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妻とは・・・

今回も、3年前のお話が続いております。

鶴山城での戦いが終わり、野々山城へ戦の報告に行く雨情は沙魚丸とお話し中です。

そこへ、お茶を入れて戻って来た雨情の奥さんの有紀が話に加わるところからお楽しみください!

有紀の突然の登場に沙魚丸は仰天した。

うわっ、と素っ頓狂な声を上げのけぞって驚くほどに。


〈一体、いつの間にいらっしゃったのかしら・・・〉


思わず有紀の顔を見た沙魚丸に有紀がニッコリ笑う。

どこまでも優しい有紀の笑顔に沙魚丸は得体の知れない恐怖とわずかな羞恥心(しゅうちしん)を覚える。


〈叔父上の奥様だもの。ただ可愛らしい女性とは思っていなかったけど、死線をくぐりぬけた私を驚かせるとは・・・。叔母上への評価を相当に見直すべきかしら。〉

実戦を経験した沙魚丸は、雨情が現れるまで調子に乗って有紀に戦場での手柄話をしていたのだ。

有紀があまりにも楽しく沙魚丸の話を聞いてくれるので、いけないとは思いつつも少しだけ話を盛ったりもした・・・


『叔母上と私の話は二人だけの秘密。叔父上には言わないでね。』と言うアイコンタクトを飛ばしながら座りなおした沙魚丸の頭上に拳骨が降り注ぐ。


「馬鹿者。これしきのことでいちいち驚くな。」


ぐっ、と痛みを耐える声を漏らしたのは雨情だった。

しかも、沙魚丸の頭蓋骨の硬さを痛感したように雨情は顔をしかめ拳を左右に振るではないか。

雨情の振る舞いを見た沙魚丸は口を尖らせる。

〈いや、痛いのは私なんだけど・・・〉

涙目の沙魚丸に更に悲報が続く。


「やはり、修行内容をもっと厳しいものにするか・・・」


雨情の呟きに沙魚丸は背筋が凍り付く。

〈いけない。叔父上の目は本気だわ。〉

崖っぷちの沙魚丸を救うべく動いたのは、有紀であった。


「まぁ、まぁ、旦那様。ハゼ様のお話を先に聞きましょうよ。」


有紀の一言に雨情があっさりと頷いた。


「それもそうか。沙魚丸、話せ。」


沙魚丸は二人のスムーズな会話に妙な引っ掛かりを覚えた。

女の勘とでも言うのだろうか。

沙魚丸の下世話なアンテナが働き始める。

〈叔父上が素直すぎるわね。ちょっと怪しくない・・・。もしや、叔父上は叔母上の尻に敷かれているのかしら。だとすると、叔父上もカワイイところがあるじゃない。〉

むふっと笑った沙魚丸を雨情が目ざとく見つける。


「その気持ち悪い笑顔をやめろ。」


頬をがっちりつかまれた沙魚丸は、慌てて言い訳を始める。


「ひゅえ、ひゃんでも・・・」


だが、頬を両側からがっしりと掴まれているのだ。

まともな言葉が出るわけが無い。

はぁーっ、と気が抜けたようなため息をついて、雨情は沙魚丸の頬から手を離した。


「遊んでいるなら儂は戻るぞ。」


立とうとする雨情を沙魚丸は必死で止めた。

〈もう。邪魔をしてたのは、叔父上でしょ。〉

少しだけ(いきどお)る沙魚丸であるが、それも心の中に納め、とびっきりの笑顔で話し始める。


「叔父上、叔母上。では、私のいい考えをお聞きください。」


「うむ。」


雨情が腕を組んで大きく頷いた。

〈うむって、合いの手としては最悪よね。何かこう、聞いてやる、オラオラって感じがして、気の弱い私は困るのよね。叔父上って本当にデリカシーが無いわよね。〉


自身のことを気の弱い無垢な少年と考えている沙魚丸だが、雨情は沙魚丸のことを心臓に毛の生えたふてぶてしい小僧と思っている。

沙魚丸は気がついていないが、雨情は気弱な人間に対して気配りのできる優しい大人なのである。

少なくとも雨情の家臣は皆そう思っている。


両者の認識の違いは置いておくとして、さらに沙魚丸の心の声は続く。

〈いざ、話す段になってからなんだけど、失敗したかも・・・〉


沙魚丸は有紀にも分かりやすく説明しようと考え、ようやく自分の思慮の浅さに気づいたのだ。

〈鉄砲の説明をしようと思ったけどダメね。実物が無い世界では早すぎるわ。ポケベルしかない時代にスマホの説明をするのと一緒よね。叔父上なら理解してくれるって勝手に思い込んでた。〉

こいつは困ったぞ、と沙魚丸はニコニコしながら悩む。


〈女神様のお告げってことにしてみようかしら・・・。でもなぁ、鉄砲の造り方なんて知らないし、構造自体もあやふやな説明しかできないしなぁ。〉


沙魚丸は自分が説明するシーンを想像してみた。

『女神様から鉄砲を造れとのご神託が参りました。鉄砲と言うのはですね、鉄の筒に入れた鉛弾を火薬の爆発で打ち出す武器です。』と言いながら火縄銃を構えるポーズを取り、バーンなどと言いながら説明する自分の姿を想像した沙魚丸は絶望のため息を心の中で吐いた。


〈ダメ。絶対に伝わらないわ。意味不明なご神託しか下さない女神様への信仰は止めようって言われかねないわね。〉


そうなったら・・・、と秋夜叉姫が何を言うかと考えた沙魚丸は恐怖で身震いする。

薙刀を振り回しながら沙魚丸を追いかけて来る秋夜叉姫がすぐに想像できてしまうのだ。

〈ダメ、ダメ。絶対にダメよ。〉


沙魚丸がなかなか話し出さないので、いよいよ()れて来た雨情の口が開く。


「おい、沙魚丸。どうしたのだ。何も言わんでは分からんぞ。」


〈ひぃー、叔父上め。短気すぎるのよ。かわいい甥が一生懸命に話そうとしているんだから、少しは待ちなさいよ。それに、私は叔父上の力になりたいと思って、提案しようと思ってるのよ。感謝されこそすれ、なんでこんなに怒られなきゃいけないのよ。〉


沙魚丸がどんよりと曇った顔に変わる一方で、慈愛に満ちた表情の有紀が声を放つ。


「旦那様。少しお静かになさいませ。そんなに大きな声を出してはハゼ様もお話がしにくいでしょう。」


「うむ。そうだな。」


ニコニコと笑う有紀と強張った表情に変わった雨情を沙魚丸は眼球だけを動かし見比べる。

〈何、何。このヒリつく空気は・・・〉


沙魚丸は気づいたのだ。

前世での父と母と同じではないか、と。


〈今の叔父上は恐妻家の父と同じ顔をしているわ。優しい母を怒らせるのは常に父だったわ。そうよ、まさしく、叔母上の笑顔は嵐の前の母の笑顔と瓜二つじゃない。〉


修羅場を思い出し、沙魚丸の背中を冷や汗がスーッと落ちる。


前世での沙魚丸は女だった。

そう、女だったのだ。


母に逆らって父に味方するなんて無謀なことをすることは無かった。

いや、父から何か高価な物を買ってもらう時ぐらいはあったが、母に盾突いていいことなど原則的にあり得ないと沙魚丸は知っているのだ。


今まさに、その経験が役に立つ時が来た。

〈叔母上を味方につける。ここから生きて帰るには、それしかないわ。〉


常在戦場を心がけるようになった沙魚丸だが、この場面で命を賭けるのもちょっと大げさな気もするかな、と沙魚丸は自嘲(じちょう)する。


〈叔母上の心にかなうことを提案すれば、尻に敷かれていると思われる叔父上は叔母上の言うことを聞かざるをえない。素晴らしい。私の脳みそ、切れまくりじゃないかしら。〉


核の傘ならぬ、有紀の傘の下に潜り込むことを決めた沙魚丸は必死で考える。


〈今すぐに鉄砲本体を造るのは無理だから、前段階として必要なモノを造っておけばいいのよ。〉


戦国好きの沙魚丸は知っている。

鉄砲があるだけではダメなことを。

火薬やら弾やら鉄砲本体以外の物が大事なことを。


さて、何を造るべきかと沙魚丸は悩む。

〈大事なのは、火薬よね。〉


そんなことを思い出しつつ、沙魚丸は黒色火薬に焦点を絞ることにした。


〈黒色火薬の原料は、えーと・・・。硝石(しょうせき)、木炭、硫黄(いおう)だったはず。細かい分量はあんまり覚えてないけど、確か硝石が一番必要だったかな。3つとも粉にしなきゃいけないけど、硝石と硫黄は薬造りで使う『やげん』でオッケーだったわね。でも、木炭は無理。木炭を粉にするためには石臼が必要なのよ。〉


沙魚丸の頭は火を()きそうなほど猛烈な勢いで回転している。


〈銃を手に入れた信長よろしく叔父上に天下を取って欲しいなんてことは考えてないけど、戦で負けて死んで欲しくないものね。〉


沙魚丸は思うのだ。

久しぶりに再会した雨情の胸に飛び込んで、『叔父上様、お会いしたかったです!』などと笑顔で言うほど雨情のことを大好きかと言われれば、間違いなくナイナイと言いつつ沙魚丸は勢いよく首を横に振るだろう。

だが、何だかんだで気の合う雨情のために何かしなくてはと沙魚丸は必死に考えるのだ。


〈鉄砲の火薬は銃身に入れる火薬と火皿に入れる口薬(くちぐすり)が必要だったわね。口薬は点火薬だから少しでいいけど、もっと細かい粉にしないといけなかったはず。石臼で造ると、うまく火がつかないのよ。だから、石臼よりももっと細かくできる茶臼が必要になるよね。たぶん・・・〉


肝心なところは自信が無い沙魚丸。

八王子城や川越で火縄銃の実演を見ただけで、火縄銃を撃ったことなど無いのだから仕方がない。


しかし、人並み以上に火縄銃のことを学んだのだ。

ここでやらねば、女がすたるとばかりに沙魚丸は気合を入れる。

よし、とばかりに沙魚丸は強面(こわもて)の雨情にに明るい顔を向けた。


「将来、石臼と茶臼が必要になります。ですから、石臼と茶臼をバンバン作りましょう。」


「茶臼ねぇ・・・」


ボソッと呟いたのは、有紀であった。


〈おっ、叔母上は賛成してくれるかな。〉

有紀の声に沙魚丸は浮き浮きした顔を有紀に向ける。


しかし、沙魚丸の考えとは真反対の表情をした有紀がいた。

何と言うか、とっても嫌そうな顔をしているのである。


有紀の横では、雨情が、あーぁ、やっちゃったよ、こいつみたいな顔をして沙魚丸を見ている。


〈石製の臼って、そんな出回ってないよね。叔母上はなんでこんな渋い顔をしてるの。もしかして、高額な茶臼を騙されて買わされたことがあるとか・・・〉


沙魚丸は有紀が何らかの詐欺にあったのかと邪推するが、何か言わなければ話が進まない。


「おっ、叔母上・・・」


恐る恐る呼びかけてみた。

すると、困ったような表情になった有紀が話し出す。


「茶臼はねぇ・・・。我が家にもあるのだけど、ちょっと面倒なのよ。」


「面倒ですか。」


「私の父の紅雨が茶臼をとっても大事しているの。それでね、ハゼ様が茶臼を造るって言ったら、多分・・・、いえ、絶対に邪魔をするわよ。」


「えっ、何でですか。」


沙魚丸は意味が分からなかった。

茶臼と石臼があれば、常盤木家の領地の生産性はものすごく向上するのだ。


〈生産性向上を前領主が邪魔をするなんてあり得るの。社長と名がつく人は、生産性向上って二言目には言ってたわよ。戦国時代の領主なら絶対に必要なはず、と思ったんだけど・・・〉


不思議そうな顔をしている沙魚丸に雨情が説明を始める。


「この世で、茶臼を持っているのは、名刹(めいさつ)やそこに縁がある者だけだ。つまり・・・」


じっと、雨情が沙魚丸を見る。


〈私に答えさせる気ね。考えろ、考えるんだ、沙魚丸。ここで間違うと、間違いなく修行のレベルが上がるわ。体に油を塗って火の輪をくぐれとか、滅茶苦茶言うに決まってるわ。それだけは絶対にイヤ。〉


手に汗をかきながら沙魚丸は閃いた。


「選ばれた人だけしか持てない茶臼を私はたくさん造ろうとしている・・・」


ほぅ、と声を漏らした雨情が感心した顔となる。


「そうだ。茶臼があれば、本格的な茶会を開ける。お茶自体が高価で手に入れにくい。しかも、茶会を開こうとする者自身が和歌に堪能など文化的にも秀でており、会に集う者たちも立派な者たちでなければならない。そんなご大層な茶会を開けることこそが、権威ある者の証なのだ。分かるな。」


「私がやろうとしていることは、権威を失墜させることになる・・・」


「茶臼一つで、そこまで変わるものとも思えんがな。出る杭は打たれると言うし、諦めろと言いたいのだが・・・」


雨情がちらりと有紀を見る。

後は任せなさい、とばかりに微笑んだ有紀が沙魚丸に尋ねる。


「ハゼ様はどうして、石臼や茶臼が必要なのかしら。」


〈『黒色火薬が必要だからです。』なんて、言えない。〉

大陸では火薬が使われていたが、大陸の沿岸を海賊行為しまくりで荒らしまくってる日本には断固として教える気はないようなので、日本に火薬の製法はまだ無い。

そんな時に元服前のアドケナイ(自称)子供が火薬が欲しいなどと言えば、怪しさ満点なのだ。


有紀の質問をごまかすように、えへっと笑った沙魚丸は有紀が持って来てくれたものに鋭く目を移した。

有紀はお茶と一緒に餅を持って来てくれていたのだ。

〈あぁ、叔母上。貴女はなんて優しいのでしょう。美味しそうなお餅をありがとうございます。〉


沙魚丸は餅に手を伸ばそうとする心を厳しく戒める。

〈こら、私。馬鹿でしょ。ここで、餅を食べ始めたら、叔父上に何されるか分からないでしょ。それより、提案するんでしょ。いや、待って。そうよ、お餅よ。〉


沙魚丸は餅を手に取った。

かぶりつきたいのをこらえて手に取った玄米餅を沙魚丸は二人に掲げ、大真面目な顔で話す。


「石臼があれば、お団子を作れます。」


なんだかんだ言って沙魚丸の答えに期待を持っていた雨情は、パチパチと目をしばたたかせ、

「真面目に聞いた儂が馬鹿だった。」

と呟き、大きなため息をついた。


さらに、沙魚丸を何かとても可哀想な生き物を見るかのように見るではないか。


〈むっきー。何よ、その腹立つ目は。すっごくナイスな提案なのに。絶対にその呆れ顔を褒め顔に変えてやるんだから。〉

沙魚丸が心をめらめらと燃え上がらせると、有紀が雨情へニッコリと笑った。


「旦那様。」


一声だけ。

有紀は一声だけ雨情へ声を向けた。

その瞬間、空間から音が消えた。

何と言うことだろう、鳥の声すら聞こえないではないか。


〈これが、場を支配する声ってやつね。〉

沙魚丸は有紀の声が自分に向けられたものでないことに感謝し、目標となった雨情をこっそりと見る。


「あぁ、すまん。」


雨情が顎をさすりながら謝ったのを見た沙魚丸は、心の中でニヤリとする。

〈叔父上が本物の恐妻家とはね。うっふっふ。これは面白くなってきたわ。いつか思いっきりおちょくってやるわ。〉

沙魚丸は雨情をニマニマとした表情で見た。


その何とも腹立たしい沙魚丸の顔を見つけた雨情は、

ギラリ

と目を光らせ、沙魚丸を睨みつける。


百戦錬磨の武将の眼光に沙魚丸はすくみ上ってしまう。

〈こえぇぇぇ。〉


心の中で悲鳴を上げる沙魚丸。

だが、雨情の弱点を発見したことで少しばかり余裕を持って話ができそうだと気が楽になるのだった。


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