12、夜会の罠
あれから、冷静に夜会のことを考え直してみた。
元々の小説の展開では、殿下はお妃になる令嬢をエスコートし、メアリー様は王女という高い地位から公爵であるエリック様のエスコートを受けるべきだという周囲の助言により二人は夜会にパートナーとして参加することになった。
護衛騎士という立場があるロジャーはそれを見守るしかなくて、ヒロインを巡りエリック様との間にはさらに亀裂が入っていくのだけれど。
エリック様が席を外してメアリー様がひとりテラスで休んでいる場所にロジャーが出くわし、酔った貴族に襲われそうになっているところを助けて絆が深まるのよね、確か。
でも実際には、何故かロジャーは私を好いてくれているわけで。
私がロジャーのパートナーになれば、何の問題もなくエリック様はメアリー様にエスコートを申し込めるはず。
それにテラスには私がこっそり助けにいけばいい。
うん!それで丸く収まる!
そう思いついて、私はロジャーにエスコートを受けたい旨を伝えたのだ。
彼はとても喜んで引き受けてくれた。
いよいよ今日は夜会の日だ。
ミラは準備の間ずっと「なんで公爵様じゃないんですか〜」と肩を落としていた。
これでいいの。準備を終えて鏡の前で気合を入れると、ノックの音が鳴り響く。
そこにいたのは迎えに来てくれたロジャーだった。
私のドレスアップ姿を見て、ロジャーは顔を綻ばせる。
「レイラ嬢、美しいです」
彼は私の手を取りキスをした。
「ありがとうございます。騎士団長様もとても素敵です」
騎士の正装をしたロジャーは本当に美しかった。
さすが小説の男主人公。
「では行きましょう」
ロジャーのエスコートで私は宮殿の会場へと入った。
今日も会場は煌びやかだ。
エリック様と最後に話したあの日から、いまいち気持ちが晴れやかではなかったけれど、この華やかな雰囲気にほんの少し気持ちが上がる。
なんだか少し緊張するなあ。
どうか無事にバッドエンドに向かうことを回避できますように。
そう祈っていると、入り口の方が騒がしくなりふと目を向けた。
見ると、なんとそこにはヘレナをエスコートしているエリック様が立っていたのだ。
ええ?!
なんでヒロインのメアリー様と一緒じゃないの?!
初っ端から想定外の出来事が……!
エリック様とヘレナは沢山の貴族に囲まれ、周囲の者たちはこのビッグカップルを称えているかのようだ。
私は複雑な思いで彼らを見つめた。
夜会用の正装をしたエリック様はいつもに増して精悍で美しい。隣に並ぶヘレナもまたそれに負けず劣らず華やかで美しい。
ヘレナが彼にくっついているのを見ると、なんでこんなにも気持ちが落ち込んでしまうのだろう。
思ったよりも悪女だったから?
隣にいたのがメアリー様ではないから?
私はこの心のトゲトゲとした痛みが何なのかよく分からない。
二人から目を離せないでいると、私の視線に気づいたのかエリック様はこちらを見て一瞬動きを止めた。
その表情には何も浮かんでいない。
次の瞬間、ひときわ大きな歓声と拍手が鳴り響いてきた。
見てみるとエドワード殿下とメアリー様が一緒に入場してくるところだった。
えええ?!なんでまた殿下とメアリー様は一緒なの?!
驚いている私に気づいたメアリー様と殿下がこちらに近づいてきた。
私の隣にいるロジャーの顔を見て、メアリー様は一瞬意外そうな顔をしてから笑顔で言う。
「レイラは騎士団長様とご一緒だったのね」
「はい」
私は笑顔で答えながら、殿下とメアリー様に挨拶をした。
ちょうどそのタイミングで王宮のメイドさんが私たちの前に飲み物を持ってやって来た。
私は思わず、あっ!と叫びそうになる。
シャンデリアの件を後悔していた私は、夜会で赤ワインの毒にだけは気をつけなくてはと頭に叩き込んでいたのだ。
ロジャーからは先日、思わぬ告白を受けてしまったが、エリザはそんなことを知らずにメアリー様を狙っているはず。
メイドさんが持って来たトレイには、白ワインのグラスが三つと赤ワインのグラスが一つだけ乗っている。
こ、これだ…………!!!
きっとこれが毒の入った赤ワインなんだ……!
飲み物を選ぶメアリー様に私は慌てて言った。
「メアリー様、今日振舞われている白ワインとっても美味しいですよ」
「あら、そうなの? じゃあそれを頂こうかしら」
そうして少しの間、四人で歓談をしてから、殿下とメアリー様はダンスのためにホールの中心へと進んで行った。
ふう、これでなんとか、メアリー様を毒から守れたよね…………。
一人安堵していると、ロジャーが上品な笑顔を向けて私に言った。
「すみません、少し呼ばれてしまったのでここで待っていていただけますか?」
いつの間にか、傍には騎士団の人が来ていた。
きっとお仕事の話なのだろう。
「はい! もちろんです。お気になさらず」
私が笑顔でそう言うと、ロジャーは安心したような顔をして「なるべく早く戻ります」と言い残し去って行った。
一人になると、ドッと疲れが襲ってくる。
私は心を落ち着かせようと飲み物を探した。
そんな私に気づいたのか、近くにいた王宮のメイドさんが赤ワインを差し出してくれる。
「ありがとう」
笑顔で言って受け取り、グラスに口をつけようとしたその瞬間、どこからともなくエリック様が現れた。
「前に言っていた好きな奴とはあいつのことなのか?」
え?好きな人……?
あ、ああ!あの『お慕いしてる人がいます』っていう発言のことね。
いや、それは推したい人とかけているんだけど、なんて説明しても伝わるわけないよね。
その推してる人はエリック様だし、そのまま言ってもあらぬ誤解を生みそうだし。
うーん、なんて言えばいいものか。
そう思考を巡らせていると、エリック様は苛立ったように溜め息をついた。
「そんなに隠すことでもないだろう」
その投げやりな物言いを聞いて、私にもその苛立ちが伝染してしまう。
何でそんな言い方をされなきゃいけないんだろう。
私は先ほどの彼とヘレナが寄り添っていた姿を思い出して、思わずむっとしながら答えた。
「隠してることなんてありません」
「じゃあ何なんだ」
「……っ別に何もないです。エリック様こそジェニエス侯爵令嬢と親しい間柄なのでしょう?」
思った以上に、言葉がきつく響いてしまう。
「……さあな」
エリック様は低い声で呟いた。
私は小さく震えたが、言ってしまった言葉はもう消せない。
無言が続くこの最悪な空気の中、ヘレナがやってきた。
エリック様に寄り添い、彼の腕に自分の腕を絡めて彼を向こうへと促すと、二人はそのまま背を向けて行ってしまった。
もう!なんであんな言い方……!
私はもどかしくなって、手に持っていた赤ワインをぐいっと飲み干した。
ちらりと視線を向けると、彼の逞しい背中が離れていくのが見える。
あっ……!!
そうだ!
エリック様がヘレナと行ってしまうその後ろ姿を見て、小説の内容をハッと思い出した。
彼女と一夜を共にしてしまうのは、ヒロインと揉め事があった後に夜会で出会ったことがきっかけだったはず。
小説の中でヒロインは、こんな風に彼の背中を見送っていたように記憶している。
そうはっきりと思い出した私は、身体がぶるぶると震えた。
色々と内容が違っているところもあるけど、まさか今日がそのきっかけの夜会なの……?!
ということは、このまま彼らは小説の通り、一夜を過ごしてしまうということ……?
そんなのって……嫌だ…………!!
『待って、行かないで』
私はそう声をかけたいのに、なぜか掠れてしまい声が出なかった。
徐々にぼやけていく視界の中でエリック様の後ろ姿が滲み、そして何も見えなくなった。
グラスの割れる音が響き、身体中から力が抜けていく。
キャーと叫ぶ女性たちの悲鳴が聞こえたすぐ後、温かい何かが触れたところで私の記憶は途切れた。