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黄金の王とちいさな姫君  作者: 杏輔
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6

「レンさまは、今日は訓練はよろしいのですか?」


「今日は午後から顔を出すよ。殿下も午前中は公務が入ってるから」




 昼前の、明るい陽射しの差し込む窓際の、もはや定位置となっている椅子に腰かけて、挑戦中である刺し掛けの刺繍から視線を上げて問いかけると、傍らで同じように椅子に座って、膝のうえに本を広げている黒い騎士はのんびりしたようすだ。これでいて騎士団随一の剣の達人らしいので、ひとは見かけによらないものだなあと思う。




「リリゼットは具合はどう?」


「はい、痛みはもうほとんどないです」




 姫君、と呼ばれることにひどく抵抗を覚えるリリゼットの気持ちを汲んで、レンブロント達は、リリゼットを名前で呼んでくれるようになった。本来なら許されることではないだろうけれど、ほかに誰もいないときにだけ、という条件付きではあるものの、ずいぶん気安く接してくれるようになったので、リリゼットとしてもありがたく思っている。


 こうして過ごすようになってひと月ほどしか経っていないけれど、もう実の兄より兄らしいふたりは妹のようにリリゼットをかわいがってくれるので、一緒にいるととても楽しい。




「内臓が傷ついてなかったから、ほんとよかったよ。運動できるようになれば、もうすこし体力もつくと思う」




 ひと月が経過しリリゼットの怪我もずいぶんと良くなった。


 動かさないよう固定していた医療用のコルセットも数日前に外されて、そろそろ軽く身体を運かし始めてもいいだろうという医者の言葉に、ほっとしたけれど少し不安にもなる。結局リリゼットがここにいるのは、怪我の療養という名目なのだから、怪我が治れば帰らなくてはいけないのだから。




 ひんやりしたあの離宮の空気を思い出して、ふるふると首を振る。


 いまはまだ、あまり考えたくない。




 いちばん重傷だった肋骨の骨折ではあったけれど、それでも三か月療養期間はずいぶん多く見積もったもののようだった。カイゼルいわく、怪我もそうだけれど根本的な体力面の問題も気になるとのことで、彼らからしたらとても虚弱に見えるらしいリリゼットを、いかに健康にするかが目下の目標らしい。




 言うほど弱弱しくなんてないんだけれど、と。


 なんともいえない表情になったリリゼットを見てけらけらと遠慮なく笑ったレンブロントに唇をとがらせていると、部屋のノックの音が響いた。失礼します、と澄んだ声のあとゆっくり開いた扉の向こうにはこの部屋を訪れることを許されたもうひとり―――シンディアスが立っていた。




「ごきげんようリリゼット。具合はいかがですか」


「こんにちは、シンさま。とてもいいです」


「あなたは我慢強くていらっしゃるから―――おい、レン、おまえこの間の遠征の書類まだ出してないだろう、いい加減にしろ」


「ちょっと、扱いの差!!」


「うるさい、自業自得だ」




 白い詰襟の、くるぶしほど丈の長い上着の裾を優雅にさばいてふたりに近寄りながら、切れ長の眦を釣り上げてレンブロントを叱るシンディアスと、リリゼットに対するやさしさの半分も含まれていない冷たい物言いに、レンブロントから遺憾の意が示されるけれど、シンディアスにすっぱりと黙殺されて涙目になっている。遠慮のないテンポのいいやりとりは、見ていて相変わらず楽しい。




「やっぱり仲がいいんですね」


「誤解です」


「今どこに仲いい要素あったの!?」




 微笑ましいやりとりに思わずつぶやいた言葉に、怪訝そうなシンディアスと、驚愕の表情のレンブロントの反応が被って、やっぱり仲がいいと思うけどなぁ、と思いながら、吐息のようにふふふ、と笑うと彼らも仕方ないなぁというような表情になって、結局三人で笑いあってしまった。それからふと思い出したようにシンディアスがレンブロントに言った。




「そういえば殿下から言付けだ。午後の訓練の開始はずれ込むかもしれないと」


「あ、そうなんだ?随分引っ張りまわされてるんだな」


「……仕方あるまい。殿下も27歳で、結婚していてもおかしくない年だ。相手が決まっていないんだから王女を妃にと売り込むのは当然だろう」


「まあ、そりゃそうだけど」




 ふたりの会話に、ぴたり、と。規則正しく動いていたリリゼットの針が止まる。


 たしかに交流のある国の王族が訪れていると昨日の夜、彼は言っていた。警備面でも政務面でも気を遣う、とぼやいていたし、普段は昼間も時間を見ては顔を出してくれていたけれど、ここのところはそれもないのできっと忙しいのだとは思っていたけれど、そんな事情だったなんて。




 なんだか胸の奥がもやもやとする。




 そんなリリゼットの様子に、ふたりが顔を見合わせたことも気が付かないまま、また意識して針を動かす。アルガンド王家の獅子の紋章をモチーフにした意匠。出来上がったらカイゼルに贈りたいから、丁寧に仕上げなくては。そう思っているのに、また針を刺し損ねそうな爆弾発言がレンブロントから放たれた。




「リリゼットは、そういう話は、なかったの?」




 また針を止めて、ぽかんと彼を見上げる。


 問いかけられた意味を図り損ねて、ことりと首を傾けた。




「そういう話、って」


「うーん、まあほら、婚約者、とかさ」


「……とくには、なかったです」




 十歳でも王族なら場合によっては婚約者がいてもおかしくはないのかもしれない。けれどリリゼットはその枠にあてはまらないだろう。いてもいなくても変わらないくらいだし。


 答えに窮していると、シンディアスが重ねて尋ねてきた。




「では理想はありますか。こういう人がいい、というような」




 なんだか今日はえらくふたりが質問攻めにしてくるなぁと、どぎまぎしながらまた首を傾げた。理想、と言われて一瞬脳裏を過ったのは金色のあのひとのことだ。


 真っ赤になった頬を黒い髪で隠すようにうつむいて、とくには、とちいさな声で再び繰り返すだけで精一杯だ。




「じゃあ年上でもだいじょうぶってこと?結構だいぶ年上でも」


「正確には十七歳ほど」


「え、あの、はい、え?」




 容赦ないふたりの追い打ちに、沸騰しそうな脳内は描写がやけに具体的になっていることにも気づかないほどいっぱいいっぱいで、顔から火が出そうな思いをしながらわけもわからず頷いていると、こんこん、とのんきな音が響いて真っ赤な顔のままはっと顔をあげると、少し開けたままの扉がさらに開いてカイゼルが顔を覗かせた。




「……お前ら、何リリィを困らせてるんだ」


「いえいえ、ちょっとした調査です。今後のための」


「殿下、リリゼットは年上大丈夫だって。よかったね!」




 やめてぇえ、と内心絶叫しながらあわあわとなんとかふたりを止めようとしているリリゼットをよそに、近づいてきたカイゼルは「そうか、それはよかった」とまじめな顔で頷いて、何事もなかったかのようにリリゼットに向かって瞳を細める。




「しばらく昼間に顔を出せなかったから様子を見に来たんだが。こいつらがうるさかったらちゃんと叱るんだぞ」


「だ、だいじょうぶです……」




 ちいさくなってふるふる首をふるリリゼットと、悪びれないレンブロントと涼し気なシンディアスに、ふしぎそうな顔をしたカイゼルだったけれど、すぐにそれならいいんだが、と苦笑しながらレンブロントを促す。




「レン、そろそろ行くぞ」


「あれ、遅れるんじゃなかったですか」


「……逃げてきた」




 苦虫を噛み潰したような顔でそう呟いたカイゼルに、レンブロントがそりゃそうですよね、と苦笑して立ち上がる。




「ちゃんと昼食を食べるんだぞ。―――また夜に」


「は、はい」




 大きなてのひらが、名残を惜しむようにそっとリリゼットの頬を撫でて、その指が離れていく瞬間は、いつでもすこしだけリリゼットを頼りなくさせる。




 失礼します、とここだけは優雅に腰を折るレンブロントを引き連れて、慌ただしく出ていくふたりを、シンディアスと見送る。寂しいと感じてしまったリリゼットの心境などお見通しなのだろうきれいな補佐官は、癖のない銀色のさらさらとした長い髪を揺らしてリリゼットを覗き込んで微笑んだ。




「……そんな顔をしないでください、リリゼット。あなたの読みたがっていた本も探してきたんですよ」




 ぱちぱちと瞬きしてシンディアスを見上げて、ありがとうございます、と笑った。レンブロントとは違うやりかたで、兄のように情を向けてくれる彼にも、ずいぶん助けられていると思う。






 そしていつもすこしだけ、願ってしまう。


 できるだけ長く、この日々が続いてくれますように、と。






 穏やかに過ぎていくこんな日常が、今のリリゼットにとっては、なによりも大切な宝物だから。

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