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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
8/21

8

帰国までの二週間は、ひたすら寄り添って過ごしたように思う。


 忙しいひとであるはずなのに、時間をつくってはリリゼットの側にいてくれた彼との時間を、惜しむようにリリゼットも過ごした。






 そんな日々はあっという間で―――帰国の日はすぐに訪れた。






 カイゼルが用意してくれたのはもったいないくらい豪華な馬車で、少し申し訳なくなる。三日の道程にはシンディアスとレンブロントが供をしてくれるらしくて、それは正直ありがたかった。知らないひとたちに大勢で囲まれるのは、すこしこわい。


 とくに護衛としてはレンブロントがいれば何の問題もないらしく、シンディアスも相当に腕が立つので、人数としては実に少数でまとめられている。カイゼルがそれで大丈夫だと判断したのなら、リリゼットが不安に思うことは何もない。そもそもこの帰国も秘密裏に行われているので、人数が多いのは逆に目立ってよくないようだった。




 最終的な打ち合わせをしている男性陣を待ちながら、馬車のまえでリリゼットもお世話になったメリッサに最後の挨拶をする。




「リリゼット様、お気をつけて」


「メリッサさん……いろいろ、お世話になってしまって……ほんとうにありがとうございました」


「いいえ、いいえ、そのようなこと」




 うっすらと涙の滲んだ目じりをそっと拭って、上品に微笑んだメリッサがそっとリリゼットの手を両手で包んで微笑む。




「きっとまたお会いできると、信じておりますよ」




 そうできたらいい、とリリゼットも思うから、一度だけ頷いた。


 そうこうしているうちに、シンディアスたちと最後の打ち合わせをしていたカイゼルが馬車の側に立つリリゼットのもとにやってきた。いたずらっぽい笑みを浮かべたメリッサがちいさく手を振って下がっていく。


 熱を持つ頬を隠すようにうつむいていたら、強い腕にふわりと抱き上げられて、片腕に乗せられる。




「ゼルさま」


「シンとレンがいれば何も危険はない。心配するな」


「はい」


「……かならず手紙を書く。なるべく早く、迎えにいけるようにするから」




 琥珀の瞳を見詰めて、はい、と微笑んで頷く。


 そうっと手を伸ばして、精悍な頬を撫でる。


 ゆるゆると細められる瞳の、その仕草に胸が震えた。




 ばさ、と彼の纏っていた深紅のマントが翻って、リリゼットを覆い隠す。


 彼の腕のなかで、まるで外から遮断されたようなその場所で、そっと寄せられた唇を、その意味を理解していてリリゼットは瞳を閉じた。


 ほろりと瞼に押し出された涙がこぼれるのと同時に、吐息が触れるほどのはかなさで、唇にあたたかいものが触れて、離れる。


 それからこつん、と額を合わせて、カイゼルが困ったように笑った。




「……おまえに泣かれると、どうしたらいいのかわからん」


「ふふ、ゼルさまが、……そんなお顔をなさるなんて」




 いつも手の届かないようなおとなの顔しか見たことのない彼の、まるで少年のような表情に、潤んだ瞳でリリゼットも笑う。そのままくすくす笑いあって、それから忘れないうちに、とちいさな包みを差し出す。




「これは?」


「あの、プレゼントです。あとで、あとで開けてください」




 するりとマントを手から放して包みを受け取った彼は、器用に片手でそれを開けようとするからあわてて止める。渡し損ねていたハンカチ。メリッサに習った刺繍の出来は、はじめてだからあまりじょうずではないので、恥ずかしい。それでもなにか、残しておきたかった。彼の手元に。




 ふしぎそうにわかった、と頷いた彼にほっとしていると、レンブロントが黒い大きな馬に乗って馬車の横に付いた。思わずぽかんと見上げたリリゼットに、漆黒の騎士がにっこり笑った。




「―――そろそろ出発しますよ」




 シンディアスのよく透る声が掛けられて、カイゼルがわかったと返しながらリリゼットを馬車の中に降ろす。ついで乗り込んできたシンディアスに、カイゼルが「リリィを頼む」と声をかけると、銀色の補佐官もしっかりと頷いてお任せください、と答えた。




 馬車の窓を開けて、そっと手を伸ばすと大きな手に包まれた。




「……ゼルさま」


「待っていろ、リリィ。必ず迎えにいく。必ず」




 はい、とかすれた声で呟いて、伸ばした手、その指先に押し当てられた唇の熱さを覚えていようと思った。ゆっくりと走り出す馬車に、繋いだ手が離れて、背筋が寒くなる。


 窓から流れていく景色に、黄金色の彼が見えなくなって、それでもずっと見つめていた。このまま二度と会えなくなってしまいそうな、そんな予感を振り切るみたいに。








***








 帰国したあとは、すぐに供をしてくれた彼らとは引き離されて、いつもの離宮に押し込められた。ひえびえとしたその場所は、たしかに今まで暮らしてきた場所であるはずなのに、ひどく寒い。それでも耐えられた。きっといつか、迎えにきてくれると―――信じていたから。












 信じて、待って、


 何の音沙汰もなく一年が過ぎて―――






 寂しくて綴った手紙の返事もないまま二年が過ぎて、それでも待った三年目が終わるころ、泣けるだけ泣いて―――








 ―――そして、リリゼットは、待つことをやめてしまった。








 ぼろぼろになった心の痛みから逃げて、なにもかもを諦めた。 


 待ち続けて諦めて、擦り切れた心はもう、なんの痛みも感じない。


 笑うことも、怒ることも、泣くことですら、どうやっていたのか思い出せない。






 あの日、黄金色の彼に、リリゼットの心はすべて捧げてしまったから。




 








 残り滓のような感情はすべて、リリゼットのなかで、死んでしまったのだ。

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