18、婚約者に相応しい条件
いつまでも収まらない胸の鼓動に気づかないふりをしながら、エリック様と宮殿へと戻ってきた。
ちょうど渡り廊下に差し掛かったところで、視察から戻ったエドワード殿下とメアリー様と鉢合わせる。
「あら、レイラ!」
メアリー様は私を見て嬉しそうに微笑んだ。
私とエリック様を交互に見て、くすっと笑いながら揶揄うように続ける。
「ふふ、公爵様とデート中だったのね」
デート?!
「ち、ちちち違いますよ! さっきたまたま向こうでお会いして、」
私が慌てて説明していると、二の腕のハンカチに気づいたエドワード殿下が眉をピクッと動かし、エリック様に向き合って冷静な様子で問いかける。
「怪我でもしたのか?」
「いや、ちょっと掠っただけだ」
エリック様は涼しげに答える。
訝しがるエドワード殿下はそのまま私たちをお茶に誘い、案内された応接間のソファーで私たち4人は向き合った。
メイドさんが手早く淹れてくれた紅茶の良い香りが漂っている。
早々に口を開いたのはエドワード殿下だった。
「大丈夫か?」
「ああ、大したことない」
エリック様はそっけなく答える。
「まあ、確かにお前が狙われるのはいつものことだからな」
そう言ってエドワード殿下は笑っている。
「とはいえ、王宮内で堂々と狙うとはいい度胸だな」
殿下は考え深げな表情で呟いた。
さっきのエリック様と同じこと言ってる……。
そんなことを考えながらじっと見ている私の視線に気づいたのか、殿下は表情を和らげてふと笑いながら言った。
「しかし、愛を感じるな。そのハンカチは」
「レイラが大袈裟なだけだ」
「なっ……だって血が出てたから……!」
飄々とした言い方のエリック様に、私は思わずムキになって答える。
大袈裟って!
「お前はすぐに感情的になるからな」
そう言っているエリック様はなんだかすごく面白がっているのが見て取れる。
もう、すぐ揶揄うんだから……!
「エリック様は素直じゃないですっ」
ぷんとした態度でそう言い放った私を、エリック様はさもおかしそうに見ている。
私たちの様子をじっと見ていたエドワード殿下が徐に口を開いた。
「ああ、そういえば、お前とジェニエス侯爵令嬢の婚約の件、侯爵から早くしてくれと突かれているよ」
えっ……?
私は思わぬ言葉の羅列に一瞬頭が真っ白になった。
エリック様とヘレナの婚約……?
あの時、ヘレナが言っていたことは本当だったのね。
「おい、そんな話は後で、」
エリック様が急に表情を硬くして言いかけたところ、殿下は全く聞こえていないかのように言葉を被せる。
「俺はこいつとは小さい頃からの幼馴染ということもあってね、良い人生を歩んでほしいと思ってるんだ」
殿下はそう言いながら私をじっと見つめた。
その顔は、いつもの気品と威厳に満ちた殿下の顔よりも少しあどけなく、心からエリック様を想っていることが伝わってくる表情だった。
「結婚するなら、エリックを心から愛してくれて、エリックもまた心から愛せる真のパートナーであってほしい」
殿下はまるで私に何かを訴えかけてくるかのように、真剣な表情を浮かべている。
「だから、婚約の承認を悩んでいるんだ」
そうだ、この国の貴族の結婚は王族の許可が必要になる。そうミラから聞いたことがあった。
だけど、なんで私にそんなことを言うの?
返事をしないのは不敬だと思いつつも、何と返していいのか見当もつかない。
「他にそんなパートナーになれるような令嬢はいるかな?」
エドワード殿下は揶揄うような、それでいて上品な微笑みを浮かべて私に問いかける。
エリック様ほどの地位にある人に見合った令嬢なんて、ヘレナやメアリー様以外に思いつかない。
例え、そんな令嬢がいたところで――――。
「い、いえ……私は存じ上げません……」
なるべく感情の入らない声で言うのが精一杯だった。
思考回路が閉ざされてしまったかのように、何も考えられない。
今の私は、ひどく青ざめた顔をしているだろう。
そう思いながらも、なぜか取り繕うことなんてできなかった。
「殿下、そこまでにしてください」
珍しくメアリー様が怒ったような声を出している。
エドワード殿下はそんなメアリー様を見て、眉尻を下げて言った。
「そう、怒らないでくれメアリー。僕だって焦ってしまう時もあるよ」
「だからって唐突すぎます。レイラを追い詰めるような言い方をしてっ」
メアリー様は拗ねたように、殿下からぷいと顔を背けた。
ぷんぷんと怒った様子のメアリー様を見て、殿下は慌てて機嫌を取っている。
私はそんな二人を呆然と見ていた。
仲が良いんだなあ。
私も、もっと身分の高い家門の令嬢だったのなら、エリック様とあんな風になれたのだろうか。
そして、ヘレナみたいに、婚約できるほどのお付き合いができたのだろうか。
そこまで考えてハッとする。
な、何を考えてるの私!
そんなこと考えてもしょうがないのに。
とにかくバッドエンドを回避しなくちゃいけないんだから……!
私はそのために此処に来たんだもの。
でも…………何でこんなに心がささくれ立つんだろう。
気持ちが深く沈んでいく。
隣に座るエリック様の顔も見れない。
「あ、あの、すみません実は私、朝から気分が優れなくて。そろそろ失礼してもよろしいでしょうか……」
私はいたたまれなくなり、勢いで口に出した。
「ああ、少し話しすぎたな。すまなかった、ゆっくり休んでくれ。エリックに部屋まで送ってもらうといい」
殿下が申し訳なさそうに言うと、エリック様が立ち上がる気配がしたので、その前に私は慌てて立ち上がり大声でみんなに挨拶をして部屋を飛び出した。
「い、いえ一人で大丈夫です! 失礼しました!」