17、唐突に罠
思わぬ友情を手に入れた私はるんるん気分で王宮を歩いていた。
メアリー様に続いて素敵な友達ができて嬉しいな♪
テンションが上がっていた私はまだ部屋に戻る気にはなれなくて、あてもなく歩いていたらいつの間にか離宮とはまた別の宮に入ってしまったようだった。
王宮内ってまるで迷路ね。
いつも行き来をしている宮殿と離宮とは違い、薄暗くて寂れた雰囲気に少し心細くなる。
早く離宮に戻ろう。
慌てて来た方向へ体を向き直し歩き始めると、コツンコツンという足音が鳴り響いた。
何……?
今の音、私の靴音じゃないよね……。
そう気づいた途端に、なぜか背筋に冷たいものが走り抜け、私は反射的に早足で歩き出した。
すると謎の靴音も、私の速度に合わせて早くなる。
怖い……!!
恐ろしくなって無我夢中で走り、渡り廊下へ繋がる出口に差し掛かった瞬間、何かに強くぶつかってしまった。
気づくとそれは背の高い男性で、私をしっかりと支えてくれたため、転ばずに済んだようだ。
こ、怖い!誰?!
おそるおそる顔を上げると、そこにはエリック様の美しい顔があって、私は途端に力が抜けた。
「おっと、そんな顔してどうした?」
エリック様は座り込みそうになった私をがっしりと抱き止め、気遣わしげな様子で尋ねる。
「い、いえ……」
なんだ……エリック様だったのか……!
「大丈夫か?」
背中に回された大きくて温かい手を感じているとすっかり恐怖心が収まった。
「はい、すみません……。散歩していたら知らずのうちに見慣れない場所に入ってしまったので心細くなってしまって」
「そうか」
そう言って上品な笑みを湛えるエリック様を見たら、今あった出来事なんてすっかり忘れて見入ってしまった。
ああ、今日も推しが眩しい……!美しい!
感極まって、思わずそのままの体勢でエリック様に見惚れていると、彼は揶揄うような微笑みを浮かべて私の顎に軽く手を添えた。
えっ?
「そういえば、あの時の褒美をまだ貰ってなかったな」
エリック様はそう言って、揶揄うように甘い瞳で私を見つめる。
うっ。まだ言ってる。
でも確かに、あれだけお世話になったのにエリック様には何のお礼もできていない。
顔を見たら余計な感情が育ってしまいそうで避けていたのだ。
私は公爵邸でお世話になったあの朝を思い出した。
ご褒美はないのかと言い、私に顔を近づけてきたあの場面が思い返され、途端に顔が熱を持つ。
恥ずかしさを隠したくて、慌ててエリック様から身体を離して距離を取り、口を開いた。
「そ、それより、メアリー様はお元気ですか? あれからお会いできていなくて」
「ああ、相変わらずエドワードと仲良く過ごしているみたいだな。今日も二人で領地の視察に出かけたみたいだが」
ええ?!エドワード殿下と?!いつの間にそんなことに?
やっぱり、小説の展開からどんどんかけ離れていっちゃうよ……!
こんなことでバッドエンドを無事に回避できるのだろうか。
そう思い、沈んだ気持ちになっていると、エリック様は訝しむような表情で言った。
「ひょっとして……お前の好きな相手はエドワードなのか?」
「は?! え?! ち、違いますよ!」
「じゃあなんでそんなに落ち込む?」
「落ち込んでなんかいません! 大体、私は王太子妃なんていうガラじゃないですっ」
「そんな体裁、気にするようには見えないがな」
そう言って、エリック様はふっと笑みを溢す。
もう、なんて言い草。
でも笑った顔が素敵で何も言い返せない。
イケメンてズルい……。
ふと思い直し、私はエリック様の顔色を窺いながら言った。
「いや、その……エリック様こそ複雑な気持ちなのかなと思って」
「ん? 何がだ?」
「だ、だって、メアリー様がずっと殿下と一緒だと……」
エリック様が寂しいんじゃ……。
「それが何で俺が複雑な気持ちになるんだ?」
「え、だって、メアリー様は可愛らしくて素敵な女性だし、」
小説の中のヒロインってことだけじゃなく、好きになる理由なんてあり過ぎるでしょ。
そこまで言ったとき、エリック様は眉を顰めた。
「何が言いたい?」
うう、そんなこと言われても……。
だって、あなたは小説の流れでメアリー様に恋してるはずでしょ?!
なんて言えるわけもない。
答えに詰まった私は、この気まずい空気を変えたくて無理やり違う話題を振る。
「あっ! そういえば、この前渡り廊下の生垣で会った令嬢と仲良くなったんです!」
「……ああ、あの時のか」
「はい、さっきひょんなことから遭遇して」
「そういえば、お前はいつも渡り廊下や生垣で人を助けているな」
エリック様は思い出したように吹き出して笑った。
あ、確かに、エリック様と初めて会った時、生垣の向こうから私を引っ張り出してお誘いを断るダシにしたのよね。
メアリー様が渡り廊下で酔っ払いに絡まれたのを助けようと打たれそうになった時は、私もエリック様に助けられたっけ。
シエラの時もばっちり見られてたし。
「彼女はシエラ・ジュノー伯爵令嬢と言って、薬草が趣味の楽しいご令嬢でした」
シエラとの会話を思い出して思わずふふっと笑みが溢れてしまう。
「ジュノー伯爵家の娘だったのか。それなら変わった趣味も納得だな。あの家は代々優秀な研究家を輩出している名家だ。その研究は王家にも多大な貢献をしている」
そうなんだ!うん、あの情熱の傾け具合なら納得。
しかしエリック様って色々なことを知ってるのね。
この国唯一の公爵ともあれば、自国の貴族を把握してるのは当たり前なのかもしれないけれど。
エリック様は形の良いその唇に綺麗な弧を描いて微笑んだ。
「面白い女の周りには面白いやつが寄ってくるんだな」
いたずらっ子のような笑みを浮かべるエリック様が可愛いくて思わず見惚れてしまう。
なんか今日のエリック様、笑ってばかり。
これまでの余裕あるクールな態度とはまた違う魅力を見つけてしまった気がして、胸が高鳴る。
い、いけない、何を考えてるの私ったら。
ああ、何か違うこと考えなくちゃ!
えーと、えーと、あ、薬草で思い出したけど、そういえば――――
「この王宮魔術師団だったら、どんな薬草とか植物でも手に入れられるんですかね?」
「伯爵令嬢にプレゼントでもしたいのか?」
「あ、それもいいですね」
そう言って、ふふっと笑ったその時だった。
エリック様が突然、私を強い力で引き寄せ抱き締める。
えええ?!?!何?!
心の中で叫んだすぐ次の瞬間、カシャンと音を立てて私たちの足元に何かが落ちた。
目をやってみると、それはギラリと光る短剣だった。
っ…………!!
私が驚くと同時にエリック様は厳しい声を上げながら走り出す。
「待て!!」
走り出すエリック様の背中を呆然と眺めながら、エリック様の足音とは別に慌てた様子で走り去る足音が響いた。
……?!
もしかして、さっきの足音はやっぱりエリック様とは別人だったの……?
私を付け狙っていたということ……?!
しばらくして戻ってきたエリック様は難しい顔をしていた。
「っ……見失った」
忌々しげに呟いてからハッと私に向き直って言う。
「レイラは大丈夫か?」
「ええ、エリック様が庇ってくださったのでなんとも」
「それなら良かった」
「怖いですね……なんでこんなことに……」
「あまり気にするな、狙いは俺だろう。恨みならいくらでも買ってるからな」
えっ?!恨み?
「で、でも一体誰が……」
「まあ、思い当たることはありすぎるからどいつの仕業かはわからないな。とにかく、レイラに何事もなくて良かった」
なっっっっ……!
涼しい顔でそんなことを――っ。
「しかし、まさか王宮内で狙われるとはな……」
エリック様は考え込むような仕草をして頭に手をあてた。
その瞬間、飛んできたナイフによって切れてしまったらしき二の腕部分のジャケットとシャツが切り裂かれているのが見える。
……!!!
ち、血が出てる!!
私を庇ったせいだ……!!
「エリック様……!」
思わず小さく叫ぶと、エリック様は私の視線でやっと自分の怪我に気づいたようだった。
「ああ、こんなかすり傷くらい驚くことじゃない」
「で、でも……! 血が出ています……っ」
私は焦ってポケットからハンカチを取り出し、彼の腕に巻きつけて止血した。
い、痛いの痛いの飛んでけ……っ。
必死で念じてみる。
そんな私の様子を見ながらエリック様はふっと笑う。
なんで怪我してるのに笑ってるんだろう。血が出てるんだから痛いよね。大丈夫かな。
私は心配になってエリック様を見つめる。
「そんな目で見るな」
ん?
そんな目?
そう言うエリック様は私を見つめながらひどく甘い瞳をしている。
「そんな目をされたら、我慢できなくなる」
えっ?!我慢?!
やっぱり痛いんじゃ…………。
あまりの私の慌てぶりに、エリック様は苦笑いをしながら私を宥めた。
その優しい笑顔に落ち着くどころか、私の心臓はいつまでもうるさい鼓動が収まらなかった。