雨情は野々山城へ
穏やかに晴れた冬の日の午後。
昨日までの寒さが夢だったのかと思わせる暖かな日差しにふっと心が和む。
〈縁側で餅でも食いながら茶を飲むのにうってつけだな。〉
目の前にある茶碗に手を伸ばした雨情は、冷え切った茶を不味そうに飲んだ。
この日、椎名家の本拠地である野々山城の会所には、一門衆のみならず外様衆も含めた重臣たちが集っていた。
朝早くから招集され、昨今の難題に対処するために知恵を絞った彼らには順当な疲労の色が浮かんでいるのだが、ただ一人だけ涼やかな表情を崩さない男がいる。
椎名家次席執事にして、椎名家の知恵袋と言われる清柳紫乃である。
本日の評定の段取りを一任されている清柳は、曲者ぞろいの重臣たちを相手に力んだ様子も見せずどこまでも自然体でいて、いっそ憎らしいほどである。
今まで話し合っていた問題の対応策が決定し、やれやれと重臣たちが息をついた瞬間、清柳が見目通りの怜悧な声を上げた。
「皆々様。お疲れ様ではございますが、最後の議題となりますのでお気張りください。」
『最後か、これでようやく終わりか。終われば、酒宴だったな。さて、本日の肴は何かな。』
そんな思いを抱いた重臣たちが見るからに明るくなった顔で頷いたのを確認した清柳は言葉を続ける。
「沙魚丸様に知行される領地についてとなります。」
清柳の言葉に一人の重臣が、
「あぁ、そうか。あれからもう3年が経ったのか・・・」
と、何かを思い返すように呟いた。
3年前、野々山城の戦いが終わってから、しばらくして野々山城に重臣が集められた。
主たる議題は論功行賞であり、鷹条家と緊張状態になったため、今後、諸国との外交をどうすべきかについての2点である。
しかし、論功行賞を行おうにも、大手柄を立てた沙魚丸の姿が見えない。
殊勲を立てた者を後回しにしては、椎名家に忠を尽くす者に疑念が生ずる恐れがある。
沙魚丸がどこにいるかを知っている男に重臣たちは注目する。
「沙魚丸は戦で負った怪我により、儂の屋敷で療養させておる。ここに来るまでに、沙魚丸の身に万が一のことがあってもいかんのでな。戦のことは副将の儂が報告するから問題なかろう。」
不機嫌さを隠しもせず、雨情が言った。
雨情が不機嫌な理由は簡単である。
どうにも城内の居心地が悪いのだ。
雨情はおとぎ話の浦島太郎にでもなった気がしていた。
〈少しの間でこれほど城内の様子が変わるとはな。清柳め、敵ながらやるではないか。〉
雨情の中では、自分を策にはめて鷹条軍に殺させようとした清柳を敵として断定している。
とは言え、戦国時代は野蛮と言いつつも、人間が集まって暮らす世界に変わりはない。
『お前は敵だ、死ね。』
などと宣言して、味方、しかも血縁にある者を憶測だけで敵と認定し攻撃すると、頭のおかしい人として逆に討伐対象になってしまう。
歴史を紐解くと、そんな身勝手な人も確認されるが、多くの場合、非業の最期を遂げている。
公に敵として認定するためには、証拠を示し周りに認められることはいつの時代も変わらない。
鶴山城から自領の屋敷に戻った雨情は清柳が裏切った証拠を探した。
だが、物証が何も出てこない。
鷹条家や三日月家だけでなく西蓮寺龍禅様をも巻き込んで椎名家を裏切ったのだから、証拠などすぐに出て来るだろうと雨情は簡単に考えていた。
甘かった。
清柳は見事なほどに何も残していない。
捕虜とした小松田左近を締め上げた時、清柳が鷹条とやり取りがあったことを吐いたが、内容までは知らないと言う。
清柳が鷹条とつながっている、と言ったところで口がよく回る清柳はきっとこう言うだろう。
『私が椎名家に謀反を図ったとする鷹条家の策略です。私を陥れ、椎名家を分裂させる策だ。と』
〈仕方あるまい。評定の場であの澄ました顔を締め上げて、たっぷりと吐かせてやろうではないか。〉
意気揚々と野々山城に乗り込んだ雨情は驚かずに入れなかった。
椎名家では、前当主の春久が死んでからは、変則的ではあるが二人の当主を戴いている。
春久の子供である龍久が跡を継いだが、いかんせん病弱であり、危急に備えて、春久の父、つまり前々代当主の秀久が隠居から復帰していた。
とは言っても、龍久が領主の権能を果たせない時のために、秀久は当主の地位にいるだけである。
野々山城に着いた雨情が龍久に挨拶をしようと屋敷に訪れると、
「病状悪化のためお会いできません。お帰り下さい。」
と、すげなく断られた。
言い方にイラっと来た雨情だが、気を静め、もう一人の当主、実の父である秀久に会いたいと言った。
驚いたことに秀久も病気で寝込んでいるため、こちらも面会を拒絶された。
「儂は筆頭執事である。しかも実の父が病だと言うのに、なぜ会えんのだ。」
思わず声を荒げた雨情に屋敷の奥を差配する女中が静かに言う。
「現在、ご当主の代理をお務めなのは茜御前様でございます。茜御前様から誰も奥へ通してはならないと厳命されております。例え、雨情様であっても。」
憎々し気に話す女中の顔を見て、ようやく雨情は悟った。
〈儂を殺めようがなかろうが、城内を手中にする手筈だったか。だとすると、以前、義父が襲われたのもすべて清柳の企みか。〉
義父の常盤木紅雨が何者かに襲われ手傷を負わされると言う事件があった。
幸いなことに命に別状はなく、出陣が決まる前のことであったので、単なる賊か佐和家の回し者かと思い、領内の治安体制を見直し賊や忍びの摘発を強化したのだが、
〈なるほど。城内から邪魔者を排除したかったのか。〉
と、考えると今の状況に説明がつく。
常ならば、雨情が野々山城を離れる際は義父の紅雨が入城し、変事が無いよう睨みを利かせているのだが、今回は紅雨は屋敷で療養していた。
紅雨がいなくとも数日で城中を乗っ取ることなど無理に決まっていると、雨情は油断していた。
〈義父もいない。実父も排除。龍久様も病を理由に押し込められた。なるほど、残る一門衆の花畠は御都合主義で頼りにならん。最近の外様衆は主導権争いから一歩引いておると来れば、茜御前様を味方につけた清柳の思い通りという訳か。さてさて、秀久様も龍久様も生きていらっしゃるのか。〉
そこまで考えた雨情はイヤイヤと首を横に振った。
〈子煩悩の茜御前様が龍久様に何かするとは思えん。問題は秀久様か・・・。〉
首をゴキゴキと鳴らした雨情は秀久のことを念頭から消す。
「今は評定に集中しよう。」
独り言ちて評定に臨んだ雨情が目にしたのは、当主代理として当主の位置に座した茜御前と斜め前に座す清柳紫乃であった。
上座にいる二人を見た瞬間、雨情は気分が悪くなった。
〈清柳を追求するのは無理だな。どんなイチャモンをつけられるか分かったものではないな。〉
評定が始まる前に城内の様子を調べた木蓮から驚くべきことを聞いた雨情は清柳を追求すると言う当初の目的をあっさり捨て去っていた。
「若。野々山城で勝てたのは清柳様が鷹条家の企みをすべてを見抜き、手を打っていたおかげであると城内では当たり前のことになっております。」
木蓮から報告を受けた時、雨情は真顔で言った。
「はぁ?」
よほど間抜けな顔をしていたのだろう。
木蓮が雨情を残念そうな顔で雨情を見る。
「酷いお顔となっております。」
「仕方なかろう。どうやったら、清柳のおかげになるのだ。」
「丸根城を清柳殿が手に入れたらしいのです。」
雨情は耳を疑った。
木蓮の気がふれたのかとすら思った。
「丸根城には野句中の敗走兵が逃げ込み、兵数は増加しただろう。どうやって手にいれたのだ。」
丸根城は規模こそ小さく建物などの作事には手が回っていないが、基礎部分は鷹条家がしっかりと普請しており、そんな簡単に落ちる城でないことは入城し実際に見聞した雨情がよく知っている。
さらに、三日月家が椎名家の味方になった以上、丸根城を手に入れれば鷹条家を牽制できるし、三日月家と共闘するにも絶妙な位置にある城なのだ。
ならばこそ、雨情は不思議に思う。
〈鷹条が丸根城を簡単に手放すわけもなし。清柳は寝技は得意だが実戦はさほどでもない・・・〉
「丸根城の守将は中石川と言う者らしいのですが、清柳様が城を囲み、撤退勧告の使者を送るとあっさりと城を明け渡し帰国したらしいのです。」
「一戦もしなかったのか。」
呆れた声の雨情に対し、木蓮はこくりと頷いた。
「清柳が何か仕掛けたのだろうが、評定の場で憶測で語るわけにはいかん。領地に帰ったら調べることにしよう。それにしてもだ。」
雨情が乾いた笑い声を上げると、木蓮が残念そうに答えた。
「漁夫の利と言えど、城を取った清柳様の手柄は明白です。大将首を逃したのは痛かったですなぁ。」
「まぁ、よい。此度は沙魚丸の大手柄と言うことにしておく。儂らの手柄にこだわって欲をかかなければ、清柳の術中に落ちることもあるまい。」
そして、評定が始まり、椎名家の今後が決まった。
鷹条家を滅ぼす。
そのために、隣国の佐和家とは非戦交渉を始め、可能であれば、二国で同盟を結び、鷹条家を滅ぼすと・・・
黙って聞いていた雨情は絵空事だと思ったが、評定の主導権を握る清柳に反論することは差し控えた。
幸か不幸か雨情の領地は鷹条と接してはいない。
佐和家とは接しているが、たまに小競り合いとなっている佐和家と同盟できるなら雨情としても願ったりかなったりだからだ。
よって、佐和家との交渉に花畠が選ばれた時に
〈こいつで大丈夫なのか・・・〉
ぐらいの感想しか抱かなかった。
〈儂が佐和家と交渉となると、両家ともに国境をどうする?から始まり、あの戦での損害はあーだ、こーだと終わりの見えない話となるか。そういう意味では、花畠が正解と言えば正解か。外様衆を使えばいいと思うが、外様衆の裏切りを心配して外交に使う気はないようだしな。〉
雨情がのんびりと考え事をしている間に話し合いは、論功行賞へと移る。
〈よし、ようやく出番か。〉
と、はりきる雨情を一瞥した清柳が唐突に切り出した。
「沙魚丸様は太刀川寺で僧侶になることが決まっておりましたが、先の戦で大手柄を立てました。沙魚丸様は、椎名家を支える優秀な武将となります。よって、僧侶となることは撤回すべきかと思うのですが、皆様、いかがでしょうか。」
重臣一同が、それはよい、などと賛同を示す中、雨情はぎりっと歯を鳴らす。
〈この狐め。これでは、清柳が沙魚丸に恩を売ったことになるではないか。姑息なことばかり、よくもまぁ、ここまで思いつき実行できるものだ。〉
雨情の内心の声を察知したわけではないだろうが、清柳が雨情に同意を求める。
「いかがでございましょう。雨情様にも是非ともご賛同いただきたいのですが。」
「もちろんだ。沙魚丸の活躍は儂がこの目でしかと見届けた。なんな
ら、貴殿にも見ていただきたかったな。沙魚丸が敵の策略を次々と破って行く様を。」
ニヤリと笑う雨情にうっすらと微笑み返した清柳は
「私も椎名の一門衆として、頼りになる椎名のお血筋の出現に喜んでおります。」
と、茜御前の前でぬけぬけと言った。
一同はごくりと唾を飲む。
茜御前が自ら産んだ子供を害する存在を許さないことは、誰もが知っている。
あろうことか、清柳は沙魚丸が龍久の代わりも務まると同様なことを言ったのだ。
今まで一言も発しなかった茜御前が重い口を開く。
「雨情様からの知らせで聞いております。沙魚丸殿は戦で手傷を負ったとのこと。龍久様のために働いたのですから、十分に休養されますように。後で見舞いの品をお渡しいたします。」
「ありがとうございます。沙魚丸に成り代わり、お礼申し上げます。」
激発しないどころか、沙魚丸を心配する茜御前に違和感を抱きながら雨情は茜御前に礼を言った。
「当主代理として申します。本来であれば、沙魚丸殿に褒美を授けなければいけませんが、本人がいないため、すべての論功行賞は保留といたします。私としては、沙魚丸殿に将来、どこかの領主になって欲しいと考えておりますが、雨情様はいかがお考えですか。」
「おっしゃる通りと存じます。沙魚丸は椎名家から分家し、椎名本家を守護する藩屛となるべきかと。」
「ふふ。さすがは雨情様です。ところで、沙魚丸殿のお怪我が治るのはいつごろでしょう。」
口元に笑みをたたえたまま、茜御前が雨情に尋ねた。
「怪我自体はすぐに治るかと思います。一つお願いがございます。」
「はて、何でございましょう。」
笑ってはいるが、目に妖しい光を灯した茜御前の言葉に重臣たちの肝は冷える。
彼らは一様に思うのだ。
雨情様は、よく平然と相対できるものだと・・・
「沙魚丸は領主教育を受けたことがございません。よって、私が教育を施したいと考えておりますが、いかがでしょうか。」
「沙魚丸殿を放置していたのは私にも責任がございます。雨情様の元で教育されると言うのならお願いいたしましょう。それで、どれほどの期間が必要なのでしょう。」
「3年を見込んでおります。3年後に元服し、領地を授けていただければ、沙魚丸も龍久様のご恩に感じ入り、さらに忠勤に励むでしょう。」
「分かりました。ただし、雨情様にはくれぐれも沙魚丸様の立ち位置を間違えぬようしっかりとお聞かせくださいますようお願いいたします。もし、龍久様に仇なす気持ちを抱いていると認めた時は、その場で首を刎ねます。」
「かしこまりました。」
茜御前に頭を下げつつ、雨情は思った。
〈3年の猶予ができたか。沙魚丸が領主として生きて行けるよう色々と教え込まんといかんな。どうにも、風向きが良くない。儂がいなくても大丈夫なように鍛え上げておこう・・・〉
これが3年前の評定。
3年前の評定を思い出した重臣たちは思う。
これは長引くぞ。
酒宴どころではないな、と・・・




