王太子殿下が泣き虫で締まらない
ここは、多くの“魔法使い”を輩出するポプラルース王国一の名門魔法学校。
卒業式を明日に控えた今日は、全学年が集まる最後の行事。記念パーティーであった。
「ソフィア・パジェ・ネネルシオ公爵令嬢!!」
パーティーホール中央。この国の王太子であるアベラール・スエ・ポプラルース第一王子が、威厳ある声を響かせた。それに、生徒達の視線がそちらへ集まる。
婚約者をエスコートしている筈のアベラールの隣には、ジゼル・マデアム男爵令嬢がきらびやかなドレス姿で立っていた。
ただ事ではない雰囲気に、パーティー会場がざわめく。それを意にも介していないような凛とした声が、アベラールの呼び掛けに答えた。
「はい。ソフィアはここにおりますわ」
アベラールとジゼルの前に、ソフィアが躍り出る。その隣には彼女を守るようにして、アベラールの弟であるシャルル・スエ・ポプラルース第二王子が立っていた。
ジゼルは現れたソフィアに、萎縮した様子を見せる。怯えたように、アベラールに縋りついた。
「ご用件をお伺いしたく存じます」
「ソフィア、今日をもって君との婚約を……っ!!」
「婚約を?」
「は、は、はき……っっ!!」
瞬間、アベラールの瞳からボロッと大粒の涙が溢れだす。それは止めどなくアベラールの頬を濡らしていった。滝のように。
「あちゃー……」
「あらあら、困った方」
「やっぱりこうなるか~」
ソフィアは思う。威厳ある正装を完璧に着こなし、美しい黄金の髪を綺麗に整え、今日のアベラールは、何から何まで王太子として申し分なかった。これさえなければ。
先程までのキリッとした深紅の瞳はどこへいったのやら。ゆらゆらと頼りなく揺れる瞳が、許しを乞うようにソフィアを見つめた。
「あと、もうちょっとでしたのに」
「すまない。しかしだな。君とのその……無理だ。言葉にするのでさえ、泣いてしまいそうだ」
「既に泣いておられましてよ」
「耐えられない!!」
言葉通りに、がくっとアベラールが体勢を崩す。しかし、凄まじい体幹で膝をつくことはしなかった。
「膝をつかないのは、流石ですわ」
「王族足るもの地に膝をつくことはない」
「体幹がバケモノなんだよなぁ。普通は膝から崩れ落ちたらそのまま強打しますって。オレはする」
「鍛練が足りないのではありませんこと?」
「勘弁して欲しい。だってあれで、一切揺るがないんだよ? どうやって支えてるのか謎過ぎる」
先程までの物々しい空気が嘘のように、ソフィアとシャルルが気安い会話を繰り広げ始める。違う意味で、生徒達がざわめき出した。
未だに泣き続けているアベラールに、ジゼルが狼狽する。「アベラールさま??」と呼び掛ける声は戸惑っていた。
「今からが、見せ場ですのに……。ほら、アベラール様お立ちになってくださいませ」
「抱き締めさせて欲しい」
「……まったく。致し方ありませんわね。この場は、わたくしとシャルル王子にお任せ頂けますか?」
「あぁ。それでいい」
アベラールはフラフラとした足取りでソフィアに近付くと、邪魔にならないためなのか後ろから抱き付いた。そのまま顔を肩に埋めてしまう。
「じゃあ、衛兵~!」
シャルルが軽い調子で衛兵を呼ぶ。事前に決まっていたのか、衛兵はジゼルを捕らえた。それに「なんなの!?」と、ジゼルが喚く。
「静かになさい。アベラール様はお疲れなのですから」
「兄様、お気を確かに~」
「香水に酔ったのだ……」
「あ~……なるほど」
香水という言葉に、ジゼルが微かに反応する。それを見逃さなかったソフィアが、スッと目を鋭く細めた。
「どうしてよ……。アベラール様! 助けてください!! アベラール様!!」
「跪きなさいな」
「……は?」
「聞こえなかったのかしら? 頭が高い。跪きなさい」
ソフィアの命に従い、衛兵達がジゼルを跪かせる。それにジゼルは、「きゃあ!?」と悲鳴を上げた。
「何をするの!? 私は男爵令嬢なのよ!? レディにこんな行いをするなんて!!」
「口を閉じなさい。貴女はただの罪人に成り下がったのよ。大人しくするのなら、手荒な行為はしません。分かるわね?」
「ざ、ざいにん??」
「さて、では何処から説明しましょうか」
「この香水から、なんてのはどうかな~?」
シャルルがポケットから小瓶を取り出す。中で、透き通った桃色の液体が揺れた。それに、ジゼルの顔色がサァと青くなる。
「そうですわね。アベラール様も限界のようですから」
「ということで、“水の精霊よ、泣け。兄様のように”」
シャルルの求めに応じて、水が滝のようにジゼルの頭上に降り注いだ。
「シャ~ル~ル~……っ!!」
「えへっ!」
アベラールが流石に怒ったような声を出したが、シャルルは茶目っ気たっぷりにウィンクするだけだった。許されると分かっている、仲の良さが窺えるやり取りであった。
「な、なにをなさるのですか……」
まさかそんな事をされると思っていなかったのだろう。ジゼルが呆然とシャルルを見上げる。シャルルはそれに、微笑みを返すだけだった。
「貴女は付けている香水は、ご禁制の魔法薬。人を惑わす、所謂、惚れ薬のようなもの」
「……っ!?」
「更に、魅了魔法の補助的役割も果たしてくれる優れもの。勿論、魅了魔法の類いも法で禁じられているけれど」
「どうして……」
「知っているのかって? あぁ、それとも。どうしてシャルル王子が持っているのか、かしら?」
「さてね~。どうしてだったかな?」
ジゼルの表情に、明確な恐怖が滲んだ。
「王族が惑わされると国が傾く。こういった類いのものは、幼少期から種類等すべて教え込まれるのよ。婚約者にもね。それに、“特別な対策がある”とだけ」
「でも! アベラール様は、私に」
「愛を囁いてくれた?」
「そうよ!」
「それが、罠だったとは思わないの?」
「……え?」
「愛愛しいこと」
ソフィアが持っていた扇を広げ、口元を隠しながら笑う。それに、ジゼルは怒りと羞恥で顔を真っ赤に染め上げた。
「あれは、貴女が意気揚々と香水をつけてきた日のことだったわ」
ソフィアが記憶を探るように、懐かしむように、何処か遠くを見つめる。そのまま、事の経緯を説明し出した。
******
遡ること約一年前。新入生が入ってきたばかりの秋のことだった。アベラールにソフィアとシャルルが呼び出されたのは。
「兄様~? 緊急事態って、何があったんです?」
「うむ。実はな。新入生のマデアム男爵令嬢についてなんだが……」
「マデアム男爵令嬢?」
「そうだ。まず間違いなくご禁制の魔法薬を使った香水を使っている」
「やだ~! 形振構わずは、はしたなくってよ~! ……なんて、ふざけてる場合じゃないか」
シャルルが一変して、真剣な表情を浮かべた。それに、場の空気が一気に張り詰める。
王族が惑わされると、国が傾く。そうならないために王族及びその婚約者には、特別な魔法道具が代々継承されていた。
それは懐中時計であったり、髪飾りであったり、ブローチであったりと様々だ。勿論、アベラールやシャルル。そして、王太子妃であるソフィアもそれを身に付けている。
そのため、魅了魔法や惚れ薬のような魔法薬などが王族に効くことはなかった。裏切り者等を炙り出すため、それは一部の者しか知らないことである。
「わたくし達を呼んだと言うことは……。事はマデアム男爵令嬢を捕まえるだけでは済まないと、そういうことでしょうか?」
「話が早くて助かるよ。問題は、その魔法薬の出所だ」
「まさか……」
「あぁ、この国の膿。闇ギルド・エテルネル」
「確かですの?」
「あの魔法薬を取り扱えるのは、エテルネルくらいだ」
闇ギルド・エテルネル。ご禁制の魔法薬から禁書、情報売買、果ては暗殺まで。裏の仕事は何でもやると噂の危険なギルド。
尻尾を掴ませない連中で、国王陛下も手を焼いている。そのギルドの名が出たことで、アベラールの企みをソフィアは瞬時に理解した。
「ご自身を囮に使うおつもりなのですか?」
「彼女の狙いが俺であるというのなら」
「兄様は王太子なのですよ」
「なに、危険な事はせんさ。魅了されている振りをするだけだ。香水を全て使いきって貰わねばならないからな。それに、俺に注視させておけば被害が最小限で済む」
「……言っておきますが、オレは」
「分かっている。約束通り、王になるのは俺だよ」
「本気で! 危険なマネは止めてくださいよ」
シャルルの心配の滲んだ声音に、アベラールは困ったように笑う。上手く伝わっていない気がして、シャルルが口をへの字に曲げた。
「そうですわよ、アベラール様。シャルル王子は吟遊詩人になって、世界を放浪したいのですから」
「それは!! 遠い遠い幼き日の夢ですからね!?」
「あら、そうだったかしら?」
「勘弁して……。今は違うので! オレは外交を任せて貰えるように日々精進しててですね」
「二年生には、外遊が決まっていたな。それまでに、決着をつけたい所だが」
脱線し掛けた話をアベラールが戻す。シャルルが誤魔化すように、咳払いをした。
「しかし、相手は強敵です」
「それでも、やらねばな。マデアム男爵令嬢には、優秀な隠密を複数人つける予定だ」
「では、わたくしはアベラール様と初期段階で仲睦まじい様子を見せつけ。段々と邪険に扱われながら、それでもお慕いしている風でマデアム男爵令嬢を煽りますわ」
「…………」
「…………」
「あら、どうされましたの? お二人とも黙り込んでしまわれて」
アベラールは、何とも言えない気持ちになった。婚約者が協力してくれるのは、とても有り難いし心強い。しかし、もうちょっとこう……。嫉妬して欲しい気もするというのか。
「わたくし、アベラール様の火遊びくらい許して差し上げる度量はございましてよ」
「火遊びなどしない!!」
「兄様が泣きますよ」
「あらあら」
アベラールは「兎に角!!」と、無理矢理にも声を張り上げた。
「一網打尽だ! ネズミ一匹逃さない!!」
ぐっと拳を握る。その声が不格好に涙声でなければ、完璧に締まったことだろう。
******
などという内容を搔い摘まんで説明し終わったソフィアは、その顔に好戦的な微笑を浮かべた。それに、ジゼルがひゅっと息を呑む。
「お分かりになって?」
「あ……」
「罪状が多過ぎるけれど、貴女のお陰で闇ギルドを一網打尽に出来たのも事実。処刑は免れるのではないかしら。ただ、流刑地へ送られるか男爵領で一生幽閉か」
「いや、いやよ……」
「あとは、判事に任せてあるわ。追って沙汰が下されるので、大人しく待っていなさい」
「誰か助けて、お願い!! この女の陰謀よ!!」
ジゼルがソフィアを不躾に指差す。周りに視線を遣ったが、返ってきたのは冷めた視線だけであった。
「ど、どうして……」
「魔法薬の影響で味方をしてくれていた筈なのに?」
「何したのよ!!」
「あら? 少し考えれば分かりそうなものだけれど。まぁ、いいわ。今宵のパーティー、料理や飲み物は手に取った?」
「……まさか」
「ご名答。解毒薬はどのようなモノにも存在しているのよ。ちょうど、効きだす頃合い」
ジゼルは呆然とソフィアを見上げる。
「どうしてよ。違う。こんなの間違ってる」
「何故そう思うの?」
「だって、私はヒロインなのに!!」
「あらあら、困った子。貴女、ヒロイン症候群なのね?」
「……は?」
「たまに居るのよ。お伽噺の世界から帰って来られない子が」
「違う、ちがう!! わたしは、ほんとうに!!」
「それを悪いとは言わないわ。ただ、越えてはならない一線が、確かにあるのよねぇ」
ソフィアが目を鋭く細める。しかしその瞳に滲んだのは、憐憫だった。
「これは、貴女のために用意した舞台よ。本来であれば、貴女は人生で一番の幸せを味わう予定だったの」
「なによ、それ……」
「どうせ落とすのなら、幸せの絶頂からがよろしいでしょう?」
ジゼルの喉から引きつった悲鳴が漏れる。愉快そうにそれを眺めたソフィアは、次いで深々と溜息を吐いた。
「まぁ、こうなるだろうとは思っておりましたけれど」
「すまない」
「問題ございませんわ、アベラール様。それも込みですので。ねぇ、シャルル王子」
「そうだね~」
「では、幕引きとまいりましょうか。そろそろ肩が冷たいの」
ソフィアの言葉に、シャルルが不思議そうに目を瞬く。視線を遣って、ぎょっとした顔をした。何故なら、アベラールの涙でソフィアのドレスの肩口が結構な具合に濡れていたからだ。
「兄様、そんなに泣いたら干からびますよ!?」
「流石に着替えたいですわ」
「はい、連行~!」
これはまずいと、シャルルは即座に幕引きに取り掛かる。最初と同じ、軽い調子で衛兵に命じた。
それに、衛兵は忠実に従う。ジゼルを立たせると、何事やらを喚くジゼルを無視して引き摺るように連行していった。
「シャルル王子、もう少し緊張感のある声は出ませんの?」
「出ませんね~。オレにそういうのは、向かないよ。ね? 兄様」
「俺が向いてるとも言えんがな」
「そうかな? 心優しい良き王になれますよ。あとは、ソフィア嬢が隣にいてくれれば磐石」
「勿論、お支えしますが……。即位までには、何とかしなければなりませんわね」
ソフィアは困ったように笑むと、「では、休憩室に行きましょうか」とアベラールに離れるよう促す。それに、アベラールは渋々といった風でソフィアから離れた。
「ごゆっくり~」
「後のことは、シャルル王子にお任せ致しますわ」
「うん。陛下の方も今頃は片付いている筈だからね。連絡を取ってみるよ」
「此度の件、組織的な国取り等ではなかったのが幸いかしら。マデアム男爵は関与していないようだけれど、娘の不始末にどう対処するか……」
「陛下は厳しい方だからな。男爵の言動次第では、爵位剥奪もあり得るかもしれん」
直ぐに泣くところを除けば、アベラールと国王陛下はよく似ているとソフィアは思っている。このアベラールの泣き虫は、どうすれば直るものなのだろうか。
ソフィアはアベラールと腕を組むと、休憩室へと歩きだす。シャルル王子の言葉に甘えて、ゆっくりすることにした。
「すまないソフィア、やはり俺は直ぐに会場に戻ろうかと思うのだが」
「あら、久方ぶりの二人っきりだというのに。婚約者を一人置いていくおつもりで?」
ソフィアがそのようなことを言うと思っていなかったのか、アベラールがキョトンと目を瞬く。アベラールとしては嬉しい誘いではあるが、王太子としての責務もあるのだ。
「冗談ですわ。でも、これだけは覚えておいてくださいな」
「……? 何だろうか」
「わたくしが、嫉妬しないと思ったら大間違いですからね」
ソフィアの瞳に、じわりとほの暗い感情が滲む。それに、アベラールが顔を真っ赤に染め上げた。
「思っていた反応と違うわ」
「嫉妬したのか?? しかし、火遊び」
「それとこれとは、別問題ですのよ」
許すが、嫉妬はしっかりとする。人の婚約者にベタベタと……。今回の騒動のせいで、ソフィアは扇をいくつ壊したことか。アベラールには、絶対に教えないが。
「ソフィア」
「はい」
「あ、あいしてる」
アベラールの声が涙のせいで、ゆらゆらと覚束なく揺れる。嬉し涙とは、本当に期待を裏切らないことだ。
「ふふっ、可愛い」
「……やはり、何とかせねばなるまい」
「あらあら、可愛いではご不満?」
「不満に決まっているだろう……」
アベラールはムスッと不服そうに、腫れぼったくなった目元を雑に袖で拭う。それを諫めながら、ソフィアは愛しそうに目を細めた。
「愛しております。泣き虫なところも全て含めて」
結局、アベラールの涙は止まらず。最後の最後まで締まらないのだった。
読んで下さり、ありがとうございます。
楽しんで頂けたら嬉しいです。
次はシャルル王子が主役のお話も書きたいですね。いつになるか分かりませんが……。ご縁がありましたら、余暇のお供にしてやって下さい。