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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
7/21

7

穏やかな日々は過ぎるのも早くて、気が付けば約束の三か月に入ろうとしていた。




「足元に気を付けろよ」


「はい」




 天気の良い今日は、人払いされた王宮の奥庭を散歩しようと、カイゼルが連れ出してくれた。軽い運動をかねて、今までも何度もこうやって一緒に散歩する時間を設けてくれたけれど、大きな手に手をひかれながら歩くのは、何度だってリリゼットを夢心地のように幸福にさせてくれた。


 大きな彼と、ちいさなリリゼットでは歩幅もまったく違って、それなのにおいて行かれたことは一度もない。いつもカイゼルは、ちいさなリリゼットの手を握って、歩調を合わせてくれる。そんなやさしさに触れるたびに、胸の奥に押し込めている感情が、あふれてしまいそうになって、それは少し困る。




「疲れていないか?」


「だいじょうぶです、ゼルさまは心配性」


「そうか?……そうかもな、おまえに関しては」




 くすくす笑いながらそう言ったリリゼットに、首を傾げたあと素直にうなずいたカイゼルが瞳を細める。


 体力作りにと始めた散歩なのに、カイゼルはリリゼットの息が少しでも上がろうものならさっと抱き上げてしまおうとするから油断ならない。一度そんな様子を目撃したレンブロントが、「殿下、体力作りになりませんよ?」とまったくもってその通りとしか言いようのない正論をつぶやいたので、珍しく息ができなくなるほど笑ってしまった。


 それでも始めた当初はすぐに疲れてしまっていた身体も、今では最後まで歩くことができるようになってきたから、少しは体力もついてきたのだと思う。


 三か月、という期間の終わりが現実味を帯びてきたことにも気が付いていた。それでもなんとなくリリゼットからはそれを切り出せないままでいるけれど、たぶん彼のことだから、きっと考えているんだろう。ここ最近、じっとリリゼットを見つめて、何か思案するそぶりを見せていた。




 リリゼットが好きな温室の、花々を愛でながらゆっくりと歩く。ふと見上げた横顔が、ここのところよく見るようになったあの考えこむような表情で、ふと見下ろしてきた琥珀の瞳とまともにぶつかったときに、彼の抱えていた葛藤に気付いて、リリゼットもすとんと覚悟が決まった。




 きっと彼は、もう決めているのだ、と。


 そう、わかってしまったから。






***






 その日の夜は、いつもよりも少し早い時間にカイゼルは寝室に訪れた。


 いつもは丁寧に後ろに撫でつけられている朱みの強い黄金色のゆるく癖のある髪が、湯を使った後は無造作に頬にかかるさまを見るのが好きだった。いつでも凛とした印象のある彼が、こういう時にだけ見せる、隙のようなもの。


 それを許されるほどには、そばに置いていてくれるのだと、思えたから。




 呼んでいた本を伏せて、寝台の上で膝を抱える。


 隣に腰を下ろしたカイゼルが、穏やかな瞳でリリゼットを見下ろして、大きな手がいつものようにリリゼットの黒い髪を撫でる。彼の口から告げられる言葉はなんとなくわかっていたから、リリゼットの気持ちはひどく落ち着いていた。




「リリィ」


「はい」


「帰国の日程が、決まった」




 また、はい、と頷く。


 ほんのすこしだけ、苦し気な表情を浮かべた彼の手を、ちいさな両手でそっと包んで、そうっと撫でる。そんな顔をしてほしくはなかったから、なんでもないように微笑んで、静かに問うた。




「いつですか?」


「……二週間後に」


「わかりました」




 おだやかに頷いたリリゼットに、カイゼルが視線を合わせる。




「怖くはないのか。お前にとって、あの国は」


「怖くないといえばうそにはなります。でも……きっと、だいじょうぶです」




 今までだって、なんとかやれた。


 だからだいじょうぶだと、自分に言い聞かせるように繰り返した。そうしなければ、やさしいこの人に心配をかけてしまうから。


 ふ、とかすかなため息の気配がして、包んでいた手がやんわりほどかれたかと思うと、それをかなしむ暇もなく、強い腕がひょいとリリゼットをその膝の上に抱き上げてしまった。




「おまえは、本当に我慢強くて……時折、心配になる」


「そういう、つもりは、ないのですけど」


「いや、いい。そういうところが、いとおしいのだから」




 しかたがない、と珍しくはっきりとした苦笑をその精悍な顔に滲ませながらささやかれた言葉に、頬が熱くなる。身を寄せた逞しい胸から聞こえる鼓動が、せわしない自分の鼓動と重なって、どちらのものかわからなくなる。




「リリィ」


「はい」


「待っていてはもらえないだろうか」


「……はい?」




 静かな声に、頬を寄せていた胸から顔を上げると、琥珀の瞳が真摯な光を浮かべてリリゼットを見つめていた。




「必ず妻としておまえを迎えにいく。待っていてはくれないか」




 間違えようのないほどはっきりとした言葉で告げられて、伏せがちなリリゼットの瞳が大きく見開かれる。破裂しそうな心臓に、ちいさく喘いだ唇が震えているのがわかる。求めないようにと抑えていた自分の感情が、暴れだしてしまいそうで怖い。 




「……わ、わたしのような、小娘は……ゼルさまには、ふさわしくありません。そんな、そんなこと……」




 言わないで、と呟く前に長い指が、そっとリリゼットの唇を指の背で押さえる。自分に言い聞かせていたはずの言葉が紡げなくなって、じわりと目の前がにじむ。




「年も離れすぎているし、それが嫌だというなら―――おまえが私では嫌だというのなら諦めもしよう。でもそうではないのなら」




 引くつもりはない、と。


 カイゼルが、リリゼットには聞かせたことのないような低い声で、断じた。その濡れたような琥珀の瞳の色合いが深まる。その瞳と見つめあったまま、ぱちりと瞬きしたら、一瞬だけ視界が晴れて、そのかわり頬を何かが零れ落ちた。




「―――わたしを、憐れんでいらっしゃるの、ですか」


「違う」


「わたしが、あの国で、ひとりで生きていけると、申し上げても?」


「おまえがそうできるというならそうなのだろう。でもそれは俺が、おまえに求婚することを諦める理由にはならない」




 口数の多いひとではないと、思っていたのに。反論を許さない、とでもいうように、かき口説く彼が―――俺、と自分を称する彼が、いつもよりすこし余裕がないようで、珍しいなと思ったらふと強張っていた肩のちからが抜けた。




「……わたしのようなこどもで、いいのですか」


「おまえがいいと、俺は言った」


「……はい、……はい。そう、でした……」




 ぽろぽろこぼれていく涙が、もう止められない。


 大きな手が濡れた頬を撫でて、やさしい唇が涙を受け止める。






「ゼルさま、だいすきです」






 泣きながら、きっと一生告げることはないと思っていた感情を唇に乗せる。


 見上げた彼は、今まで見たことのないような顔で笑って、そっとリリゼットの頬に唇を寄せた

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