11 陛下が知らないことはないのではないかと、恐れる。
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義父の執務室を出て、私は大きな溜息を一つ吐いた。
元々の始まりは婚姻を持ち出した王家ってことになるのよね?
バリファンが狂っていたことは間違いないだろうけど。
エルマリート兄様と叔母様の無念を思う。
私はユリアーノではないので、他人事として受け止められるけれど、コンチェスタの人達はどう思うのだろう?
私ですら一瞬、ユリアーノの激情にさらわれそうになった。
だから、体を許して、心を許しているように見せてはいても、すべてを預けられない。
愛していると言われても、それに答えられない。
どんな理由であっても、被害者は許せないけれど、婚姻を防ぐために殺そうとしたなんてコンチェスタには言えない。
このことだけはオリステーレ全員が口をつぐまなくてはいけない。
バリファンが狂っていた。それで押し通さなければならない。
その日の夜、ハルバートに主寝室に誘われることはなかった。
***
貴族の女なんて暇なものなのだとしみじみ思う。
何もすることがない。
私、旦那様のお相手以外することがないんですけど。
読んでいた本を置いてお茶に手を伸ばす。
冷えたお茶がスルスルと喉を通っていく。
義父達との話を思い返す。
オリステーレとコンチェスタが仲直りなんて出来るのかしら?
業務提携のように感情抜きに成さなければ無理だろうと思う。
ネックはお祖父様よね・・・。
お祖父様を思って思考を逃避させる。
魔法を使えるようになってからユリアーノと夏弦の記憶の空白部分もどんどん埋まっていく。
ほぼすべてを思い出したのではないだろうかと思える。
魔法書によれば、記憶は根幹となるもの以外はその体の持ち主のものになると書かれていたが、私は夏弦の記憶も思い出せた。
もしかしたらユリアーノが記憶を失くしているのかもしれないと考えに至った。
戻れないと解った今、健次が私の体を見捨ててくれるのだけが望みだ。
ユリアーノなんかに健次を渡したくない。
健次、私の体を捨てて幸せになって!!
***
陛下の前で臣下の礼をとる。
日本人の悪い癖でつい頭を下げそうになってしまう。
陛下の許しを請い、席につくことを認められる。
ユリアーノの感情なのか、陛下が好きだと思った。
結婚式の時は混乱して気付けなかったけれど、陛下が好きな気持と、裏切られたと言う気持ちがない混ぜになっている。
ハルバートは美しい男だが、フィータス・・・陛下は野性味あふれる魅力ある男だった。
「息災か?」
私を見据える目に愛情を見つけることが出来て、ユリアーノは悦んでしまう。
その感情が表に出ないようにぐっとお腹に力を入れた。
「はい。オリステーレで大切に扱っていただいております」
「ハルバートを受け入れられたのだな?」
「お答えしたくない質問ですが、はい。とお答えしておきます」
破顔した陛下に裏切り者という感情が大きくなり、陛下にもユリアーノにもちょっと引く。
「ユリアーノがハルバートを・・・いや、コンチェスタがオリステーレを受け入れる日が来るとは思わなんだ」
「無茶な王命をお出しになっていて、何を言ってやがるんだ?という気分です」
「はっはははははっ!!嫁に行ったら言うようになったな。だが私に間違いはなかっただろう?」
「私のことは扨措き、ヴィレスタ様のことが心配です」
「それは私も心配している」
「陛下はバリフォンがコンチェスタを嫌っていた理由を知っておられますか?」
「・・・・・・知っておる」
本当に知っているとは思っていなくて目を見開いた。
「バリファンは子供の頃からアゥグステンに何をやっても勝てなかったんだ」
アゥグステンとは私の祖父のことだ。
「一つ一つは本当に些細なことばかりだった。学業の成績、魔術の使い方、本当に些細なことだ。だが、敵意を植え付けられて育つ中で、アゥグステンに負けるな。と父親に叱責され続ければバリファンは歪んで育ってしまう。・・・心の中のことだから、それ以外にもあったのやもしれんが、王家が掴んでいることはそれくらいのことだ」
「小さな嫉妬の積み重ねで少しずつ狂っていったと?」
「そうだな。コンチェスタが関わらないバリファンは優秀であった」
陛下はまるで見てきたようにバリフォンの事を語った。
「陛下は・・・いえ、王家は私達のことをどこまでお調べになっているのですか?」
「そうだな、オリステーレのメイドのカルミとロッテには気を付けたほうがいいと伝えられるくらいだな」
カルミとロッテ・・・顔と名前が一致しない。
「ありがとうございます」
「ユリアーノ、其方はハルバートに嫁ぐことがなかったら私の下に居ただろう。私はユリアーノを望んでいた。・・・自分勝手と思われるかもしれんが、幸せになってくれ」
「過分なお言葉ありがとうございます」
ユリアーノが喜んでいるのか、私が喜んでいるのか解らなくなってきて、喜びの感情だけが強く残った。
冷静な私は陛下の妻なんてとんでもないと思っていた。
ユリアーノの強い感情は陛下と離れると、何処かに行ってしまったように、探しても見つけられなかった。
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掴んでいたと思った記憶がスルスルとこぼれていくように感じる。
この世界に来てからのことは覚えているのに、それ以外のことは、ほとんど思い出せなくなっていた。
健次との思い出も色々思い出せていたのに、今はもう何も思い出せない。
昨日知っていた過去のことが零れ落ちていく感じがとても恐ろしい。
何かがおかしいと思うのに自分はユリアーノと言う名で夏弦の体に入ったことしか解らない。
あの魔術書に書かれていたことは・・・なんだっただろうか?
その魔術のこともほとんど思い出せない。
健次は夏弦が戻れないと知った日から、態度がぞんざいになっていく。
食事の用意をまったくしてくれなくなったし、帰ってくるのも遅い。
「ここから出て行け」と言われるようにもなった。
健次は夏弦が大事ではないのだろうか?
ユリアーノでさえなくなれば何もかもうまく行くと思っていたはずなのに何も上手くいかない。
元の世界に帰りたい。
何から逃げてここにやって来たのだろうか?
こんなはずではなかった?のに・・・?
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「カルミとロッテが誰か解るかしら?」
陛下との謁見から帰宅して直ぐにシアに尋ねた。
「その二人がいかが致しましたか?」
「オリステーレでも把握していないのね」
渋面を作ったシアの顔につい笑ってしまった。
「ふふふっ。ごめんなさい。シアの顔が本当に渋そうな顔だったから」
コホンと空咳を一つしてシアは、いつもの何にも動じませんよという顔に戻る。
シアの耳元に顔を近づけ、小さな声で伝える。
「陛下がその二人に気をつけろと私に忠告してくださいました。何をするつもりかは知りませんが、気を付けたほうがいいでしょう?おまかせしてもよろしいかしら?」
「勿論でございます」
「お義父様にも帰ったことを伝えてくださるかしら」
「解りました」
「ただいま戻りました」
とハルバートの執務室をノックすると「入れ」と声がかかる。
「陛下は何と?」
「幸せになれと」
「そうか・・・」
「頑張って幸せにしてくださいませ。旦那様」
瞬間に赤くなったハルバートを可愛く思って、健次を思い出し切なくなった。
「ユリアーノ」
「はい?」
「今日の朝、母が領地に戻った」
「えっ?」
「父の決定だ。私達には口出しできない」
「はい・・・」
「ユリアーノにはこの屋敷の女主人を頼みたい」
「かしこまりました」
「今、母の執務室を片付けさせている。片付き次第その執務室を使うように」
「よろしいのですか?」
「ああ。ユリアーノ。期待している」
「がんばります」
「目を通すべき資料の一部が部屋に積まれていると思う」
「解りました。戻り次第目を通し始めます」
私室で書類に目を通していると記憶が全て揃った事に気がついた。
ユリアーノから全部取り戻した!
夏弦の思い出はこの世界にいると辛いものも多い。
特に健次のことは名前を思い出しただけでも辛い。
それでも、ユリアーノに何一つ渡さずに済んでホッとした。
健次、気付いてね。
夏弦じゃないから。ユリアーノなんて捨ててしまってね。
私にとって必要な書類と必要でない書類に分けていく。
シアの給料を見て目が飛び出た。
メイドの一部を解雇する為にシアと相談をする。
その中には勿論、カルミとロッテの名も上がっている。
義母の息が強く掛かっていて、私の言うことは聞きそうにない者を躊躇なく切っていく事を決定する。
ハルバートと義父に確認を取り、許可をもらってから結構な人数に暇を出した。
私からの紹介状はない。
最後まで皆私を罵っていたが「だから雇っていられないと解るでしょう?」と言って追い出した。
最期に「奥様の下に參りますから、私達が困ることはありません!!」と言って出ていったので、それはシアに任せた。
早急に新しい人を入れなければならない。
それが落ち着いたらガーデンパーティーを開いて、女主人の変更を広く知らせなければならない。