32、話したいこと
エリック様はゆっくりとこちらを見た。
私は恐る恐るエリック様に顔を向ける。
目が合うと、彼は私を見つめてふっと笑った。
いつもの、私を揶揄うような甘やかな瞳を湛えて。
えっ……?
驚いたその瞬間、エリック様はしなだれかかっていたヘレナを優雅に払いのけて立ち上がり、従者に何かを囁いた。
従者は何人かを引き連れて飛び出して行き、すぐに彼らは膨大な書類を抱えて戻ってきた。
エリック様はそれらを確認している。
なんだかいつものエリック様と変わらない。
あれ?冷静に見渡してみれば、国王陛下もエドワード殿下もメアリー様もなんの変化もなさそうだ。
騎士団やその他の従者たちも変わった様子はなく、この状況にただ困惑している。
先程シエラによって惑わし草で操られていた騎士のような、ぼんやりとした顔をしている人は一人もいない。
私がポカンとしていると、シエラがそれに気づき笑って言った。
「あ、公爵様のご指示で、さっきレイラさんに飲んでもらった無効化のお薬をあらかじめ皆様にお渡ししてました」
そうなの?!
「今日この場に呼ばれる騎士団の皆様や侍従たちの分も含めてだったので結構な作業量だったんですよ〜」
シエラは満足そうな顔で言う。
「先程、レイラとジュノー伯爵令嬢が証言したベリルの異変は疑いようもない事実だ」
エリック様は気品のあるその美しい声を張り上げてその場にいる皆に話始めた。
「その昔、王宮の悲劇が起こった後、王家と当家、そしてジュノー伯爵家はもう二度とこのようなことが起こらないよう協力し合い、ベリルの毒草を生産から流通まで一切を禁止した」
そこで区切った後、エリック様はジェニエス侯爵とヘレナをキッと見据えた。
「それがなぜか最近現れたんだ。王宮で行われた夜会にベリルの毒がワインに仕込まれるという形で、たった一人を狙ってな」
……――!
あっ?!
その瞬間、私の脳裏に初めて会ったヘレナが『命が惜しかったら、公爵様に取り入るのはやめなさい』と私を脅してきたあのシーンが浮かび上がった。
あ、あんただったのね!!
父親からベリルの毒草を分けてもらってたんだ!!
そのために神殿にも顔を出してたってわけね。
パッとヘレナの顔を見ると、蒼白な顔で震えている。
「入手経路が一向に掴めなかったが、突然の聖女の出現で神殿に目が向いたというわけだ」
そう言いながらエリック様は複数の書類をテーブルに並べた。
「ここ10年の間、ジェニエス侯爵と神官長は結託し、近隣諸国からありとあらゆる薬草を入手していることが分かった」
ええ?!そんなに前から企んでいたっていうの?!
「神殿が国民へ奉仕するために薬草を仕入れることに何の不思議もない。そんな膨大な数なら、多少毒草が混じっていても専門家でもない限りわかるはずもないからな」
確かに、そんな大昔に流通しなくなったベリルの毒草を見分けられるのなんて、今はジュノー伯爵家の人たち位なものでしょうね。
「神官長は昔から随分と手癖が悪かったようだな。ギャンブルで作った多額の借金があちこちにある」
「あっ そういえば、神殿に賭博場の支配人が神官長を訪ねてよく来るとマーシャという神官が言っていました」
私がそう言うと、皆がざわつきながら眉を顰めた。
そうして、エリック様とエドワード殿下が綿密に調べたという証拠が並べられていく。
神官長はそうして侯爵に弱みを握られて、借金を肩代わりしてもらう代償として全ての悪事に協力していたのだという。
ヘレナが王宮のメイドを買収してワインに毒を入れて私に飲ませようとしたこと、父親と神官長と共謀して私を聖女に仕立て上げ神殿に閉じ込めたこと、さらには以前王宮で付け狙われた事件も、ヘレナの仕業だったことが明らかにされた。
エリック様の指示で調べた従者の証言や、私やシエラの証言も完璧な後押しとなり、ジェニエス侯爵とヘレナ、神官長の三人は捕らわれて行ったのだった。
「ただ、いくら仕立て上げられたといっても、レイラがなぜ聖力もないのに聖女と確信されたのかということだけは分からなかったんだが……」
不思議そうに呟くエリック様をよそに、シエラは私の隣に来てこそっと囁いた。
「ね、公爵様はこの二日程、寝ずに走り回っていたんですよ。ここまで綿密な証拠があるのは、ずっとレイラさんを守るために頑張っていらしたのでしょうねえ」
言いながらシエラは頬を赤らめている。
そうなんだ……。
「おかげで私も寝不足です〜。でもご褒美に珍しい薬草を沢山お譲り頂いたんです。公爵様は良いお方ですねえ」
「それにしても、こんなに証拠があるなら言っておいてくれたらよかったのに」
私は溜め息をつきながら言った。
どうなることかと心臓に悪かったよ。ふう。
「そうなんですけど、レイラさんたら急に走り始めるし、矢継ぎ早に質問ばかりするものだから説明する時間がなくて〜」
あ、そっか。
「へへへ。ごめん」
少し離れた場所に立つエリック様は、私をじっと見つめて優しく微笑みながら言った。
「お前が『話したいことがある』と伝言をくれなかったら気づけなかったかもしれない」
それにしても、ただそれだけのきっかけでここまで暴くなんて凄すぎる。
私でさえ、侯爵たちの悪事を一昨日知ったばかりだというのに。
一を聞いて十を知るってこういうことを言うんだわ。
エリック様ってやっぱりすごい人だなあ。
まあ、当たり前か。
王宮の悲劇から王族を守った子孫でこの国唯一の公爵様だもんね。
私たちってすごく息が合ってるんじゃ、なんて少しでも勘違いしちゃうのは失礼ってものだよね。
そんなことを考えていると、再びエリック様とぱちっと目が合った。
「俺たちはいいパートナーになれそうだな」
まるで私の考えていることを見透かしたように、エリック様は不敵な笑みを浮かべてそう言い放った。
うう、反論したいけどそう願っているのは事実だし、笑顔が素敵すぎて何も言えない。
私、この顔に弱いんだなあ。
「話したいことってなんだ?」
優しい瞳のエリック様と見つめ合い、私は想いが溢れそうだった。
彼にもっと近づきたくて一歩を踏み出した瞬間、急に誰かが後ろから私の手首を掴んだ。
「レイラ嬢……」
振り返り見上げると、ロジャーが悲しい顔をして私を見つめている。
そ、そんな顔で見つめられても――――。
そう思った瞬間。
私はいつの間にか黒い霧に包まれてふわっと体が浮かび、軽い衝撃を受けたのだった。