尼子家1
尼子晴久は、摂津城に向けて意気揚々と行軍を進めている。晴久のところには、手土産を持った小大名たちが、愛想笑いを作り、頭を下げて次々と合流して来る。今まで敵対していた小大名まで、勝ち馬に乗りたい、恩賞を少しでも得たいと必死に頭を下げてくる。
晴久は最高に愉快だった。痛快だった。
当主になってから、領地を奪ったり、奪われたりの繰り返しの日々だった。近隣の大名たちとは、ある時は敵、ある時は味方の関係だ。味方かと信じていたのに裏切られたり、自分を心から信じてくれた者たちを平気で裏切ったりもした。全ては尼子の家のためだ。
領地を接する大名たちは、碌でもない奴らばかりだった。それは自分から相手を見た時の評価であって、相手から見れば、自分こそ碌でもない人間なのだろう。
そんな汚いことを繰り返しながら、年を取れば、力がなくなれば、自分の一生は終わる! 何とつまらない人生だと諦めていた。元服した頃は……いつかは天下人に……という気持ちもあった。自分がこの地獄のような戦国の世を、終わらせてやると思ったこともあったのだ。
そんな諦めとともに生きてきた自分に、何と3万を超える軍勢が付き従っているのだ。摂津城に到着する頃には5万になるだろう。いや、もっと増えるかもしれない!
頭の中には、5万の大軍を率いる自分の姿があった。大軍勢を従えて天下に号令している自分の姿が見えるのだ。武家に生まれた自分にとって、これに勝る喜びはないのだ。
しかし、少し気になることがある。
西国軍が最終的に8万に膨れ上がりそうだということや、北条家、豊穣家に加えて三好家も内応するということを、集まってきた大名たちが知っているということだ。
どの大名たちも、自分たちの所領に噂がどこからともなく流れてきたというのだ。どこから漏れ、どのように噂が伝わったのだ? 不思議なこともあるものよ。天下が動く時にはこのような不思議なことが起こるものかもしれぬ。
しかし、摂津城を目指す行軍進路まで知っているのはいかがなものか? 気にはなるが、自分が率いる軍勢がこんなに増えているのだ。何が起ころうと問題などあるはずがない。
敵を打ち破ればいいのだ。勝てばいいのだ。そうすれば、こいつら全ては自分の軍勢になるのだ。この軍勢が配下にあれば、大内家や大友家の好きにはさせない。天下を取ってやる。天下人になってやる。
もう美作の国に入ったようだな、摂津城まではもう少しだ。天下人となる自分の姿を思い描きながら行軍を進めていると、数名の家臣たちが走ってくる。
「何じゃ、どうした?」
「大友義鑑様より、使者が参られました」
「使者を通せ!」
使者が跪いて、義鑑からの文を恭しく渡す。
文には……周防御所が襲われ、二条晴良様を始め全ての公家衆、足利義晴様以下の室町幕府の方々が全て亡くなったこと、方仁殿下が行方不明であること、三種の神器も周防御所とともに火事で消失したことが書き綴ってある。
続けて、大内義隆がこの事実を尼子家に知らせず、全ては尼子晴久殿が仕組んだことにしようとしていることも書いてある。最後の文章は、判断は尼子家にお任せいたすとある。
何だ! これは! ここまで来て……今更どう判断しろと言うのだ!
周防御所による企ては、全て失敗ではないか! このまま何も知らず進軍していれば、尼子家だけが逆賊となっていたではないか! 大内義隆の奴! あのクズ野郎め! 尼子家に全ての責任を押し付けるつもりか。薄汚い奴!
落胆、怒りの感情が心の中で渦巻いていく。この野郎! クソ! クソ! クソ! 天下人になるはずだったのに! これでは、今までのくだらない人生の繰り返しではないか? やはりこんなことを繰り返しながら、自分の一生は終わっていくのだな。
「殿、出雲からの急使が来ております」
「通せ!」
「殿! 出雲が奪われました。月山富田城も破壊されました。城にいた尼子家の一族は、全て自害されました!」
「尼子は出雲に戻る!」
「集まった大名たちはどうしますか?」
「そんなもの知らぬ! 勝手に湧いてきた奴らなどどうでも良いではないか。急いで出雲に戻るぞ。所領を取り戻さねば、我らは帰るところがなくなるのだぞ」
集まった大名たちは、説明もなく勝手に自国に戻ろうとする尼子家の態度に怒り心頭だ。勝手に集まってきた大名たちと、尼子軍との間で小競り合いが始まる。
「雑魚に構うな! 全速で国に帰る。尼子軍の道を塞ぐ大名は、全て蹴散らせ! 押し通れ!」
「ウォー! ウォー! ウォー!」
尼子家の軍勢が、出雲に向けて走り出す。
勝手に尼子軍に合流してきた大名たち。勝手に離脱する尼子軍。現場は大混乱だ。
ついに戦闘も始まる。18000人いた尼子軍は、2000人を失ってしまう。
出雲に急ぐ尼子軍だが、なかなか思うように出雲に戻れない。
山道に入ると、逆茂木で道が塞がれていたり、落ちれば竹槍が刺さる落とし穴があったりと、様々な罠が仕掛けられているのだ。罠がないと気を緩めていると、森の中から毒矢が飛んでくる。
槍や刀を持って、戦いを挑んでくる武士の戦い方ではない。忍びの戦い方だ。こちらが追えば逃げる、引き返そうとすると、毒矢が飛んでくる。こちらの損害ばかりが増えていく。相手は無傷だ。行軍から離脱する兵も出始める。
「こんな奴らに構うな。全速で出雲に戻るぞ。数で押し通れ!」
やがて日が暮れてくる。相変わらず毒矢は飛んでくる。攻撃してくる奴らが、大した人数ではないのも分かっている。しかし将や兵の精神が蝕まれていく、突然大声を出して、将に切り捨てられる兵も出てくる。
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