9、波乱の予感
その日は久しぶりにメアリー様とお会いできることになり、私たちはまたのんびりお茶をしている。
今日はメアリー様が宮殿の豪華な庭園を見渡せるお部屋に招いてくれた。そこは離宮の庭園に増して壮観な眺めで、その美しさに思わず溜め息が出るほどだ。
私はフルーツがたっぷり盛り付けられた美味なクレープに舌鼓を打ちながら、メアリー様との会話を楽しんでいた。
王宮のパティシエさんが作るスイーツはやっぱり絶品!
この前は食べ損ねちゃったから余計に嬉しい。
「レイラは離宮の生活にはもう慣れた?」
「ええ、すっかり!」
「ふふ、よかった!」
「メアリー様も慣れましたか? お妃様候補のお勉強って色々あるんですよね?」
「ええ、覚えることも沢山あるけど、殿下が気を配ってくださるから楽しく過ごせているわ」
「そうなんですか」
「このお部屋も殿下がぜひにと用意してくださったの」
メアリー様はそう言いながら頬を赤く染めている。
「他のお妃様候補の皆様とはどうですか?」
私は先日遭遇した令嬢たちのことが気になって思わず聞いてみる。
隣国の王女様にするには踏み込んだ質問かもしれないが、メアリー様とはもうすっかり打ち解けていて、お互いになんでも遠慮せずに話せていた。
「ええ、上手くやれているわ。ただ……王宮魔術師のエリザ様とは少し距離があるかしら」
「そうでしたか……」
「エリザ様はどうも私の国がお気に召さないようで……」
メアリー様はそう言って困った顔をしている。
なにせエリザからしたら恋敵だもの。国じゃなくて、メアリー様自身に脅威を感じているだろうからねえ。
彼女の口ぶりからすると、どうやらすでに嫌がらせは始まっているようだ。
私も返答に困って苦笑いをしていると、入り口の扉が開き人が入ってくる。
目をやると、こちらに向かってくるのはエドワード殿下だった。
なんと、その横にはエリック様もいる。
「楽しんでいるかい?」
慌てて立ち上がろうとする私たちを優しく制して、殿下は上品な微笑みを浮かべながら聞く。
「はい、殿下のおかげで素敵な時間を過ごしております」
メアリー様は先ほどよりもさらに頬を赤く染めながら、うるうるした瞳で殿下を見つめて言った。
あれ?さっきからメアリー様のこの反応ってなんだろう。まるで殿下に恋でもしているかのような…………。
こんな様子、エリック様からしたらすごく複雑なんじゃないかしら。
そう思いながらエリック様をこっそり窺い見ると、バチっと目が合ってしまった。
私は慌てて愛想笑いでごまかす。
殿下とメアリー様はなにやら楽しそうに笑い合っている。
そんな微笑ましい様子を見て和やかな気持ちになっていると、ふと何かが頬に触れた気がした。
ん?なんだろう、この感触?
そう思った次の瞬間、メリメリという音と同時に、身体を強く引っ張られて転がるように強い衝撃を受けた。
すぐにガラスが割れるような激しい落下音と侍女たちの悲鳴が耳を貫く。
…………!!
一瞬の出来事についていけず呆然と顔を上げると、気づけば私はエリック様の腕の中にいた。
すかさず周囲を見渡すと、同じようにメアリー様はエドワード殿下に抱き庇われていて、さっきまで私とメアリー様が座っていたテーブルには、大きなシャンデリアが落ちている。
な、なんてこと…………!
彼らが庇ってくれなかったら、私たちはきっとあの下敷きになっていただろう。
さっき頬に触れたのは、シャンデリアが落ちるにあたりポロポロと崩れ始めていた天井の漆喰だったんだ。
そう思った瞬間、私は雷に打たれたように思い出した。
ああ!そうだ!
優雅なお茶会のシーンに起こるシャンデリアの落下。
ヒロインが危うく下敷きになるところを、エリック様に助けられるシーンだ。
なんでそんな大事なこと忘れてたんだろう……!
私のバカバカ!!
もちろん、こんなことを仕掛けるのは一人しかいない。
メアリー様に嫉妬した王宮魔術師のエリザ。
やはりヒロインを敵視しているんだ。
もう、こんな風に狙い始めているなんて…………!これからはもっと気をつけないと。
えーと、これから注意しないといけないことは――
慌てて小説の記憶を辿り、次は夜会での赤ワインに入った毒に注意をしなくてはいけないことをしっかりと心に刻んだ。
あれ、でも……と不思議に思う。
なんでメアリー様を助けたのはエドワード殿下だったのだろう。
そして、私がエリック様に助けられてしまったのはなぜなの?
もしかして私がここに存在したせいなのだろうか……。
そんなことを呆然と考えている私を、エリック様は胸に抱えたままそっと立ち上がらせてくれた。
エドワード殿下は騒ぎを聞きつけてやってきた騎士たちに真剣な面持ちで指示を出して事態の収拾を図っている。
幸い離れたところに立っていた侍女たちも怪我はなさそうだ。ミラも大丈夫そうでホッとする。
殿下は騎士たちに一通りの指示を終えてからエリック様に言う。
「エリック、レイラ嬢のことを頼んでも良いか?」
「ああ、もちろん」
エリック様の返事を聞くと、殿下はメアリー様を大切そうに連れて出て行ってしまった。
あ……行っちゃうのね。
私が少し残念に思っていると、エリック様は揶揄うような甘やかな表情で言う。
「俺から離れたくないようだな」
気づけば私は、エリック様の逞しい胸にしがみついたままだった。
「あ! す、すみません……!!」
私は謝りながら慌てて離れた。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「大丈夫そうだな」
エリック様は甘い感じのする瞳で私を見つめて言った。
抱きしめられた感触がまだ残っていて、こんな状況にも関わらず胸のどきどきを抑えられない。
何か喋っていないといられず、私は考えなしに口を開く。
「エリック様はどうしてここにいらしたのですか?」
「ああ、お前が王女とお茶していると聞いたのでな。殿下が顔を出すというからついてきた」
そっか、そっかあ、やっぱりヒロインがいるから来たのね!
あっ……、でも肝心のメアリー様は殿下と行ってしまわれて寂しいよね。
「そうだったんですか……。じゃあ、またメアリー様とお茶するときにはエリック様をお誘いしますね」
「なんでだ?」
え?なんでだ?って、なんで?
「だってメアリー様に話があったんじゃ?」
「いや。そんな必要はない」
???
「部屋まで送ろう」
狐につままれたような様子でぼーっとしている私に、エリック様はそう言って私の手を取る。
「あ、はい」
放心状態で答えて私はエリック様のエスコートで歩き出していた。
ミラも後からついてきて、私はエリック様に部屋の前まで送り届けられた。
「じゃあな」
エリック様は、私の頭にポンと手を乗せながらそう言って、去って行った。
その後ろ姿を見送っていると、なぜだか胸がキュッと締め付けられるような気持ちになる。
ん……?なんだろうこの感じ。
私は彼を見つめながら感じる、この不思議な胸のざわつきが何なのか、全く見当もつかなかった。