魅力とは
沙魚丸の直感がささやく。
触らぬ神に祟りなし、と・・・
〈とは言えねぇ。悶えている女神様と泣いている女神様の横で、人間の私一人が『この料理美味しい。ほっぺが落ちちゃうかも!』とか言いながらルンルンで飲むのもなぁ・・・〉
二柱に何とか正気に戻ってもらおうと忙しく動き回っているウサギたちに目を移した沙魚丸は、
「アセアセしているウサギって、かわいいのね。」
と呟いて、おちょこを持ち上げた。
ちびり、と酒を口にした沙魚丸はパニック状態の女神へと視線を戻す。
〈落ち着くまで近寄らない方がいいわ。〉
沙魚丸はしばらく静観を決め込もうとした。
〈閃いたわ。ぐでんぐでんに酔っぱらった私は、秋夜叉姫様と八上姫様が何をされていたのか全然知りませんって言い訳で何とかなりそうね。〉
我ながらナイスアイデアと思った沙魚丸は、そうと決まれば飲みまくるべし、とばかりにおちょこに残った酒をくいっと一気に飲み干した。
そして、おちょこに酒を注ごうと手元の折敷を見た。
はぁーっ、と長めのため息を沙魚丸はつく。
〈しまったぁ、とっくりが無い。いかなる時も宴席ではとっくりを手元に置き、目上に注ぐのが下っ端の役目だと言うのに・・・。ずばり、怠ったわ。〉
たくわんをひょいと口に入れ、ぽりぽりと小気味よく音を立てて噛む沙魚丸はくすりと笑う。
〈ゲストでお酌の心配をするって、逆に失礼なのかしら・・・〉
何にせよ、とっくりが欲しい、と考えた沙魚丸はくるくるとあたりを見渡す。
すると、炎をまとったウサギとばちっと目があってしまった。
〈ヤバイ。あのウサギからは何か不吉なものを感じる。〉
とっさに目を背けた沙魚丸だったが、すでに遅かった。
獲物は決して逃がさない、とばかりに炎をまとったウサギが沙魚丸に向かってぴょんぴょんと跳ねながら近づいてきた。
沙魚丸の前で瞬時に炎を消したウサギはちょこんと座るなり、ぴょこんと頭を下げた。
「沙魚丸様。どうか二柱の気をお鎮めください。この通り、お願いいたします。」
〈やめてよ。さっきまであんなに威勢がよかったくせに・・・。つぶらな瞳をうるうるとさせて、こっちを見ないで。〉
眷属のウサギは人を魅了する特別な力を持っているのであろうか。
沙魚丸は心をわしづかみにされた。
「任せなさい!」
頼まれれば嫌とは言えない沙魚丸である。
まして、愛くるしいウサギの願いである。
どうやっても断れる気がしない。
ドンと強く胸を叩いた沙魚丸は、威勢よく答えた。
「「「ありがとうございます。」」」
いつの間にか集まったウサギたちに一斉に頭を下げられた沙魚丸は引くに引けなくなった。
〈ウサギのかわいさにほだされて安請け合いしすぎたかも・・・〉
だが、いまさら断るわけにもいかない。
ウサギたちは沙魚丸の後から、がんばれーなどとかわいい声援を送ってくる。
聞くしかないかぁ、聞くしかないかぁ、ぶつぶつと独り言ちる沙魚丸だが、はたから見ると、薄暗い照明の居酒屋で一人寂しく背を丸め、思いつめて何かぶつぶつと言いながら飲んでるオジサンにしか見えない。
〈でもなぁ・・・、男であれ女であれパニックになってる人って苦手なのよねぇ。まして、女神様よ。パニックの女神様なんて私にどうこうできるの。あぁ、もう胃が痛くなってきた。〉
空のおちょこをあおった沙魚丸は、ようやくのこと、しどろもどろに口を開く。
「どっ、どうしたんですか。」
聞いたはいいものの、やはり及び腰である。
〈いやだなぁ、修羅場は苦手なのよねぇ。お願いですから、貴女には関係ないわってお返事を下さい。〉
しかし、そんな都合のいい話はない。
秋夜叉姫が怒られた原因の一つは沙魚丸なのだから・・・
聞くのが遅いと言う顔をした秋夜叉姫がさっきまでとは打って変わって、真面目な顔でとつとつと語り始める。
「月詠様は、妾よりもずーっと偉い神様と言うのは知っておろう。」
〈知ってはいないかも・・・〉
沙魚丸はダイフクから月詠様がどれほど偉い神様なのか会った時に聞いていたが、すっかり忘れていた。
知らないことをごまかすように、えへへ、と愛想笑いを浮かべた沙魚丸を見た秋夜叉姫の目が光る。
「ダイフクめ、沙魚丸に説明していないではないか。」
忌々しそうに呟いた秋夜叉姫は、舌打ちして沙魚丸に説明を続ける。
「其の方に神の序列を言っても仕方が無いから詳しくは言わぬが、月詠様はとんでもなく偉い神様と覚えておけばよい。それでだ。」
そこで言葉を切った秋夜叉姫がおでこに手を当て、憂鬱そうに呟いた。
「其の方の転生があまりにも杜撰とたいそうお怒りになって、妾のところへダイフクを使いに寄こしたのじゃ。」
〈ダイフク・・・。どこかで聞いたことがあるけど。うーん、ダイフクって言ったら、やっぱりあれよね。〉
にっこり笑った沙魚丸が合いの手を入れた。
「大福・・・。使い・・・。お餅の差し入れですか。」
沙魚丸のあり得ない答えに目が点になった秋夜叉姫は違和感の正体を悟った。
〈妾としたことが、間違えておった。ダイフクを餅と言うとは・・・。すまん、ダイフク。お前はちゃんと説明しておったのじゃな。〉
悲し気な表情に変わった秋夜叉姫を見て、沙魚丸はすべてが分かった気がした。
杜撰なことをやらかした秋夜叉姫に自死しろと言う贈り物、つまり、毒入りの大福が送られてきたと沙魚丸は考えたのだ。
〈神界の罰も過酷なのね。あれ、神様って毒で死ぬのかしら。まぁ、死ぬわけないし、ちょっと苦しめってことかしら。〉
と、想像をたくましくする。
同情するような目で見て来る沙魚丸にイラつきながらも秋夜叉姫は答える。
「何か変なことを考えているようだが、其の方の抜けた頭で出て来る答えは絶対に違う。ダイフクは月詠様の眷属じゃ。見かけはハチワレ猫で、お前も会ったのであろう。」
「あぁ。そう言えば、お会いしました。かわいい猫ちゃんですよね。」
「何がかわいいものか。あのくされ猫め。月詠様の使いだからと、いつもいつも偉そうにしおって。」
小声で呟く秋夜叉姫を八上姫がすかさずたしなめる。
「こら、アッキー。ダイフクは地獄耳ってことを忘れたの。そんなウッカリさんだから、私の方が厳しく怒られたのよ。どうして私がアッキーの母親なのよ。どう見たって、私の方がアッキーより若いのに。」
〈女心は複雑ね・・・。怒られるぐらいで泣くわけないと思ったけど。なるほど、秋夜叉姫様の母親扱いされたら、そりゃぁ、傷つくわ。〉
八上姫が泣いていた理由に思い当たった沙魚丸は、改めて二柱を見た。
そして、確信したように頷いた。
〈二柱とも本当にお美しい。八上姫様は見た目で母親扱いされたとお考えだけど、きっと違うわ。ダイフク様が八上姫を母親扱いしたのは・・・。秋夜叉姫様がオマヌケさんだからだわ。〉
またしても沙魚丸に憐憫の目で見られているとも知らず、慌てて口を押さえ周囲をきょろきょろと確認する秋夜叉姫に代わり、八上姫が話し出す。
「実はね、神界には転生者呼び寄せに関する幾つかの掟があるの。アッキーから聞いたかしら。」
「チート能力がもらえない、ってことならお聞きしました。」
チートにこだわる沙魚丸に八上姫は苦笑する。
「沙魚丸君にチート能力を授けていたら、アッキーは神界を追放されているわ。」
「ええっ。そんなに大それたことだったんですね。もう、決して言いません。求めません。欲しがりません。」
きっぱりと誓った沙魚丸に八上姫は微笑む。
「そうしてくれると嬉しいわ。ダイフクの言い方だと、私も巻き添えを食らっちゃいそうだから。」
八上姫に微笑んで言われた沙魚丸は金輪際、チートのことを口に出さないと誓った。
引き締まった表情に変わった沙魚丸を微笑んだまま八上姫は話を続ける。
「さて、本題に入るわね。転生者を呼び寄せた神は三日間、転生者がこの世界に馴染むように転生者の能力を向上させることになっているの。だのに、アッキーたら、そのことをすっかり忘れて貴方を転生させちゃったから、ダイフクに説教を受けたのよ。」
沙魚丸は首を傾げた。
〈じゃぁ、あんな苦労しなくて良かったのかもしれないってこと。〉
たった一日の出来事だが、生きるか死ぬかを味わった沙魚丸としては能力向上によって生死の瀬戸際を回避できたのかもと思うと何だかモヤモヤしてくる。
〈どうしよう、思いっきり泣きわめいたほうがいいのかしら。〉
だが、沙魚丸は首を横に振った。
〈終わってしまったことをグダグダ言うよりもこれからのことを考えるべきね。そうよ、チート能力じゃなくても何か生き残るためのアイテムなんかを授かるチャンスだわ。〉
チート能力を用いて異世界でヒャッハーすることを諦めた沙魚丸だったが、アイテムによって何とかなるのでは、と今一度その野望に火がついた。
「いいんです。例え、どんなに優れた秋夜叉姫様だろうと一万年に一度くらいは失敗もされるでしょう。心の広い私は秋夜叉姫様がミスをされたなんて、これっぽちも気にしていません。本当に大丈夫です。」
「その言い回し、実に腹が立つ。いかにも妾のせいで苦労したと言いたげではないか。」
「それはですね、秋夜叉姫様に負い目があるからです。でも、その負い目の消し方を私は知っています。」
「何が言いたいか分かるが、一応、聞いてやる、言ってみよ。」
「私に何かいいものをください。」
どうだ、言ってやったぞとばかりに誇らしげに話す沙魚丸の顔を見た秋夜叉姫が盛大にため息をついた。
「何を言うておる。ダイフクにさんざっぱら絞られた後、其の方に加護を与えたから、もう終わりじゃ。」
「加護って、何ですか。」
「其の方、妾が授けてやった加護に気がついておらんかったのか。」
しょんぼりとなった秋夜叉姫の肩に手を置いた八上姫が話す。
「沙魚丸君は生きるか死ぬかの瀬戸際で大変だったのだからしょうがないわよ。」
「まぁ、そう言われれば、そうかのう。」
納得した秋夜叉姫に沙魚丸は再び尋ねる。
「加護って、何ですか。」
秋夜叉姫はふんぞり返った。
「妾はな、其の方の日記を再度、熟読したのじゃ。しかも、見落としがあってはいかんと思い、やがぴょんに手伝ってもらったのじゃ。」
なんと、手には燃やしたはずの沙魚丸の日記があるではないか。
日記を見た沙魚丸は慌てた。
「ちょ、ちょっと、それは燃やしたはずでは。」
「妾は神ぞ。こんなものの再現など容易いのじゃ。」
〈そんなどうでもいいことやるんだったら、私にチートを頂戴よ。〉
モヤモヤする沙魚丸だが、秋夜叉姫が言った言葉を思い出し絶望に似た感覚に襲われた。
〈八上姫様とじっくり読んだって言った・・・。てことは、私の日記を八上姫様も知っているのね。〉
怒りよりも恥ずかしさが勝った沙魚丸は真っ赤になった顔を思わず両手で隠した。
「そうか、そうか。それほど、嬉しいか。妾も其の方が喜んでくれて、嬉しいぞ。」
ニコニコと笑う秋夜叉姫の横で八上姫がぼそっと呟いた。
「嬉しくはないと思うよ・・・」
もはや、沙魚丸の耳には八上姫の言葉すら聞こえない。
〈もう、どうでもいいわ。そうよ、神様なんだもの。人間のことなんてすべてお見通しなんだから、恥ずかしがるだけ損よ。〉
開き直った沙魚丸は、三度同じ質問を口にする。
「加護って何ですか。」
「うむ。よくぞ聞いた。」
〈いや、さっきから聞いてますよ。〉
ふふん、と鼻を鳴らした秋夜叉姫は意気揚々と語る。
「其の方の魅力度を上げたのだ。ほれ、日記では人前に出るのが嫌だとか、一人の方が気楽とか書いておったからの。魅力度を上げれば、人とうまくやっていけると思ったのだ。」
ドヤ顔で語る秋夜叉姫の言うことに沙魚丸は手にしていた箸を落としてしまった。
〈そんな・・・。嘘よ。じゃぁ、源之進さんも小次郎さんも次五郎さんも大木村の人たちも、みんな私の魅力度が上がったからってことなの・・・〉
沙魚丸は目の前が真っ暗になって、そのまま倒れそうになる。
秋夜叉姫の説明を横で聞いていた八上姫がはっしと沙魚丸を受け止めた。
「違うわよ。貴女が頑張ったからよ。」
耳元で優しく囁く八上姫を茫然と見上げた沙魚丸は力なく首を横に振る。
あまりのショックに沙魚丸は真っ白な灰となっていた。
「いいんです。大した力もないくせに、私ってイケてると思った自分が恥ずかしいだけなんです。」
すーっと頬を伝って落ちる沙魚丸の涙を白魚のような指で受け止めた八上姫が言う。
「アッキーは戦女神でしょ。魅力を司る神はこの世界では別にいるの。それにね、神格が落ち目のアッキーに授けることができる加護なんて全然大したことがないの。ほんとにちょっぴりなのよ。」
人差し指と親指がくっつきそうなほどの隙間を作った八上姫が微笑んで見せた。
「だから、沙魚丸君が頑張ったってことだから自信をもって。」
不安げな目をした秋夜叉姫がわたわたと続ける。
「妾の言い方が悪かったかのう。言いたくはないが、妾が授けた魅力度向上は『あの人、かっこいいかも。』ぐらいでな。初対面の印象が良くなるぐらいなのじゃ。もっと言うとだな。元の沙魚丸の魅力がなかなか酷い状態だったから、妾が加護を与えて、プラスマイナスゼロ。そう、やっと人並みになったぐらいなのじゃ。」
〈なんだぁ、そうなのか。そうよ、みんなとは濃ゆい結びつきができたのよ!〉
そう思った沙魚丸に気力があふれて来た。
〈あれを全部、加護の一言で片づけられてたまるもんですか。〉
凛々しい顔になった沙魚丸は、二柱の女神に三つ指をついた。
「こんな私を見守ってくださって、ありがとうございます。お陰様で沙魚丸は修羅の世を生き抜く自信ができました。」
ほっとした顔をした秋夜叉姫は八上姫と笑いあうと、優しく沙魚丸の頭を叩いた。




