裏切り者
沙魚丸は声にならない悲鳴を上げた。
〈前の世界も含めて、人生で最大の恐怖を味わっているのかも・・・〉
沙魚丸の眼下には怖気を震う光景が広がっている。
さっきまで寛流斎に卑屈に頭を下げていた者たちが、情け容赦なく寛流斎の首を狙っている。
〈なんなの、この人たち。〉
沙魚丸がドン引きしている様子を見て、源之進が心配そうな表情で話しかけて来た。
「大丈夫ですか。」
「はい。何と言うか。凄いなと・・・」
〈生への執着。追い詰められると、私も平気で人を裏切ることができるのかしら。なんか、ちょっと嫌かも・・・〉
沙魚丸はぶるりと体を震わせる。
源之進は沙魚丸の心の声が聞こえたように相槌を打つ。
「そうですね。」
そして、沙魚丸に聞こえないように小さく呟く。
「なんと浅ましいことか・・・。沙魚丸様には、あのような醜悪な者たちの姿をお見せしたくは無いのだが・・・」
「何か言いました。」
何か暗い顔でぼそぼそと呟く源之進に気づいた沙魚丸が首を傾けて尋ねるが、源之進は優しく微笑み
「何でもありません。」
と答えるだけだった。
沙魚丸は裏切り者たちを指さす。
「あの人たちは、寛流斎さんの味方だったのに・・・」
と言ったところで、沙魚丸はパンと手を打った。
〈分かった。策謀家の武蔵さんが企んだのね。やるじゃない、武蔵さん。〉
「あの人たちが裏切るように武蔵さんがこっそりと手を回していたのですか。」
片眉をクイッと上げた源之進が苛立ちを含んだ声で答える。
「いいえ。ただの勝ち馬に乗ろうとする者たちです。」
〈おっ、源之進さんの返事が手厳しい。そう言えば、さっきから怖い顔してるわね。〉
源之進のただ事ならぬ様子に沙魚丸は慌てて源之進から目をそらす。
源之進の心の中はどうしようもない怒りが渦巻いていた。
〈しまった。沙魚丸様に向けていい声ではなかった・・・。しかし、平然と主君を裏切る者を見ると、はらわたが煮えくり返って抑えきれない。早く落ち着かねば。〉
『主君に忠たれ』と言うことを自らの信条とする源之進にとって、彼らは恥ずべき卑劣漢でしかなく、許さざるべき存在なのだ。
何となくだが沙魚丸には分かった。
怒りのオーラに包まれている源之進が必死で抑え込もうとしていることが。
〈私のためなのよね。ありがとう、源之進さん。〉
今の源之進に話しかけるのは止めておこうと考えた沙魚丸は矢倉の下で繰り広げられる光景を見続けることにした。
攻撃してくるわけが無い者たちから突然槍を向けられた寛流斎の兵はバタバタと倒されていく。
武蔵の顔をそっと沙魚丸は窺う。
〈武蔵さんは、どうして攻撃しないのかしら。チャンスよね。〉
武蔵は腕を組んだまま、苦渋の表情で見つめている。
沙魚丸は武蔵の苦しみが分かった気がした。
〈そうよね。今、攻撃をしたら武蔵さんの味方になった人にも被害がでるよね。なるほど。刃向かった者を許せる度量が領主には必要なのね。それに、みんな家臣だものね。〉
「うーむ、深い。」
と独り言を呟く沙魚丸だが、ちょっと待てよと頭を捻る。
〈寛流斎さんも許すのかな。戦国武将って裏切り者は許さないってイメージがあるんだけど・・・。どう決着をつけるんだろう。不謹慎とは分かってますが、他人事だからワクワクするわね。〉
沙魚丸は熱い視線を武蔵に送る。
一方、武蔵は沙魚丸の思いなどまったく気がつかないでいた。
武蔵はそれどころでは無いのだ。
首を狙われた武蔵はこの事態をどう収拾すべきか悩んでいた。
謀反を起こした張本人の寛流斎は誰が何と言おうと絶対に殺さなければいけない。
そんなことは百も承知している。
悩んでいるのは、武蔵をさらっと裏切り寛流斎に味方した者たちだ。
旗色が悪くなった瞬間にいともたやすく寛流斎を裏切り武蔵に尻尾を振り始めた者たちの処遇について頭を痛めた武蔵は深い溜息をつく。
〈俺は、あいつらを許せるのか・・・〉
正直なところ、許したくない。
絶対に許したくない。
寛流斎よりも激しい憎しみを感じる。
〈きっぱりと裏切った寛流斎の方が清々しい。はてさて、コウモリみたいなやつらは今後の俺に必要なのだろうか。というか、こいつら、また裏切るよな。〉
武蔵は自問を続けるが、なかなか答えが出てこない。
考えるのが面倒になった武蔵は、ついつい禁断の一言を漏らしてしまう。
「寛流斎、そんなやつら殺っちまえよ。」
我に返った武蔵は、誰も聞いてないよな、と思わず首を左右に振る。
大山崎が驚いた目で武蔵を見ている以外、誰もが矢倉の下を見ている。
ふっと短く笑った武蔵は、寛流斎の方へ顔を向ける。
〈笑ってごまかす。大山崎なら分かってくれるはずだ。〉
ちらっと大山崎を見るが、依然として固まったままだ。
〈後で言い聞かせよう。後だ。後。今は寛流斎と裏切り者だ。〉
武蔵の声が聞こえたのだろうか、寛流斎が笑みを浮かべる。
いたずらがバレた子供のような屈託のない笑顔を。
〈いいではないか。この肌がひりつく感じ。〉
寛流斎は民の幸せのために領主の座を武蔵から奪うと配下の者たちへ公言していた。
民のため云々と言うのは、配下の切れ者が考えたことであって、寛流斎が領主になりたいと考えた理由は別にある。
武蔵が領主になってから、寛流斎は武蔵から遠ざけられていく感じがしていた。
『武蔵が何を考えているか分からん。』
屋敷で武蔵への不満をこぼすようになった寛流斎を心配した家臣が、領主屋敷へ配下を送り込んだりして武蔵の言動から行動まで探りを入れ始める。
それからというもの、武蔵は寛流斎に対して丁寧に接するようになった。
だが、二言目にご老人と呼ばれ、寛流斎はだんだんと腹が立ってきた。
〈よかろう。儂を老人扱いしたことを後悔させてやる。儂がまだ衰えておらんことをお前たちの体に刻み込んでやろう。〉
寛流斎が領主の座につくと考えたのは、老人扱いした武蔵を見返してやろうと言う実に他愛もないことだった。
しかし、寛流斎の配下が海徳と秘密裏に話を進め、十六夜が前面に出て来て、話が大袈裟になった。
〈儂を散々虚仮にしたのだ。武蔵を討つのもよいか。〉
寛流斎は謀反に本腰を入れ、謀反が成功するところまで、あと一歩となっていた。
ところが、不思議なことに成功するはずだった謀反が失敗し、寛流斎は絶体絶命の危機にさらされている。
危機を楽しむように寛流斎の口は喜びで裂けんばかりに広がる。
〈はっはっは。これだから人の世は面白い。〉
寛流斎の体には力がみなぎり、若々しい感覚がよみがえってくる。
槍の一振りでさくさくと裏切り者を倒していく。
〈そうかそうか。儂は死地にいるのが楽しいのだな。〉
寛流斎は自分が何を求めていたのかを悟り、高らかに笑い、槍を振り回す。
そんな寛流斎の様子を見ていた武蔵が少し嬉しそうに独り言ちる。
「寝た子が起きちまった。困った。」
武蔵は寛流斎の若いころを知っている。
猛将と言われ活躍していたころを。
武蔵は寛流斎に憧れていたのだから。
老人がシャカリキに前に出て来るのがうるさく、これからの時代は若い俺たちに任せて、寛流斎はさっさと隠居しろと武蔵は考えた。
老人扱いし、勝手に遠ざけたことが裏目に出たのかもしれない。
〈こうなる前に、もっと話し合っていればよかったか・・・〉
ふわっと頭に浮かんだ考えを武蔵はすぐに消し去った。
〈もう遅い。後悔などしている暇はない。〉
隣にいる次五郎に小声で囁く。
「やっぱり、寛流斎は強いな、おい。」
「あぁ、子供の頃に見た英雄然とした姿と同じだ。」
次五郎の声も心なしか弾んでいる。
武蔵は腹をくくり、声に力を込める。
「頼めるか。」
「もちろんだ。」
次五郎は矢を構えると、寛流斎に狙いをつける。
〈俺が寛流斎様に引導を渡す。余人には渡さん。〉
ギリギリと弦を引き、次五郎は矢を放った。
矢はまっすぐに寛流斎めがけて飛んで行く。
命中した、と二人は確信した。
しかし、横合いから一人の騎馬武者が現れ、手にした刀で矢を打ち落とした。
〈おいおい、どうなってるんだ。あの騎馬武者、軽く打ち落としやがった。〉
めらめらと次五郎の闘争本能が燃え上がる。
〈おもしれぇ。次は必ず射殺す。〉
第二射を放とうとする次五郎だが、射線が寛流斎を守る武将たちによって阻まれていることに気づく。
矢を下ろした次五郎は、残念そうに言う。
「すまん。あれだけ守られると無理だ。」
「そうか。」
武蔵は頷くと、次五郎に笑顔を向け言った。
「寛流斎は俺が直接倒すから、気にするな。」
次五郎はニヤリと笑い、黙って武蔵の背中を叩いた。
◆◆◆
沙魚丸は見た。
確かに見たのだ。
次五郎が放った矢を叩き落した男が持った刀に付けられた組紐を。
〈あれ、針間さんに贈った組紐だったよね・・・〉
沙魚丸の思考が追い付かない。
前の世界の沙魚丸は近距離でモニターを見続けて、眼鏡なしに生活できなくなっていたが、今は違う。
ものすごくはっきりとくっきりと見えるのだ。
〈鍔に結んであるみたいだったけど・・・。うん、あれは私が作った組紐よ。〉
沙魚丸は自信を持って断定した。
〈ということは、あれは針間さんなのよね。もしかして、組紐が邪魔だから誰かにあげちゃったのかしら。〉
悲しくなりかけた沙魚丸だが、針間がそんなことをするはずがないと首を振る。
ついさっき別れたばかりの針間が、寛流斎が率いる兵の中にいるはずがない。
しかも、次五郎が放った矢から寛流斎を守ったのだ。
そこまで考えた沙魚丸は不吉な考えにとらわれる。
〈もしかして、危険な任務って言ってたから・・・〉
〈顔を見ればいいのよ。私って本当に馬鹿ね。〉
目を凝らして針間らしき男を見るが、立派な甲冑を身に纏い、頬当ですっぽりと顔を覆った男が針間だと沙魚丸に見極められるほど、針間とたくさんの時間を過ごしていない。
〈分かんない・・・〉
途方に暮れた沙魚丸だが、きらんと閃いた。
〈源之進さんなら分かるよね。なんたって、幼馴染なんだから。〉
はっしと源之進を見た沙魚丸は、源之進もまた、瞬き一つせずにその男を見つめていることが分かった。
沙魚丸の食い入るような視線に気づいた源之進は、沙魚丸が何を言いたいのか即座に理解し、黙って小さく首を横に振る。
他の者に気づかれぬように・・・
〈聞くな、と言うことね。了解。〉
これまた首を小さく縦に振った沙魚丸は、源之進から矢倉の下に顔を戻し男を探すが、寛流斎と共に退却をしたのか、すでに男の姿はなかった。




