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舌戦

寛流斎が意気揚々と二の門を通過するのをちらりと見た針間は、名残惜しそうな顔を沙魚丸に向ける。


「沙魚丸様。残念ですが、私はここでお別れいたします。」


「御役目ですか。」


「はい。」


微笑んで答える針間だが、沙魚丸には針間の返事がどことなく寂し気なものに感じられた。

〈この笑顔は、御役目の内容を聞いてくれるなってことね。とっても危険な任務に行くんだろうな。ううん。私が悲しそうな顔してちゃ、ダメよ!〉


これでもかとばかりに笑顔となった沙魚丸は、懐から取り出した長さ10cmほどの組紐を針間に差し出す。

おそるおそる受け取った針間は優しく微笑む。


「いただいてもよろしいのでしょうか。」


「お辰様に教えてもらって作ったんです。上手に作れなくて申し訳ないですが、貰ってもらえると嬉しいです。」


沙魚丸は自分の人差し指同士をツンツンとつつきながら恥ずかしそうに話す。


「ありがとうございます。大事にいたします。」


目を細めた針間は組紐を愛おしそうに撫でる。


そんな針間を見て、言おうか言うまいか悩んでいた沙魚丸は、

〈言ってしまおう。〉

と決心する。


「源之進さんから聞きました。」


「何でしょう。」


「母が針間さんに下緒(さげお)を贈る約束をしていたと聞きました。贈れなかった母に代わり、私が作っておきますので、必ず帰ってきてください。」


針間は雨が降り出したのかと思った。

目に入った雨のせいで、沙魚丸の顔が見えない。

拭いても拭いても、後から後から雨が目に入って来る。


「針間様。こちらをお使いください。」


いつの間にか沙魚丸の隣に立っていたお辰が、手拭いを針間の手に握らせた。

〈あぁ、私は泣いていたのか。泣くなどと百合様の訃報を聞いて以来か・・・〉


涙を拭いた針間が、可笑しそうに笑う。


「嬉しくて泣くと言うこともあるのですね。」


「でしたら、必ずお戻りになって、沙魚丸様から下緒を頂戴しないといけませんね。」


「そういたします。」


針間が爽やかな笑顔をお辰に見せた時、沙魚丸は完全にパニックに陥っていた。

お辰が助け舟を出してくれたこと、いや、お辰が横にいることすら分かっていない。


〈私のせい。どうしよう。針間さんが泣いちゃった。そうよ。源之進さんだわ。源之進さんのアドバイスのせいね。〉


あろうことか源之進のせいにまでするぐらい混乱している沙魚丸の頬をお辰は両手で餅を伸ばすように横に引っ張った。


〈いたひ・・・。あれ、お辰様。〉

笑顔のお辰が赤くなった沙魚丸の頬をさすりながら言う。


「沙魚丸様。大丈夫ですか。ちゃんと挨拶をしないと針間様が行ってしまいますよ。」


〈針間さんが行っちゃう・・・。そうよ、お別れしてるんだったわ。〉


針間を見た沙魚丸はほっとする。

〈あれ、泣いてない。気のせいだったのかな。最近、白昼夢の傾向があるのよね。針間さんが泣くわけないし・・・。うん。気のせいよ、気のせい。〉


「針間さんには、藤色の組紐が似合うと思うんです。楽しみにしていてください。」


組紐を握りしめた針間は、柔らかな声で沙魚丸に答える。


「必ず戻って参ります。沙魚丸様もお元気で。」


頭を下げた針間は、ひょいと矢倉から飛び降りた。

驚いた沙魚丸が矢倉の下を見た時には、すでに針間の姿は無かった。


〈かっこよ。決めたわ。叔父上にお願いして、針間さんを私の家臣にしよう。影の軍団のトップは針間さんに決定。〉


むふむふと気持ち悪い笑いを発している沙魚丸にお辰が話しかける。


「さぁ、沙魚丸様。そろそろ寛流斎が参りますので、沙魚丸様も用意いたしましょう。」


「何かするんでしたっけ。」


〈何のことだろう。聞いてないよね・・・〉

沙魚丸の返事にきょとんとしたお辰が、おほほと楽し気に笑い出す。


「まぁまぁ、おとぼけになるなんて、腹の据わったことですこと。椎名家を代表して、寛流斎に一発ぶちかますのでしょう。楽しみにしておりますからね。」


悪い笑みを浮かべるお辰に恐怖を感じた沙魚丸はこくこくと頷いた。


「では、ここに隠れていて下さい。合図と共にかっこよく躍り出てくださいね。」


「頑張ります・・・」


返事はしたものの、

〈ぶちかますって何。分かんない。あれ、合図って・・・〉


お辰に尋ねようとすると、お辰は矢倉のどこにもいない。

〈あっ、下にいる。もしかして、お辰様も飛び降りたのかしら。どういう運動神経しているのよ。沙魚丸君もできるかな。やってみようかな。〉


好奇心を膨らませた沙魚丸だが、しばらくしてゆっくりと首を横に振る。

〈沙魚丸君の体が凄くても、私の心はまだどんくさいままだから、止めといた方がいいよね。接骨院とか無さそうだし、骨折に効く薬草は教えてもらってなかったかな。〉


緊迫した空気に包まれる中、沙魚丸がどうでもいいことを考えていると、門の前が騒がしくなってきた。


〈門の外からだわ。寛流斎さんが来たのね。〉


沙魚丸は聞き耳をたてる。

武将たちの狼狽している声が聞こえてきた。


「一の門がなぜ開いておらん。」


「寛流斎様の策は成功していたのではないのか。」


「搦手門も二の門も素通りだったのだ。一の門は手間取っているだけだろう。じきに開くはずだ。」


「おい、矢倉にかけられている布は何だ・・・」


一人の武将の声に沙魚丸は鋭く反応する。

〈布?そんなの無かったと思うけど・・・〉


不思議に思った沙魚丸が矢倉を見渡すと、確かに布がかけられているところがある。


〈あれは木下さんが縛り付けられていたところ・・・。もしかして、殺っちゃったのかしら。首が無くなっているとか・・・〉


沙魚丸はごくりと喉を鳴らす。


騒々しい配下の前に馬を進めた寛流斎が手にした采配をさっと上げた。

『黙れ。これ以上、相手の挑発に乗せられるな。』と言わんばかりに。


寛流斎の狙い通り、配下の者はぴたっと口を閉ざす。


〈ふははは。どうだ、儂の威厳は。儂ほど領主にふさわしい者はおらんのだ。〉

心の中で高らかに笑う寛流斎は、配下の者たちに貫録を見せつけるべく静かな声で近臣の大島新兵衛に告げる。


「新兵衛。門を開けるように言え。」


頷いた新兵衛が誇らしげに胸を張り大股で門に近づき、呼ばわった。


「武蔵様への御目通りをするため、我が(あるじ)、三宅寛流斎が参上した。()く門を開けられよ。」


一瞬の間があって、ガン、と矢倉の柵に足をかけた音がする。

萌黄威(もえぎおどし)の甲冑を身にまとった武蔵が腕を組み片足を柵に乗せ、寛流斎たちの前に

姿を現した。


〈武蔵さんがカッコよく見える!〉

沙魚丸はあやうく声を出しそうになり、慌てて手で口に蓋をする。


「俺に会うには、えらく物々しい姿だな。しかも、そんなにたくさんの兵を引き連れ、俺に何の用だ。」


突如、姿を現した武蔵に寛流斎に味方する者たちが動揺する。

配下の揺らぎを見て取った寛流斎は軽く舌打ちし、馬を前へと進める。


「怪しき法螺貝の音が聞こえたので、儂は武蔵様の御身を守るために配下を引き連れ馳せ参じたのです。さあ、早く城門をお開け下さい。」


武蔵は冷然と寛流斎を見下す。


「笑止。貴様が謀反を企んでいるのは露見済みだ。ここを通ると言うのなら、城門を打ち破って来るがよい。」


〈露見しただと・・・。いや、鎌をかけているだけだな。〉

寛流斎は武蔵を懐柔すべく微笑んだ。


「武蔵様。御疑いのことがあれば、申し開きをいたしましょう。何でしたら、儂一人で本丸に入りますから、城門を開けてくだされ。」


〈門が開きさえすれば、儂が合図など出さなくても皆が突っ込む。それで、終わりだ。〉


満面の笑みで武蔵を見た寛流斎は、武蔵が一人で立っていることに気づいた。


〈そうであった。本丸の兵はすべて大手門に行かせたのだったな。武蔵様を守る兵は数人しかおらん。いや、儂に味方する近習の者に合図を送れば、よいだけではないか。いかんな。儂としたことが、少々興奮していたようだ。〉


目に殺気を宿らせつつ、寛流斎は武蔵の回答を待つ。

〈一の門を無残な姿に変えるのは、野句中様を本丸へお迎えするのにも体裁が悪い。できれば、すんなりと終わらたいのだがな。〉


「寛流斎。お前の企みはすべて露見したと言ったであろう。これを見よ。」


怒りに震える手で武蔵は布をバサッとまくり上げた。

布で覆われ隠されていた者が露わになる。


一瞬の静寂の後に一人の武将の怒号が響き渡った。


「私の息子に何たる仕打ち。武蔵様と言えど、許されることではありませんぞ。」


〈木下パパね。そりゃぁ、怒るわ。可愛い子供があんな有様じゃぁねぇ。でも、首もついてるし、もぞもぞ動いてるから殺さなかったのね。〉


ほっとした沙魚丸だが、木下がさらに憐れな様子になっているのは知らないことにする。


「盗人猛々しいとは、貴様らのことよ。我が首を狙っておいて、よくもそのような痴れ事をほざけたものだ。」


激怒した武蔵の言葉を聞いた寛流斎が笑い始めた。

沙魚丸は寛流斎の笑い声に不吉なものを感じる。

〈おおっ、どうしたの。吹っ切れた感じで笑ってるけど。〉


高らかに笑った寛流斎の声が、どすの利いた声にガラリと変わる。


「武蔵様、いや、武蔵。儂の企みに気づいたことだけは誉めてやろう。だが、本丸まで攻め込まれたお前の負けだ。お前を守る兵などほとんどおらんのに、どうやって戦うつもりだ。今すぐに腹を切るなら一族の者を殺すのは許してやろう。」


〈おじいちゃん。怖いわぁ。殺さないってだけよね・・・〉

寛流斎の言葉を読み解いた沙魚丸は、負ければどうなるかを想像し、ぶるぶるっと震える。


耄碌(もうろく)したのではないか、寛流斎。ここを守る兵の数を調べたのか。」


「何だと。」


寛流斎は胸騒ぎがした。

〈確かに、儂への知らせが途絶えたが・・・。いや、はったりだ。〉

寛流斎は武蔵を睨みつける。

その視線に気づいた武蔵は、勝ち誇った顔となる。


「これを見ても、まだ大口を叩けるか。者ども掲げよ。」


武蔵の合図で、矢倉の上に椎名家の旗が数本掲げられた。

旗を見た寛流斎は驚く。

〈馬鹿な。椎名がここにいるはずがない。〉


さっきまでの余裕が嘘のように寛流斎は叫んだ。


「お前の策略に乗せられるものか。椎名は野句中様に蹂躙(じゅうりん)されるのだ。」


「馬鹿め。お前が野句中に出した書状は手に入れた。野句中こそ椎名軍に追い散らされるから楽しみにしておれ。」


〈書状が奪われた。そんなわけが・・・〉

寛流斎が狼狽する様子が沙魚丸の目にもありありと分かった。


〈おじいちゃんの顔色、真っ青よ。何だか、かわいそうな気がするわね。〉

沙魚丸は寛流斎をじっと見ている。


「さぁ、今です。」


〈えっ、お辰様。なんで、いつから後ろにいるの・・・〉

沙魚丸はお辰が背後にいたことをまったく気づいていなかった。

お辰は沙魚丸の背中をドンと勢いよく両手で押した。


油断していた沙魚丸が悪いのか、お辰の力が強すぎたのかは問うまい。


おっとっとっと沙魚丸はつんのめりながら皆の前に現れたかと思うと、つまずき武蔵の足元に頭から滑り込んだ。

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