06 ユリアーノは覚えていて当たり前の記憶がなく、夏弦は思い出せることが増えていく。
魔法と魔術について
異世界では魔術と呼ばれていますが、夏弦はTVを見て魔法を知っているため、夏弦は魔法と呼びます。
呼び方が変わっているだけで、魔法も魔術も同じものを差しています。
私は私が知らないことをタイミングよく思い出すものだと感心した。
私が言った事は本当にあったことなのかしら?
あれだけ堂々と言ったのに後で間違いでした。っていうのは困るんだけど・・・。
ユリアーノに呼びかけてもあれ以来、なんの反応もない。
本当にこの状況、どうなっているんだろう?
ユリアーノ!必要な情報は先渡ししてほしんだけどっ!!
その夜、結婚してから初めて主寝室に呼ばれなかった。
私は久しぶりの安眠に、枕を高くして一人で眠りについた。
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夏弦になった私は健次に仕事は休めと言われた。
仕事って何よ。メイドも居ないのに女主人として何をしろとでもいうのだろうか?
頭の中で仕事の風景が蘇る。
沢山の簡素な机がいくつも並び、何かが鳴ると取り上げて耳に当て、何かを話していたり、何かの書類の作成しているが、文字が読めなくて何が書かれているのかさっぱり解らない。
その時、初めてユリアーノは気がついた。
文字が読めないことに。
一体どうなっているのかしら?
渡った世界のことは体の持ち主がすべて知っているのではなかったの?
夏弦の記憶が朧げで、私の世界とは違いすぎて、夏弦として出来て当たり前のことが出来ない。
なにか不味いことになっている気がする。
私がお茶を入れることなんて出来るわけがない。
当然だわ。お茶なんてメイドに入れさせるものだもの。
でも、夏弦は何でも出来るようだった。
お茶だけでなく、食事の用意も仕事も、家の中の清掃も衣装を一人で着ることも・・・。
夏弦に出来たことなら、私のも出来て当たり前のはずなのに?!
魔術書には渡った世界の常識は体が記憶していて補完されると書いてあったのに、補完されない状態のままだ。
ユリアーノの意識が残りすぎているからかしら?
食事の際、箸が解らなくて、箸が持てなかった。
体が覚えているはずなのに、使えない。
フォークとナイフを出してもらって食事したけれど、わたくしの口に合うような食事ではなかった。
健次は「夏弦が作った最後の食事」とぽつりと言って、涙を流して味わって食べていた。
トイレの使い方、入浴の仕方も解らなかった。
その姿を見て健次は私の言うことが本当かもしれないと思ってくれたようだったけれど。
夏弦に夏弦として必要な知識は置いていってほしかったと自分勝手なことをユリアーノは思っていた。
使用人部屋のように狭い部屋から決して出るなと健次に言われたが、外に行きたいとも思わない。
窓から見える景色に圧倒される。
多種多様な建物が所狭しと並び立ち、異様な物が高速で走り回っている。
健次に朝食の準備をさせ、昼食の用意までさせた。
夏弦の意識が情けないと訴えかけてくる。
でも、出来ないものは出来ないのよっ!
私はこの世界でどうやって生きていけばいいのかしら?
なんとしても夏弦の記憶を手に入れなければならない。
けれど、記憶を手に入れた程度で常識が違いすぎるこの世界で暮らしていけるのかユリアーノは心配でならなかった。
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ララに「今日の朝食はお部屋でお召し上がりください」と言われ私は一人、部屋で食べた。
一気に暇になり、この世界で知識を得るのなら本しかないだろうと思いつき、ララに図書室に行きたいと伝えると確認も取らずに、連れて行ってもらえた。
結婚式の誓約書が読めていたので、こちらの言葉は読めるだろうと思っていたけど、背表紙の文字が読めたことにホッとした。
この最低限の生活は出来ますよっていうところもまた腹が立つ。何も解らなかったら、会う人に中身が入れ替わっていると大騒ぎできるのに、それを許してくれない。
どれを読もうかと指を滑らせる。オリステーレの歴史の本が目に入り、一番古い年代のものをそっと抜き出した。
私は知らないのに、コンチェスタで伝えられている物と全く違うと思った。
二冊目半ばまで読み進めた頃、ハルバートと義父が呼んでいるとララに伝えられた。
部屋に入ってみると母とヴィレスタが居ない。
「お義母様も呼んだ方がよろしいのではなくて?」
義父が一瞬考えて「そうだな」と言った。
シアが母を呼びに行くよう室外で待機していたメイドに伝え、義母がやって来た。
私がいることに一瞬不快を覚えたようだったが、何も言わなかった。
シアとランドールは部屋から出ていこうとはしなかった。
「昨夜のユリアーノの話の確認を取った」
義母の息を呑む音が聞こえた。
私は淡々と「そうですか」と答えた。
「ユリアーノが言った通りの事があったと確認が取れた」
「そんな!嘘ですわ!!」
義父が義母を視線で黙らせる。
「では、なぜエルマリートを殺したのか判りましたか?」
「それはまだ判っていない」
「そうですか・・・判ったら教えていただきたいですわ」
「そうしよう」
義父が私をじっと見つめ、問いかけてきた。
「ヴィレスタはコンチェスタに嫁いだら危険だろうか?」
義母の顔色が一気に青ざめた。
「私はオリステーレで危険でしょうか?と聞くようなものだと思いますが」
そう言って私は義母を見やった。
義母は私を見返し、慄いた。
「そんな事は決してない!!」
ハルバートがそう言ったがそれは信用できないと私は思った。
ハルバートは何もしないとなんとなく信じられる。けれど主の思いを読む事に長けた家人はどこにでもいるものだ。
「それが、使用人の隅々まで行き渡っていると自信がありますか?お義母様?」
義母は視線をそらしこちらを見なかった。
私は義母の方を見て、義父を見た。
義父は私の言いたいことを正しく読み取ったようだった。
「私にとって、この家が安全だと信じられるかどうかはオリステーレがなさったことが証明していると思うのですが・・・」
義母は落ち着き無くオロオロとしている。
「オリステーレが私にしたこと、これからしようとしていることは、ヴィレスタ様もされると思いますよ」
義母を見ると、震え上がっていた。
一体私に何をしようと画策していたのやら。
義父は考え込み、ハルバートは口を開いては閉じる動作を何度か繰り返して何も言わず口を閉じた。
「婚姻もせめて数代後ならばもう少しましだったかもしれませんが、コンチェスタの恨みは深いです。お祖母様はエルマリートを殺されたことを恨み、自分の娘が殺されたも同然だと憎悪し、オリステーレを呪いながら死にました」
義父が目をつむる。
「祖父は、祖母の葬式で必ず敵を取ると祖母に誓っていました」
あの日の祖父を思い出す。
「お祖父様はまだ健在です。私の結婚式には列席されませんでしたが、領地から本邸に戻っています。ヴィレスタ様が嫁いでこられるのを今や遅しと待っていらっしゃることでしょう。恨んでいるのは祖父だけではありません。父は甥と妹を殺されたことを酷く恨んでいます」
「私も、いつ殺されるのか、それとも先に殺すのか、どちらに傾くのか、毎日恐ろしい思いをしております」
重苦しい雰囲気がただよう。
シアがお茶を入れ替えたことで少し緩んだが、オリステーレ家の者は皆顔色が悪い。
その後は誰も何も言わず、その場は解散となった時。
「ヴィレスタ様は、私以上に覚悟が必要でしょう」
全員がゴクリとつばを飲み込む音が聞こえた気がした。
一人になるとユリアーノのこと、金神夏弦の事を考える。
少しの間に夏弦の事、ユリアーノの事を大分思いだせるようになった。
最後の記憶か判らないけれど、健次と一緒にいたことを思い出す。
今すらっと健次と頭によぎったけれど、健次って誰だっけ?
必死に記憶を掘り下げるが、健次って誰だっけ?で、止まってしまって先には進めなかった。
もう誰かなんとかしてくれない?!
私の中のユリアーノに呼びかけるけれど、返答がないままだ。
何も知らない私が喋ったことが本当に起こったことだった事に驚く。
ヴィレスタに覚悟が必要だとか、かっこいいこと言っちゃってたけど、私にはそんな覚悟これっぽっちもないからね。
ため息を一つ吐き、誰にとってもいい話ではなかった。嘘のほうがよっぽどマシだったと思った。
コンチェスタがオリステーレを許せないと思っても仕方がないことだとため息をまたひとつ吐く。
ユリアーノの記憶を小出しにせず、すべて欲しいと思ってしまう。
物凄く細いロープの上をバランスをとる棒すら持てずに歩いているような気がしてならない。
いつかどこかでボロが出るんじゃないかしら。
ボロが出ても私がユリアーノではないと思わないと思うけど、ハルバードには直ぐにユリアーノではないみたいだと言われた。
それが判るほどにハルバートとユリアーノにはなにかあるってことよね?
ユリアーノと夏弦は記憶の奪い合いをしています。
ユリアーノは現代社会で生きていくために夏弦の記憶を欲していて、夏弦は自分の記憶なのだからすべてを思い出したくて仕方ありません。
夏弦は何なら、ユリアーノの記憶などなくてもいいと思っています。
無いなら無いでなんとでもなると、思っている節があります。