失敗
茶臼&石臼を造るための説得が続いています。
雨情が恐妻家である、と知った沙魚丸に余裕が生まれたところからお楽しみくださいませ!
〈人間には余裕が必要なのよ。〉
改めて沙魚丸は思う。
自分のような小心者には余裕を感じさせる環境が必要なのだ、と。
〈微笑みながら見守ってくれる人たちに囲まれた優しく生温かい環境。温室育ちのお花になりたい・・・〉
どちらかと言えば私は雑草だけどね、と笑えるほど沙魚丸には余裕が生まれていた。
よし、やるぞと呟いた沙魚丸は改めて有紀の説得に身を乗り出す。
〈まずは事実確認からよ。〉
「ところで、叔母上はお団子をご存じですか。」
問われた有紀は頬に手を当て、残念そうに眼を伏せる。
「それがね、あまり知らないの。」
「聞いたことはあるのですか。」
「そうね。ハゼ様はご存じかしら。笹屋傳兵衛と言う当家のお抱え商人のことを。」
「笹屋傳兵衛・・・。あぁ、はい。知ってます。」
大木村にて手拭いをくれたイケメンのことだったかしら、と沙魚丸は記憶を手繰る。
〈あの日は、合戦やら武蔵様の説得やらとイベントが盛りだくさんだったから笹屋さんのことをあんまり思い出せないわね。でも、イケメンの顔は忘れないと思うんだけどなぁ。もしかして、男って自分よりイケメンの記憶は排除する前頭葉になっているのかしら・・・〉
悩ましい表情を見せる沙魚丸を気にすることなく有紀は話を続ける。
「数か月前になるかしら。笹屋がね、都ではお団子なるモノが流行っているようですよ、って言うのよ。そんなこと言われたら気になるじゃない。だから、今度持って来てねって頼んだの。そうしたら、楽しみにお待ちくださいって神妙な顔で返事をするからとっても楽しみに待っていたのよ。でも、あの男・・・、全然持ってこないの。」
そこで話を切った有紀は目には怒りの劫火を宿し、口元には冷ややかな微笑みを浮かべて、静かに言うのだ。
「ハゼ様はね、口先だけ達者で顔だけが取り柄の男を配下にしてはいけませんよ。」
沙魚丸はとても素直に首肯した。
反射的に頷いたと言ってもいいほどに・・・
〈分かります。前世でもそんな男だらけでしたから。あれ、何か別の意味が込められている気がする・・・〉
有紀の真意を探るべく考え込んだ沙魚丸はとんでもない結論を絞り出す。
〈叔母上はもしかして、私が男色家と思ってるのかしら。あれ、いいのか・・・〉
恐る恐る有紀の様子を窺う沙魚丸は、曖昧な微笑みを浮かべている有紀を確認しただけだった。
〈さすがに考えすぎよね。それより、お団子よ。お団子。今のお話からして、叔母上はお団子のことは知らないのね。そうと決まれば、胃袋作戦よ。叔母上の胃の腑を悶絶させなきゃね。〉
前世では数々の食レポ動画を見ていた沙魚丸だが、彼ら・彼女らのように上手く紹介する自信はかけらも無い。
だが、何とかなるだろうとは思っている。
死線を潜り抜けたことで、本人も気がつかない内に沙魚丸は図太くなっていたのだ。
失敗しても死ぬわけじゃぁなし、成功するまでやり直せばいい、と気軽に考えられるほどに。
「笹屋さんに代わって、石臼が完成した暁には私が叔母上のためにお団子を作って差し上げます。」
「まぁ、本当。嬉しいわ。でも、お団子のことをよく知らないの。笹屋から聞いたお話だと、お餅と同じかしらって思ってしまったのだけど・・・」
「ご説明いたしましょう。私が知る限りで申し訳ありませんが、餅は穀物の粒を蒸して作り、お団子は穀物の粉をこねて作るのですよ。」
ふんふんと目を輝かせて頷く有紀に沙魚丸の言葉は熱を帯びていく。
やはり、女子は餅や団子が好きなのだ。
沙魚丸は久しぶりのスイーツ女子との会話に胸が熱くなる。
「お餅はぐいーんと伸びて一息に嚙み切れませんし、弾力があります。一方、お団子は一口で食べれる大きさで作りますし、歯切れが良くてねばりが少ないのです。」
「ハゼ様。肝心のお味はどうなのかしら。お餅は知っていますので、お団子の味を教えてくれるかしら。」
有紀の食いつきの良さに沙魚丸は内心でガッツポーズを取る。
〈よし、よし。これで、叔母上が涎を垂らしそうな顔をしたら、私の勝ちよ。〉
みたらし団子のことを説明しかけた沙魚丸は慌てて口を押さえる。
〈砂糖は値段が高くて使え無いし、みりんに至っては未だに聞いたことすら無い・・・。と言うことは、叔母上の期待を上げてしまうのは危険よね。だって、みたらし団子を作れなかった時、叔父上ですら怖れる叔母上の怒りに襲われるもの。〉
誰よりも食べ物の恨みに詳しいと思っている沙魚丸は口を開く。
「お団子はそのままで食べても優しい甘みがあって美味しいのですが、何かをつけて食べると美味しさが何倍も跳ね上がるのです。」
期待に胸を高鳴らせ、沙魚丸を見ている有紀の口元を確認した沙魚丸はここぞとばかりに両手を広げて高らかに宣言した。
「私が好きなのは、ずばり、醤油焼き団子です。」
しかし、沙魚丸は有紀の一言で奈落の底に落とされる。
「醤油ってなぁに?」
小首を傾げる有紀は実にかわいい。
愛おし気な有紀の姿など目に入らないほどにパニック状態の沙魚丸は有紀の言葉を脳内で繰り返し、なぜと呟く。
〈醤油は室町時代にあったはずよ。どうして。〉
沙魚丸の食い意地は凄まじいものがある。
天ぷらの美味しさに感動して自分のペンネームにハゼを入れるぐらいに・・・
火縄銃の造り方が書かれた本を見ても数秒で意識が無くなっていた沙魚丸だが、食べ物に関することだけはどんなに分厚い本でも最後まで読み通せた実績がある。
よって、食べ物に関することだけなら、沙魚丸の記憶は確かなはずなのだ。
説得を失敗した、と思う沙魚丸。
しかし、雨情が不思議そうな顔で話し始めた。
「醤油なら有紀も見たではないか。昔、笹屋が持って来ていたのを。黒っぽい液体のことだな、沙魚丸。」
「そうです。その通りです。」
助かったとばかりに沙魚丸は相槌を打つ。
打ちまくる。
「あれは旨いな。」
何かを思い出し、いい顔をしている雨情に有紀が口を尖らせる。
「旦那様。私は醤油を知りませんよ。お一人で食べたのですか。」
「何を言っておる。笹屋が持ってきた鴨を照焼きにして旨い旨いと言って一緒に食ったではないか。儂よりもたくさん食っていたことを昨日のように思い出せるぞ。」
驚き叫ぶように返事をする雨情をしばらく睨むように見ていた有紀は、少しばかり唸ると不意にうふふと笑い出す。
「あれは美味しかったですねぇ。」
「旨かったな。」
二人がニッコリと笑いあうのを見て沙魚丸は思うのだった。
〈なるほど。夫婦円満の秘訣はこの呼吸ね。〉
「醤油を使った団子か。どんなものだ。」
サラリと話の流れを引き戻してくれる雨情に沙魚丸は渋オジ感謝と心の中で手を合わせる。
気持ちを切り替えた沙魚丸は左手に小さな輪を作る。
「これぐらいの大きさの球を作り、3つから5つを竹串に刺して素焼きしていくのです。少し焦げ目がつくぐらいに焼きます。」
話を止めた沙魚丸は二人を交互に見て、右手に持っている串を醤油壺に漬け込む真似をする。
「こうして秘伝の醤油壺にお団子を漬け、さらに焼くのです。どうです、醤油の焼けたいい匂いがしませんか。焼きたての団子を串のままパクリと食べるのです。」
「まぁ、美味しそう。いえ、きっと美味しいに違いないわ。」
有紀の反応に沙魚丸は心の中で万歳を繰り返していた。
〈叔母上に涎を垂れさせるのは無理だったけど、これは成功よね。〉
やり切った感を出している沙魚丸は口元が緩みそうになる。
しかし、沙魚丸は奥歯をぐっと噛みしめ、敢えて厳しい表情を作る。
雨情からの視線を感じたからだ。
〈今の話で何か突っ込まれる箇所は無いと思うのだけど・・・〉
そう、雨情の視線に含まれる何か言いたげな視線を感じるのだ。
雨情が口を開いた。
「秘伝の醤油壺とは何だ。醤油とはどれも同じ味なのだろう。」
ニヤリと沙魚丸は笑った。
勝ち誇ったように・・・
「甘い。甘すぎます、叔父上。醤油は熟成期間によって、濃口・淡口・溜まり・再仕込み・白と5種類に分かれるのです。お団子屋さんは、醤油に独自の工夫を加えて秘伝のタレに進化させ、お店の独自色を出すのです。」
とても熱く語る沙魚丸に雨情は呆気に取られ、ボソリと呟いた。
「お前、食い物のことにやたら詳しいな。武士の修行よりも食い物の修行に励んでいたのではないだろうな。」
この一言に沙魚丸はぐらりと揺れる。
前世の生き様に核心を突く一言を受けた沙魚丸は動揺を隠せない。
〈なんてこった。楽しくてついつい語りすぎてしまったわ。なんて答えようかしら・・・〉
沙魚丸は答えに窮してしまう。
見かねたように有紀がそっと口を開いた。
「旦那様。私たちがハゼ様の過去に触れるのは・・・」
迂闊、と呟き苦い表情をした雨情が自身の太ももをパンと叩いた。
「後ほど言おうと思っていたが、ここで告げておこう。お前が元服したら、お前の父母が死ぬことになった糀寺騒動について語ろうと思っている。なので、それまではしっかりと励め。」
〈何だか展開がよく分からないけど、叔父上たちは勘違いしちゃったみたいね。まぁ、でも、沙魚丸君との約束もあるから百合様の死亡理由が分かるのは助かるわ。〉
「よろしくお願いいたします。」
丁寧に頭を下げる沙魚丸を見て、どうしたものかと雨情は顎をさする。
「お前が石臼を造るなどと言い出したのは、儂らのためと言うのは分かっておる。」
驚きのあまり、沙魚丸は顔をパッと上げた。
〈叔父上はエスパーだったのかしら。いや、それにしては叔母上の尻に敷かれてるし、鈍感だし・・・〉
何とも言えない顔をしている沙魚丸を見て苦笑した雨情は言葉を続ける。
「儂の領地にいる間、お前は様々なことに挑戦するがいい。」
「はい、ご期待に添えるよう頑張ります。」
力強く返事をする沙魚丸に優しい目を向ける。
「一人では無理なことをするのだ。たくさんの者に手伝ってもらえ。率先して手伝う者もいれば、イヤイヤ手伝う者もいるだろう。陰で文句を言う者もあらわれるだろう。」
「はい。」
〈社会人経験がある身としては、よっく分かります。それに、今の私は元服前で何の力も無いしねぇ・・・。叔父上が何か言ってくれたところで面従腹背が世の常ってとこだろうし。〉
「ここでの経験はお前が領主になった時に必ず役立つ。」
「ありがとうございます。」
「待て、話は最後まで聞け。」
「すいません。」
「儂のもとにいる間にたくさんの失敗をしておけ。」
「はぁ・・・」
〈話が良く見えないわね。〉
困ったような顔をする沙魚丸に雨情はゆっくりと話す。
「失敗した時は辛いだろう。真面目に取り組めば取り組むほどにな。周囲から心無い言葉も浴びせられるだろう。だがな、それで一々心が折れていては、人の主などなど務まらん。」
雨情の表情がキリリと引き締まる。
沙魚丸が雨情の言葉に納得していると、有紀がすっと言葉をさしはさむ。
「若いころの旦那様もよく失敗しては、私にめそめそと泣きついていましたものねぇ。」
ニコニコと語る有紀に雨情が苦い顔をする。
「儂の話はどうでもいい。沙魚丸もそのにやけ顔をやめろ。」
ほっぺたをつねられた沙魚丸は、濡れ衣だと思うが、にやけていた気もする。
「とにかくだ。失敗した時、失敗から何かを得て、再度挑戦しようと共に立ち上がる者たちを大事にしろ。」
沙魚丸は黙って頷く。
「さて、これが一番大事なことだが。領主になった時、失敗をした者たちをどう扱えばいいのかを今のうちから考えておけ。お前風に言えば、領主としての独自色になるのだからな。但し、一つだけ忠告しておく。決して、感情的になるな。人の失敗を怒りで処理するような雑なことは絶対にするな。」
「はい。」
沙魚丸は大きな声で返事をする。
部下時代の経験を持つ沙魚丸には沁みる言葉であった。
「領主になれば、色々な思いを持つ者たちを率いて進まなければならん。成功者だけの視点で物事を見るなよ。色々な視点で物事を見ることが出来るようこの地でたくさん経験するのだ。いいな。」
「お心遣い、ありがとうございます。」
沙魚丸の目は潤む。
父母ですら無い人にこれほど厳しく、それでいて優しい言葉をもらえるなどと沙魚丸は思っていなかった。
それに言葉だけではなく、挑戦する機会まで与えてくれるのだ。
〈こんな幸せでいいのかしら・・・〉
沙魚丸が感謝の思いに胸を一杯にしていると、湿っぽい雰囲気はおしまいとばかりに有紀が声をかけてくる。
「とはいいつつも、常盤木家の財政を預かる私としては、あまりたくさんの失敗をして蔵を空にしてもらうのは困るのですけどね。」
「もちろんです。成功目指して邁進いたしますので、ご安心ください。」
沙魚丸が明るく答えたの対し、ニッコリと有紀が笑った。
「さて、石臼が必要な理由は分かりました。」
「はい。石臼があれば、何でも粉にできます。」
〈そう、何でもね。叔父上には将来、茶臼と石臼がズラリと並んだ軍需工場をプレゼントするわ。〉
沙魚丸は雨情に絶対に恩返しをすると誓いを立てる。
だが、有紀から懐疑的な声が発せられた。
「美味しいお団子を作るためだけに高価な石臼を造る必要があるのかしら。」
〈もっともです。叔母上。ですが、ご安心ください。その質問には、私、スラスラとお答えいたしましょう。〉
沙魚丸は意気揚々と答えを述べる。
「私が読んだ本に『粉にすれば何でも食べられる。』と書いてありました。くず米や粟などの雑穀の内、小さくて食べれなかったものも粉にして団子にすれば、食べることが可能ですし、何より飢饉対策にもなります。さらに、大豆を挽けば、きな粉ができますし、大豆に一手間かければ、豆腐もできるのです。」
そして、一拍おいた沙魚丸はおもむろに人差し指を立てる。
「さらにさらに、蕎麦もうどんも食べれるのです。」
最高の口説き文句を放ったつもりの沙魚丸だが、今一つ、いや、まったくと言っていいほど反応がない。
「あの、どうかなさいましたか・・・」
「きな粉と豆腐が何か分からないけれど、ハゼ様の顔から察するにとっても美味しいってことは分かったわ。でも、蕎麦はねぇ・・・。何だかもたもたしてるでしょ。」
沙魚丸は自分の愚かさを呪った。
〈うがぁ・・・。この時代の蕎麦は飢えをしのぐ非常食。しかも麵ですらないし、美味しくないんだった。馬鹿な私。でも、これぐらいじゃ諦めないわよ。〉
拳を握り直した沙魚丸は、すっと背筋を伸ばし、自信満々に話す。
「お任せください。実は、私、蕎麦もうどんも美味しく食べる方法を研究し会得しているのです。」
ドヤ顔で語る沙魚丸の顔を見た有紀は微笑んだ。
「ハゼ様は本当に食べ物に詳しいのね。」
有紀の目がすっと細くなる。
〈余計なことを言ってしまったかしら。まぁ、確かに、誰も知らない蕎麦やうどんの新しい食べ方を知っているなんて変よね・・・〉
「叔母上。私が目指す領主像は飢えの無い領国の経営者です。ですので、暇さえあれば、食べ物のことを調べていたのです。今ここに新たに誓いましょう。私のすべてを賭けて叔母上の心が躍る食べ物を石臼でもってご馳走することを。」
胸を叩いて宣言した沙魚丸に有紀が大笑いをする。
「旦那様、私はハゼ様を信じますわ。石臼は当家に絶対に必要だと思います。」
有紀の隣で、やれやれと苦笑する雨情がいた。




