8、お慕いしている人
それからというもの、メアリー様は予定が詰まっていて忙しいらしく、お茶の機会もなくなっていた。
とはいえ、私は離宮の生活に暇を持て余すことなく、快適に過ごしている。
庭園は綺麗だし、図書館は広大でありとあらゆる本が揃っているし、芸術を楽しめる娯楽施設も充実しているし、お食事も美味しいし、すっかりここが気に入っていた。
はあ、最高すぎるよこの世界。
今もふらっと散歩に出て、スイーツ専用の食堂で午後のお茶を頂こうと、図書館から借りてきた流行の小説を抱えて向かっていた。
今日のおやつは何にしようかな〜♪
王宮のパティシエさんが作る美味しいスイーツにすっかり虜になっている私は、ルンルン気分で食堂に入った。
ふと見ると、いつもと様子が違い数人の令嬢たちが集まってお茶をしている。
あ……なんかお邪魔だったかな。
一瞬悩んだがすぐに出ていくのも変に思い、少し離れるため入口からすぐ傍の席に座った。
彼女たちは私の顔を見てひそひそ話している。
なんか気まずいなあ。
そう思った瞬間、リーダーらしき令嬢が高らかな声で私に話しかけてくる。
「あら、あなたメアリー王女様のお付きの人だったかしら?」
高圧的な態度に一抹の不安を感じながら、笑顔で答える。
「ええ、お話し相手として選んでいただきました」
「たかが子爵令嬢ごときが、うまく王女様に取り入ったものね」
その令嬢が言うと、他の令嬢たちも皆、示しを合わせたように頷き合う。
むっ。
そんな言い方しなくても。
私は思わず腹が立ったが、ここにはここのルールがあるのだと自分に言い聞かせ、顔に出さないよう笑顔を保った。
もし私がここで問題でも起こしたら、メアリー様の責任になってしまうだろう。そんな迷惑はかけられない。
社会経験だって積んでるんだから、ここは嫌な上司に絡まれたと思って我慢、ガマンと。
「そうやって殿下にも取り入るおつもりなのかしら?」
令嬢はそう言って鋭い視線を向けてくる。他の令嬢たちも私を警戒するような冷たい視線だ。
ふと気づくと、令嬢たちは皆明らかに高価な衣装やアクセサリーを身につけている。
こんな身なりをして今この離宮に集まる令嬢たち。
となると、これはもうお妃様候補のご令嬢たちしかいない。
数日経ってすでに派閥が出来上がっていてもおかしくはないだろう。
ああ、そうか!私もお妃の座を狙ってここにいると思われているのね。
それならちゃんと意思表示をしておかなくちゃ。
「いいえ、私が王太子殿下にお近づきになろうなんて滅相もございません。それに私にはお慕いしているお方がおりますから」
「あら、そうなの?」
令嬢は警戒した様子を解き、意外そうな表情をした。皆の緊張も解ける。
うーん、正確には『推したい人』なんだけど。まあ言葉の綾ね。
「でも、だったら、あなたは王女様の協力者なんでしょう?」
一人の令嬢がそう言うと、みんなハッとしてまた厳しい表情を向けてくる。
「いえ! 王女様は大切なお方ですが、利益を追求し合うような関係ではありません。あくまでも私はただの話し相手ですから」
笑顔でそう言って、『私はみんなの味方ですよ~』という風に必死にアピールした。
そんな努力が伝わったのか、ようやくご令嬢たちは私への敵意を解いてくれたようだった。
私は愛想笑いをしながら、そそくさとその場を去る。
スイーツ食べたかったけど、この際もういいや。
ふう、お妃様になるって大変なのね。
廊下へ出てパタンと扉を閉めてから大きな溜め息をつくと、すぐ脇に立っていた護衛騎士の同情するような視線と目が合ってしまった。
護衛騎士は慌てて視線を逸らす。
扉全開だった上に大きな声で話してたものね、全部聞こえてたんだろうな。
うう、恥ずかしい。
私は思わず赤面して逃げるように廊下を早足で歩き出す。
少し歩き渡り廊下に出ると、外の生垣の方から声が聞こえてきた。
ふと目をやると、一人の令嬢を三人の令嬢が取り囲んでいる様子が窺える。
あの感じは、穏やかではない。
な、何があったんだろう。
思わず声が聞こえる距離までそーっと近寄ってみる。
「貴女ね、私よりも先に殿下と話すなんて生意気なのよ!」
「そうよ! たかが伯爵家のくせに」
「ふん、あなたの家門なんてちょっと名が知れてるだけで、ただの貧乏伯爵家じゃない」
よく見ると大人しそうな令嬢が口々に罵倒されて項垂れている。
なんて言い方……!
しかも、さすがに一人に対して三人掛かりは卑怯すぎない?!
罵倒されている令嬢が、か細い声で呟く。
「お、お父様はいつも頑張って家族や領地を支えて……わ、私は尊敬しています……っ」
頑張って家族を擁護する彼女を見て、私は咄嗟にお父様とお母様の笑顔が浮かんだ。
その瞬間、私の足はずんずん彼女たちの方へと向かっていた。
罵倒していた三人の令嬢が私に気付き、鋭い視線を向けてくる。
「誰?!」
「1対3なんて、少し卑怯ではありませんか?」
罵倒されていた令嬢の前に立ちはだかりそう言った私に、リーダーらしき令嬢が険しい表情を向ける。
「なんですって?」
「こんなことをしても殿下を振り向かせることなんてできないと思いますけど」
「なによ! 貴女! 王太子妃の座は譲らないわ!!」
そう叫びながら、その令嬢は手を振り上げた。
げっ!暴力に訴えるなんて、どういう教育されてきたのよ、この子!
そう思うと同時に、私の頬にはばっちりと令嬢の平手打ちが叩き込まれた。
もう……!あっちもこっちもお妃だ、王太子妃だって――。
私はそんなことに興味ないってば……!
「私にはお慕いしている人がいますから、ご安心を!」
怯まずぷんぷんと怒りながら大声で言った私に恐れをなしたのか、令嬢たちは慌てるようにして逃げ去って行った。
まったくもう……。
あんなんでよくお妃様候補に上がったわね。王宮の人って見る目ないんじゃないの?!
ぶつぶつ呟いてからハッと思い出し、罵倒されていた令嬢に向き直った。
「あ、大丈夫ですか?!」
私が近寄ると、彼女はビクッと体を震わせて慌てて頭を下げた。
「あ……あの、すみません……っ。あ、ありがとうございましたっ」
そう言ってすぐに走って行ってしまった。
あ、あら……。大丈夫かな。
誰もいなくなって、さっきまでの修羅場が嘘のように静かになった。
しかし、お妃様になるための道のりって険しいものなのね……。
そんなことを考えながらぼーっとしていたら、気配を感じてふと後ろを振り返ると、エリック様が立っていた。
その綺麗な顔に、まるで愉快だと言わんばかりの笑顔を浮かべてこちらへ歩いてくる。
「お前は随分と逞しいな」
「さすがに三人掛かりは卑怯です」
私が不貞腐れたように言うと、エリック様はくすっと笑った。
が、すぐにその目を細めて、私の打たれた頬にそっと触れながら言う。
「……痛くはないか?」
「全然! あんな細腕、全く大したことないです!」
私はさっきの悔しさが蘇って、思わず苛立ってしまう。
語気を強めて言い放った私に、エリック様は表情を緩めてクスリと笑った。
「やはり、お前は面白いな」
私もつられて笑ってしまう。
ひとしきり笑い合った後、彼は急にどことなく物憂げな表情を浮かべて言った。
「お前は誰か好きな奴がいるのか?」
ん?好きな人?
ああ!さっき令嬢たちに言った『お慕いしている人』のことかな?
「いや、まあ、なんていうか……」
改めて聞かれるとよく分からなくなって言葉を濁してしまう。
私はエリック様を推してるだけで、それも小説の中の登場人物なわけだし。
小説のバッドエンドを回避して、ヒロインであるメアリー様と幸せになって欲しい。
それを見守るつもりの私としては、こうして目の前にいるんだけどなぜだか自分とは別世界にいるような気分にもなって……。
そう思うと、好きな人って表現は何かしっくりこないな。う〜ん。
私がぐるぐると考えを巡らせていると、エリック様は少し溜め息をついて言う。
「言えないような相手なのか?」
「な、なんでそんなこと聞くんですか?」
私は返答に困って質問で返す。
「お前のような面白い女は、どんな奴を好きになるのかと興味があってな」
「エリック様の好みのタイプは、知性と勇気のある色気漂う大人の女性ですよね」
ドヤ顔で言ってから、気づく。
あっ!これは小説の中の情報だった。変に思われたりしないかな。
「…………まあ、そんなところだな」
エリック様は複雑な表情を浮かべて言う。
なんでそんな表情を……?
あ、そっか。そんなこと言いながらヒロインのメアリー様に夢中になっちゃうんだもんね。
それが正解とは言いづらいよね。だってメアリー様は色気漂う女性っていうよりも、可愛らしい女性だもの。
ふふ、そんな複雑な顔しちゃって。
そんなことを思いながら私が一人でニヤニヤしているとエリック様は呆れてしまったのか、「その頬、冷やしておけよ」と言い残してすぐに行ってしまった。
その後ろ姿を見ながら、私は改めてエリック様のハッピーエンドに向けて頑張ろうと気合を入れたのだった。