歴史が変わり始めた6
天文15年(1546年秋)15歳
六角家は根こそぎの総動員をかけたようだ。総勢15000人のうち5000人が目賀田綱清を大将にして、日野城に攻めかかる。
しかしライフル隊の弾幕とクロスボウ隊による榴弾攻撃により城のそばにも寄り付けもしない。
兵に持たせている二重の盾や竹束も榴弾攻撃に意味をなさない。城門に寄り付けないどころか攻撃の度に兵が減っていく。
『守りが固すぎる。それにこちらの兵は既に半分に減っている。撤退するか? まだ攻撃を続けるか?』と、迷いながら攻撃の継続をためらっていたところに、城から槍兵が勢い良く出撃してくる。
藤堂虎高は、敵が進退に迷い始める瞬間を見逃さない。
爆弾クロスボウ隊に榴弾を一斉に打ち込ませた後、槍兵1500人に城を出て攻撃するよう命じる。槍隊の後にはライフル隊1000人が続いていく。
1刻もしないうちに、藤堂虎高による「目賀田綱清。討ち取ったり〜」の声が戦場に鳴り響く。
一方、甲賀では勘助と義賢の戦いが始まっている。
義賢率いる兵1万の陣容は、本陣に旗本500人、前衛が槍隊9000人、その後ろに弓隊500である。義賢の攻撃開始の合図を受けて、前衛の槍隊9000人から5000人が、弓隊は総勢500人が前進を始める。本陣の守りは槍兵4000人と旗本500人である。
前進する槍隊5000人の先頭には盾を2枚重ねたものを持たせている。先頭の盾で銃弾を防ぎつつ、後衛の弓隊で敵の陣形を崩したところを、槍隊が一気に押し込むつもりだ。
本陣で義賢は意気揚々だ。
北畠家など名門六角家に勝てるわけがないだろ。六角家を裏切った甲賀はもちろん伊賀も皆殺しにしてやる。降伏など絶対許さない。伊賀に溜め込んでいる銭をすべて奪い尽くしてやる。
義賢の目は血走り顔も醜く歪んでいる。
「前進している部隊に伝令を出せ。北畠家の兵を皆殺しにせよ。敵にやられて逃げ帰ってくるような弱兵は切り捨てる」と、義賢が得意げに伝令の若者に命令する。
一方の勘助の方だが、陣の前方に深さ1m程度の堀を作り、掘った土を前方に盛り上げて土手を作っている。土手の前には柵を設けている。また土手の上には盾を持った槍隊1000人が並んでいる。
ライフル隊は堀の中から並べられた盾の隙間から銃口を差し出し、敵の槍隊に狙いを付けている。榴弾クロスボウ隊はライフル隊の両脇に500人ずつ配置されている。
敵兵が300m以内に近づいてきたので、ライフル隊が盾の隙間から弾幕を張り始める。ライフル隊の両脇の爆弾クロスボウ隊も弓隊に向けて榴弾を撃ち込む。
敵の弓兵が吹き飛んでいく。敵槍隊の前衛が抱える盾だが、ライフル隊に近づくほど弾丸の貫通力が増すため、段々と盾の意味が無くなってきている。
爆弾クロスボウ隊による攻撃で敵弓隊が壊滅する。ライフル隊により敵槍隊は5000人が2000人ぐらいに削られている。進軍スピードも落ちてきた。もうすぐ進軍が止まるな。
「何をしておるのだ。槍隊に死ぬ気で突撃しろと伝えるのだ。名門六角家の兵士なら死を恐れるな。伝令! 今言ったことを伝えてこい!」
勘助は中央での戦闘と併行して、爆弾クロスボウ隊200人に槍隊700人の護衛に付けて、本陣両脇から敵の本陣を目指して移動させている。
槍隊を護衛に付けた爆弾クロスボウ隊200人が、敵本陣まで榴弾が届く距離に近づけたようだな。勘助は手旗信号で『敵本陣を殲滅せよ』と、命令する。
榴弾200発が左右から本陣に降り注ぐ、本陣が乱れに乱れたところで、榴弾の2回目の攻撃だ。本陣の敵兵が吹き飛んでいく。2回目の攻撃が終わったタイミングで、左右の槍隊700人が突撃を開始する。
周りの兵が次々吹き飛んでいくではないか。
戦とは刀や槍と弓でするものであろう。これが戦と言えるのか。卑怯ではないか。こんな戦で死ぬのは嫌だ。義賢は自分の背骨が震えているのに気づく。
「後はお前にまかせる。撤退することは絶対に許さん」と、近くにいた家臣を掴まえて怒鳴りつける。
言い終わった途端に、仲の良い旗本衆だけを連れて観音寺城に向けて逃げ出す。
義賢の逃亡で六角軍は戦意喪失だ。
「大将が逃げ出したのか。アホらしくてやっていられない」と、武将たちも農民兵も我先に逃げ出し始める。
勘助は工藤昌祐に総攻めを命令する。
敵は観音寺城に向かい必死になって逃げるものの、次々討ち取られてその兵数をどんどん減らしていく。
勘助の軍は大した時間もかからず観音寺城を包囲してしまう。
日野城を囲む兵は霧散しているため、日野城にいた兵も観音寺城の包囲に加わっている。観音寺城に立て籠もる敵兵は既に1000人に満たない数になっていた。
勘助は、観音寺城に対して爆弾クロスボウ隊による攻撃を始める。大した時間も掛からず城から降伏の使者が来る。攻撃を一時停止し使者を招き入れる。使者は義賢の首を持参し「義賢の首でござる。これで城内の兵の命を助けて下され」と、頭を下げる。
義賢の首を見る。傷だらけだ。切腹を嫌がって抵抗したのであろう。無様な奴め、家臣たちに無理やり押さえつけられ首を切られたのだろう。先程の戦でも危なくなったら我先に逃げ出しやがって……
貴様の判断で六角家は滅ぶのだぞ……最後ぐらい潔く腹を切るべきだろ……情けない男よ。
苦労人の勘助には義賢のような人間が許せない。
勘助は「義賢の首だけでは承服できない。六角家の一族すべての首と引き換えであれば降伏を受け入れる」と返答する。半刻後、家臣が一族全ての首を持参したため降伏を認める。
その中には定頼の首も入っていた。勘助は定頼の首に静かに手を合わせる。
祝言の日に酒を酌み交わした事が思い起こされた。近江の英傑である定頼の無念さを思い涙してしまう。
観音寺城を占拠した後、勘助は城に籠もり降伏した小領主たちに、それぞれの領地を守る一族に宛てて降伏の文章を書かせる。それを持たせた藤堂虎高と工藤昌祐に、南近江の掃討戦を命じる。
勘助は俺の命に従い『家臣には領地をもたせず。仕事と役職に見合った俸禄を払うという北畠家の臣従条件』に従わない小領主は、すべて殲滅してしまうよう、藤堂虎高と工藤昌祐に厳命する。
俺は、浅井家が文句をつけてくるようなら潰してしまえと命じておいた。小谷城は山城で難攻不落と前評判だが、それは兵が肉弾戦で城を攻略した場合であって、爆弾クロスボウ隊による榴弾攻撃なら1刻も保たないはずだ。
浅井家はこの戦闘につけ込んで少しでも領地を掠め取るつもりであったが、六角家があまりに早く敗北したため、軍を出すに出せないでいたのである。
幕府は六角家が滅亡したことを知っても、どうすることも出来ず。観音寺城に使者を送るものの、いつものごとく足元に銃弾を打ち込まれて逃げ帰るだけであった。
ここまで、お読みいただきありがとうございます。
初めての作品ですので
あたたかくご支援いただければありがたいです。
励みになりますので
ぜひブックマークや評価などをお願いします。




