10 ハルバートはユリアーノのすべてが欲しい。それを望むのは無理だとも知っている。
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「ユリアーノ、今いいか?」
本を読んでいたユリアーノは顔をこちらに向け、複雑な顔をしていた。
「どうかしたか?」
「いえ、書かれていることが理解しづらくて」
「そうか。・・・父の執務室に来てもらえるか?」
「解りました」
ユリアーノは本にノートをはさみ、閉じて私の手をためらいもせず取った。
私はユリアーノを強く抱きしめる。
ユリアーノは何も言わず、私にされるがまま抱きしめられ、そっと私の背を抱いてくれた。
私はその事が嬉しくて、思わず「愛している」と声に出してしまった。
ユリアーノは私から少し体を離して、私の目を見つめた後、私の唇に小さなキスを一つした。
さっきのキスは私を受け入れてくれた証なのだろうか?
ユリアーノは私のエスコートに拒否感を示さない。
婚姻後、どんな心境の変化があったのだろうか。
夜の誘いに手加減をしろとは言うが、拒んだことはない。
この後の話を聞いても私を拒まないだろうか?
拒んでほしくない。
ユリアーノを抱きたい。心が欲しい。
母も父に呼ばれたのか、大人しく座っている。
母は表立っては、ユリアーノに何もしなくなっている。
ヴィレスタを慮ってのことだとは思う。
ユリアーノを受け入れてくれたら、このまま穏やかに暮らしていけるのに・・・。
ヴィレスタも今回はこの場に呼ばれている。
オリステーレ全員を目の前にしても、堂々とした態度のユリアーノが羨ましいと思った。
気を抜くと、私のほうが背が丸まってしまいそうだ。
「ユリアーノ、父と祖父の日記や覚書を調べた」
「はい」
ユリアーノの表情が厳しいものになる。
「ヴィレスタの知っていることも確認をとったが、コンチェスタ家には何の否もないないことが解った」
「そう、ですか」
そう答えながらユリアーノは小さく息を吐いた。
ユリアーノをじっと見ていたけれど、息を吐いた以外、何の変化も現れなかった。
やはり、と思っているのだろうか?それとも良かったと思ったのか?
「ヴィレスタ様は何を知っていらしたのですか?」
ヴィレスタは躊躇して、視線をウロウロさせて、ユリアーノを見た。
「お祖父様は、お兄様と私の代で必ずコンチェスタとの婚姻の話が出ると思っていたんです。そして、もう断るだけの力がないことも解っていました。だから、私達の婚姻相手になりそうな相手を、殺しておこうと考えていました」
私は唖然とした。
そんな話は聞いていなかった。
父の顔を見ても、目を伏せているだけだ。
母を見ると、目が輝いている。
なぜだ?!
「コンチェスタが力を持っていた頃とは違う。だからそんな間違いが起こらないように、始末をしてやるから心配するなと私に話していました」
私は怒りに震えた。そんな勝手な理由で?!人を殺すというのか?!
ハッと気が付き、ユリアーノを見る。
ユリアーノの握った手が小刻みに震えている。
シアがお茶を入れ替え、ハッとユリアーノが顔を上げたところを、私はユリアーノを抱きしめ「すまない」と謝った。
「今日はもう、話はやめよう」
私がそう言うとユリアーノは「大丈夫です。話を続けてください」と冷静に言った。
ユリアーノの己を律する姿が痛ましいような、眩しいような複雑な気分になった。
「オリステーレはコンチェスタ家に謝罪しなければならない」
父がそう言うと、ユリアーノの表情が少し動いた。
「謝罪したからといって許してもらえるとは思ってはいない。だが謝罪することから始めねばなるまい」
「そう、ですね。私がすべきことは両家の仲立ちでしょうか?」
「してもらえるだろうか?」
先程の激情はすっかり鳴りを潜め、ユリアーノは己のすべきことを考えていた。
「解りました。上手く事が運ぶかは解りませんが、ヴィレスタ様が嫁入りするまでに今より、ましな関係になれるように努力いたします」
「それと、明後日午後から陛下が一度会いたいと言っておられる」
「私一人でですか?」
「そうだ」
「解りました。明後日行ってまいります」
「よろしく頼む」
ユリアーノが部屋から出ていくと母が不満を漏らした。
それを聞いた父は母に厳しく対応しなければならなくなった。
「マリアンネ、君は領地に戻りなさい」
「あなたっ!!絶対嫌ですよっ!!」
「君の迂闊な行動でヴィレスタの将来が狭まってしまう。誰に何を言われて君がコンチェスタを嫌っているのか知らないが、私達はコンチェスタに謝罪して、上手く付き合っていきたいんだ。離縁するか、領地で静かに暮らすかどちらかを選んでくれ」
父の言葉に母は戦慄している。
視線で私とヴィレスタに助けを求めてくるが、私も父と同意見なので母を助けることは出来ない。
「なんでですの?私が悪いと言いたいのですか?」
「そうだ。前にハルバートが言っていただろう?この婚姻は王命なんだ。オリステーレとコンチェスタが上手く付き合えないと両家が、我が家が潰されるんだ」
「王家は言うだけで、今まで目をつむってきていたではないですか!力の弱い王家に何が出来るというのです?!」
「王家の力が弱まっているとは聞いたことがない。私達オリステーレの力が弱まり、私達以外が強くなっていると私は知っている」
「オリステーレが弱まるなんてことはありませんっ!」
父が失笑した。笑いの発作がおさまらないのか暫く笑い続ける。
「ははははははっ!オリステーレだけが風前の灯だというのに何を言っているのか!!」
「お母様は本当にオリステーレにとって危険分子でしかないのですね」
ヴィレスタが母を責めるように言う。私も深く首肯いた。
「お母様は私のことはどうでもいいのですね。ユリアーノ様ですら私の身を案じてくださっているのに」
「身を案じていますよっ!!」
「ならばなぜ私の立場が悪くなるようなことばかりユリアーノ様にされるのですか?何度も言われていますよね?ユリアーノ様がされたことは私がされることだと」
母は唇を噛み締め、血が滲むような声で言った。
「コンチェスタが許せないのです!!」
「母が許せない理由は何なのですか?実家が何か被害に合いましたか?」
「・・・ありません。ですが、お義父様とお義母様にそう教えられてきたのです」
「私もそう両親に教えられて育ったが、何もしていないコンチェスタを恨むことはなかった。ましてや今は私達のほうが加害者で、コンチェスタは被害者だ」
父の言葉に母はまた唇を噛み締めた。今度は本当に唇を切ってしまったようだ。血が滲んでいる。
「父達が何を言ったのか知らないが、もう父達は居ない。我々の時代に古い思い込みは必要ない。どうする?離婚するか?領地に戻るか?」
信じられないものを見る顔をして母は父を睨みつける。
「私は必要ないのですか?」
「不穏の種をまくマリアンネは必要ないと思っているよ」
「ハルバートもヴィレスタもですか?!」
「私もそう思っています」
「お母様がうっかり滑らせた言葉で私を殺すのか、ユリアーノ様を殺してしまうのか、それが怖くて仕方ありません」
母がシアとランドールを見る。
二人共何の反応も示さない。
長い時間が経った気がした。
「・・・・・・解りました。領地に戻ります」
「では明日にでも出立してくれ」
「明日ですかっ?!」
父の言葉に母は酷く傷ついた顔をした。
「災厄を招く前に一日でも早く領地に戻ってくれ」
母はきつく手を握りしめ、目をギュッと瞑り、感情を抑え込んだ。
「領地に戻っても決して恨み言を口にするな。使用人達にもその心を読み取られるな。誰か一人が愚かなことをしたらヴィレスタの命がなくなると思え」
母は納得したのかしなかったのか、黙って部屋を出て、大きな音を立てて扉を締めていった。
「父上よかったのですか?」
私の問いに父は答えなかった。
「シア、領地の使用人達を入れ替えろ!こちらの状況を正しく認識していて、マリアンネに迎合しない者に」
「かしこまりました」
父は深い息を吐き出した。