたら、しっかりと最後までやり遂げるのが、できる男と言うものですよ。」
沙魚丸は改めて有紀の顔を見た。
そして、雨情を見た。
〈うん。私は結婚しなくていいかな・・・。叔父上、恐妻家だなんて散々ぱら馬鹿にしてごめんなさい。〉
沙魚丸はずるずると有紀に引きずられるように連れて行かれる。
残された雨情は沙魚丸が残した餅をうまそうに食いながら小春日和の日差しを楽しむ。
もしゃもしゃと餅を噛み、胃に押し込んだ雨情は満足気に笑う。
〈沙魚丸と義父か。どうなることやら。〉
さて、と言って雨情は立ち上がると大きな声で呼ばわった。
「誰かある。由北を呼べ。屋敷のどこかにいるはずだ。」
そして、奥座敷へと機嫌よく向かうのであった。
◆◆◆
「石臼でございますか。」
怪訝そうに見てくる由北を雨情は、おや、と思った。
〈珍しいな。由北がこのような表情をするのは、怪我をしてから初めてか。〉
雨情は心持ち楽しそうに答える。
「そうだ。沙魚丸の手伝いをして石臼を造るのだ。」
「恐れながら、先の戦で当家に迎え入れた者たちの開墾を手伝うよう雨情様から命じられたばかりなのですが・・・」
ん、と雨情は首を捻る。
〈そう言えば、朝、命じたな。沙魚丸の話のせいで、すっかり忘れておった。そもそも、こやつが屋敷におるのも儂が呼び出したからではないか。〉
「いや、許せ。改めて命じる。沙魚丸の手伝いをするように。」
苦笑まじりに命じる雨情だが、由北の返答に驚いた。
何と断ろうとするのだ。
「お言葉ではございますが、私もお屋敷にて図面の用意を行い、準備を整えております。できましたら、沙魚丸様のお手伝いとやらは、別の者にお任せ願えませんでしょうか。」
〈おいおい。由北が儂の命令に逆らうとは・・・。明日は雪が降るかもしれん。いや、そんなことを言っている場合では無いな。〉
「そうか。それならば仕方ない。よし、沙魚丸の手伝いはお前の兄に任せることにしよう。」
「いや、それは・・・」
「兄が難しければお前の父に任せるだけだ。」
抗しようとする由北をピシャリと雨情はやり込める。
由北が誰よりも家族思いなことは雨情が一番よく知っている。
〈沙魚丸と組めば、お前が心に負った傷も軽くなるだろう、多分・・・。騙し討ちの様で悪いがここは素直に言うことを聞け。〉
雨情の言葉に雷に撃たれたように由北は平伏した。
今、雨情から沙魚丸を手伝うよう命じられた男の名を徳丹由北と言う。
常盤木家の直轄地の農政を任された代官の1人である。
農政を担当する代官は3名いるが、いずれも徳丹の姓を名乗っている。
親子だから当然と言えば当然なのだが・・・
今回、雨情に呼び出された由北は、末弟である。
3人ともに領内を北へ南へ東へ西へと走り回っており、すっかり日に焼けている。
転げるように駆けまわる様子から家中では黒豆親子と呼ばれ、愛されている働き者たちだ。
父と兄は戦働きもするが、由北はとある戦で左腕に受けた傷のせいで左腕が満足に動かせなくなった。
よって、今は内政の吏人として御家のために忠義を尽くすべく黙々と働いている。
そんな由北であるが、雨情の今回の命令に戸惑わざるを得ない。
なぜなら、由北は石臼を見たことが無いからだ。
茶臼なら何度か見たことがあるし、触ったこともある。
常盤木家家宝の茶臼をだ。
この茶臼、ご大層に名前がある。
その名も『白雪』と言う。
碾茶を挽くと、サラサラとした白い雪かと思うほどきめ細かい抹茶が挽けるところから名付けられた。
何でも都の大乱のせいで、困窮したある大寺の様子を見かねた紅雨が相当な金品を寄付し、その好意にいたく感激した住職が、寺の宝とも言う茶臼をお礼にどうぞと紅雨に贈ってきたらしい。
この茶臼は宇治川で採れた輝緑岩とやらを使った非常に高価なものらしい。
『白雪』ほどでなくても、茶臼と言えば値の張るものであるということぐらいは由北も知っている。
そんな大層なモノを雨情から造るように命じられた。
いや、正しくは、沙魚丸の補佐をしてやれと言われたのだが、由北としては、
〈なぜ、私が・・・。〉
と言う気持ちが強い。
単純に忙しい、と言う理由からだけではない。
沙魚丸と言う常盤木家に紛れ込んだ異物に関わり合いたくないのだ。
沙魚丸と言う椎名家の庶子については、由北は名前すら知らなかった。
いや、存在すら知らなかった。
由北は農政担当として常盤木家の領内を走り回っているため、椎名家の本拠地である野々山城がらみの話にはとんと無関心であり、天候の予測の方がよほど重大事である。
よって、沙魚丸のことは、沙魚丸が常盤木家に来てから初めて知った。
沙魚丸が来てから常盤木家の雰囲気がおかしくなり始めている。
家中が二つに割れ始めているのだ。
一方は沙魚丸に好意的な者たち。
野々山城で沙魚丸と共に戦った者たちである。
皆が口をそろえ言うのだ。
武神の加護があって、大手柄をたてた、と。
由北はさほど興味もわかず、彼らから距離を取ろうとした。
しかし、同輩の一人が興奮して話したことに耳を疑い、その男に詰め寄り、
「今一度、その話を。」
と願ってしまった。
「沙魚丸様が怪我人の手当てをしたことか。」
「いや、違う。それも重要だが、今はそれではない。」
「なんだ、紅鶴様の話か。そなたも案外、スケベだったか。」
ニヤニヤと笑う同輩にキレ気味に由北は返事をする。
「薬草が何だと言っておっただろう。そこを話して欲しいのだ。」
あぁ、と拍子抜けしたような顔になった同輩が笑い出す。
「そなたは本当に草が好きだな。紅鶴、もとい、お辰様が沙魚丸様に秘伝と言われる薬草のことを伝授したらしいのだ。」
「真か。」
絶句する由北の肩をポンポンと叩いた同輩が気の毒そうに言う。
「すまんが、俺はこれしか知らん。まぁ、機会があれば、沙魚丸様に直接お聞きすればいいと思うが・・・。」
「どうしたのだ。何を言い淀む。沙魚丸様とは話しにくい御方なのか。」
「いや、沙魚丸様ご本人は、気さくなお方だが・・・。」
口ごもる同輩に首を傾げた由北だが、それ以上は何も語らない同輩を放置し、沙魚丸に面会し話を聞こうと思い立った。
思い立ったが吉日。
馬を飛ばし、森に入り手土産のためのアケビを用意した。
だが、止めた。
同輩が言いにくそうにしている理由が分かったのだ。
沙魚丸に悪意を持つ者が多いのだ。
多すぎると言ってもいい。
彼らが沙魚丸を嫌う理由は簡単だ。
雨情だけではなく有紀までもが沙魚丸のことを可愛がっているのが許せないのだ。
彼らにしてみれば、常盤木家には立派なお世継ぎがいて余計な波風を起こされるのは困るのだ。
雨情と有紀の子は立派に育ち、別の子が雨情の跡を継ぐなどあり得ないと由北は思っている。
だが、驚いたことに一部の者からは、沙魚丸が常盤木家を継ぐのでは、とまことしやかに囁く者まで出始めているではないか。
沙魚丸が来てから、まだひとつきか、ふたつきしか経っていないのに・・・
由北は怖いと思ったからこそ、沙魚丸には近寄らないのが一番だと思った。
と思っていると、雨情から呼び出しを受け、急いで駆けつけて見れば、雨情から直々に沙魚丸の手助けをするようにと命じられた。
〈雨情様には申し訳ないが、沙魚丸様の補佐などあり得ない。石臼造りはどうやら常盤木家にとって重要なお話のようだ。もし、この計画が成功すれば、沙魚丸様をお世継ぎにと言う馬鹿者が増えるのは目に見えている。そして、私も沙魚丸派の一人にみなされる。〉
そこまで考えた由北は怖気を震う。
〈嫌だ。私は土を相手にしているだけでいい。お家騒動の渦中に入るなどまっぴらごめんだ。何としてもお断りする。家族のためにも。〉
由北は震える手を握りしめ、雨情に言上するべく顔を上げた。




