プロローグ
少年は壁に頭を押さえつけられ着物を剥ぎ取られた。あちこちが擦り切れているが、今は亡き母が少年のために苧麻から糸を撚り合わせて繋ぎ織った大事な着物である。少年は母が作った着物が破れれば繕い丁寧に大切に着続けてきたが、男に剥ぎ取られたものが最後の一枚だった。
少年は着物を取り返すために反射的に男につかみかかろうとした。男に手が届く前に少年は腹を蹴り上げられ、地面を転がされた。
少年から理不尽に着物を奪った男は着物を風呂敷に入れると代わりに取り出したボロボロな着物を少年に投げつけた。
痛みに地面に突っ伏している少年にイラついた男は少年の尻を蹴とばしヒステリックに叫ぶ。
「早く着ろ。さっさと次の家をあさって、もっと稼がないといけねぇんだからな。」
少年は観念したのか痛みをこらえ、のろのろと立ち上がり穴だらけの着物に袖を通した。着終わるのを見た男は少年を縄打ち、着るのが遅いとさらに少年の背中を蹴とばした。蹴とばされた勢いで少年は倒れて四つん這いになった。少年の手の先に石が転がっていた。少年は男に見えないようにさっと手で石を掴んだ。
少年は考える。男に石を投げつければ、その隙に逃げることができるかもしれない。
仮に逃げられなかったとしても、男は少年を奴隷として売ろうとしているのだから殺されることはないだろう。このまま奴隷になれば、まず間違いなく死ぬ。少年は生きることを諦めない。
「おい、その者をどうするのだ?」
少し甲高いよく通る声が少年の頭上を通り越した。若々しく威のある声に少年の心は震えた。なぜなら、少年は勇気を奮い立たせる声を初めて聴いたからである。少年に勇気という灯を与えた声の主を見ようと少年は思わず頭を上げた。しかし、逆光は、少年に声の主の真っ暗な姿しか見ることを許さない。少年は黒く塗りつぶされた声の主が自分を救ってくれるために現れた仏様だから眩い後光のために自分には見えないのだと思った。