謀反
沙魚丸が恐怖した鶴山城内での戦いに話を移す。
仁平がもたらした兄武蔵からの知らせに伊織は驚きつつも、
さもありなん、とため息をついた。
〈本丸でごちゃごちゃやっていると思ったが、寛流斎が謀反か・・・。寛流斎も我が強い人だから、ここまで兄上の下でよく耐えたと言うべきか。〉
寛流斎が寒山に送った文を繰り返し読んだ伊織は兵に告げる。
「大手門の守備を厳重に固める。これより、城内に誰も通すな。矢倉の上に弓兵を上げよ。」
伊織の命令に従い弓兵たちが矢倉に登ろうとすると、誰もいないはずの矢倉の上から声が降りて来た。
「ここは我らが守りますので、伊織様は早々に大手門から立ち退いていただきたい。」
驚いた伊織が矢倉を見上げると、新しく伊織の家臣となった組頭の一人が勝ち誇った顔で叫んでいる。
〈何だと。こいつも寛流斎の手下だったのか。いや、こいつ、勘弁してって言うぐらい俺に懐いていたよな・・・〉
忠義の塊みたいな顔をしていた者に裏切られたことに激しく動揺する伊織だが、わずかに残っている冷静な部分で兵を後ろに下げる。
〈さて、どうしたものかな。矢倉の上だけで裏切りの兵はおしまい。ってなわけは無いだろうな。当然、下にも寛流斎に味方する者がいるよな。不幸中の幸いか、俺の周りには古参の兵しかいないのだが・・・〉
古参の兵の中にも裏切り者がいるのでは、と疑心暗鬼に陥る伊織だが、
〈古参の者は大丈夫だと思おう。悩んだところで分からん。〉
と割り切ることに決めた。
そして、新しく家臣となった者たちに矢倉の上にいる兵たちを攻撃するように命令する。
〈見よ、これぞ同士討ちの計!〉
自分でも酷い作戦だと思うが、敵の謀に乗せられた伊織としては裏切り者を早くあぶり出したい。
だが、あろうことか、なんと攻撃を命じた半分の兵が寛流斎に味方する兵と合流したのだ。
〈おい、半分もいるのかよ。〉
自分に仇なす兵の多さに伊織は絶句する。
次いで、この世が終わったかと思うぐらい伊織は落ち込む。
〈これは、きつい。きつすぎる。純粋が服を着て歩いていると言われる俺を騙すのかよ。ひでぇな、おい。新しく家臣となったやつらにも信頼してもらおうと頑張ったのによぉ。半分に裏切られるって、どういうことだよ。〉
今にも泣き出すのではないかと思うぐらいどんよりした顔の伊織を見て、古参の兵が伊織の尻をひっぱたく。
尻を力いっぱい叩かれ、背筋の伸びた伊織に古参の兵が野太い声で励ます。
「伊織様が素晴らしい御方であることは、我ら古参の者、皆が知っております。あいつらは初めから寛流斎の息がかかっておったに決まっておる。あんなやつらのことなんぞ、気にするだけ損ですぞ。」
伊織に声をかけた兵が、周りの兵にこっそり合図を送る。
〈お前ら。伊織様を持ち上げろ。単純だから、褒めればすぐに元に戻る。〉
周りの兵は頷くとともに、
「そうだ、そうだ、伊織様ほど素晴らしい御方はいない。」
「あいつらの毛一筋もこの世から消し去れば、伊織様が騙されたことにはならん。」
と古参の兵が声を揃える。
伊織は古参の兵の励ましにぐっとくる。
〈そうだ。俺は皆から愛されているのだ。この素晴らしい俺を裏切ったことを骨の髄から後悔させてやる。〉
自信を取り戻すどころか、もっと自信をつけた伊織は裏切り者たちをぎろりと睨む。
〈よくも、俺の純情を弄んだな。〉
怒気を発した伊織は声を荒らげる。
「大手門を寛流斎の手の者に渡すな。俺様を騙した不埒なやつらは一人残らず殺せ。」
「伊織様の調子が戻ったぞ。お前ら、行くぞ!」
古参の兵が寛流斎に味方する兵に突っ込んでいき、乱戦の様相を呈し始める。
戦いが過熱していく中、大手門の外側から兵たちの掛け声が近づいて来るのを伊織は聞き取る。
〈寛流斎のお出ましか。それにしても、嫌になるほど声が揃っているな。もう、勝ったつもりかよ。〉
えいとう!
えいとう!
えいとう!
改めて、伊織は大手門の付近で戦う者たちを見た。
かろうじて、門扉は伊織側の兵が抑えている。
〈これだけ入り乱れて戦っているのだ。外から矢を射かけてくることは無いと思うが・・・〉
「門扉を取られるな。頑張れ!」
伊織は味方の兵に激励の声を飛ばす。
大手門奪取の命令を受けていた組頭は今すぐに門を開くのは無理と判断し、矢倉の上で寛流斎に大きくバツ印を作った。
寛流斎は組頭に頷き采配を搦手門に向けると、兵たちは声を揃え大手門を走り過ぎて行く。
〈やはり、大手門の奪取は無理であったか。門内の騒ぎからすると、伊織殿の戦力は無力化したと思って良い。搦手門から攻め上がっても背後を突かれることは無い。〉
寛流斎の顔はほころぶ。
遠ざかって行く掛け声を聞いて伊織は首を捻る。
〈寛流斎は搦手門に向かったようだが、あそこには俺の組頭が守っているよな。どうするつもりだ・・・〉
伊織は自分がとんでもない大失敗をしていたことに、ようやく気付く。
搦手門を守る兵がすべて寛流斎の手下であることに・・・
鶴山城を揺るがせるような地響きを立てて去って行く兵たちの足音に向かって伊織は
「戻って来い。ここで戦え。」
と絶叫する。
〈兄上から寛流斎謀反の知らせを受け取っておきながら、このていたらく。〉
寛流斎に味方する兵たちを相手にしながら、伊織は何度も叫ぶ。
〈負け犬の遠吠えは、心地よいものよ。〉
寛流斎はわずかに聞こえた伊織の絶叫にますます機嫌を良くする。
寛流斎は無人とも言っていい搦手門を抜け、二の門へと向かう。
二の門は普段であれば、昼間は開けっ放しとなっている。
開けたり閉めたりするのは面倒だし、通行の邪魔だからである。
〈武蔵様が儂の謀反に気づいていれば、門を閉めるはずだ。そう。閉めなければ城主失格だ。〉
と考えるのは寛流斎だけではない。
寛流斎に味方する者たちは、二の門での戦いは壮絶なものとなるだろうと気を引き締める。
〈二の門を守るのは、羽蔵だろう。〉
寛流斎は羽蔵をいかに打ち破るかを考えつつ、二の門を見た。
すると、どうだろう。
二の門の門扉は寛流斎を手招きするように大きく開かれているではないか。
寛流斎の脳に天啓のごとく閃いた。
〈天が儂に領主になれと言っているのだ。我が守護神よ。儂が領主となった暁には立派な社を造ってやる。楽しみにしておれ。〉
本丸で武蔵の首を刎ねるのみ、と思った寛流斎は神へ不敬な口の利き方をしていることすら気がつかなかった。
寛流斎がこれほど喜ぶのも理由がある。
鶴山城の門は、本丸に入るための一の門、二の丸に入るための二の門、三の丸に入るための大手門と敵の裏を突くための搦手門の構成となっているが、いずれも数年前に新調された。
見栄えもだが、頑丈さを重視した門となり、木製の破城槌ごときで打ち破れる門ではなくなっている。
つまり、今の門を打ち破るためには相当な死傷者を覚悟しなければいけないのだが、無傷のまま二の門をくぐった寛流斎に笑いが止まらないのも無理はない。
しかし、武蔵が二の門を羽蔵に任せなかったのは、『少ない兵を分散させない方がいい。』と源之進と次五郎に言われたからだ。
素直に頷いた武蔵は、寛流斎が城内へ入る前に二の門を守るわずかな兵を本丸へと引き上げさせていた。
◆◆◆
「合流したばかりで悪いが、沙魚丸様の警護を頼みたい。次五郎殿と私は三日月家の兵を率いることになった。」
「任せなさい。」
困り顔で頼んで来る源之進に針間は笑顔で引き受けた。
針間としては、昂る気持ちをどうやって抑えるかが一番の問題となってしまう。
〈沙魚丸様と二人っきりとは・・・。鼓動が速すぎる。死ぬかもしれない。〉
だが、針間の内心とは裏腹に表情は笑顔が張り付いたように変わらないように見える。
「針間さん。矢倉に行きましょう。」
「はい、参りましょう。」
今、雨情が針間の顔を見れば驚くだろう。
『お前、誰だ。』と言うぐらい。
沙魚丸と針間は隠れるように一の門の矢倉の上に立った。
矢倉に登る前に武蔵から何度も念押しされていた。
『寛流斎を騙す。矢倉に登るのはいいか、絶対に見つからないようにして欲しい、と。』
戦いに参加するしないで三日月武蔵と一悶着あったと聞いたが、矢倉に登った沙魚丸の元気な様子に針間は微笑む。
〈百合様も高いところに登るのが好きでしたね。やはり、似ていらっしゃる・・・〉
針間の顔が緩んだり歪んだりと忙しい。
沙魚丸は初めて登った矢倉に興奮を隠せない。
〈初めて見た時から、登ってみたかったのよ。あぁ、いい。いい眺め。〉
城好きとしてあまりの素晴らしい光景に沙魚丸の口から自然と言葉がこぼれる。
「か・い・か・ん。」
普通の人間ならば聞こえるわけがないぐらいの声だが、針間は忍びである。
沙魚丸の4文字をしっかりと聞き取っていた。
〈かいかん・・・。快感なわけはないだろうし、さて、どういう意味でしょう。〉
ぐるっと周囲を見渡した針間が、あれか、と独り言ちる。
〈怪漢ね。確かに、あれは沙魚丸様には刺激が強いかもしれませんね。〉
針間が言った『あれ』とは、木下秀俊のことである。
武蔵の近習を務めながら、寛流斎に通じていたと言う武蔵にとって許しがたい不届き者である。
今、木下はふんどし一丁で猿轡を噛ませられた姿で矢倉の中央に縛りつけられている。
〈雨に濡れそぼった半裸の姿は、確かに怪漢と言いたくなります。絵巻物に出て来る河童にも見えますね。それにしても、沙魚丸様は語彙が豊かでいいですね。〉
針間は沙魚丸を褒めたたえる。
沙魚丸は針間がじっと何かを見ているのに気づき、針間の視線の先を追った。
〈うっわぁ、何あれ。〉
針間には申し訳ないが、沙魚丸の語彙は少ない。
〈あっ、あの人って、お辰さんが矢倉に縛りつけたって言ってた人か。〉
沙魚丸には神社やお寺に掲げられている扁額にも見えたが、縛りつけている意味が分からない。
「針間さん。どうしてあの人を縛りつけているんですか。」
沙魚丸は針間に尋ねる。
戦の前に行う独特な風習か何かかと沙魚丸は思ったのだ。
「謀反は露見し、本丸の中にいる裏切り者はすべて捕らえていると寛流斎に味方する者たちに教えるためです。」
〈あらら。生贄とかにするかと思ったけど、全然違った。〉
間違えたことをおくびも出さず、沙魚丸はきりっとした顔で尋ねる。
「こちらに寝返る人もいますか。」
「やり方によっては出て来るかもしれません。」
針間の返事に沙魚丸の顔は分かったような分からないような複雑な顔になる。
沙魚丸の顔を見た針間はにっこりと笑う。
〈このお顔も百合様そっくりです。理解できないときの顔ですね。〉
「武蔵様の近習になるのは、将来、三日月家の屋台骨となる選ばれた者たちですから、後継ぎが多いのです。武蔵殿は、後継ぎとなる者を人質に取ったと考えていいのです。」
おおっ、と嬉しそうに笑う沙魚丸の横顔を見て、針間の胸に熱いものがこみ上げて来る。
〈一日も早く雨情様へのご恩を返し、私は沙魚丸様へお仕えしよう。〉
針間は表情を取り戻しつつあった。




